チャールズ・マンソンとオルタナ右翼
左:1971年、有罪判決前のマンソン. Photo via Bettmann/Getty Images.

右:2017年8月、シャーロッツヴィルに集ったオルタナ右翼支持者たち. Photo by NurPhoto via Getty

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チャールズ・マンソンとオルタナ右翼

米国のポップカルチャーに多大な影響を与えた、元女衒でミュージシャン崩れで殺人カルト・リーダーのチャールズ・マンソンが2017年11月19日、日曜日、83歳で死去した。この男と現代の極右勢力の共通点は、黒人への恐れ、白人種の終焉についての懸念だけではない。両者とも、ファンタジー的未来像を抱いている。

米国のポップカルチャーに多大な影響を与えた、元女衒でミュージシャン崩れで殺人カルト・リーダーのチャールズ・マンソン(Charles Manson)が2017年11月19日、日曜日、83歳で死去した。彼は、家出したティーンエイジャーを幻覚剤で洗脳し、カルト集団を創設した。マンソンに殺人を命じられた信者たちは、計9名を殺害した。彼が主導した不気味な〈ファミリー〉は、全米を震撼させたいっぽうで、彼自身は、MARILYN MANSONのインスピレーション・ソースとなり、殺人事件で有名になる以前には、THE BEACH BOYSの曲の元ネタづくりにも関わっていた。

しかし、アウトサイダー的アイコンとしての側面ばかりが強調され、マンソンが憎悪に満ちた人種差別主義者だった事実は見逃されがちだ。彼が計画した殺人の実行犯たちも、アフリカ系米国民が白人を奴隷化しようとして人種間戦争をたくらんでいる、という妄想を植えつけられ、扇動されていた。この〈妄想〉は、現代の政治にも潜んでいる。黒人コミュニティにおける社会不安が〈ファミリー〉の安全を脅かす、というマンソンの主張は、人種攻撃で大統領が誕生し、ホワイトハウスが白人愛国主義を煽り立てる現代の米国社会にも共鳴している。

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「もし存命のチャールズ・マンソンが読み書きできていれば、『ブライトバート(Breitbart:右派メディア)』に寄稿していたでしょう」とジェフ・グイン(Jeff Guinn)は語る。彼は、マンソンの伝記の決定版ともいえる『Manson: The Life and Times of Charles Manson』の著者だ。「マンソンは、清廉を偽る民衆扇動家たちと同じように、恐怖につけ込む方法を知っていました。人々の心に巣くう不安を利用し、脅威を誇張してパニックを発生させたんです」

当時のマンソンは、カルチャーに影響を与えたイノヴェーターというより、カルト・リーダーと評すのが適切だろう。彼が採用した戦略は、〈見た目、言語、宗教が違う人々は、危険な脅威である〉という、米国内に根付く伝統的発想に基づいていた。

「人種の違いから生まれる偏執は、民衆の心をつかみ、支配するには効果的なツールです」。そう語るのは、ジョンズ・ホプキンス大学で社会学を教える、カトリーナ・ベル・マクドナルド(Katrina Bell McDonald)准教授だ。「例として挙げられるのが、第二次世界大戦期のアジア人に対する差別、ジム・クロウ法時代のアフリカ系米国民に対する差別、そして現在の、ヒスパニックに対する差別や移民に対する差別です」

1960年代後半には、この戦略を用いて、黒人コミュニティへの恐怖や怒りを喚起する権力者たちが続々と現れた。暴動、武装した急進的黒人グループの登場が、夜のニュースを席巻すると、リチャード・ニクソン(Richard Nixon)の掲げた〈法と秩序〉、またジョージ・ウォレス(George Wallace)が叫んだ〈人種隔離政策を永遠に!〉などのキャンペーンが活気づいた。そういった国内の人種間緊張の高まりの縮図が〈マンソン・ファミリー〉だった。このカルト集団を先導した人物こそ、黒人による虐待を経験し、怒りを抱えたリーダー、チャールズ・マンソンだ。彼のなかには、アフリカ系米国民に対する恐れや憎しみが植え付けられていた。

「マンソンは、レッドネックが抱くような憎悪を抱いていました」とグイン。「初めて黒人に囲まれたのが刑務所のなか。彼はそこで、イスラムの教えに基づいた同胞愛にたじろぎます。出所すると、カリフォルニア州バークレーへと向かいましたが、そこではブラック・パンサー党(Black Panthers)に慄きました。その後、若くて愚鈍で、麻薬中毒となりはてた白人信者たちに信奉されるようになると、マンソンは、彼らに『黒人対白人の人種間戦争が近い。蜂起した黒人に、白人は虐殺されるだろう』という考えを吹き込みます。戦争が始まったら、信者たちを砂漠に連れ出し、隠れ住む予定でした」

マンソンは、異なる人種に対する偏執的な恐怖をかきたてるだけでなく、信者たちを孤立させ、文化を盗用し、宗教的熱狂を高め、LSDをたっぷり与えて、彼らをすっかり洗脳した。また、THE BEATLESの『ホワイト・アルバム』には、「人種間戦争を予言したメッセージが込められている」と信者たちを説き伏せたのは周知のとおりである。砂漠で隠遁生活を送り、戦争が収束したら地上にカムバックして世界を支配しよう、とマンソンは説いた。

グインはマンソンを以下のように説明する:

「特に女性たちは、忠誠心を失わなければ、すばらしい地下都市へ降りたときに望み通りの生物になれる、と教えられていた。有翼のエルフになりたいと望む女性もいた。チャーリー(=チャールズ・マンソン)は、時が来れば背中に羽が生えるだろう、と約束していた」

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明らかに現実離れしているが、マンソンは、己と『ホワイト・アルバム』と〈ヨハネの黙示録〉のつながりを証すためにディテールに気を配り、筋が通らない主張の瑕疵を指摘されても言い逃れできるよう準備していた。

「チャールズ・マンソンは狂人ではありません。全て計算ずくで動いていた。だからこそ、彼は恐ろしい人間なのです」とグインは語る。

1969年8月9〜10日。当時、妊娠8ヶ月だった女優のシャロン・テート(Sharon Tate)らが犠牲になった無差別殺害事件は、黒人武装軍団を仮構し、白人の復讐心に火をつけ、最終的に終末的な人種間戦争〈へルター・スケルター〉を引き起こそうとするマンソンの企みを象徴していた。実行犯たちは現場の壁に、動物の足跡、〈ブタどもに死を〉と血文字を残し、ブラック・パンサー党などの黒人過激派とこの事件を、メディアが結び付けるように仕向けた。

しかし、人種間戦争が起こり、翼の生えたエルフたちが潜む地下ユートピア・コミュニティがいつか世界を支配するというマンソンの〈予言〉は実現しなかった。マンソンと残忍極まりない殺人を実行した信者たちは逮捕され、有罪判決を下された。ただ、マンソンの公判中、そして判決が下ったあとも、大勢の信奉者たちが彼を支援し、彼の言葉に従い続けた。時が経ち、マンソンが唱えた古い〈予言〉は消え去っても、新しい〈予言〉が授けられた。マンソン・ファミリーの最年少メンバーのひとり、リネット〈スクィーキー〉フロム(Lynette “Squeaky” Fromme)は、マンソンに認められるために、1975年、当時のジェラルド・フォード(Gerald Ford)大統領暗殺未遂事件を起こしている。

近年の状況にも目を向けてみよう。保守系政治運動は、暴力的な白人至上的愛国主義に成り下がっている。そのなかには、終末のあとのすばらしい世界を心から待ち望む、武装市民軍的なセクトもある。

「この手の終末論には、必ず救済があります」。マクドナルド准教授は続ける。「白人が人種間戦争に勝利すれば、より良い生活が待っている、というように、勝利のあとの着地点を意識させます。実際に約束が実現しなくても効果があります。マンソンの約束も実現しませんでしたが、それでも人々は〈幻想〉を求めて止みません」

危険なカルト・リーダーの研究を続けてきたグインだが、マンソンの死を悼みはしない。彼が望むのは、マンソンの死を機に、彼が用いた手法に改めてスポットが当たり、その結果、世間が扇動家たちの戦略を理解し、戦う術を知ることだ。

「マンソンについての本を著して学んだのは、現在の米国の恐ろしさです」とグイン。「『築き上げた生活を守らなくてはならない』。もしくは、『連中はあなたたちから奪い、モノの価値もわからないような人間にそれを与えてしまう。しかし、私はあなたたちを守ります。私にしか問題を解決できません』という主張を耳にしたら、要注意です」