〈Pierre Klein(ピエール・クライン)〉、〈Cuggi(クッチ)〉、〈Lewis Vooton(ルイス・ヴートン)〉…。ガラクタみたいなジュエリー、そして〈I♡大麻〉キャップなどを売るコピー・ブランドは、世界中の露店で主要な売れ筋アイテムだ。私は、数々の露店を見てきたが、そのなかでも、頻繁に遭遇するブランドがある。それが〈Georgio Peviani(ジョルジオ・ペヴィアーニ)〉だ。

明らかにイタリア人男性であろう名前をGoogle検索してみると、この名のもとに発売されたデニム・ジーンズが多数出てくる。しかし、ジョルジオ・ペヴィアーニなんて人物は表示されない。やはり、明らかにただのコピー・ブランドだ。どのブランドのコピーか? 答えはやはり〈ジョルジオ・アルマーニ〉だろう。 しかし、ペヴィアーニはそこから何の利益も得ていないはずだ。なぜなら、ぺヴィアーニのロゴは、アルマーニのそれとはまったく違う。でも、ロゴなんてどうでもいい。とにかく、ペヴィアーニの服は売れている。デザイナーがいなかろうが、売れている。そう、ジョルジオ・ペヴィアーニの座は空いている。
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私がそこに座ってみよう。ジョルジオ・ペヴィアーニになり、彼の潜在能力を発揮させる手伝いをするのだ。どうやって? フェイクあふれるファッション業界で、私が〈ニセ者〉になり、人気者になってみせるのだ。ジョルジオ・ペヴィアーニお披露目の場所として選んだのは、〈パリ・ファッション・ウィーク〉。格好の舞台だ。
ジョルジオ・ペヴィアーニができるまで
①www.georgiopeviani.comのドメインを購入する。 法的にきわどいアクションな気もしたが、ジョルジオ・ペヴィアーニなんていないのだから、先方の弁護士に咎められることもないだろう。

②10分でサイトをつくった。内容はゼロだが、見てくれはなかなかだ。とにかく重要なのは見てくれ。加えて、新しいメールアドレスも取得した。georgio@georgiopeviani.com. これで次のアクションへ進める。

③パスポートと同じくらい大切な名刺も用意。あとはジョルジオの商品を数点揃えるだけだ。ブリクストン・マーケットに向かい、ペヴィアーニのパンツを数本購入した。
1日目:ジョルジオ、パリを歩く

初めてのパリなので、まずは街を散策して、位置関係をつかむ。というかそもそも、ファッション・ウィークの開催場所すら知らなかったので、電車に乗ってもしょうがない。でも、きっとどこかで手の込んだつくりのスカートをはいている人や、バレンシアガの〈中古風シューズ〉を履いた人にも出会うだろう。そんなお洒落さんについていけば、目的地にたどり着けるハズだ。

遠くにそびえ立つエッフェル塔に見守られ、1時間以上経ったとき、突然、1軒の古いホテルのなかから、カラフルなグループがあふれ出てきた。ちょうどショーが終わったところらしい。私は180センチ超えの人たちの群れのなかに飛びこんだ。誰も彼もが鮮やかな黄色のダウンや、私の家賃よりも高い帽子をかぶっている。そして、ブロガーたちはうつむいて携帯をいじっている。私は彼らに話しかけようとしたが、クモの子を散らすようにその場を離れていった。そのとき誰かが私の肩を叩いた。

「こんにちは。ステキな格好ですね。(フランス語)」
炭鉱労働者のようなバックルをつけた全身デニムの男性が、無表情で私を見つめていた。私は名刺を渡し、ショーの感想を訊いた。「ここから見てたんですよ」。彼は、立っている場所を指差した。
次にどこに行くつもりか、と何食わぬ顔で訊いてみると、彼は、アドレスが走り書きされた小汚い紙きれを取り出した。そこには〈パレ・ブロンニャール〉と書かれていた。更に私は、メモに書かれた地図を盗み見し、明日、ヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)のショーがある、という情報も入手した。そのとき彼が突然顔を上げた。「これからロシア大使館でコム・デ・ギャルソンだ!」と腕時計を叩き、サイド・バッグを開けた。そのなかには、ウラジーミル・レーニン(Vladimir Lenin)の衣装が入っていた。「着替えなきゃ!」
教えてくれてありがとう、とお礼をいう前に、彼は姿を消した。

パレ・ブロンニャールに着いた。すると入口のセキュリティに受付へ押しやられた。「申し訳ありません、ムッシュー。IDが必要なんです」。私は何もいわずにデスクに名刺を置いた。女性はキーボードを叩き、何事かを早口のフランス語でしゃべっている。ひそひそ話のあと、応えが返ってきた。

受付の女性の無機質な謝罪のあと、私は関係者バッジを受け取った。

映画やフェスで見るようなお祭り騒ぎを想像していたが、実際はビジネス交流会といったところだ。外で、楽しんでいそうな女性と話したのだが、実はその女性が、ファッション業界におけるデジタル・インフルエンサーの第一人者であり、トップクラスのクリエイティヴ・ディレクターとしても有名であると知った。

私は「ペヴィアーニをご存知ですか?」と尋ねてみた。彼女は首を横に振る。「ストリートウェアが〈宗教〉だとしたら、ペヴィアーニは止むことのない〈罪〉です」と熱弁すると、彼女は片眉を持ち上げた。
「あなたがペヴィアーニ? だからカメラマンがついてるのね」。広く流通しているのに謎だらけの例外的なブランドとして、VICEマガジンの密着取材を受けているのだ、と説明した。
私たちは名刺を交換した。彼女は、今から1時間後くらいにパーティーがあり、そこにはプレスが殺到する、と教えてくれた。私も参加できるらしい。ペヴィアーニはさっそくレベルアップしたのだ。


よくわからない言語の会話についていく。笑うポイントもわからない。こいつらはペヴィアーニより下のヤツらだ。ペヴィアーニが気を遣う必要なんてない。しかし、部屋の隅にようやく素敵な男性を見つけた。

「これを着てくれませんか?」と声をかける。ドイツ人のメンズモデル、ジャン(Jean)は、カーテンの裏でペヴィアーニのパンツに履き替えてくれた。

「すごくいいですね。大衆向けですね。あなたがデザインしたんですか?」。私は頷いた。周りからも注目されている。ジャンは、もっとペヴィアーニのテイストにあうイベントを教えてくれた。ペヴィアーニも、こんなつまらないパーティには耐えられそうになかったので、夜のパリに繰り出すことにした。
ボンヌ・ヌーヴェル駅の近くの裏通りで、目立たないドアの前に人が群がっていた。なかからバレアリック・ハウスの重低音が響いている。

なかに入ると、ひょろっとしたイタリア人男性と出会った。「ミッキー(Mickey)です」と笑った。「ジョルジオです」と返す。

するといきなり、ミッキーはイタリア語でまくし立ててきた。私は適当に頷いたり、イタリア風に相づちを打ったりしていたが、「カメラマンも理解できるように英語で話そう」と提案した。そして、彼がこのコレクションのデザイナーであり、コテコテのイタリア人だということがわかった。私もデザイナーだというと、突然、パーティー参加者への私の紹介行脚が始まった。

みんな、〈私=ぺヴィアーニ〉という存在に混乱しているようだった。イタリア人の名前を名乗っているくせにイタリア語がしゃべれないのだから当然だ。私が今ぶち当たっている〈イタリア人にイタリア人だと信じてもらう〉という課題は、ファッション・ピープルに私をファッションデザイナーだと信じさせるよりも困難な課題だと察した。

そうこうしているうちに、ミラノから来たというファッション・バイヤーに紹介された。彼女に認められれば、ボローニャじゅうがジョルジオ・ペヴィアーニを着る可能性もある。「ジョルジオ・ペヴィアーニです」。彼女は動きを止め目を閉じた。鼻で深呼吸した。「あなたの〈ペヴィアーニ〉って発音を聞いてると、泣きたくなる」。初っ端から最悪だ。
しかし、名前の発音はさておき、私の服を買ってくれるかどうか、彼女に尋ねた。

「どうかしら。クライアントしだい。でも大事なのは、ミラノのクチュールの特殊さ。オートクチュールなの」。完全にこてんぱんにされた。「でも、この部分のつくりは好き。かたちも」。さらに近くで吟味してくれた。「ボタンにはかなり時間かけたでしょ。キレイね。イニシャルもいい」
私は名刺を渡し、ドリンクを飲みほし、出口に向かった。1日目は成功だ。
2日目:ジョルジオ、高みを目指す
朝早く起きてニュースを見る。ペヴィアーニは扱われていない。リック・オウエンス(Rick Owens)ばかりだ。もっとビッグにならなければ、私はそんな欲求に突き動かされ、ファッション・ウィークに参加しているブランドの広報に片っ端からメールを送った。そんななか、こんなニュースが飛びこんできた。私はそこに商機を見出した。〈ゲッティ イメージズが写真の修正を禁止〉。世界がそんなに無修正の身体を欲しているのであれば、私の身体をさらそうではないか。


今日はうまくやらなくてはいけない。ヴィヴィアン・ウエストウッドのショーに潜入するのだから。
セキュリティは厳しいが、ある人物にパパラッチが群がっているのに気づいた。

この写真のあと、彼女について入口へ向かった。どうにか彼女と腕を組んでいるように見えるようにしながら。深呼吸して、ジョルジオ・ペヴィアーニのタグをぎゅっと握る。頼むぜ、ジョルジオ。


潜入成功! 『Vogue』のエディター、モデルのアリゾナ・ミューズ(Arizona Muse)など、大物たちが並ぶフロント・ロウを見つめる。そして彼らの席に、こっそりジョルジオの名刺を置いていく。チャンスは見逃さない。


いったいこの人が誰なのかはわからないが、フロント・ロウにいるのだから、重要人物なのだろう。そんなこんなでショーが始まった。




ブラボー! 私は会場が空になるまで残った。すると裸のモデルたちや、ウエストウッドのスタッフたちがスパークリング・ワインを飲み始め、会場はゴタゴタし始めた。マーガレット・サッチャー時代を彷彿とさせるパワースーツを着ている男性と話をし、このあと何をするのか尋ねた。「アレクサ・チャン(Alexa Chung)のパーティーだよ」と彼はいう。「インビテーションもらってない?」。そういうと携帯を取り出し、インビを転送してくれた。

外に出ると、パシャパシャと写真を撮られた。みんな、私が大物だと勘違いしているようだし、自分でもそんな気がしてきた。角を曲がると『マイアミ・バイス(Miami Vice)』に出てきそうな女性の集団に話しかけられた。

彼女たちは、パリ・ファッション・ウィークのホットな新作をリポートするためにブラジルから来たインフルエンサーだった。その結果がこれだ。見てほしい。Instagramでフォロワー数62万7000人を誇るラケル・ミネリ(Raquel Minelli)が、ペヴィアーニを気に入ってくれたのだ。
ラケルのInstagramストーリーを通じて、ペヴィアーニは62万7000もの彼女のフォロワーに届いたのだ。信じられない。夢がかなっている! こうしてデジタル・ワールドを手中に収めた私が、次に狙うのは、アフターパーティーだ。

ファッション業界のクールなキッズたちが集結している。私もその場に自然に溶け込まなくては。



筋張ったチキンみたいな脚と、立派なヒザを強調して、初対面の男性にカマしてみた。「僕の話を覚えといてください。これからの10年は〈Punkyfish(パンキーフィッシュ)〉とペヴィアーニの時代になります。新時代のロベルト・カヴァリとマイケル・コースです」
男性は口を開かなかった。それが、このパーティーの雰囲気だ。
バルーン・ハウスで遊んでいると、周囲の来場者全員が、同じほうに振り返った。アレクサ・チャンが現れたのだ。アイコンが現れるとみんなが注目する。私も盛り上げなくては。

バルーン・ハウスから出る。今こそ名前を売るチャンス。

アレクサに自己紹介すると、彼女は私の名前をリピートしてくれた(確かに、いわせた感は満載だが、それでも彼女がリピートしてくれたのは間違いない)。
〈ジョルジオ・ペヴィアーニ〉が、ファッション業界でズバ抜けた影響力を持つ人物の口から文字どおり〈発せられた〉瞬間である。



時は流れ、酒がすすんだ。記憶も曖昧になった。ペヴィアーニは、現代のパリにおけるトレンド・セッターやトレイル・ブレイザーたちと交流した。しかし、バルコニーとバーの記憶がうっすら残っているだけ。それと朝陽も。
3日目:ジョルジオ、玉座につく
遅くに目覚めた。頭が痛い。たくさんのメールが届いていた。ルッツ・ヒュエル(Lutz Huelle)のショーへの招待だったり、エステール・モード(Esther Maud)のデザイナーとのお茶のお誘いだったり、パレ・ド・トーキョーのYOYOで開催されるマシャマ(Mashama)のショーへの招待もあった。しかし、最も驚いたのはこのインビテーションだ。

これまで、インフルエンサーやら、話題の人やら、スターやらに会ってきた私だが、今度は、パリ有数の誉れ高いデザイナー、ヴェロニク・ルロワの最新コレクションにプライベートで参加できるのだ。つまり、パリのファッションシーンにおける最高レベルに足を踏み入れるチャンスがやってきたわけだ。

記載された会場に着いた。茶色がかった金髪で、細面の年配の女性が私を迎えてくれた。「ジョルジオ!」。左右の頬を交互に重ねるフランス流の挨拶をする。黒いシースルー・ドレスと白いタイツを合わせた彼女は、まるで『ピンクパンサー』(Pink Panther)に出てきそうだった。

私たちは、17世紀に建てられたパリのアパルトマンの中に入った。タバコの煙を充満させておかないと、どうも簡素すぎる部屋だ。年上の東南アジア人らしき紳士と、若い女性がカタログを眺めていた。ふたりともプラダのスーツがキマっている。長身のモデルふたりがいて、参加者の要望に合わせて服を着てみせてくれる。私は手持ち無沙汰だった。

コーヒーをひたすらすすり、ボードに貼られたルックに感想を述べた。
これで問題はないはずだ。しかし、本物のファッション・アイコンだったらどうするだろう?

「このワンピース、すばらしいですね! おいくらですか?」
「ちょっと試着してみてもいいですか? もうすぐ授賞式があって、インパクトの強い格好をしたいんですよね。ファッション界のヤング・サグ(Young Thug)みたいな」。責任者が戸惑いを隠しきれていないなか、私はカーテンの裏で試着してみた。

パリのアパルトマンを10分ほどうろうろした。百万長者たちに囲まれ、手持ちの服を全てかき集めても届かないような値段のワンピースを試着してみた。スタッフが、「すてきですよ」と耳打ちしてくれた。
私は上流階級の世界を垣間見たような気がした。ジョルジオ・ペヴィアーニという名前、そして彼の大根足は、デザイナーやインフルエンサー、世界じゅうのファッションマニアたちの記憶に、ぼんやりとでも残ったであろう。2017年のパリ・ファッション・ウィークにおいて、確かに彼は存在したのだ。
そろそろペヴィアーニともお別れの時間だ。
おわりに:ジョルジオ、お前は誰だ?
ジョルジオとして3日を過ごした結果、多くの疑問の答えが見つかった。しかし、ひとつだけわからないのは、いったい、本物のジョルジオ・ペヴィアーニは誰なのか、という疑問だ。
ロンドンに戻り、いつもの解決策を試みた。Google検索だ。3ページ目が表示されると、商標は1996年に取得され、2016年に切れている、という情報を得た。そしてその下に、住所が記されている。ロンドンのアルドゲイト。これだ!

私は、ロンドンのホワイトチャペル・ロードにひっそりと佇む〈Denim World〉を訪ねた。中に入ると、オーバーオール、ミリタリーブルゾン、ジーンズ、デニムのショートパンツなど、あらゆる商品が目に飛び込んできた。よく見ると、全てのアイテムに〈ジョルジオ・ペヴィアーニ〉のタグがついている。カウンターで訊く。「ジョルジオ・ペヴィアーニさんはいらっしゃいますか?」。ひとり、ボスのような雰囲気の男性が首を横に振る。「そうですか。でもペヴィアーニさんの服を売ってるんですよね?」。彼は当惑しているようだ。「まあ、そうですね。私が30年ほど前にこのブランドをつくったので」

1982年、アダムはザンビアから英国にきた。以来ずっとアパレル業界に身を置いている。
アダムは、90年代初頭に、ジョルジオ・ペヴィアーニという名前を閃き、それを気に入ったのだという。いったいなぜか。彼によると、「音の響きがいいし、イタリアっぽいから」。彼は、やはりアルマーニが好きだったのだ。ペヴィアーニのピークは、90年代から2000年代初頭までだったという。驚くにはあたらない。絶頂期には全世界で週3万5000点のアイテムを売っていたらしい。今でも世界中で売っている。
「このブランドがすばらしいのは、誰でも買えるからです。数少ないエリートにしか買えないアルマーニとは違う」とアダム。「ここまでは順調です。家族も養えていますし」

私が、ジョルジオ・ペヴィアーニへの愛と、それが高じてパリを訪ねてしまったことを打ち明けると、アダムは笑い転げた。そうやって彼と話していると、私は考え始めていた。私はジョルジオ・ペヴィアーニじゃない。本物のジョルジオ・ペヴィアーニにはなれなかった。だけど今は、真のジョルジオ・ペヴィアーニを知っている。「あなたが〈ジョルジオ・ペヴィアーニ〉ってことでいいですよね?」
アダムはまた笑いだした。従業員たちも集まってきた。よし、これだけはいっておこう。
「私だって、かなりいいとこまでいったんですよ」
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