1000のプロレスレコードを持つ男。清野茂樹がしゃべくり倒す偏愛歴

プロレスレコードを1000枚持つ男、清野茂樹。レコードのジャケには〈本物〉を謳っていても、購入してみると実はカバー曲だった、なんて代物がゴロゴロ存在するなかで、なぜ、コレクター道を突き進むのか。また、プロレスレコードを所有すること、あるいはプロレスレコードに、どんな魅力があるのだろうか?

日本プロレス史上、一番はじめに入場テーマ曲を使ったのは、どの団体でしょう? 古舘伊知郎さんが、プロレス実況アナウンサーとしてはじめて入場テーマ曲を歌っています。それは誰の入場に使われたのでしょう? 1987年2月20日、中野サンプラザで行われた〈突然卍がためLIVE〉でマサ斎藤が乱入したのは何曲目のあとだったでしょうか?

このような謎がすべて解決できるが、これらを知ったところで何になるのか? プロレスファンですら疑問を抱く、もっと言えばプロレスレコードに興味がない人には、何のための本であるか、さっぱりわからないだろう『1000のプロレスレコードを持つ男 清野茂樹のプロレス音楽館』(立東舎 )がリリースされた。

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果たして、この本には、どのような本質が隠されているのか?著者であり、1000のプロレスレコードを持つフリーアナウンサー、清野茂樹に、その想いの丈を語ってもらった。

プロレスレコードの定義を教えてください。

プロレスにまつわるレコードをまとめて、〈プロレスレコード〉と呼ぶんですが、僕は大きく分けて3種類があると思うんです。プロレスラーが控え室を出てからリングに向かうまでの間に流れるBGMを〈入場テーマ曲〉と言いまして、それがひとつ。2つめがプロレスラーが歌っているレコードで〈プロレス歌謡〉。プロレスラーをイメージして創られた楽曲、あるいはプロレスラーの応援歌、これが3つめですね。これを、まとめて〈プロレスレコード〉と僕は呼んでいます。

入場テーマ曲が生まれた経緯を教えてください。

1970年代にプロレスラーが控え室を出てからリングにあがるまでに音楽を流すことになったのが、入場テーマ曲のはじまりです。

プロレスラーは楽曲選びに関わってないんですね?

当時のプロレスラーは、まったく自覚してないです。レスラーに入場テーマ曲の話を聞いても、ピンときてなくて、気にしてません。テレビ中継がゴールデンタイムでなくなった、90年代に入ってから、レスラーが自分で曲を決めるようになります。全部テレビが主導で曲を決めていたんですが、プロレス中継が深夜帯になるとテレビ局の力の入れ方も変わってきて、曲を決める権利が団体側に移っていきます。団体側、つまり選手にも移っていったんです。

では、最初にプロレスレコードと認知された曲はなんでしょうか?

1977年ですよね。ミル・マスカラスのテーマ曲であるジグソーの「スカイハイ」です。本当か、どうかわからないですが、当時の『別冊ゴング』には40万枚のヒットって書いてあって。もともとジグソーの「スカイハイ」はあまり売れてなかったですから、それをミル・マスカラスのテーマ曲として、ジャケットを差し替えて、発売したら「ポンっ」とヒットしたんです。

なるほど。では、プロレスレコードが最もリリースされた時期は、何年でしょうか?

1983年くらいじゃないですかね。この年はプロレス史的に重要事件がたくさんありましたから。例えば、タイガーマスクやテリー・ファンクの引退、ザ・グレート・カブキの凱旋帰国とか。スターが活躍して人気を集めたり、あるいは引退やデビューするタイミングで、レコードが出たんです。

そんななか清野さんは、いつからコレクターとしての道を歩み始めたのですか? 本には、小学校の4年生のときに、空のカセットテープに、タイガーマスク、長州力、藤波辰爾、アントニオ猪木の入場曲を、友だちにダビングしてもらった、とありますが、1番最初に買ったのはいつ、誰のレコードですか?

最初に買ったのは、たぶん中学1年のとき。長州力が歌っているレコードだったと思います。「明日の誓い」というタイトルです。そのとき長州さんがプロレス界では人気で。それ以降、中学、高校のときは、「ここぞ」って曲をチョコチョコ買ってましたね。

それから現在まで、プロレスレコードを集め続けているのですか?

ずっと持続してるわけじゃなくて、断続的です。本にも書きましたが、レコード会社同士の権利問題で、なかなかテレビでかかっている楽曲と同じ楽曲がリリースされなかったので、どのプロレスレコードを買ってもカバー曲ばかりでした(笑)。なかなか本物に辿り着けず、最も買い揃えた楽曲は、猪木の入場テーマ曲「炎のファイター」で、結局10枚くらい持っています。

レコードのジャケや帯には、「人気レスラーのテーマ曲を一挙収録!」と書いてあっても、実際買ってみるとカバーが収録されているケースがザラにあるんですよね? 今考えるとギリギリな商法ですね(笑)。

1枚2500円から3000円くらいしますからね。さすがに、付いていけないじゃないですか(笑)。ニセモノばかりだと嫌になって買わなくなる時期がくるんです。そもそも、買う前から、カバーだ、とわかってるんです。わかってて、こんなの欲しくないって思いつつ、一応買うんです。それはキツいですよ(笑)。しかも、買ったって聴かないんですから。例えばですよ、ぼくが宇多田ヒカルさんのCDが欲しくてレコード屋さんに行ったとします。でも、そのレコード屋さんに、あきらかにカバーだとわかるけど、プロレスレコードがあったら、そっちを買うわけですよ。宇多田ヒカルさんを諦めて、絶対聴かないプロレスレコードのカバーを買うんです(笑)。

そこまでして集めてしまう理由は、物欲ですか?

いや、物欲を掻き立てられる感じじゃないですよ。全部持つことで、何か見えてくるものがある、と思っているだけです。「でも、やるんだよ!」っていう根本敬さんの言葉に影響されたというのはあります。レコードも100枚くらい持っていても誰も振り向いてくれないですけど、1000枚になると「えっ!」て振り向いてくれるんですよね。そもそも数の部分で、全部持ってると武器になるんです。すごく知識があっても、10枚しか持っていないのに、体験談を語っても誰も聞いてくれないですから。

なるほど。

あと、みうらじゅんさんの「そこがいいんじゃない!」って言葉も好きなんですよ。宇多田ヒカルさんのCDは、極端な話をすると、ぼくが買わなくても誰かが買いますよね。でも、プロレスレコードは、「ぼくが持ってないと」「ぼくには保管義務があるんじゃないか」という自己暗示をかけるわけですが、これはやっぱり、みうらさんが言う「そこがいいんじゃない!」っていう言葉にあたると思います。みうらじゅんさんはゴムヘビのおもちゃとか、たくさん集められてるじゃないですか。ああいうの見たら、ぼくなんて全く及ばないです。

そこまでして集めたプロレスレコードで、特にお気に入りはありますか?

やっぱり猪木の「炎のファイター」ですね。

どのようなタイミングで聴くのですか?

意外と聴かないですけど、やっぱり聴いたら、気持ちが上がるんです。リングに向かうまでの猪木の顔が浮かんで、条件反射的に実況してしまう事もありいます。「今、背中に闘魂の2文字がキラキラっと光っております。口を真一文字に結んだ猪木が、今戦いの花道を突き進んで参ります」みたいなことがバアっと出てくるわけで、猪木の入場していく表情が頭に浮かんで、「よし、じゃ、自分も今からね、仕事に向かって第一歩を踏み出すわけであります。さあ、今日もいくぞ!と気合の一言をかけて、私は今、家の玄関を飛び出しました!!」みたいに脳内で実況が始まりますから(笑)、やっぱり気合入りますよ。

さすがですね。聴かなくても脳裏にこびり付いているのですね(笑)。では、プレミアが付き最も値段があがっているプロレスレコードは?

コレクターアイテムで言えば、ジャイアント馬場が歌っているソノシート「われらのチャンピオンは歌う」じゃないですか。日本プロレス時代、1968年に会場で配布された非売品で、価値としては2万5千円程度でしょう。

時代が進んで値が上がっているレコードもあるのですか?

もう安定してます。逆に値崩れもしないです。

インターネットが登場してから、以前よりも探すのが容易になったかと思います。それを体験してしまうと、当時の苦労について、複雑な想いもあるのではないですか?

インターネットが出てきた当時は、楽で良い時代だ、と思いましたが同時に、なんとしても探してやろう、という気持ちが失せていきましたね。楽するとダメなんです。探しても探しても見つからないから、必死になりますけど、簡単に手に入る時代になると、店頭で見つけても、「今日でなくていいか」となってしまう。

あとは、苦労して手に入れたものは簡単に捨てなくなりますよね。今はワンクリックで買えるから大事にしていない気がするんです。音楽にしても、本もそうかもしれませんが、パッと買ったものは、すぐ捨てちゃうんでしょうね。苦労して手に入れたものは、なかなか捨てないですよね。別にワンクリックで買えるのは否定はしませんが、手間をかけて手に入れた、習得したものは簡単には無くならないとも言えるのではないでしょうか。同時になんでも簡単にわかってしまったら面白くない。なかなか、わからないから面白いというのも同じですよね。

では、ここら辺でプロレス自体の魅力を聞いていきたいのですが、そもそも清野さんがプロレス自体に興味を持ったのはいつですか?

小学校2年生の時です。『タイガーマスク二世』というアニメを観ていたらエンディングで、タイガーマスクの実物が映像で流れて、気になってプロレスの中継を観たら、虜になってしまいました。

当時は金曜夜8時に放送してたので、プロレスが小学生のあいだではメインカルチャーで日常生活にあったんです。それで、タイガーマスクの華麗な動きに魅せられて、プロレスにのめり込んだという、この世代ではよくあることです。

タイガーマスクがデビューした時代は、プロレスの歴史でいうと、どういった時代にあたるのですか?

長いプロレスの歴史でいうと、1954年、テレビの登場とともに力道山が第一次ブーム。そのあと、弟子であるジャイアント馬場とアントニオ猪木が1967年に〈BI砲〉って言われるチームを組んで人気者になって第二次ブーム、馬場と猪木は70年代から別々の道を歩んでいく中で、猪木さんの弟子のタイガーマスクが1981年に出てきたというわけです。タイガーマスクは世間的には猪木、馬場の人気のさらに上を行ったと言われています。当時のタイガーマスクの人気は今で言うと、ちょっと前のラグビーの五郎丸歩選手とかスケートの羽生結弦選手と並べていいくらいの人気でしょうね。

81年に清野さんはプロレスにハマったんですね。せっかくですので、その後のプロレスの歴史も教えてください。

大雑把にいえば、タイガーマスクのあとは、同じく猪木の弟子の前田日明というスターのブレイクが86年です。前田日明は独立してテレビ放映なしで団体を成功させたことが画期的でした。日本経済はちょうどバブル期だったし、いろんな人が独立してプロレスは多団体時代を迎えたんです。馬場の弟子からは大仁田厚が人気になったのが91年。そのあとは猪木の弟子の武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也、馬場の弟子の三沢光晴、小橋建太らの活躍が90年代から00年代に至る流れです。

視聴率が下がり深夜番組になってしまった原因を、清野さんはどう捉えているのですか?

馬場と猪木の〈衰え〉が大きかったと思います。あとは団体の分裂も要因です。83年から84年に団体の分裂が結構あってファンが、離れてしまったんじゃないでしょうか。

タイガーマスクもそうですが、アニメとの連動もプロレス人気に大きな影響を及ぼしていたんですね。

僕らの世代だと、『タイガーマスク二世』、そのあとの『キン肉マン』がドンピシャです。『キン肉マン』がアニメ化されたのが、僕が小学校4年生のときです。当時はプロレスもそうですが、アニメもよく放送されていたんです。夕方には再放送がガッツリありましたし、ゴールデンタイムには、僕らにとってリアルタイムなものが観れたし、アニメに恵まれていた世代ですね。

80年代だと、スポーツでは野球も人気があったんじゃないですか?

野球はプロレス以上に人気ありましたよ。原辰徳さんのプロ入りが81年だし、関西では阪神の優勝が85年。アニメでは『キャプテン』のアニメ化が小3です。

なんでも全部覚えてるんですね(笑)。そんな時代背景で、特にプロレスにのめり込んだ理由は?

実況ですよね。プロレスの実況がすごい好きで。野球とか相撲も好きだったんですが、あんまり実況には惹かれなかったんです。金曜20時のプロレス中継の実況はとにかく特殊に聞こえたんです。

ただ古舘伊知郎さんの実況とか、小学生だと難しい言葉も含まれていますよね?

何を言ってるか、よくわからないんですけど、とにかくすごい、みたいな感じですよね。例えば四字熟語もいっぱい出てくるんです。だから「孤立無援」とか「四面楚歌」とか「一気呵成の波状攻撃」とか、表現を真似してましたよね。そういうのを国語の時間の作文で使ってみたりね(笑)。運動会について作文でも、「いよいよ今日は、紅組と白組の因縁の対決を迎えたわけであります」とか書くわけですよ。「玉入れから始まって、徒競走があって、そして最後に迎える騎馬戦で決着をつけんとしているわけであります」とか、ちょっと大げさに書くわけですよ。こういうのは完全にプロレスの影響ですよね。

プロレスごっこも流行っていたのではないですか?

プロレスごっこね。あの当時は、みんなやってましたね。例外にもれず、ちょっとやってみたんですけど、すぐに向いていないのがわかりました。プロレスをやるよりも、プロレスをしゃべる方が好きで、実況して盛り上げる役でした。金曜日にプロレスのテレビ中継を観て、翌日土曜日、学校に行って昨日の試合がこうだった、ああだった、という話題で、教室がもちきりになるんです。そこで昨日観た実況とかを、コピーしてやるんです。

テレビを観て、すぐさま記憶していたんですか? ビデオがそこまで普及していない時代ですよね。

記憶してました。あと、当時は、カセットをテレビの前に置いて録音していました。それで聞いて記憶してましたね。

実況が入ってるプロレスレコードもあったのですよね? それを買ったりはしなかったのですか?

昔は結構ありました。実況録音盤はプロレスに限らず、野球でも相撲でもありました。おそらく最初は収録時間を埋めるために、曲の合間に実況を入れたんでしょう。テレビ放送のダイジェスト、というか試合の一部の音声が入っている感じです。ただ、大前提として、実況入りレコードはLPだけなんです。CDで実況版ってほとんどないんです。

例えば、実生活でも、プロレスを観る観点で物事を捉えたりしますか?

プロレスの〈本当は誰が1番強いんだ〉とか、はっきりしない方が面白いというのは色んなことに例えられますよね。例えば恋愛で、トントン拍子でいくよりも、なかなかうまくいかないとか、それなりに楽しい時間を過ごすんだけど、いざ肝心な話をしたら、煙に巻かれるみたいな。そういう方が面白いじゃないですか。掴めるようで掴めないから、次に会ったらこういう風にしよう、とか、いろいろ考えたりするわけじゃないですか。プロレスの魅力もそうなんです。どっちが強いとか、僕にとっては二の次ですよ。そういうのはハッキリしない方がいい、物事が白と黒だけじゃないというのが、プロレスを見続けるとわかってくるんです。普通のスポーツは白黒つける。勝った方が偉い。だけど、プロレスの場合は負けた人にもスポットがあたるんです。負けた選手が人気を集めることも多いし、負けた人が、這い上がっていく姿を見せる。プロレスはお客さんに再び会場に足を運んでもらうためのエンターテインメントなので、負けた選手でストーリーをつくり上げていくんです。

負けの美学を最も感じさせるプロレスラーは?

猪木さんですね。肝心なところで、負けるんです。猪木さんは自分が負けるときには、相手をすごく引き立たせるというか、「猪木に勝ったんだから、この人はすごいぞ!」ってなるんですよ。負け方も中途半端に負けない、壮絶な負け方をするから、みんなの記憶に残るんです。だから、勝者も敗者も価値が上がる。最近の言葉でいうと「Win-Win」ってやつですよね。そういうのは、プロレスならではですよ。普通のスポーツではあんまりないんです。負けたら終わりなんです。

そんなプロレスが社会にどのような影響を与えたと思いますか?

プロレスに興味持っている人、世間全般で見れば少数派だと思います。だからといって、つまらない、ということではない。プロレスを知ると、人生とか生活に非常に役立つものがあるんだ、ということは言いたい。先ほど話したように、物事って本当のことはわからない。白と黒のみで見ないっていうのは、まさにそうですよ。悪玉レスラーにも生活があり、背負ってきているものもあるんです。そんな、悪玉レスラーが豪快にやられることによって、善玉レスラーが光るみたいなことがわかってくるんです。昔話の桃太郎もそうですよ。桃太郎が主役じゃなくて、鬼がやられることによって桃太郎を光らせるみたいなことが、だんだんわかってくる。

なるほど。つまり、レスラーの生き様を観るのがプロレスの醍醐味ということですね。男性としてどう生きるのがカッコイイのかだったり、負けの美学だったり、時代によって求められる生き様を提示してきたともいえますね。現代のプロレスラーで、新たな生き様を提示しているプロレスラーは、どなたでしょうか?

うーん、難しい質問ですけど、今、真壁刀義選手の顔が浮かびました。スイーツがすごく好きだってキャラでテレビに出たとするじゃないですか。いくらスイーツが好きだって、食べられる量には限りがありますよね。でも、真壁さんは人前で、たくさん食べるんですよ。つまり、自分に求められている役割を全うする。しかも、重たい鎖まで首につけていて。本当は金属アレルギーなのに(笑)。でも、そういうのはプロレスラーだな、と感心します。誰よりも忙しくても、朝早く道場に行って、練習をして。そして、体がパンパンに張ったままテレビの収録に行くと、共演者がその鍛えられた体を見て、「真壁、凄い体だったよ!」ってなるじゃないですか。リングの外でもプロレスをやってるなって思いますね。

アントニオ猪木だって、国会の代表質問で「元気ですかっ!」みたいなこと言って、クスクス笑いが聞こえてますけど、あれも見方を変えると、やっぱり猪木さんは国会という舞台で、自分はマイノリティー、元プロレスラーという立場で、なんかしてやろうとしているわけですよね。

北朝鮮も行きましたね。

自分の役割を、猪木なりに察知してるんじゃないでしょうか。だから猪木さんが引退して国会議員になっても、猪木がやってることは全部プロレスだと思って応援してます。もはや、国会中継がプロレス中継に見えてならないという。

ここまで話を聞いてきてわかるように、プロレス、プロレスレコード、プロレスの実況に魅了されてきた清野さんですが、職業でもプロレスの実況に近しい仕事に就きます。広島エフエムのアナウンサーになって、『プロレスワンダーランド』というプロレスレコードを特集する番組を、大槻ケンヂさんとやります。そこでは、実際のプロレス会場で流れる、いわゆる本物だけをかける番組を放送します。ニセモノもたくさんお持ちだと思うのですが、なぜ本物のプロレスレコードのみに、こだわった番組をやったのですか?

そういう番組が他になかったからですね。あとは、そういう番組にしてしまえば、プロレスレコードを探す名目になる(笑)っていうか、その2つじゃないですか。

そもそも、プロレスレコードをかけている番組はあったのですか?

ほとんどありません。ただ、たまにテレビ番組とかにプロレスラーがゲストに来た時に、例えば「今日のゲストは武藤敬司さんです、どうぞ!」って紹介されて、武藤敬司さんがスタジオに入るときにかかる曲が、明らかにカバーだな、というのが聴いてすぐわかるんです。僕自身、マニアも黙らせたいというか、さすがと言わせるものをつくりたかった、という気持ちはありました。

その後も、広島エフエムの番組『プロレスワンダーランド』、ラジオ日本の『真夜中のハーリー&レイス』でも、オリジナル音源、つまり本物にこだわる番組づくりをしていきます。そして遂にはプロレスレコードを1000枚所有し、さらには夢であったプロレスの実況の仕事をするようになります。プロレスレコードのコレクターであることで、実況する際、どのような利点を持って取り組めていると思いますか?

出来てるかどうかはわかりませんが、入場シーンを観て聴いて研究してきたという自負はあります。試合自体を観てる人は、いっぱいいるでしょうけどね。プロレスラーにとって入場シーンは見せ場ですから。

では最後の質問ですが、プロレスレコードが、どのような影響を社会に与えたと思いますか?

それはまったくないですよ。なんの影響も与えてないでしょう(笑)。

清野茂樹

1973年兵庫県出身。1996年、広島エフエム放送にアナウンサーとして入社。プロレスの入場テーマ曲を特集した番組『プロレスワンダーランド』などを制作する。2005年同社を退社し上京しフリーのアナウンサーに。ラジオ日本でのプロレス番組『真夜中のハーリー&レイス』を担当。その後、新日本プロレス、WWE、UFCと世界3大メジャー団体で実況を務めるなど、プロレス実況の第一人者として知られる。また、日本随一のプロレスレコードのコレクターであり、今回自ら執筆した著書『 1000のプロレスレコードを持つ男 清野茂樹のプロレス音楽館』を立東舎からリリースする。