今夏、英国ではあらゆる音楽フェスがキャンセルされたが、なかでもグラストンベリーの中止はもっとも衝撃的だった。もちろん、これまでにも中止された年はあったが、開催50周年を迎えるはずだった年に、ひと気がなく静まり返っているワージー牧場は、心が痛む光景だった。多様なサブカルチャーやアンダーグラウンドシーンを記録し続けている写真家、デレク・リジャーズは、『ニュー・ミュージカル・エクスプレス(NME)』との契約で1990年代からグラストンベリーを撮影してきた。今回、このフェスの開催50周年を記念して、i-Dは彼にアイコニックな写真にまつわるインタビューを敢行。79のステージと20万人の参加者を誇る一大イベントにはほど遠い、在りし日のグラストンベリーを収めた写真は、マイケル・イーヴィスが始めた世界的フェスの、より純朴なカウンターカルチャーとしての起源を思い出させてくれる。「グラストンベリーでの撮影は、一瞬一瞬を楽しんだよ」とデレクは当時を振り返る。「2000年が最後だった。ボウイが出た年だ。依頼さえあれば、またぜひ行きたいね」
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広大なアーカイブからデレクが自ら選んだお気に入りのショットとともに、高級化が進む前のフェスの様子を振り返る。
──大手雑誌のフォトグラファーもそこで撮影していたんですか?
うん、30年前もグラストンベリーはかなり大規模なフェスだったから、誰でもバックステージやVIPパスがもらえたわけじゃなかった。そういう場所に入るための有名だけど違法な手口もいくつかあった。でもNMEの仕事なら、そんなことをしなくても良いパスが手に入る。──フェス自体も楽しんでいました? それとも撮影のためと割り切っていた?
カメラを持たずに会場に行ったことはない。でもよく考えてみれば、そもそもソファでくつろぐとき以外は、肌身離さずカメラを持ってる。カメラがなければ、僕の人生はもっと不確かなものだったかもしれない。カメラがあったからこそ、青春時代にやっていたことを年をとるまで続けられているんだ。
うん、30年前もグラストンベリーはかなり大規模なフェスだったから、誰でもバックステージやVIPパスがもらえたわけじゃなかった。そういう場所に入るための有名だけど違法な手口もいくつかあった。でもNMEの仕事なら、そんなことをしなくても良いパスが手に入る。──フェス自体も楽しんでいました? それとも撮影のためと割り切っていた?
カメラを持たずに会場に行ったことはない。でもよく考えてみれば、そもそもソファでくつろぐとき以外は、肌身離さずカメラを持ってる。カメラがなければ、僕の人生はもっと不確かなものだったかもしれない。カメラがあったからこそ、青春時代にやっていたことを年をとるまで続けられているんだ。
──これまで鋭い審美眼で多様なスタイルの人びとを発掘してきましたが、90年代のグラストンベリーにはどんなサブカルチャーがありました?
最初はとにかくヒッピー一色だった。僕がグラストンベリーに行き始めた頃には、まだかなりたくさんのフラワーチルドレン、旅行者、いろんなカウンターカルチャー好きの若者がいた。
でも他のものと同じで、このフェスも少しずつ変わり、商業化していった。高級化したんだ。最近は豪華なゲルも借りられる。1万3000ポンド(約180万円)出す余裕さえあればね。──ロンドンのクラブやパーティーで撮影した人びとと、会場で鉢合わせたことはありますか?
ときどきあったよ。でもロンドンで夜遊びしてる人たちは、あまり昼間は出かけない。日光で溶けそうになったり、ボディペイントが雨で落ちたりするからね。ポップスの音楽フェスみたいなダサい場所にいるのを見られるくらいなら、死んだほうがマシだと思ってるんだ。
最初はとにかくヒッピー一色だった。僕がグラストンベリーに行き始めた頃には、まだかなりたくさんのフラワーチルドレン、旅行者、いろんなカウンターカルチャー好きの若者がいた。
でも他のものと同じで、このフェスも少しずつ変わり、商業化していった。高級化したんだ。最近は豪華なゲルも借りられる。1万3000ポンド(約180万円)出す余裕さえあればね。──ロンドンのクラブやパーティーで撮影した人びとと、会場で鉢合わせたことはありますか?
ときどきあったよ。でもロンドンで夜遊びしてる人たちは、あまり昼間は出かけない。日光で溶けそうになったり、ボディペイントが雨で落ちたりするからね。ポップスの音楽フェスみたいなダサい場所にいるのを見られるくらいなら、死んだほうがマシだと思ってるんだ。
多様な音楽シーンを切り取るデレク・リジャーズのポートレイトは、Sonic Editionsで購入可能。This article originally appeared on i-D UK.