叔母のギタが他界すると、彼女の霊魂は、家族を見守るために戻ってきた。これは、叔母の死を通して、霊の存在がいかにして大切な人を亡くした悲しみを癒やすのかを学んだ私の体験である。今から1年前、それまで元気だった叔母のギタがジャカルタで急逝した。ちょうどその頃から、叔母が好きだったMAROON 5の音楽を突然、私はそこかしこで耳にするようになった。叔母の死後数週間のあいだ、カリフォルニアの5人組ポップ・ロック・ミュージシャンは、至る所にあらわれた。ストリートミュージシャンがアコギで〈She Will Be Loved〉を歌いだしたり、カラオケに唯一入っていたアルバムが『ソングス・アバウト・ジェーン』(Songs About Jane)だったり、適当につけたラジオから〈Misery〉と〈Payphone〉が流れてきたりもした。インドネシア人の私の家族にとって、これはただの偶然で片付けられる話ではない。私たちが行く先々で、MAROON 5の曲が流れるようにとりはからっているのは、ギタの霊魂なのだ。私の家族が住むインドネシアでは、地域によって程度の差はあるものの、〈ルー(ruh)〉と呼ぶ霊が生活に深く根ざしている。例えばジャワ島の農村地帯では、ヒンドゥー教における神々、イスラム教における預言者、そして、土着の精霊が軋轢なく共存している。特にインドネシアのマレー半島で暮らすムスリムたちが霊的、超自然的な存在を信じる習慣には、長い歴史がある。そもそも、そういった習慣は、この地にイスラム教が根付く以前からの土着信仰にルーツを持つという。
「神秘主義への強い信奉は、目に見えない世界が存在する、と強調するコーランに由来します」カリフォルニア大学リバーサイド(University of California, Riverside)校、イスラム教を専門にする宗教学教授、モハメド・アリ(Munamad Ali)博士はいう。「神が人間を創ったとき、神は、自らの〈ルー〉を人間に与えました。死によって肉体が無くなっても〈ルー〉は残ります。〈ルー〉は、人知を超えた、永続的な霊的存在です」イスラム教は、9世紀から13世紀にかけて、インドネシア中に広まった。インドネシアは、今や、国内におけるムスリム人口が全人口の87.2%を占める、世界有数のイスラム大国だ。「ルー信仰は、国をまたいでムスリムのあいだで同時に生まれ、広くイスラム社会に浸透しました」とアリ博士は教えてくれた。博士は、ルーと、主に幽霊や妖怪のことを指す〈ジン〉を混同すべきではないという。「ルーは精霊、霊魂であり、ジンはそれが形となって現れたものです。生きとし生けるものには、ルーがあるのです」子孫を見守ってくれますように、と私の祖父母はジンに食べ物をお供えしていた。「あるとき、あなたのひいおじいさんの乳母がジンのためにお供えしてあったコーヒーを、彼にひと口飲ませてしまったの」と母は事も無げにいう。「そしたらジンは、ひいおじいさんがベッドの下に逃げ込んで、そこから出てこれなくなるくらい追い込んだらしいの。ひいおじいさんは、それからおかしくなっちゃった」もっとも、ルー、ジン信奉がイスラム大国で広まるにつれて、各国の文化的習慣に合わせて、人々の霊魂観は変わっていった。