Courtesy of Mana Mostatabi (pictured on the right)
ワシントンD.C.を拠点に、イラン系米国人の声を広めるべく活動する非営利団体〈National Iranian American Council(NIAC)〉。同団体でコミュニケーションディレクターを務めるマナ・モスタタビが、自らの生い立ち、二国間の緊張が高まっている現状について語る。私は、イラン・イラク戦争(1980〜1988年)中のイランの、アフワズ(Ahwaz)という国境近くの町で生まれた。家族は幼い私を連れてサンフランシスコに移住したが、ほとんどの親戚は今もイランで暮らしている。戦時中、祖父は私の両親にイランを出るよう強く勧めた。ここでは子どもたちが安心して暮らせない、米国ならもっと良い暮らしができる、と。今の私があるのは、私のために多大な犠牲を払ってくれた祖父と家族のおかげだ。ずっと苦労してきたイランの家族を思うと、最近のイラン情勢には不安を覚えるばかりだ。彼らの多くは市民として生活していて、大学にも進学した。もし戦争が始まったら、博士課程に進んだいとこたちは徴兵され、私たち世代は再び家族を喪うことになるのだろうか?
戦争によるトラウマをじかに体験した両親は、今回の米国とイランのあいだの緊張の高まりに、それぞれ私とは違うかたちで向き合っている。母はとても進歩的なひとだ。2017年、ムスリムの入国制限が決定したとき、彼女は真っ先に街に出て集会への参加を呼びかけた。母は米国が進歩的な政策を打ち出し、戦争から手を引くことを望んでいる。いっぽう、父はイランを壊滅状態に陥らせたイランの最高指導者アリ・ハメネイ政権打倒を掲げて活動している。私は両親ともに愛しているが、両親の活動によって家族に亀裂が生まれなかったといえば嘘になる。重要なのは、過激な思想やイデオロギーの違いは、すべてトラウマから生まれるということだ。残念ながら、これは私や私の家族に限ったことではない。これまでに多くの家族が、思想の違いによって対立するのを何度も目にしてきた。イラン系米国人が教室、政界、ネット上のプラットフォームなどで声を上げることが、今まで以上に重要になっている。イラン系米国人のコミュニティには良心的な支持者も多いが、いつも自分たちの主張を伝える場を与えてもらえるわけではない。彼らがジャッジされることなく考えや想いを共有できる場をつくれるよう、ぜひ協力してほしい。This article originally appeared on VICE US.