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クィアベイティングはいかに中傷の〈武器〉になってしまったのか

Kit Connor and Harry Styles on the red carpet

「僕はバイ(バイセクシャル)だ。18歳の青年に無理やりカミングアウトさせることができてよかったね」。一部のファンとメディアのあいだで彼のセクシュアリティに関する憶測が広まったことを受け、ツイッターの更新を中止していた『ハートストッパー』出演者のキット・コナーは、今年10月末、このようにツイートした。

コナーはNetflixで配信されている『ハートストッパー』で、友人チャーリーへの感情を通して自身がバイセクシュアルだと気づく高校生、ニック・ネルソンを演じている。コナーが新作映画の共演者であるマイア・レフィコと手をつないでいる写真が拡散されると、この憶測はクィアベイティング批判へと発展した。ファンたちは、彼がクィアネスを偽っているのではないか、と疑いの目を向けた。『ハートストッパー』のバイセクシュアルの青年としての役や、プライドパレードでの彼とキャストたちの動画は、すべてファンに彼がクィアだと思い込ませるための演出で、女性との仲睦まじげな様子がその〈証拠〉だというのだ。

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クィアベイティングは新しい言葉ではないが、セレブに対する武器のように使われるようになったのは、つい最近のことだ。コナーの他に、俳優、ミュージシャン、ネット上の有名人がその対象になっている。例えば、ショーン・メンデス、テイラー・スウィフト、ビリー・アイリッシュ、ティモシー・シャラメ、ヤングブラッド(YUNGBLUD)は全員クィアベイティング批判を受けた。ジャミーラ・ジャミルとリタ・オラは、ふたりともクィアベイティング批判を受けたことでカミングアウトへのプレッシャーを感じたと語っている。ハリー・スタイルズは、くしゃみの仕方すら批判の矛先を向けられる。

若い青年がカミングアウトを強いられたことの重大性を考えると、〈クィアベイティング〉はオンラインで有名人のセクシュアリティを取り締まる、武器化された用語と化してしまったようだ。興味深いのは、単語の意味そのものがまったく変わってしまったということだ。

クィアベイティングという言葉が使われるようになったのはここ10年そこそこだが、それを取り巻く批判はずっと前から続いてきた。本来のクィアベイティングとは、メディア制作者が視聴者の好奇心を掻き立て、獲得するために、LGBTQ表象を最後までやり通すことなく、故意にほのめかしたり売り込んだりすることを指す。テレビ番組から映画、書籍、演劇、広告、ブランドまで、クィアのオーディエンスが視聴・閲覧数やポジティブな批判、利益につながる例は枚挙にいとまがない。

つまり、彼らは同性愛をエサにして美味しいところだけを享受しようとしているのだ。クィア表象をほのめかし、思わせぶりにちらつかせ、焦らすことでクィアのオーディエンスにすり寄りながら、同時に重要なホモフォビックなオーディエンスは手放さずにいられる(おそらく後者の方が圧倒的に多く、厄介だろう)。

「〈クィアすぎる〉描写でリスクを冒すことなく、ささやかで暗示的なクィアネスの提示によって利益を得ようとするメディア制作者への批判は重要なものでした」とクィアベイティング研究者のマイケル・マクダーモット(Michael McDermott)は説明する。「これはクィアネスの好ましくない部分を削除したり、消費主義に染めるというよりも、クィアの人びとが関心向上と自由を求めるための手段だったんです」

2022年のマーベル映画『ソー:ラブ&サンダー』は、ナタリー・ポートマンが「めっちゃゲイ」だと説明したが、本作には2人の岩でできた異星人が結婚するシーンが一瞬登場するだけだった。また、J.K.ローリングはダンブルドアが同性愛者だと約束してLGBTQコミュニティに媚を売ろうとしたが、原作にもこれまで公開された映画にもそのような描写はない。

クィアベイティングを乱用することの問題は、その矛先がコンテンツやそのプロモーションに関する決定への批判から、有名人をはじめとする実在の人物へと向かっていることだ。

セレブをコンテンツのように扱うことは今に始まったことではない。ゴシップやタブロイドのジャーナリズムは、有名人を長らく非人間的に扱ってきた。有名人のクィアネスにまつわる憶測の多くは、ホモフォビアやスキャンダルに根ざしていた。しかし、今ではそれがクィアやクィアを支持するオーディエンスからの狂気じみたありがた迷惑なサポートによって、別の方向へと向かっている。

そこには「クィアネスを社会の周縁ではなく中心で知り、目にし、祝福したいという衝動」がある、とマクダーモットは指摘する。「セレブはメインストリームやポップカルチャーの中心的な存在です。ヘテロセクシュアルとして認識されているセレブは特にそうです。セレブでもTV番組のメインキャラクターでも、この中心でクィアネスを目にするのは喜ばしいことです」

セクシュアリティに関する過激な憶測は、良く言えば、クィアネスの祝福とその受容を求めている。しかし同時に、これは陰謀めいた考え方へと発展しかねない。例えば、多くのワン・ダイレクションのファンは、ルイ・トムリンソンの子どもが実はフェイクで、ハリー・スタイルズとの恋人関係から注意をそらすためだと信じ込んでいる。

新たな有害なトレンドとしてのクィアベイティングにおいて責めを負うべきは、不可解だが決して看過できない影響を及ぼしているファンダムなのだ。

しかし、メルボルン大学でカルチュラル・スタディーズの上級講師を務め、クィアファンダムを研究するハンナ・マッキャン(Hannah McCann)は、ファンダムは決して一枚岩ではないと指摘する。「ファンダムは数十年前から存在していますが、ファンの交流や表現を促すインターネットとSNSの登場によって悪評にさらされ、可視化される機会が増えています」

ファンダム内には大きな分断があり、クィアベイティングやセクシュアリティのような話題に関する論争が、ファンダムを有害な空間へと変える例も少なくないと彼女は説明する。彼女はテイラー・スウィフトのファンダムを例に挙げ、〈ゲイラー(Gaylor)〉派(※彼女の楽曲をクィア的に読み解こうとするファン)がストレートの〈ヘトラー(Hetlor)〉派と対立していると語った。テイラーが2020年に「Betty」をリリースしたとき、ゲイラー派のファンの個人情報がネット上にさらされたことで、この対立は大問題に発展した。

部外者から見れば、ファンのグループは画一的な集団としてみなされやすいとマッキャンは語る。『ハートストッパー』のファンダムにも、コナーへのクィアベイティング批判の声があった一方で、このプレッシャーに対して批判的だったファンも少なくなかった。

「『ハートストッパー』のファンがプレッシャーをかけた、と一概に言うことはできません」と彼女はいう。「一部の『ハートストッパー』ファンだけでなく、作品にそこまで関心はないものの、セクシュアリティ表象とセレブのアイデンティティを一括りにしようとする他のクィアもしくはストレートのネットユーザーもいたかもしれません」

さらに彼女は、しばしば最も大きく否定的な──同時に非主流派の──声を取り上げて増長させ、彼らをファンダム全体の代表として扱うメディアにも、責任の一端があると指摘する。「キットのカミングアウトに関する批判のなかには、すべてのファンに責任があると感じさせるようなものもあります」とマッキャンはいう。「そこで暗に言及されているのは、想像上の作品の若いクィアのファンたちです」

たとえキット・コナーに対するクィアベイティング批判が小規模でネット依存気味の、不自然に増長された過激派の声から生まれたものでもそうでなくても、彼がSNSアカウントの更新を休止し、最終的にカミングアウトに追い込まれた事実は変わらない。

ハリー・スタイルズがステージでグリーンのフェザーボアを身につけることが〈許される〉のか、ビリー・アイリッシュがMVでレズビアン的なテーマを扱ってもいいのか、キット・コナーが自身もバイセクシュアルの10代であると証明せずにバイの10代の役を演じられるのかと詮索することで、私たちはクィアネスのヒエラルキーをつくり上げ、クィアの正しいあり方、間違ったあり方を押し付けているのだ。

安全性、プライバシー、内なる葛藤など、個人がセクシュアリティを公表したがらない理由はさまざまだが、それよりも重要なことがある。結局、カミングアウトは個人の選択次第なのだ。多くのひとが堂々とカミングアウトしているが、それらの人びとが、その道を選ばないひとよりも正しく立派だとみなされるべきではない。それはクィアのあり方にまつわる考え方を後退させるだけだ。

「キットにカミングアウトを要求した人びとを責めるのは簡単ですが、その前にクィアのキャラクターが脇に追いやられ、トークン・マイノリティ(※お飾りのマイノリティ)として扱われ、冷笑され、クィアの俳優たちが失業を恐れてセクシュアリティを隠すことを強いられた時代があったということを理解するのが大切です」とマッキャンは強調する。

「それを是正したいという思いは立派ですが、あらゆる俳優にキャラクターの信ぴょう性のために公にカミングアウトすることを求めるのは問題ですし、非生産的です。そうではなく、クィアの物語とその語り手の多様性を支持することこそが、当事者のセレブがカミングアウトしやすい土壌を築くのです」

@PatrickLenton