築地を愛した女たち

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築地を愛した女たち

築地を愛した4人の女性たちは、それぞれの想いを抱えながら、変わりゆく市場と自分の人生を見つめていた。

築地市場が豊洲に移転する。移転の是非や、賛成、反対はさておき、市場の移転は、築地に関わるひとたちの人生に、何かしらの影響や変化をもたらすことは確かだ。数でいえば女性が圧倒的に少ない築地という社会のなかで生きる女性たちは、人生のひとつの分岐点となるであろう市場の移転をどう受けとめているのだろうか。年齢も職種も立場も異なり、築地市場へのそれぞれの想いを抱えた4人の女性たちは、まっすぐ前を向き、変わりゆく市場と自分の人生を見つめていた。

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福原つどい(すし玉青木)

築地でどんなお仕事をしていますか?

卵焼きを販売しています。基本的にひとりで店番をしているので、品物をつくって、売って、渡して、電話注文を受ける。あとは、配達のスタッフに指示を出してモノを運んでもらったり、冷蔵庫の管理かな。結局、店ではひとりだからね、誰も助けてくれないの。トイレに行くときも、配達の子に「ちょっと店番してて!」って。

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この仕事を始めたきっかけは何ですか?

場外で短期のアルバイトをして、そこですし玉青木を紹介してもらったのが30年前。私、満員電車が嫌いで、通勤ラッシュの時間帯に通勤するような仕事はしたくなかったんです。そうなると、通勤時間を早くするか遅くするかしかないじゃない。仕事が朝6時からだったら、電車は絶対空いてるだろう、と始めたのが最初だった。

築地の移転の話を知ったタイミングはいつですか?

いつだったかな。「移転するんじゃないの」という噂を聞いたときは、全然具体的な話ではなくて、豊洲への移転か築地の再開発かはっきりしない状態だった。東京ガスの跡地だという話もセットで聞いたから、そんなところに移転して大丈夫なのかという不安が最初に頭をよぎったかな。でもね、もうここまできたらしょうがないから、引越しの用意はしてる。どのみち、豊洲でも店をまわすのは私ひとりで、ひと任せにはできないから。移転したくない気持ちもありながら、前には進んでる。

引越し準備は進んでいますか?

要らないモノを捨てたりとか、ちょこちょこね。モノの整理をしながら自分の心も整理するような気持ち。移転に納得はしていないけど、頭ではわかってるから。でも、東京都がもう少し、築地で働いているひとたちに寄り添って、現場で働いているひとの立場にたって考えてくれていたら、なにか違っていたんじゃないかな。「うちはこうやるから、あなたたちはついてきて」という強引な進めかただから、納得がいかない。

市場の移転で、人生はどう変わるでしょうか?

レベルは低い話だけど、自転車通勤が基本になるでしょ。今までは、電車で通勤して、仕事帰りに買い物したり、時間的に間に合えばライブに行ったりもしていたけど、豊洲に移転後は、どんな体制でどういう仕事の流れで営業していくのか、みえない状態だから。絶対、今まで通りにはいかないじゃない。本当に暗中模索でさ、どうなっていくんだろうという不安はあるよね。

豊洲に移転せず、廃業するお店もあるそうですが、すし玉青木は移転するしないで迷いませんでしたか?

うちの社長はね、移転反対の声はあげてないから。かといって、積極的に移転しようというわけでもないけど。会社はそういうスタンスだし、私ひとりでは何もできないし、生活がかかっているからね。他の仕事で、今と同じだけの給料はまずもらえないから、今の仕事をやめることは考えたことがない。

お給料が減ることで、何が変わるのが怖いですか?

母親がグループホームに入っているのね。そうすると、正直やっぱりお金がかかる。もちろん自分のことにもお金は遣うけど、母親を第一優先に考えるからさ。自分の生活だけだったらいろんな選択ができるけど、母親がグループホームを移動するとなると、全然空きがないから。そうなるのがいちばん怖い。

人生において、築地の移転にはどういう意味がありますか?

やっぱり、すごく大きな出来事だよね。でも、これから先何がどうなっても、自分が正しいと直感したことは、他人から何をいわれても、悪いけど意見を変える気はない。そこだけは、自分が間違っている気がしないの。ただ単純に頑固なだけなのかもしれないけど、最初に頭に浮かんだ、直感した印象は、きっと間違ってない。

なぜそんなに自信をもてるんですか?

いつかそうなれるよ。若いときは迷うし、揺れるじゃん。でもだんだんね、いろんなひとと関わって、いろんな経験を積んでいくと、自分の考えが確立してさ。あ、歳をとるって、大人になるってこういうことなんだ、と。若いときには想像できなかったことが、わかるようになるから。そういう土台があるから、この先どんなことがあっても大丈夫と思える。もし失敗したとしても、失敗のその先を考えていけるから。

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市場が豊洲に移転したあと、どんなことがあってもプラスに考えていけますか?

会社にとっても、豊洲市場にとっても良い方向に考えられたらいいよね。豊洲に移転しても、お客さんがたくさん来てくれるような雰囲気づくりとかをしていかないと。やれることは全部やって、ダメならダメでしょうがない。移転してみたら、意外といい感じって可能性も、ゼロじゃないでしょ。これまでは、あまりにもマイナスな情報しか伝わってこなかったから、ついマイナスに考えがちだけど、もしかしたら何かいいことがあるかもしれない。ここまできちゃったら、市場を盛り上げる方向でね。とりあえず、今店に来てくれてるお客さんに「豊洲来て、っていうか来るよね? 来るでしょ?」と言い続けてる(笑)

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ゆう(三富 帳場)

市場でどんなお仕事をされているんですか?

帳場の仕事ですから、お金の計算とか、受けてきた注文を伝票にしたり、お金のやりとりですね。築地で働く前、私はまぐろを扱う店の帳場で働いていたんです。そのときから築地で働きたくて、知り合いに築地の干物屋さんを紹介してもらって、そこで働くようになりました。それが3年くらい前です。その干物屋さんのお客さんだった仲卸のかたに、三富さんを紹介してもらったのが、この店で働くようになったきっかけです。

市場移転の話を耳にしたときは、まだ築地で働いてなかったんですか?

築地移転について知ったのは、まだ働く前でしたね。テレビで報じられていたのを知っていた程度でした。まぁでも移転はないだろうなって。まさか本当に移転するとは想定外でした。私なんかはまだ、築地で働きはじめて3年くらいですけど、みんなはもっと長いし愛着も強いので、やっぱりみんなショックですよね。でも移転は決まったことですからね。

〈移転はしょうがない〉という想いはありますか?

私たちの力では、どうにもできないじゃないですか。だからもう、それは受け止めてます。ただ、私は築地に通勤するために、勝どきに引っ越したんですよね。せっかく高い家賃を払って、勝どきに住んでいるのに。とりあえず、しばらくは勝どきの家から出勤しますけどね。

市場の移転で、人生はどう変わるでしょうか?

移転でお客さんが減ってしまったら収入に関わるでしょうけど、仕事への姿勢が変わるということはないですね。三富に足を運んでくれるお客さんがいる限りは、市場がどこに移転しても、やることは同じです。移転は決まっちゃったことだから、もうしょうがないですよ。泣いたってしょうがないし。

人生において、築地の移転にはどういう意味がありますか?

自分の人生において、市場の移転にそこまでの意味はないですね。どんな場所でも、生活がかかっているからやるだけだし、たとえお店が変わっても、帳場の仕事は続けたい。ただ、やっぱり他のひともそうでしょうけど、築地から豊洲に移転して、この市場の雰囲気がどうなるのかは気になります。私もまだ経験がないことですし、豊洲は見学したけど、実際に営業してみないとわからないですから。お客さんがいる限りは、その場所でどううまくやっていくかを考えるしかないです。

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橋本彩子(料理家/フードコーディネーター)

築地に足を運ぶようになったきっかけを教えてください。

私は、ハイブランドとか外資系向けのケータリングの仕事をしていたんです。その仕入れのために築地にきたのが最初です。築地のかたたちからしたら、あいつは何なんだって感じだったでしょうね。それが今から18年前です。

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築地で仕入れをしようと決めた理由は何だったんですか?

スーパーには〈売れる〉商品しか並ばないじゃないですか。誰かのセレクトしたものだけが並ぶから。そうすると珍しい食材は買えない。もちろん新鮮さも求めていたし、大量に買いたいという理由もありました。だけど何より、自分の目でみてチョイスできる、自分の色が出せるのが楽しかった。市場には、誰かが流行らせる前の商品が並ぶので、目をつけた食材が数年後、やっとスーパーに並ぶようになったり、マーケティングに失敗して、スーパーに並ばなくなったり、そういうトレンドをチェックできるのが面白かったです。

水産物より、青果物のほうが繋がりがあるんですか?

築地デビューは野菜からでしたからね。ハーブや食べられる花、新種の野菜を求めて青果に通っていました。なので、私のなかの築地で働くひとたちのイメージは〈花屋で働く男性〉なんです。ちょっとだけソフトで、重いモノも持てる、フェミニンな部分がある男性たちだったから気が合ったんじゃないかなと。

築地の移転の話を知ったタイミングはいつですか?

築地のお魚屋さんと一緒に、新聞の見開き広告の仕事をしてた時期です。お魚屋さんの社長が、新聞社さんと私を連れて、銀座の鰻屋でご馳走してくれたときに、移転についてのビラを渡されました。それが、多分12年くらい前ですね。そのくらいの時期から、築地のなかのひとたちが、移転のことでざわつきはじめました。

ビラを渡されたときどう感じましたか?

現実的に受け止めてなかったかも。衛生面を改善して、古くて味のある部分は残すような、築地リニューアルの方向で落ち着くのかな、と捉えていました。だけどそれからいろんなことがあったし、でもギリギリまでわからない雰囲気もあったかもしれません。私は場内の組合のこととかはわからないけれど、移転が現実的になってきたのは、ここ1、2年くらいなんじゃないかな。

市場の移転について、周りのかたとどのような話をしましたか?

知り合いのシェフとは、豊洲まで仕入れに行けないからもっと場外を発掘しないとね、という話もしましたね。物理的に遠いし、と。今日、18年通った八百屋さんに「私、今日がラスト築地です」と声をかけたら「築地には馴染み深いひとですからね」と返されました。最近は、築地のキッチンスタジオで築地の食材を使った料理教室を開催したりもしていますし、私は築地に馴染み深いひとなんだ、とぐっときちゃいました。

移転を直前に控えた今、市場の移転をどう捉えていますか?

料理をする人間として、築地市場はアイディアをもらえる場所でした。何を買うか決めずに場内を歩いていると、面白い食材に出会えるんです。この小ささを活かして、こう料理したら可愛いなとか、アイディアが湧き出てくる。商品として〈正しい〉、売れる食材ばかりが並んでいたら、デパートと変わらないじゃないですか。そういう出会いの場がなくなってしまうということは、自分の能力や引き出しが減るのと同じなので、これからはもっと場外を発掘しつつ、たまには市場に足を運ばないと。みんなと同じ食材しか買えないと、みんなと同じ料理しかつくれないので。だからこそ、築地市場が移転して、ただの配送センターになってほしくない。雑多な部分が整備される分、仕入れる食材や中身の雑多さも綺麗になってしまったらさみしいです。

人生において、築地の移転にはどういう意味がありますか?

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私はフリーランスなので、いろんな場所でお仕事をしていますから、帰る場所、〈ホーム〉がないんです。だけど、築地で仕入れるようになって、10年前からは築地に住むようになって、私にとって、いろんな意味で築地がホームだった。それは築地市場の場内、場外がセットでホームだったんです。場内で仕入れをして、場外で買い物して、お酒を飲んだり、お話をしたりするのがルーティンでした。市場が移転することで、単純に、ホームが半分になってしまうのが悲しいですね。でも逆にいえば、プロがセレクトしたモノが並ぶ場外は残ります。市場がどうなっても、私は自分のセレクトの目を、いつまでも大切にしたいです。

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永田奈々(泉久 売場)

築地でどんなお仕事をされているんですか?

私は仲卸の泉久の売場で働いています。築地で働きはじめてまだ2ヶ月なんです。

2ヶ月ということは、市場の移転も知っていたうえで働きはじめたんですね。なぜ築地で働くことになったんですか?

私は中学生の頃から留学していて、17年間海外で生活をしていたんです。6年前に帰国して、日本でしかできない仕事をしてみたいと考えました。でも、そういう仕事がなかなか見つからず、ほぼ諦めているような状態で、翻訳や通訳の仕事をしていました。築地のお仕事は、母がみつけてきたんです。「築地って、すごくあなたに合うんじゃない?」と半ば強制的に面接が決まって。私は、面接当日もギリギリまで迷っていました。

何を迷っていたんですか?

私の通った学校はすべて海外でしたし、日本での職務履歴もない。私は、築地に場違いなんじゃないか、と。でも、私の面接のためにスケジュールを空けてくださっているかたがいますし、それを無下にはできないので「あなたは築地に何しにきたの?」というリアクションがあって当然だ、と思いながら面接へ向かいました。はじめは帳場志望ということでお話をさせていただいたのですが、売場に興味はないですか、と訊かれて驚きました。

築地の仲卸で働く女性は、帳場のかたが多いとききました。売場がどんな仕事をするかすぐにイメージできましたか?

TVの映像などから、お客さんと威勢良くやりとりするイメージはありましたし、男性ならではの粋な感じで、格好良いお仕事だとは思っていました。でも、売場で働く女性は想像ができなかったので、後日見学することになりました。朝の6時から店の前で様子を眺めていて、ときに売場のみなさんが走り回って、1分1秒を大切にしている姿をみて、戦場のような緊張感を覚えました。その迫力に圧倒されたと同時に、私もみなさんと働きたいと感じたんです。

働いてみて、発見や驚きはありましたか?

泉久の集金係として、毎朝数十件のお店を廻るのですが、80歳すぎのご年輩のかたから、20歳前のあどけない子、ネイルとメイクがとてもお洒落な女性、ジョニー・ロットン並みのパンクなお兄さんなど、実に色んなひとがいるんです。その多様性には感心しました。あと、みなさんとても礼儀正しいです。いわゆるセクハラのようなこともないんじゃないか、という印象を抱いています。集金係を任されていなかったら、場内全体の雰囲気をつかむこともできなかったかもしれないし、こんなにも、場内大好き、という気持ちを強く抱かなかったかもしれません。

2ヶ月前は、自分は築地に場違いなんじゃないか、とも考えていたのに、気づけば築地市場の場内が大好きになってしまったんですね。

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最初こそ、母が見つけてきた仕事でしたし、働くことが決まってからは、市場の移転という貴重な出来事を外側の立場として見届けるつもりでいたんです。でも実際、そんなに冷静ではいられないんですよね。場内にものすごく愛着が湧いて、本当に好きな場所になってしまいました。

今、率直に市場の移転をどう捉えていますか?

築地を去りがたい気持ちが強いですが、この移転を良いきっかけに、より魅力的な市場になってほしいと願っていますし、ある意味チャンスだと捉えています。泉久のため、市場のために何ができるのかを考えています。築地市場に関わって日が浅いですし、具体的に何ができるかはまだわかりませんけど、場内で働くかた、場内に毎日来られるかた、築地関係者、みなさんがそれぞれの気持ちを抱えていらっしゃるでしょうから、市場で働くひとりとして、元気よく「おはようございます」と声をかけることですかね。この2ヶ月で築いてきた、みなさんとの笑顔のやりとりを豊洲市場でも続けることが、まずは私にできることなんじゃないかと。

そういう当たり前のことが大切なんですね。

市場の場所は変わっても、なかのひとたちとの繋がりは変わらないと信じているんです。誰も先の見えない時期だからこそ、お互いを労り、思いやりをもてば、以前にも増してお互いの結束が強まる。そう考えると、不安を抱えながら前に進むのは、決してマイナスではないはずです。同時に、自分の目の前の仕事を、今までどおり続けるしかないんじゃないかなと。

人生において、築地の移転にはどういう意味がありますか?

私は、ことが起きる前に色々と考えてしまうタイプなんです。それはそれで、なるべく失敗しないように生きるためには必要なのかもしれないけど、たいがいのことは自分ひとりでは進められない。絶対に他の誰かが関わっていて、そのひとたちがどう動くかはわからないんですよね。大人になればなるほど、ある程度、自分のなかで物事の目安がつくというか、こうすれば失敗しない、評価される、といったベースができますよね。いろんな経験をして、賢くなった分だけ、自由な選択はできなくなる。でも本当に、人生は何が起きるかわからないし、前に進んでみないとみえないこともあります。市場の移転という、世界的にも大きな出来事を自分の目でみれることは、いろんな意味で自分のためになるはずです。