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ダフトパンクがジョルジオ・モロダーから受け継いだ70年代のグルーヴ

ダフトパンクが『Random Access Memories』を発表して1年。The Creators Projectはコラボレーションを行った8人のミュージシャンへインタビューを行った。第1弾にはジョルジオ・モロダーが登場。

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昨年、ダンス・ミュージック界の最高峰に君臨するダフト・パンクが発売したアルバム『Random Access Memories』は世界20カ国以上でチャート1位を記録し、グラミー賞の主要2部門を含む4部門を制覇した。授賞式は彼らにとって6年ぶりのテレビ出演であり、アルバムでもコラボレートしたファレル・ウィリアムス、ナイル・ロジャース他豪華なメンバーがステージに集結しファンに大きな衝撃を与えた。

The Creators Projectはアルバムの発売直後『Random Access Memories』でダフト・パンクがコラボレーションした、8人のミュージシャンへインタビューを行っていた。1人目はダンス・ミュージックの父と呼ばれるジョルジオ・モロダーだ。

ダフト・パンクの音楽的ルーツ

好きな音楽のジャンルや世代が違えばファンが何故このアルバムに興奮するのか分からない人もいるはず。そんな方のために、このアルバムのすごさをゼロから理解するための情報を集めた。

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ダフト・パンクが1994年フランスでデビュー。デビューシングル「The New Wave」(1994年)に続き「Da Funk」(2001年)がヨーロッパを中心に大ヒット。スパイク・ジョーンズが監督を務めたMVも話題を集め、初のフルアルバム『Homework』は全世界で220万枚のビッグセールスを記録した。彼らの特徴はフルフェイスのマスクと70年代のディスコミュージックを彷彿とさせるサウンドだ。『Random Access Memories』は、音楽的ルーツであるディスコ・ミュージックの歴史を凝縮した一枚になっているという。

70年代に起きたディスコ・ミュージックの大ブーム

1970年代半ばに世界的ブームを巻き起こしたディスコ・ミュージックは、一定のリズムを刻む4つ打ちなどの独特なサウンドと象徴的なミラー・ボールが特徴で、元々はファンクやソウルミュージックからの影響を受けながら、70年代初頭にDJデヴィッド・マンキューソが開いた〈The Loft〉を初めとするディスコカルチャーの中で発達したジャンルだ。ジョルジオ・モロダーはこの時代を象徴する人物で、プロデューサーとしてドナ・サマーと共に『Love To Love You, Baby』(1975年)発表して以降、『Hot Stuff』(1979年)などビッグヒットを飛ばしつづづけた。

映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)公開をきっかけに、ディスコ・ミュージックは世界中で旋風を巻き起こし、サウンドトラックを歌ったビージーズの他、セプテンバーシェリル・リンヴィレッジ・ピープルジャクソン・シスターズなどがカルチャーを彩った。いずれもどこかで聞いたことのある曲ばかりだ。

80年代を前に起きたアンチ・ディスコの動き

しかし80年代に近づく頃、アンチディスコの動きが次第に強まっていた。デトロイトでラジオのDJを務めていたスティーブ・ダルは、世間で人気の高まるディスコミュージックばかりがラジオで流れることを不満に思い、電話でディスコミュージックのリクエストをするリスナーに対し、大音量で音楽を掛けるといったいたずらを行うようになった。

アンチ・ディスコは共感を集め、売れないロックバンドでギターをやっていたスティーブ・ヴィークは、シカゴ・ホワイトソックスの本拠地であるコミスキー・パークを父親が所有しているため、ここでなら何か出来るだろうとダルに申し入れた。ダルはラジオで「ディスコミュージックのレコードを持っている人は、次回のホワイトソックス戦のチケットが割引になる」と呼びかけ、通常は16,000人程の集客だったのに対し、当日は59,000人の観客がスタジアムに集結。ダルは協力者と共にレッド・ツェッペリンやブラック・サバスのロックTシャツを着て、ビージーズのレコードなどを燃やし「ディスコなんてクソだ!」と言い放った。こういった運動が功を奏したのか、1979年のディスコ・ミュージックの売り上げは前年より11%減少し、その後音楽の流行はロックやポップスに移っていった。

音楽ジャーナリストのネルソン・ジョージは『リズム&ブルースの死』(1988年)の中でディスコミュージックを「黒人音楽を死に追いやった元凶」として表現している。公民権運動などブラックパワーの高まりの中で登場したファンクやソウルに比べ、政治性が抜け落ちたディスコミュージックは快楽主義的だとして非難。ディスコ・カルチャーはメジャーから降り、踊りたい若者たちの元へと戻っていった。

改めて『Random Access Memories』とは

今回はジョルジオ・モロダーとダフトパンクに共通するディスコ・ミュージックについて書いたがThe Creators Projectが行った全8編のインタビューを通してダフト・パンクの魅力をさらに分解していきたい。次回は11月5日(水)にファレル・ウィリアムスへのインタビューを公開予定。