〈手つなぎ〉による鎮痛効果

パーヴェル・ゴールドシュタイン(Pavel Goldstein)は、長女の出産を控えた妻に、分娩中は手を握っていて、と頼まれた。子どもがいるみなさんや、親の何たるか知っているみなさん、あるいは、テレビで出産シーンを目にしたことがあるみなさんなら、その次の場面は想像できるだろう。夫は妻に手を差し伸べ、妻は強烈な痛みを感じながら、その手をぎゅっと握った。

手を握る、という単純な行為が「どうやら妻の助けになったらしい」とゴールドシュタインはいう。「妻の痛みを和らげる効果があったんです。あとからそれについて考えてみました。どんな意味があるのか? なぜ効果があったのか? そんな疑問を解決するために、〈ソーシャル・タッチ(社会的行為としての人間同士の接触)〉と痛みについての研究を始めました」

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それが5年前。博士課程を終了し、コロラド大学ボルダー校(University of Colorado Boulder)の心理学、神経科学科に所属するゴールドシュタイン研究員は、それ以来、ありふれた〈触れる行為〉が他者の痛みをどれだけ和らげられるのか、研究を続けている。共同研究者は、イスラエル、ハイファ大学(University of Haifa)のイリット・ワイズマン=フォーゲル(Irit Weissman-Fogel)とシモーヌ・シュメイ=ソーリー(Simone Shamay-Tsoory)だ。

ソーシャル・タッチに鎮痛効果がある、もしくは、痛みを和らげる、という説は目新しくもない。ゴールドシュタイン研究員の研究には参加していないが、ロンドン大学で認知神経科学を専門にするカテリーナ・フォトポロー(Katerina Fotopoulou)博士は語る。「痛みは、たいてい、単なる機械的メカニズムと見なされます」と博士。「しかし、少なくとも100年前から、痛みは社会的文脈に大きく影響される、とも知られています。痛みは、物言わぬ要素、つまり、接触など非言語コミュニケーションの影響を受けます」

医療措置が必要な赤ちゃん、がんや慢性痛の患者のための治療としての肌と肌との触れ合いによる鎮痛効果が確認されたケースは、これまでに複数ある。しかし、どういう仕組みなのだろうか? 痛みを和らげる〈触れる行為〉の背景にある生理学的メカニズムは、完全には解明されていない、とゴールドシュタイン研究員。

妻の出産を体験したゴールドシュタイン研究員は、共同研究者と論文を発表した。彼らの研究によると、痛みの緩和には、触れ手の共感のレベルが影響するらしい。パートナー(本研究の調査対象はカップルだった)の共感の度合いが大きいほど、接触によって、より痛みが緩和されたのだ。さらに、恋愛関係にあるふたりを対象に、心拍数や呼吸などの生理現象について調べた結果、生理現象の同期レベルが高いほど、パートナーの接触による鎮痛効果が高い。生理現象の同期は、触れ手の共感レベルとも相関関係があったのだ。

ゴールドシュタイン・チームは、2018年2月末のPNAS(米国科学アカデミー紀要)で新たに、脳の同期についての研究結果を発表した。

同研究によると、他者の痛み、特に、それがパートナーや友人の痛みであれば、脳は特定の活動をする。ローマ大学ラ・サピエンツァ(Sapienza University of Rome)で社会心理学、社会神経科学を専攻するイラリア・ブファラーリ(Ilaria Bufalari)博士は、彼女と数人の科学者による共同研究で、他者の痛みを観察することによって、本人が痛みを感じたときと同じ神経回路が活性化するのを確認したという。この現象は、ときに、〈ブレイン・カップリング〉と称される。

人間は、なぜ、ブレイン・カップリングするよう進化を遂げたのか、ブファラーリ博士の見解を聞いた。他者の痛みを目の当たりにしただけで、本人まで痛みを感じてしまうような脳の働きは、ある意味、不適切な反応なのでは、という質問に、相互理解は種全体の利益につながる、と博士は答えた。

「痛みからうまれるネガティブな情動を共有できれば、他者をサポートできる可能性があります」と博士。「共有により、向社会的行動が促される可能性があります。他者の痛みを理解するために、他者と同じ神経回路を活性化できれば、他者の痛みを理解することが容易になり、サポートしやすくなります。人間は、社会的動物であり、集団生活を営んでいます。円滑な社会的交流は、現代社会においても生存力の基盤です」

ソーシャル・タッチとブレイン・カップリング、両者をつなぐ試みであるゴールドシュタイン研究員の新たな論文を、ブファラーリ博士は重要視している。彼の研究は、触れる行為によって痛みが和らいでいる最中のふたつの脳の活動、つまり、脳と脳のカップリングをリアルタイムで観察する初めての試みだったからだ。

ゴールドシュタイン研究員のチームは〈ハイパースキャニング〉と呼ばれる比較的新しい技術で、複数の被験者の脳波の変化を同時にモニタリングした。研究チームは、20組の恋愛関係にあるパートナー(男女ペア)を集め、女性だけに痛みを与えた。カップルは、痛みアリ、ナシの状態で、〈手を握る〉〈触れ合わずにいっしょに座る〉〈別々の部屋で座る〉という3つのパターン、つまり、計6つの異なる状況を経験した。実験の目的は、触れる行為によってブレイン・カップリングが促進されるのか否か、カップリングのレベルの変化、痛みが和らぐ程度の観察だ。

ゴールドシュタイン研究員によると、実験の結果、パートナーが痛みを感じているあいだに男性が手を握ると、カップリングのレベルが高くなるという。さらに、ブレイン・カップリングが進むほど、女性の痛みが和らいだ。「パートナーが手を握ると、実際に痛みが和らぐことがわかりました。さらに興味深いのは、カップリング、つまり、ふたつの脳の同期と鎮痛作用との関係です」とゴールドシュタイン研究員。「同期のレベルは、痛みを和らげる度合い、パートナーの共感の度合いと関連していたんです」

だからといって、ブレイン・カップリングが痛みを和らげているとも、いないとも言明できない。この研究結果から、カップリングと痛みの緩和の因果関係の説明は、現時点では不可能だ。しかし、あらゆる要因に相関関係がある。ブレイン・カップリング、共感、ソーシャル・タッチ、痛みの軽減など、それぞれがどのように作用し合っているのか、解き明かされるのも時間の問題だ。

ゴールドシュタイン研究員は、今回の結果によって説明が可能になる事象があるという。彼によると、パートナーとの接触により、脳のカップリングが高まり、相手が感情を理解してくれている、という気持ちを本人が抱いた結果、脳の報酬系が活性化し、痛みが緩和されるらしい。「触れる行為は、共感を受け渡すツールのようなものでしょう」とゴールドシュタイン研究員。「われわれは、愛、憎しみ、怒りなどの情動と同じように、触れる行為によって相手に共感を伝えられるんです。それが鎮痛効果につながっている可能性があります。触れる行為によって、パートナーに共感を伝え、パートナーが共感を受けると、痛みが緩和されるんです」

ブファラーリ博士は、関係性の調節によって、カップリング、共感を増大できるか否かを調べるのが次のステップだという。恋愛関係にあるパートナーは、脳の同期レベルが高く(だから、ゴールドシュタインはカップルを研究対象に選んだ)、友人同士だとカップルのそれよりも少々低く、見知らぬ者同士ではさらに低くなる。本人と同じグループに属している、もしくは、同じ人種である、といった条件も、脳のカップリングに影響を与える可能性がある。現在、ブファラーリ博士は、身体的錯覚について研究している。研究における被験者は、他者の顔が本人の顔であるかのような感覚、異なる人種の身体を有しているかのような感覚に陥るそうだ。研究は現在も続いているが、博士によると、錯覚によってカップリングのレベルがあがると、他者の痛みとのつながり、共有が増大する可能性が示唆されているという。

フォトポロー博士は、相互作用に影響するあらゆる要因を分類し、どの要因が痛みの軽減につながっているのかを判断するのは、まだまだ難しいという。痛みを感じている本人は、手を握られることで助けられている、と感じているだけで、他の要因は相関的な効果にすぎないのかもしれない。「手を握ることが、必ずしも痛みの軽減につながっているとは限りません」と博士。ただし、「手を握られることを社会的サポートと解釈しているのは事実」だろう。

ゴールドシュタイン研究員は、フォトポロー博士のいう社会的文脈の重要さに同意している。触れる行為そのものだけでなく、そこに付随するメッセージも重要なのだ。ゴールドシュタイン・チームの研究では、見知らぬ他者による触れる行為では効果がない、ともわかっている。文化的、社会的な違いが影響を及ぼすか否かの研究、男性に苦痛を与える実験、同性愛カップルを対象にした実験の必要性も、彼は心得ている。いずれにせよ、非薬理学的な鎮痛方法を見出したい、とゴールドシュタイン研究員は望んでいる。鎮痛剤ほどの即時効果はないかもしれないが、長い目で観れば、触れる行為のメカニズムの解明は有意義だ、と彼は信じている。

「もちろん、医療には痛みがつきものですが、社会的支援は比較的容易なアプローチであり、応用の可能性もあります」とフォトポロー博士。「少なくとも、病院に行くのであれば、ひとりよりも、手を握ってくれるパートナーと行くほうがいいかもしれません」