自殺未遂者の告白

私はこの先ずっと、生き延びた自分をどうにかして肯定しようともがきながら生きていくのだろう。
自殺未遂者の告白
Chicago Tribune/Getty Images

こんなことを打ち明けるべきではないだろうが、私は自殺しようとしたことがある。この通り、私は生き延びた。

これも打ち明けるべきではないだろうが、私は〈自殺を試みたこと〉〈命が助かったこと〉両方に罪悪感を抱いている。

臨床医学では、このパラドックス、つまり大多数が助からない状況を生き延びた者が抱く罪悪感は〈サバイバーズ・ギルト(survivor’s guilt)〉と呼ばれる。これは、戦闘を経験した帰還兵や、大流行した感染症の生存者など、トラウマ的状況を生き延びた者によく見られる症状だ。サバイバーズ・ギルトはかつて『精神障害の診断と統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)』に独立した疾患として記載されていたが、後に心的外傷後ストレス障害(Post-Traumatic Stress Disorder: PTSD)のひとつの症状として再分類された。

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自殺未遂や自殺によるサバイバーズ・ギルトについての研究の大半は、当事者の家族への影響に焦点を当てている。例えば、専門誌『Suicide and Life-Threatening Behavior』に掲載された研究論文によれば、愛する人を自殺で喪う悲しみと、病気や老衰などで喪う悲しみは、根本的に異なるそうだ。遺された友人や家族は、羞恥心や「なぜ」という疑問に苛まれ続ける。心臓発作など死因が明らかなら、彼らは、このような感情や疑問を抱かずにすむという。

しかし、自殺未遂が当事者に与える精神的影響については、ほとんど研究が進んでいない。「自殺未遂者は、偏見や羞恥心によって、ずっと社会の周縁に追いやられていました」とミシシッピ州立大学(Mississippi State University)の研究所〈Sleep, Suicide and Aging Laboratory〉のマイケル・ネイドーフ(Michael Nadorff)所長は指摘する。「ここ5年ほど、自殺未遂者について研究しようという気運が高まりを見せていますが、遅れを取り戻すには時間がかかるでしょう」

ネイドーフ所長と違って共有できる臨床情報は少ないが、私には2年半に及ぶ実体験がある。2015年3月2日、私は自ら命を絶とうと決めた。友人ひとりに電話で別れを告げると、彼は私のルームメイトに電話を代わらせ、そのルームメイトが911に通報した。警察が到着し、私は救急車に乗せられた。そこから数時間の記憶は曖昧だ。

翌朝目覚めたとき、自分がどこにいるのか思い出すのに少し時間がかかった。未遂で終わった自分が間抜けに思えた。私は、自殺すらまともにできないのだ。それから、大切な家族や友人を苦しませたことに気づき、再び自分の愚かさを痛感した。

これは、罪悪感の始まりに過ぎなかった。意識が戻り手首の包帯を見た途端、自分は本当にあと少しで死ぬところだったのだ、と実感した。ガーゼを撫でて、深い傷を感じた。私は間一髪で死を免れたのだ。普通なら安堵するところだが、私が味わったのは自らを見つめ直す苦痛だった。目覚めた瞬間は、とにかく最悪の気分だった。

一般病棟で1日過ごした後、私は精神科病棟に移された。そこでの出来事については、公にしないほうがいいだろう。私はただ、罪悪感が岩のようにのしかかってくるのを感じていた。友人が見舞いにくるたびに、「本当にごめん」と謝った。彼らはもちろん、謝る必要はないよ、と答え、大丈夫かと気遣い、連絡を受けてすぐに駆けつけたといってくれた。彼らは食べ物や映画、本を差し入れ、ハグと笑いを届けてくれた。

自殺未遂から2年めの〈記念日〉、私は一睡もせずに午後11時34分を待っていた。時間ぴったりに友人数名にメールを送り、あの日の夜遅くに起こしてしまったこと、病院に駆けつけさせてしまったことを謝った。数ヶ月後、私は元の家から数時間の場所に引っ越した。FacebookやTwitterは使っていたが、できるだけこれまでの生活を離れようとしたのだ。私は部分入院プログラムを始め、コミュニティ・カレッジで写真のクラスを受講した。

事実を知っているのは、家族や親しい友人だけだった。引っ越しから数週間、私は、彼らに話を聞いてもらい、理解してもらい、大丈夫だと励ましてほしくてたまらなかった。皮肉なことに、そのとき私が認めてほしいと願った家族や友人は、ハグできないほど遠くにいた。

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謝らなければという強迫観念は、一向に消えなかった。謝れば謝るほど、さらに謝りたくなった。「自殺未遂者の日々の感情や、この世界における〈居場所〉は、他者からの承認によって決まります」と説明するのは、ニューヨーク市を拠点とするファミリーセラピスト、ポール・ホークマイヤー(Paul Hokemeyer)だ。「残念ながら、彼らの承認欲求は尽きることがありません。その結果、彼らは自己嫌悪に陥らざるをえません」

このように、罪悪感は厄介だ。罪悪感を抱く当事者は同情を求めるが、同情を得た瞬間、同情を得たことに罪悪感を抱く。私は友人、家族、様々な薬物療法のおかげで、粉々に砕け散ってしまった生きる意志を取り戻せた。少しずつだが、失った自己主体感も徐々に取り戻しつつある。就職し、旅行も計画中だ。アイスクリームの新しいフレーバー、友人からのメッセージ、野球の試合。結婚を考えている相手もいる。私はありふれた日常に喜びを見出すようになった。新聞を読み、食料品を買い、コーヒーショップでカップを整理しながらせわしなく働いている。このような些細な物事が、私が生きていると証明してくれる。微かな風が私を再びどん底に突き落とすように感じる日もあるが、私はヒールを地面に埋めて踏ん張っている。

来月で、未遂から3年を迎える。どのように祝うかはわからない。そもそも〈祝う〉なんて不謹慎だし倒錯的に感じられる。深刻な病気、しかも、これからもずっと私に影響し続けるような病気を、軽視したくはない。あのとき目覚めなければよかったと感じる日もいまだにある。大量の投薬治療や認知行動療法を受けなければ、私は、双極性障害を克服することも、罪悪感や自殺願望から逃れることもできない。

私は、自分の脳の決定よりずっと長く生きてきた。ときどき、私は助からなかった自殺者の母親たちを想って泣く。私はこの先ずっと、生き延びた自分をどうにかして肯定しようともがきながら生きていくのだろう。〈罪悪感(guilt)〉の語源は〈debt(借り)〉を意味する古英語らしい。私を立ち直らせようと尽くしてくれた人たちに、私は〈借り〉がある。

自殺未遂者の心情について訊かれたとき、私は、皿を落とすようなものだと答える。私たちは皿が落ちた瞬間に、自分が間違いを犯したことを悟る。損傷のひどさを確かめる前に、動けなくなるかもしれない。もしくは接着剤を探し、破片を繋ぎ合わせようとするかもしれない。しかし、ぴったりはまらない破片もあれば、粉々になってしまった部分もある。それでも辛抱強く充分な時間をかければ、また使えるようになるかもしれない。決して元通りにはならないだろうが、それでも直す努力をしなければいけないのだ。

This article originally appeared on VICE US.