チャーリー・ベナンテが選ぶ ANTHRAXのアルバムベスト10

スラッシュメタル四天王、BIG 4のひとつANTHRAX。出身はニューヨーク。山羊のような髭がトレードマークのスコット・イアン(Scott Ian)、チャーリー・ベナンテ(Charlie Benante)、フランク・ベロ(Frank Bello)という昔からのメンバーで、35年の間、5レーベルを渡り歩き、ヴォーカルを4度替え、苦労も乗り越え、11枚ものスタジオアルバムをリリースしてきた。その間、カスタムメイドのジャクソン・ギターはいち度たりとも鳴り止んでいない。

BIG 4のMETALLICA、MEGADETH、SLAYERと同様、ANTHRAXは80年代中頃のスラッシュメタルブームの立役者だ。ちょっと茶目っ気あるヘヴィーサウンドは、MTVの番組『MTV Headbangers Ball』でも頻繁に紹介され、「Caught In The Mosh」「I Am The Law」などの曲は、スラッシュメタルのクラシックであり、PUBLIC ENEMYとのコラボシングル「Bring The Noise」はミクスチャー・ロックの先駆けだった。さらに90年代のオルタナティヴ・ロック全盛期、他の多くのメタルバンドと同じように、オルタナにも目配せをしながら生き抜いてた。本当に、さまざまな艱難辛苦を乗り越えて、こんにちまで続けてきたのだ。

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2011年には『Worship Music』をリリース。正真正銘の復活アルバム。古巣のレーベルMegaforceからリリースし、何曲ものマスターピースでヴォーカルを務めたジョーイ・ベラドナ(Joey Belladonna)がバンドに復帰した。そして、2016年2月には、通算11枚目の最新作、『For All Kings』がリリースされた。5年ぶりとは、確かに長いブランクであったが、ベナンテによると、ファンは待つしかなかったらしい。「(その5年のあいだに)ライブを300本こなしながらも、オレは手根管症候群に悩まされていた。それ相応の理由があったんだ。きちんとした作品にしたかったし、急いで変なモノを出したくなかった。皆がオレたちを、新作を、ライブに飢えればいいんだ。いつでも聴けて、観れるバンドじゃダメなんだ。ブランクがあるからこそ、新しいモノに皆が熱狂してくれる。CDはもう売れない時代だから、別の稼ぎ方も考えなきゃいけない。だからちょっと第一線から退く期間があっても良いだろう」

チャーリー・ベナンテには、ANTHRAXの『Worship Music』までの10枚のスタジオアルバムをランク付けしてもらうことにした。5枚のライブアルバム、7枚のコンピレーション、6枚のEPを加えて、もっと悩ませても良かったが、今回は許してあげた。

10. FISTFUL OF METAL (1984)

どうしてこのアルバムが最下位なんですか?

ANTHRAXのサウンドっていう感じがしないから。収録曲の半数は、オレがバンドに加入する前の曲なんだ。「Deathrider」や「Metal Thrashing Mad」 は、加入後のだけど、ほとんどの曲は、アルバム制作の時点で既に古かったし、時代遅れだ。でも「Deathrider」は、今でもたまにライヴでやる。そういえば、数カ月前、LAにあるHouse of Bluesのクロージングイベントで演奏した。最後に演奏するメタルバンドとして呼ばれたんだ。そこでこのアルバムに入ってる「Across the River」を演ったんだけど、あれは楽しかった。

このアルバムの頃、重大な出来事がいくつか起きた。ニール・タービン(Neil Turbin)がヴォーカルだったんだけど、そのニールがダン・リルカ(Dan Lilker)をクビにしたんだ。でもそのあと、今度はニール自身がクビになった。だからあの当時は、パズルのピースが正しくハマってなかったんだろう。ジョーイが加入して、ようやくパズルが完成した気がした。

9. STOMP 442 (1995)

バンドにとっては、いろいろ困った時期だった。それはこの次のアルバムまで続いた。当時は、メジャーのエレクトラ・レコードに所属してた。このアルバムは、エレクトラで2枚目のアルバムだ。1枚目は『Sound of White Noise』で、かなり良い出来だったけど、途中でエレクトラ内部に異変がおきたんだ。クーデターが起こり、オレたちを引っ張ってくれたA&Rなんかが辞職させられて、新しい人間がたくさん入ってきた。そいつらにとって、引き継ぎたくないバンドのひとつがANTHRAXだった。でも契約は残っているから、もう一枚アルバムをリリースしなきゃならなかった。信頼できるスタッフはいなかったから、まるで養子に出されたような気分だったよ。次のアルバムが傑作かどうかなんて関係なかった。レーベルは結局何もしてくれなかったし、オレたちにとってはキツい時期だった。だからこのアルバムには嫌なイメージがある。良い面があったとすれば、ダイムバッグ・ダレル(Dimebag Darrell 、PANTERA)がギターで参加して、アルバムを盛り上げてくれたことだ。それだけだ。

このアルバムは、ジャケットにANTHRAXのロゴが使われていません。どうしてですか?

とにかくエレクトラに従ってたんだ。当時は大変だったよ。メタルは勢いを失っていた。1995年なんていったら、ポスト・グランジの時代だ。「オルタナティヴ」っていうワードが、そこかしこに溢れていた時代だよ。レーベルが「このロゴは使わないほうがいい」っていうから、オレたちは承諾した。そういう難しい時代だった。

8. VOLUME 8: THE THREAT IS REAL (1998)

制作中は楽しかったんだけど、ここでもレコード会社と軋轢があった。1998年はまだオルタナの時代で、オレたちは「メタルバンドとしてどうするか」といつも考えていた。Ignition Recordsに移籍して、このレコードをリリースしたんだけど、この会社が倒産してしまったんだ。アルバムをリリースした日か、リリースした週か忘れたけど、本当に呆然としたよ。最悪だった。でもアルバム収録曲については思い入れがある。だから頑張った。今でも「このアルバムがもっと注目を集めていれば」と思うね。ジョン・ブッシュ(John Bush)にとっては、最悪のアルバムだったらしい。彼がバンドに入って最初のアルバム『Sound of White Noise』は、超売れたんだけど、そのあとは全然ダメだったんだ。だから、当時はバンドの勢いもイマイチだった。

このアルバムでは、バンドとしてかなり音楽的な挑戦をしていますね? 「Bare」「Celebrated Summer」などは、冒険的なサウンドだと思います。

その通りだ。「ファック!オレたちはオレたちの音楽をやる!何も怖くねぇ!」…そんなアティチュードがこのレコードにはある。「メタルはメタルじゃなきゃならぬ」という考えが未だに残っていたんだけど、オレたちは、やりたいことをやったんだ。

90年代中頃はメタルバンドにとって苦悩の時期だったんですね。

そう、厄介な時期だったよ。

7. STATE OF EUPHORIA (1988)

https://www.youtube.com/watch?v=aMKNYbw8ScA

かなり難しいアルバムだけど、この『State of Euphoria』は、オレたちにとってかなり大きな意味を持つ作品だ。オレにとっては、今でもこの作品は「未完成」だ。このアルバムを録音してたときのオレたちは、かなり焦ってたんだ。既にツアーがブッキングされていて、急がなきゃ、という焦りがあった。もう少しじっくりこの作品に向き合えれば良かったんだけど、そんな余裕はなかったんだ。良い曲はいくつかあるけど、それ以外の曲は、まだ完全じゃない気がする。

1年でアルバム2枚と、EP1枚をリリースしています。かなり追い込まれていたのでは。

その通り。物事がものすごいスピードで進んで、オレたちは忙殺されていた。前作よりも良い作品にしないと、ってプレッシャーもかなりあった。本当はもう少し時間が必要だったんだけど、時間が取れなかったんだ。でもそういう過ちから学ぶものもあった。

でも裏ジャケットには、伝説的イラストレーターMort Drucker(モート・ドラッカー)によるあなたたちのイラストが描かれています。その経緯を教えてください。

若い頃、MADマガジンが大好きだったから、彼になにか描いてもらいたかったんだ。彼は快く引き受けてくれた。アル・ハーシュフェルド(Al Hirschfeld)が手掛けたAEROSMITH『Draw the Lines』のジャケットが好きだった。あのイメージがいつも頭の片隅にあって、このアルバムを創るときに、オレが「モート・ドラッカー! 彼がいい! 彼に頼もう」って提案したんだ。

6. WE’VE COME FOR YOU ALL (2003)

これはターニングポイントだった。メタルバンドとしてのルーツに戻る、という意味でも、もっとメロディアスな新しいタイプの曲を創るって意味でもそうだった。そのスタート地点がこのアルバムだ。ジョンが歌う最後のアルバムだよ。オレは、彼が参加しているアルバムで2番目に好きだ。

このアルバムのリリースは、前作から5年経っています。当時としては最長のブランクでしたね。

ビジネス自体うまくいってなかったんだ。だからこそこれから何をするか、誰と組むか、とよく考えていた。新しいアルバムには、かなり真剣に取り組んだ。大丈夫だ、と確信してから制作に入った。2000年代のメタルアルバムとしては、良い作品になった。

ジョンがバンドを辞めたのは彼自身の考えですか? それともバンドの考え?

おそらくどちらもあった。ジョンはこのアルバムの時期、活動に疲れていた。脱退前は、辞めたメンバーが参加する再結成的な活動も多かったから、文句があったんだろう。意見の相違が出始めた。

このアルバムにはロジャー・ダルトリー(Roger Daltrey)も参加していますね。

最高だよな。「マジで? THE WHOの?」って感じだった。スコットがロジャーに頼んだんだ。本当にクールだった。

5. SOUND OF WHITE NOISE (1993)

転機になった作品だ。新しいヴォーカルのジョンとどう上手くやるか。このアルバムは、本当に名曲揃いだ。特に「Only」はキラーチューンだね。最初に書いた曲なんだ。オレたちにとても良い時期だった。新しいバンドを始めた気分だったし、何やってもうまくいくだろう、って意識があった。ヴォーカルが変わるのは、本当にデカい。ヴォーカルが変わって、うまくいくバンドなんて数えるほどしかいない。でも、オレたちはうまくいった。大事なアルバムだ。とにかく重要なのは音楽だ、そうこのアルバムは示してる。オレたちにとっても良い影響を与えてくれた。

ジョンはARMORED SAINTのメンバーとして、既にANTHRAXのファンにも知られていたのが大きかったのでは?

確かにそうだ。それに彼の声は新曲にも合っていた。すべてが噛み合ったんだ。

このアルバムは、それまでとまったく違う印象でした。グランジの影響も感じました。

これまでもそう言われたけど、おそらくプロデューサーのデイブ・ジェルデン(Dave Jerden)のカラーだ。ALICE IN CHAINS、JANE’S ADDICTIONなんかをプロデュースしてたから、そういう音が反映されているんだろう。

4. PERSISTENCE OF TIME (1990)

このアルバムは『State of Euphoria』とニコイチだ。『State of Euphoria』は、リアリティに寄せてたけど、それよりも少しダークな世界観になっている。『State of Euphoria』のおかげでね、どうでもいいことを聞かれたりするようになったんだ。「どうして笑ってる写真ばっかりなんだ?」とかね。その反動もあって、短パンは止めよう、って見た目も変えたんだ。そんなこんなで、このアルバムは、暗めの世界観になっている。この作品と前作との間の時間が、オレたちにいろいろ考えさせてくれた。「時間」は、本当に大きなファクターだ。このアルバムに関しては、他の作品よりも色々考えた。意識的に、ANTHRAXらしさを強く押し出すアルバムにしようとした。トーンは全然違う。

しかし、同時期に人気シットコムの「Married with Children」にゲスト出演したり、あなたたちのコミカルな部分もしっかり見せていましたよね。

あれは最高の思い出だ。1週間LAに滞在して、ほとんどパラマウントのスタジオにいた。初日に台本の読み合わせがあったから、共演者全員に会ったんだ。でもクリスティナ・アップルゲイト(Christina Applegate)とはソフトボールを一緒にやっていた仲だし、チャリティーイベントで顔を合わせていた人間もいたから何人かは前から知っていた。あんなドラマにいっ瞬でも参加できたってのは、本当にすばらしい体験だった。毎日新しい経験をしてた。2日目か3日目、バド役のデヴィッド・ファウスティーノ(David Faustino)とMETALLICAのライヴに行った。翌日、遅れてスタジオ入りした彼は完全に二日酔いだったよ。で、プロデューサーたちがオレたちの楽屋に来て、「デヴィッドをこれ以上連れ回さないでくれるとありがたいんだが…」ってね。

このアルバムは、ジョーイが参加する最後のアルバムでしたが、「Married with Children」には彼も出演してましたよね。彼が脱退するのは、いつだったんですか?

すぐあと。バンドで決めた。新しいヴォーカルを決めるのにはちょっと時間をかけた。よく考えて、それからLAに行った。何人か知ってるヤツを試して、それでジョンに決めたんだ。

「Bring The Noise」は、このアルバムには収録されていませんが、このあとすぐにリリースされました。この曲は、ラップとメタルの垣根を壊し、その後のミクスチャー・ロック・シーンに多大な影響を与えました。バンドの歴史にとっては、どのような位置付けの曲ですか?

金儲けのためとかそんなんじゃない。これ以前には、AEROSMITHとRUN-DMCの「Walk This Way」か、オレたちの「I’m The Man」くらいしかなかった。「Bring The Noise」はPUBLIC ENEMYとやりとりして、一緒にオレたちなりの曲をやりたかったんだ。それだけだ。垣根を壊すとか、そんなことしようとしてなかったよ。オレたちは、ただやりたいからやった。何がウケるかなんてわからない。この曲は、レコード会社とかエージェントと話す前からPUBLIC ENEMYと自然にもりあがった話なんだ。オレたちが「どう思う?」って聞いたら、チャックD(Chuck D)が「やろう!」って。だからやったんだ。当時は、今と違う雰囲気があった。PUBLIC ENEMYにとっては、新しい世界だっただろうし、オレたちにとってもそう。でもそれよりも、そのツアーでオレたちは、ロラパルーザみたいな、今の流行りを先取りしてたんだ。それについて然るべき評価を得てない気がする。

3. SPREADING THE DISEASE (1985)

このアルバムでは、オレが曲をたくさん書いて、スコットが詞を書いてる。ANTHRAXというバンドが生まれたのが、このアルバムな気がする。サウンドも、スタイルも。ここから、バンドが形づくられ始めた。

『Fistful of Metal』から、サウンドを変えることについて話し合いはあったんですか?

いや、ない。オレが何曲か創っていったんだけど、スタイルはそこで既に出来上がってた。「Lone Justice」とか「Aftershock」。「Gung-Ho」は、前のレコードからの流れをだ。このアルバムは、既に録音してミックスしたあとに、家で聴いて「何か違うな」と不満だったんだ。全体として、何かが足りない気がした。で、「A.I.R.」のデモをニューヨーク州イタカのスタジオにいる皆に送った。そしたら皆が気に入ってくれたんだ。だからオレもイタカに戻って、セットし直してレコーディングした。それで結局アルバムの1曲目に収録した。この曲は、次のアルバム『Among the Living』の方向性を決定付けた曲だと思ってる。

このアルバムは、バンドにとっても革新的なアルバムですよね。

そう。メジャーデビューだったし、ここからいろんなことが始まったんだ。バンドとしてのアイデンティティもここから構築されだした。ANTHRAXのTシャツをいろんなところで目にするようにもなった。でもまだ大変だった。全然簡単じゃなかった。

そしてこの頃、サイドプロジェクトとしてS.O.D.(STORMTROOPERS OF DEATH)を始めましたね。

そう。イタカのスタジオでこのアルバムを録ってる頃に始めたんだ。オレとスコットとフランクで遊びでやってた。それに、ANTHRAXのベースだったダンともう一度プレイしたかった。彼が脱退してたのが残念だったから彼を誘った。それでうまくいったんだ。週末にかけてレコーディングしたよ。

S.O.D.ではANTHRAXと違うことができるっていうのがポイントだったのでしょうか。

正直なところ、説明しづらい。本当に遊びでやっていただけだから。風刺もあったよね。『Speak English or Die』はまったく無害だ。今あんなアルバムは創れないよ。変な時代だった。当時は何をしても、皆ユーモアのセンスがあったから許されたんだけど、今は何でもシリアスに捉えられる。今は、何か言ったらすぐに差別主義者のレッテルを貼られてしまう。

2. WORSHIP MUSIC (2011)

このアルバムを2位に選んだ理由は、この作品から第二のキャリアが始まったからだ。当時、オレたちは「過去のバンド」扱いされていたけれど、このアルバムで一気に世間のバンドを見る目が変わった。「このバンドには、まだ伝えたいメッセージがあるんだ」ってことを皆がわかってくれて、本当に良かった。それに、昔の仲間と再会して一緒にプレイできた。昔のメンバーでバンドをやるのが実現したんだ。

このアルバムで「復活」したといっても過言ではない?

ああ。でもリリース前にはなんの期待もされてなかった。

この35年間、バンドが解散の危機に陥ったことはありましたか?

あった。手柄を自慢するわけじゃないけど、スコットが他のプロジェクトに関わっていたり、皆それぞれ活動していた間も、オレが曲を書いてバンド存続のために動いていたんだ。何度かキツい時期もあった。でも、辛抱してやり遂げたんだ。デカかったのは、METALLICAがロックの殿堂入りを果たして、授賞式にスコットとオレも呼ばれたときだ。式のあと、バーで飲みながら、オレとスコットとラーズ・ウルリッヒ(Lars Ulrich – METALLICA)で話していたんだけど、ラーズが「BIG 4ツアー」を提案してきたんだ。そんなこと想像したこともなかったけど、「それはヤバいな」ってピンときた。それで、スコットとオレで、改めてちゃんとバンドとして活動することにした。過去は振り返らなかった。

BIG 4ツアーはどうでした?

最高だった。本当に楽しかった。最後はヤンキースタジアムでやったんだけど、終わるのがさびしかった。ファンもヤバかった。絶対もう一回やりたい。実際、SLAYERとは、今でも一緒にツアーしてるしね。

当時はダン・ネルソン(Dan Nelson)、ジョン・ブッシュ(John Bush)、ジョーイ・ベラドナ(Joey Belladonna)という3人のヴォーカルを抱えていましたが。

そう。正直、ヴォーカルはひとりでよかった。でも、信念を持って進めたら、すべてうまくいった。

1. AMONG THE LIVING (1987)

理由は?

このアルバムがバンドのキャリアを築いたんだ。かなり重要なアルバムだ。1986〜87年にたくさんのメタルバンドが、バンド史上最高で、バンドのカラーが出まくったアルバムをリリースしてる。それぞれのバンドが、同じ時期に名盤を生み出しているんだ。このアルバムの曲は今でもプレイしてる。この事実が持つ意味はデカい。自然の成り行きだけど、このアルバムには勢いがある。

ジャケットについては、これまでさまざまな推測がされてきました。本当に映画『ポルターガイスト2』の狂った神父を元にしているんですか?

確かに彼に似てる。あの映画からは、かなり影響を受けたから、ジャケットにも神父みたいなキャラを登場させたかった。そうだな、これは『ポルターガイスト2』を元にしてるといっていい。ああ、いいジャケだ。不気味だろ?