2016年11月4日, イラク軍によるモスル奪還作戦の混乱を避けようと, 市の東端に位置するゴグジャリ地区で避難民収容施設にむかうトラックを待つイラク人家族. イラク軍司令官によると、2年にわたりモスルを制圧し続けたジハーディスト反乱軍の激しい抵抗にあいながらも、イラク軍精鋭部隊はモスル市街に進軍したそうだ.(Photo by BULENT KILIC/AFP/Getty Images)
VICE Newsの中東支部長、セブ・ウォーカー(Seb Walker)による手記。
Videos by VICE
§
私は、モスルでアパートの1室を借りて暮らしていた。
2004年、米陸軍大将のデイヴィッド・ペトレイアスと第101空挺師団によって、モスルの治安は保たれていた。私は、ロイターのフリーの通信員として、日に日に激しさを増す対米軍攻撃の速報をレポートしていた。
モスルは長い歴史を持つ美しい街だった。古代遺跡、モスク、教会が立ち並び、イラク2番目の規模を誇る大学もあった。夜になると、通り沿いのカフェはモスル市民で埋め尽くされる。チグリス川の土手では、住民たちが火炉の周りに腰掛け、川で釣れたばかりの魚、マスグーフを炙って頬張っていた。
だが、そんな平和な日常は覆された。
モスルは、サダム・フセイン軍の司令官や将校を多数輩出した、イラク有数の軍事都市でもあった。そのため、有志連合が軍事介入を開始した数週間後に発表された、米軍主導のイラク軍解体は、多くの市民にとって朗報ではなかった。
軍の解体により、一晩にして数百人、否、数千人もの熟練軍人が職を失い、その現実が占領軍に抗戦するための新たな大義を生んだ。結果、モスルのレジスタンスは、体制を整え、組織化が始まった。私がモスル入りした時期、彼らの活動は始まったばかりだった。その活動は、政府関係者暗殺、米兵狙撃、IEDによる市内を走る車両部隊爆破だ。
米国委任政府がバグダッドで基盤を固めるのに不満が高まったモスルで、武装勢力が主導権を握るのに、さほど時間はかからなかった。ISが2014年6月にモスルを拠点にできたように、体制との不和断絶が生んだ結果のひとつに過ぎない。スンニ派が大半を占めるモスル住民の大勢は、自らと利害が一致しないシーア派中央政府よりも、ISのほうがいくらかまともだろう、と眺めていた。
しかし、メディアが「善悪の闘い」と報じている現在進行中のモスルを巡る戦闘は、それほど単純ではない。メディアが報じるよりも、内実は複雑だ。
10月24日に先制攻撃を仕掛けたのはアラブ系、クルド系、スンニ派、シーア派からなるアンバランスな寄せ集め連合軍だ。彼らの多くは、ISを撃退した後の利権、政策を独自に構想し、互いに競い合ってもいる。イラク軍内部でも派閥、宗派間の確執による分裂が始まっている。戦車、装甲車がシーア派の旗をなびかせながらスンニ・アラブの町街に入っていく。それ以外に、地政学的な問題もある。米軍とイランが支援するシーア派勢力が「IS掃討」のために共闘しているのだ。トルコは傍観者の立場を貫いている。トルコの思惑通りに事が運ばれなければ、彼らも戦闘に参加する可能性がある。
ISによる厳格なイスラム法に住民たちの不平が募るいっぽう、ISが撤退した地域の住民は、反IS連合軍を歓迎している。しかし、そのなかでも「次は何が起きるのか」という疑問が飛び交っている。
数日、数ヶ月かかろうと、モスルは最終的にイラク政府や連合軍が制圧するだろう。しかし、ISを駆逐したら、次はどうなるのか? IS掃討のために戦った諸勢力は、綺麗にお片づけして撤退するのだろうか。国家分裂の危機を生んだ過激派グループを「受け入れた」と見做されている住民たちには、いったい、どんな報復が待ち受けているのだろうか。
イラク首相はモスル奪還後、市内に入れるのはイラク軍、イラク警察だけだ、と言明している。ファルージャ市、南部地域奪還後に起きたような住民への虐待を防ぐためだ。クルド、シーア派勢力の市内拠点構築を未然に阻止するのも目的だ。現在、モスル解放に向け軍事的に連携している諸勢力が政治的理想を、必ずしも共有しているとは限らない。
私が話したイラク人の大勢は、こんな不安定な連合はそう続かないはずだ、と先行きを懸念している。そして、連合内の不和による武力抗争勃発こそ、最大の懸念だ。もし抗争が勃発すれば、宗派、派閥間抗争によってモスルはじめ、イラク各地の瓦解が始まった2004年初頭に湧き上がった暗雲はより厚みを増し、イラク共和国の未来から光明を奪うだろう。