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国際スケートボード連盟が死守した オリンピックへの道

2016年8月3日、国際オリンピック委員会は、2020年東京オリンピックの追加種目として、スケートボードを正式に決定した。しかしこの決定までには、国際スケートボード連盟による絶え間ない尽力があった。彼らはスケートボードを守ろうとしていた。

1262.41ドル(約15万円)。国際スケートボード連盟(ISF:International Skateboarding Federation)会長のゲイリー・リーム(Gary Ream)は、決してこの金額を忘れない。これは1978年に父親と購入した土地の月々のローン返済額であった。ペンシルベニア州にあるこの土地は、元々はある農園の1区画であったが、リームはここで、米国内有数の体操競技用トレーニングセンター「キャンプ・ウッドワード(Camp Woodward)」を運営していた。しかし、当時はかなりの財政難に陥っていた。

購入から2年後、リームはローンをどのように払えばいいのか、頭を悩ませていた。米国代表チームは、ソ連のアフガニスタン侵攻を理由にモスクワ五輪をボイコットしており、世間から体操競技に対する注目度もかなり低くなっていた。状況は厳しくなる一方で、ひいては自身の資金も不足するのではないかという恐れもあった。

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そこで彼は、自身の資金源を多様化するため、大学のプログラムには組み込まれていないが、専門雑誌が発行され、正式な協会(リームはそれらを「ラウンジ」と呼んでいる)を有する新たなスポーツを探し始めた。そして1982年、リームは、米国自転車協会(ABA:American Bicycle Association)のメンバーたちと、アリゾナにあるメキシカンレストランで会食をする。そこで彼は、テーブルマットをひっくり返し、ウッドワードでのBMXレース・キャンプのプランをそこに描きだした。更にその6年後、リームはスケートボードもプログラムに加わえた。そしてウッドワードには、2つの相容そうにないスポーツが共存するようになった。体操競技とXスポーツである。

彼は、スケートボードをプログラムに加えた直後に、なかなかスケーターが集まらない状況に気付いた。スケートボードというスポーツそのものだけではなく、スケートボードのカルチャーも尊重するウッドワードの姿勢をなかなか証明できなかった、とリームはいう。「スケートボード界で尊敬を得るのは、人生でいち番難しい。そしてスケーターの目もいち番厳しい。彼らは、カルチャーを大事にしたい気持ちがとても強いのだ。しかし同時に、忠誠心もいち番強い」。当時をリームは振り返る。

そして現在、リームは再びスケーターたちからの信頼を獲るために動き回っている。今度は世界規模での活動だ。2016年8月3日、国際オリンピック委員会(IOC:International Olympic Committee)は、スケートボードを正式に東京オリンピックの追加種目として決定した。競技は「パーク」と「ストリート」の2種に分けられ、80名のスケーターが、男女計12個のメダルを争う。リームは、過去13年間にわたってスケートボードのオリンピック競技化の議論に関わっており、今後もこの計画を指揮する予定だ。

2016年7月31日、IOC総会によるスケートボード承認の最終決議のため、リームがリオデジャネイロに旅立つまで24時間を切ったその日の朝、私は彼のオフィスにいた。元々は農場内の家屋で、現在はウッドワードの事務局として使用されている建物内には、彼専用の部屋が3室あるが、ここはそのうちの1部屋だ。書類や法的文書の束がきちんと並べられ、照合できるようにしてある。すべて2003年以降の書類だ。2003年は、スケートボードをオリンピックの競技にするというプランをリームが初めて電話で聞かされた年だ。

元々リームは、スケートボードのオリンピック正式種目化を目標にしていなかった。自分が関わろうが関わるまいが、いつかは採用されるだろうと感じていた程度であった。一方、IOCは、オリンピックの全競技について、国際的な連盟の体制化を要求していた。また、スケートボードに関しては、その文化、そのルールに対して知識不足な未経験者による団体ができてしまったら困る、という見解を示していた。そこで、リームやスケートボード界のアイコン的存在がいち堂に会し、2004年、ISFを設立。彼自身の役割については、「スケートボードを守れるようにアクティブに動いていた」と語っている。

スケートボードのオリンピック正式種目化を目指す活動には、1924年、2人のスイス人男性によって設立された国際ローラースポーツ連盟(FIRS:Fédération Internationale Roller Sports)も参加していた。ローマを拠点とし、各種ローラースポーツやインラインスケート競技を管理するFIRSは、IOCと近しい関係を築いてきた。実際ローラースポーツには、1992年のバルセロナ五輪で公開競技として採用されたローラーホッケーも含まれている。2014年2月、IOCは、FIRSの常任理事であるシモーネ・マッセリーニ(Simone Masserini)に、東京オリンピックでスケートボードが選出された場合の協力を要請した。元プロスケーターで、ISF委員会の初期メンバー、そして現在はウッドワードのブランドマネジャーとして働くニール・ヘンドリックス(Neal Hendrix)によると、同様の要請はISFにも届いたそうだ。

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そして、スケートボードが正式種目化した場合、どの団体がオリンピック競技のスケートボードを指揮するのか、という議論が始まった。しかし、FIRSの中心的な活動はローラースケートであったため、スケートボード界の多くは、FIRSのスケートボード経験不足を批判していた。しかしFIRSは、自分たちとIOCのこれまで築いた強い協力体制と、国際競技連盟の傘下組織であるスポーツアコード* (SportAccord)に加入している事実が、オリンピックに採用されるか否かを左右する重要な要素だと主張した。FIRSもこれまでオリンピック競技を指揮した経験はなかったが、IOCの公認団体であり、ISFはそうではなかったのだ。最終的にIOCは、この2団体両方がスケートボードにとって必要だと認めるに至った。

「IOCの公認団体のみが、2020年東京オリンピックの追加種目に立候補可能というのが、通常のプロセスです」。リオ五輪のすぐあとに、IOC競技部長キット・マコネル(Kit McConnell)は、メールでそのように語った。「IOCが時間をかけて重ねた議論の結果、スケートボードがオリンピック競技として採用されるためには、競技がスケーターたちにより進行・管理される必要性が明確になりました。これにより、スケートボードにおける唯一無二のカルチャーが尊重されるでしょうし、オリンピックへの参加によって、スケートボード界全体も熱く盛り上がるでしょう」

しかし実は、2016年5月、全てが瓦解しかけていた。

ゲイリー・リーム。自身のオフィスにて。Photo by Jeremy Pavia/Courtesy Woodward

IOC競技部とISF、そしてFIRSが参加する電話会議が、5月24日に開かれた。そこでISFは、FIRSが今後のスケートボード世界大会の主催及び運営を目論んでいると知った。現在のすべての国際大会の仕組みを崩壊させようとする試みだとISF側は解釈した。

「FIRSは、それまでのミーティングで、この件についてひとこも触れていなかった」とヘンドリックスは証言する。

ISFが協賛している『STREET LEAGUE SKATEBOARDING(SLS)』や、『VANS PRO SKATE PARKシリーズ』は、各々のルールに基づいて世界大会を主催している。ヘンドリックスによると、ISF側はFIRSとIOC競技部に対し、この交渉の場は、スケートボード世界大会の新しい会場や、新しい主催者を決める場ではない、と伝えたという。

「自分たちで世界大会を主催しようと考えたFIRSは、我々のパートナーや既存のスケートボード大会に対する直接的な脅威になった」。ヘンドリックスは語る。電話会議は、結局行き詰まったまま終わったが、IOCの理事会は6月頭に予定されていたので、なんとか交渉を成立させなければならなかった。

リームやヘンドリックスを含む、電話会議に参加したISF側メンバーは、FIRSがスポーツ界の最大イベントを牛耳るために、IOCとの関係を深めようとしていると疑っていた。

「彼らは運営者として権力を掌握しようとしていたんだ」とヘンドリックス。電話会議の翌日、ISFのメンバーたちは、「それが彼らのやりくちだ」と次の手をどう打つか話し合った。

「そのとき初めて、われわれは(オリンピックからの)撤退も考えた」

5月の電話会議が交渉決裂の場になる可能性もかなり高かったのだ。

そのあとすぐ、マコネルは、3者での非公式会談を提案した。場所はスイス・ローザンヌのIOC本部。日時は5月30日午前9時。その日のアメリカは、戦没将兵追悼記念日(Memorial Day)であったが、誰も気にしていなかった。

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「ニールと私、そしてジョシュ・フリードバーグ(Josh Friedberg)の3人で現地に飛び、IOCの会議室で9時間半話し合って、ようやく決着がついたんだ」とリームは長時間のミーティングを振り返った。その結果、設立から96年にして、FIRSはオリンピック競技におけるスケートボードの正式な運営者となった。しかし、それ以外の国際大会は運営しない。一方ISFは、オリンピック競技の構成・審判・コースのデザイン担当となった。

2団体は共同で、「東京2020スケートボード委員会(TSC:Tokyo 2020 Skateboarding Commission)」を設立した。プレスリリースによると、この委員会は、「2020年東京オリンピックでのストリート及びパーク種目についてのあらゆる面における責任者」という位置づけである。リームとヘンドリックス、そしてマッセリーニはTSCの委員として名を連ねている。

リームは語る。「これは悪魔との契約だろうか? それとも2020年にスケートボード界が一丸となり、世界を変えられる契約だろうか?」

スケートボードで米国代表になることを夢見るウッドワード・キャンプの参加者、メイガン・ガイ(Meagan Guy)。Photo by Josh McElwee/Woodward

62歳のリーム自身はスケーターではない。スケーターとの活動も、オリンピックへの関わりも、彼の人生の目的ではなかった。いかなる計画も存在していなかった。彼は、シリアルアントレプレナー(連続企業家)の父を持ち、キャンプ・ウッドワードから約8キロメートルの場所にあるペンシルベニア州のアーロンズバーグ(人口わずか613人)で育った。ペンシルベニア州立大学でビジネス・マネジメントの学位を取得し、1976年にフィラデルフィアへ移住。そしてマリオットホテルに勤める。しかし、その仕事を長く続けるつもりはなかった。そしてほどなくして、故郷に近いトレーニングキャンプが経営難に陥っているという事情を知る。そのあとは既に述べたとおりだ。

それから40年近くが経ち、現在ウッドワードでは、体操競技、スケートボード、BMX、パルクールなどを含む12種類のプログラムが受講できる。毎夏には、7歳から17歳までの延べ9000人の子どもたちがこの場所を訪れる。また、アクションスポーツ界のトッププロ選手も、ここで自らのスキルを磨いたり、次の大会のためにトレーニングを積んだり、キャンパーたちの指導にあたっている。

ウッドワードは、小規模なトレーニングキャンプであるが、スケートボードがオリンピックという大きな国際大会で正式種目に決定し、その影響を如実に受け始めている。この夏、15歳のドイツ人スケーター、タイラー・エドメイヤー(Tyler Edtmayer)がウッドワードに、2カ月滞在した。ここは、東京オリンピックに出場する可能性を秘めた、彼のような若い才能が集まる練習場となっているのだ。

17歳のメイガン・ガイ(Meagan Guy)はかつて、1週間でもいいからキャンプに滞在したい、と夢見ていた。フロリダ州パームベイに住む高校3年生の彼女は、9歳の頃からウッドワードに行きたいと両親にしつこくせがんでいたそうだ。

今年の夏、彼女は遂にキャンプに参加した。そのきっかけは、Instagramへの投稿によるスケートボードのビデオコンテスト。そこで最優秀賞を受賞すれば、カリフォルニアのエンシニータスで開かれる大会『EXPOSURE SKATE』に招待されるということだ。そこで彼女は勝利した。物理の授業中にその結果を知り、彼女は号泣したという。

彼女はEXPOSURE SKATEで、15歳以上の部で2位となった。そして、大会を主催していたウッドワードのヘンドリックスの目に留まったのだ。ヘンドリックスは、ウッドワードのインターネットTV番組への出演者としてオファーした。それは特別なチャンスであり、ギャラも破格だった。8年間、友だちのスケーターたちを羨み、我慢し続けたメイガンは、ついにウッドワードに行くチャンスを掴んだのだ。

彼女はこう語る。「飛行機を降りたとき、私は震えました」

2020年の東京オリンピック。ストリートスケーターのメイガンは21歳。もちろん彼女はオリンピックに出場しようとしている。「まさにひとつのゴールです。オリンピックで米国代表として戦う。最高にワクワクします」