1981年にスタートし、今年2016年で36回を数える日本モッズカルチャーの祭典、MODS MAYDAY。そもそもモッズとは何か。モッズパーカを着てヴェスパに乗り、THE WHOを愛聴していればモッズなのか。そもそもイギリスのワーキング・クラスのムーブメントが、なぜ日本でここまで拡大し、続いているのか。そんなモッズを取り巻く様々な疑問に、MODS MAYDAYを軸に探りたい。

FYI.

This story is over 5 years old.

日本MODS MAYDAY今昔レポート!! 01.UKモッズシーンとスクーターラン

1981年にスタートし、今年2016年で36回を数える日本モッズカルチャーの祭典、MODS MAYDAY。そもそもモッズとは何か。モッズパーカを着てヴェスパに乗り、THE WHOを愛聴していればモッズなのか。そもそもイギリスのワーキング・クラスのムーブメントが、なぜ日本でここまで拡大し、続いているのか。そんなモッズを取り巻く様々な疑問に、MODS MAYDAYを軸に探りたい。

1981年にスタートし、今年2016年で36回を数える日本モッズカルチャーの祭典、MODS MAYDAY。そもそもモッズとは何か。音楽、ファッション、スクーターが一体となったムーブメントであろうが、その詳細を掴みきれない人も多いだろう。モッズパーカを着てヴェスパに乗り、THE WHOを愛聴していればモッズなのか。そもそもイギリスのワーキング・クラスのムーブメントが、なぜ日本でここまで拡大し、続いているのか。そんなモッズを取り巻く様々な疑問に、2016年のMODS MAYDAYを機に探りたい。まずは本家イギリスのモッズ・シーンの成り立ちから。

Photo By Decca Records (UK)

イギリスにおいてユース世代、いわゆる10代のみで価値観を共有した文化が生まれたのが1950年代。テディ・ボーイズと名付けられたムーブメントが発端である。第二次世界大戦の終焉、家電製品の発達、先に確立されていたアメリカ10代市場の流入、分割払いの普及、徴兵制の撤廃など、60年代にかけて変革が進む過程で、余暇と金にゆとりが出た中産階級、いわゆる労働者階級から生まれたのが、テッズ・ムーブメントである。テッズのスタイルは1901年から10年、英国国王だったエドワード7世のスタイルを基にしたもので、襟のみがベルベットのテーラードジャケット、あるいは着丈が膝ほどまであるコートのようなテーラードジャケット(通称テッズジャケット)に、細身のパンツ、リーゼントヘアといった出で立ちだった。音楽は主にアメリカから入ってきたロックンロールを愛聴していた。

Advertisement

そんなテッズは50年代後半には低迷し、代わりに光を浴びたのがモッズである。テディ・ボーイズは世間が名付けた名称である一方、自らをモダニストと称し主張したのがモッズである。イギリス国内ではトラディショナル・ジャズが最盛期であった50年代に、彼らはモダン・ジャズを好み、そこから名付けたといわれている。そして、64年よりワーキングクラスの人々がモッズの主導権を握るようになり、そのムーブメントはさらに拡大した。

ただ、モッズと一言にいっても彼らを理解するのは難しい。その信念は、とにかくクールであること。それが根底にあり、誰よりも新しい服を着、誰も知らない音楽を求め続ける精神性を信条とするため、その日ごとに、スタイルや趣向を変化させるので、モッズを一様にカテゴライズはできない。

ファッションであれば、細身の3つボタンジャケット、ボタンダウンシャツ、細身のスラックス(9部丈)、軍放出のパーカ、フレンチ・クルーカットのヘアスタイル。カジュアル派であれば、スクーター、軍放出のパーカ、ハッシュ・パピーズのデザートブーツ、白いリーバイスのジーンズ(ブルーも)、バラクーダのハリントンジャケット、フレッドペリーのポロシャツなどが挙げられる。しかし、毎週金曜日に放送されていたテレビ番組『レディ・ステディ・ゴー』で披露されるフェイス(モッズスタイルのアイコン)たちの着こなしにより、仔細な変化であっても新たなスタイルが掲示され、それまでのスタイルはダサいものへと変化していった。したがって、上記のようなアイコン・スタイルも1、2年の流行であったとされる。

とにかく動き回り、新しいものを求めることを信条とするモッズたちは、それを体現するための足としてスクーターを乗り回す。1946年、軍事用飛行機を製作していた、イタリアのピアジオ社が開発したヴェスパ、1947年、軍事兵器用のパイプを製作していた、イタリアのイノチェンティー社のランブレッタに限定される。60年代初頭は、ヴェスパとランブレッタを購入したまま愛用していたが、ワーキングクラスがモッズの主導権を握った数年後には、ジャガーやロールスロイスのエンブレムをハンドルに付けるものや、無数のミラーやライトでカスタムするものなど、人と異なることへの異常なまでの執着から、「個性」を誇示するための象徴へとなっていく。

音楽では’50年代から’60年代にかけて、モダンジャズ、R&B、ソウルミュージックなど、主に黒人音楽が愛されていた。その後、モッズシーンよりバンドが現れる。64年にはTHE HIGH NUMBERS、改めTHE WHOがデビューし、SMALL FACES、KINKSなどR&Bをルーツとしたバンドが人気を博す。そして、60年代後半は、アップテンポのリズムが踊りやすさから流行したソウルミュージックのサブ・ジャンル、ノーザン・ソウルが挙げられる。

そんなファッション、スクーター、音楽を取り込んだムーブメントであるモッズは、64年にはイギリス南部のビーチでロッカーズとの暴動を繰り返すようになり、モーターサイクル・ギャングと化していく。北部ではノーザン・ソウルを愛し、スキンヘッドにサスペンダーの出で立ちで、スクーターをチョップするスキンズへと変化していく。音楽で言えばスカやブルービートのヘヴィ・モッズと、T.REXのマーク・ボランやデヴィッド・ボウイらのグラムロックへと繋がるウルトラ・モッズと、その2つに主流が移っていく。このような変化が70年には表面化し、イギリスの若者のモッズカルチャーへの熱は冷めていった。

Advertisement

しかし、パンクムーブメントと時を同じくして1977年デビューのポール・ウェラー率いるTHE JAMの出現、1979年公開の映画『Quadrophenia:さらば青春の光』により、再びモッズ・ムーブメントが加速する。これがモッド・リバイバル、ネオモッズとされるシーンである。80年代、2トーンやスカなどを巻き込みながら、90年代には、モッズ・リバイバルの流れをもろに継承したアシッド・ジャズを生み出すきっかけとなった。

このようなイギリスでの流れを受けて、日本でのモッズシーンはどのような拡大、縮小を繰り広げ、現在に至るのだろうか? 日本では1981年にスタートし、36回目となるイベント、MODS MAYDAYがある。2016年5月14日に開催されたこのイベントの模様、そしてMAYDAYの主催者であり、日本のシーンを牽引してきた黒田マナブ氏のインタビューを、過去の写真資料、イベントに参加したモッズたちの声など全4回にわけて紹介したい。

まずは、当日行われたスクーター・ランの模様からお送りします。

13時渋谷公会堂前に徐々に集合し始める。

数分の談笑後いよいよランへ。

渋谷で信号待ち。

渋谷の街を疾走。スクーターに乗る際の姿勢。

青山通り。

青山通りで1回目の休憩。やはり目立つのか警察に今回のイベントを問われる。

東京タワーが見える芝公園前で2回目の休憩。

行き交う人と休憩中のモッズたち。

選挙カーとスクーター・ラン!

撮影クルーとスケーター・ラン!

カップルでのスクーター・ラン!

国会議事堂前。はりきる撮影クルー!

白バイとスクーター・ラン!

自転車整備をするモッズたち!

新宿にあるクラブJAM前で3回前の休憩。

モッズガール。

この日の気候は夕方でもプールに入れるほど。

17時新宿LOFT入りするため歌舞伎町を走るモッズたち。夜の音楽イベントへ。