アフリカ人がカンフーでヒトラーを殺す?!『African Kung Fu Nazis』監督、セバスチャン・スタイン interview

アフリカ人がカンフーでヒトラーを殺す?!『African Kung Fu Nazis』監督、セバスチャン・スタイン interview

監督が語る、荒唐無稽な映画の荒唐無稽な裏話。
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translated by Ai Nakayama
Tokyo, JP

友だちと飲みに出かけて、すっかり酔っ払って、最高のアイデアをひらめいて、だけどそれを酔っ払いの戯言として切り捨てて、そのあとはきれいさっぱり忘れてしまう…。そんなことは誰にでもあるだろう。しかし、セバスチャン・スタインは違う。彼は酔っ払いの戯言を出発点に、1本の長編映画を完成させた。

ドイツに生まれ、現在は日本を拠点に活動する映像プロデューサーのスタインは、自身の映画『African Kung Fu Nazis』でアドルフ・ヒトラーを演じた。幸運なことに、あるいは彼の意志の力のおかげかもしれないが、スタインは映画として完成されたエンターテインメント作品をつくりあげることができた。とはいえ、〈映画として完成されたエンターテインメント作品〉と言い切るには数多くの条件が要る。なぜなら本作は、いわゆるハリウッド作品とはまったく別物だから。

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スタインは、数々の大作を手がけてきたガーナ人映画監督、サミュエル・K・ンカンサ(Samuel K. Nkansah、通称ニンジャマン)と24歳のプロデューサー、ダニー・ボーイ(Danny Boy、通称プロデューサーマン)と組み、もしヒトラーと東條英機が連合軍の手をかいくぐり、ガーナを軍事作戦の新たな拠点としていたら、という〈あったかもしれない過去〉をエンタメに昇華した。キャストは、スタインがヒトラー、スタインの友人でコラボレーターである秋元義人が東條を演じたが、それ以外全員ガーナ人とナイジェリア人を起用している。

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本作について、この荒唐無稽なアイデアがどのようにして生まれたかについて、スタインに訊いた。
そして、東條英機役として参加した秋元義人にも話を訊いた。

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あなたは本作について強い信念をお持ちのようですが、このストーリーを語らなくては、という気持ちはいったいどこから湧いてきたのでしょうか。

アイデアが浮かんで、それをやり遂げようと思っただけです。まあ、このアイデアを思いついたときには酔っ払ってましたけど。アフリカ、カンフー、ナチスという3つのテーマが浮かんで、それを組み合わせてみて、自分でも笑っちゃいました。「マジでこれ実現できたら最高だろうな。例えばこんなふうにして、こんなストーリーにして…」って。実現できたら面白いとは思いましたが、本当に作品として完成するとは想像もしてなかった。アフリカに知り合いがいるわけでもないから、ゼロからのスタートでした。でも、なぜだかこれについては頑張れて、脚本も書き上げて。良いアイデアではないかもしれないけど、ヤバいアイデアではあるなと思ってました。

制作の段階で、やめようと思ったり、アイデアについて自信を失くすときはありました?

正直、一歩進むごとに思ってました。最初にプロデューサーと監督に連絡したときは、「アホか、なんでこんなゴミみたいな作品つくりたいんだよ?」って言われることも覚悟してました。でも彼らからの返答は逆に、「脚本が面白い! 絶対ガーナでいろんな賞を取れるよ」だった。それで腹が括れました。でもお金の問題もありました。彼らから、まず1万ドル(約110万円)を送金してくれ、と頼まれたんですが、普通はそんなことしません。基本的に、支払いは制作がすべて終わってからなので。でもプロデューサーマンは前払いを頑として譲らなかったので、最終的には送金しました。先に支払いをしてしまったら、逃げられてしまう可能性もあるので嫌だなと思ってたんですが、その考えが間違っていたことは彼ら自身が証明してくれました。彼らは本当によく仕事をしてくれましたね。とはいえ、撮影からポスプロまで、問題ばかりでした。スタッフやキャストが、ホテルや他のキャストに不満を抱いて現場に来ないとか。あと、車はすぐ壊れるし。一度、撮影現場の管理人が、僕らの使う旗や小道具、衣装をみて、ブードゥー教の儀式をやっていると思い込み、僕らを追い出したこともありました。本当は2018年にプレミア上映する予定だったんですが、そういう問題のせいで、あとはニンジャマンが編集にかなり長い時間をかけたので、1年遅れてしまいました。最終的に、僕が自分で編集作業を行いました。

では、アフリカでの撮影で最も驚いたことは?

ガーナの車ってみんなボロボロで、僕が乗っていた車も、助手席のドアが壊れてて開かなくて。道も凸凹なんですけど、坂道を登っていたら、なんか急に変な匂いがして、そしたらプロデューサーがいきなり叫んで、「みんな早く出ろ」って。みんなすぐに、車から出たんですけど、僕はそのとき助手席に乗っていたからドアがあかなくて、すごく焦りました。結局、運転席のドアから出たんですけど、そしたら、車が燃えて、いつ爆発するかわからないくらいな状態で、あの時は焦りました。

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義人さんはいかがですか?

ネズミですかね。脳味噌とか、食べたんですけど、白子みたいで、別にまずくはないけど、率先しては食いたくはなかったですね。

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もちろん本作の意図が純粋な風刺だとはわかっているんですが、今やウォークシェイミング(社会正義や差別に敏感ではないひとの発言を、SNSなどで徹底的に攻撃すること)やキャンセルカルチャー(著名人の過去の発言などを持ち出して糾弾すること)の時代です。この作品が攻撃される可能性については考えませんか? 本作がジョークであるとみんなが理解してくれると?

本編でもドキュメンタリーでも、観たひとはすぐに、本作の皮肉的な意図に気づくはずです。ユダヤ人のおばにも観せたんですが、彼女も面白がってくれましたし、ガーナ人たちもそう。ドイツで生まれ育った僕は、両親や教師から、ヒトラーやナチスについてのジョークを言ってはいけない、と常々注意されてきました。タブーになってるんです。いっぽうで、英国なんかをみればヒトラーはジョークのネタで、ヒトラーを揶揄するような映画がたくさんつくられてる。しかもどれも面白い。僕は、それこそが正しい姿勢だと思うんです。何かをタブー、神秘的なものにすれば、むしろその対象に力を与えることになる。逆に徹底的にバカにすることで、神秘性を剥ぎとれます。例えばカギ十字を身につけ、肌を白くしたアフリカ人を登場させることで、それらのシンボルは無力化される。だって、本来そのシンボルが意味していたものをことごとく裏切ってますから。本来の意図と真逆の表象としてそれらを使うことで、おかしみが生まれます。

Vice Japan Youtubeチャンネルにて、制作の裏側をとらえたドキュメンタリーを公開中。

自らがヒトラーを演じることについては悩みませんでしたか? むしろ演じたいと思っていたのでしょうか?

もちろん、ヒトラーは僕が演じないと、と思ってました! 子どもの頃は、ほぼ毎日第二次世界大戦のドキュメンタリーを観せられてたんです。戦争がどれほどひどいことか、ドイツがどれほど恐ろしい所業を行なったかをみせるためだったと思うんですけど、初めてヒトラーをみたとき、僕は「こいつコメディアンじゃん、どうしてこんなヤツについていこうと思えるんだ? どうして真面目に捉えられるんだ?」って思ったのを覚えてます。僕はヒトラーを揶揄するジョークをよく言ってたんですが、周りからはそういう冗談はやめなさいと怒られて。僕はただ、ヒトラーをジョークの対象にすることは、彼や彼の思想と闘う最良の方法だと思ってるんです。あの男を真面目に捉えるひとなんて、正気じゃないと思ってたので。

一方で義人さんは、東條英機を演じて欲しいと依頼を受けて率直に、どう思いましたか?

まず東條英機を知らなかったです。なんか名前は聞いたことがあるなくらいで。その後、調べていったら、もちろんリーダーだから責任はあるけど、ザ日本人というか、侍みたいで、顔みてても、そんなに悪い人には思えないし、むしろ超カッコイイなって思って。真実かどうかはわからないですけど、天皇がずっと戦争反対してて、それに従おうとしたし、そもそも最初は戦争に反対していたっていうのを読んだんです。だけど、陸軍海軍も含めて、周りが戦争しようとしていたら、首相という立場上いくしかない、みたいなところが、日本人っぽいなって。だから、そんなに偏見も違和感もなかったですね。

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第二次世界大戦、ヒトラー、ナチス、白塗り。どれも、実に重いテーマです。一歩間違えれば誰かを傷つけるおそれもある。これらのテーマを、あるいは登場人物を風刺的に描写することで生まれる機微を扱う上で、困難はありませんでしたか?

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アフリカのひとびとは、まったく違う見方をしていると思います。彼らは、作品が風刺であることがわかれば、参加していっしょにふざけてくれる。彼らが喜んでくれたのは、この作品がキャストもクルーもみんな現地のアフリカ人を雇った、完全なるアフリカ作品だからでしょうね。普段は、制作チームがアフリカに来て、アフリカ人を雇うときって、だいたいアシスタントとかなので。彼らが嫌がるのは支配されること。でもこの作品では、監督もプロデューサーもメインキャストもみんな平等です。そこに上下関係はない。あるとすれば、ニンジャマンが僕に指図するくらい。彼らは西洋のメディアが、アフリカを飢えた子どもがいる場所、戦争が起こっている場所として描写することを嫌います。『African Kung Fu Nazis』みたいな作品が自分たちの住む場所に来たことを、みんな喜んでましたし、アフリカの良い面や、アフリカの映画文化を世界に発信するチャンスとして捉えていました。みんなが楽しんでくれていればいいし、いつか続編も作りたいです。

あなたのインスピレーション源は? それらは、本作へのアプローチにどんな影響を与えましたか?

この作品には様々な物からの影響を詰め込みました。チャーリー・チャップリンの『独裁者』、プロレスラーの“マッチョマン” ランディ・サベージ、バッド・スペンサーの出演作品、ジャッキー・チェン…。それらをすべてミキサーに入れて混ぜたのがこの作品です。

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サウンドトラックもすばらしくて、テーマソングは一度聴いたら耳から離れません。音楽的には何を参考にしました?

作品をつくったのはプロデューサーマンとニンジャマンです。すべて彼らが担当しました。キャストを選んだのも彼らだし、音楽もそう。彼ら自身がつくったのかは知りませんが、歌詞は彼らが書いたものです。本当にすばらしい仕事をしてくれましたね。

観客には、本作から何を感じ取ってほしいと思いますか?

自分の頭で考えてほしいと思います。特にタイトルをみて憤慨するようなひとたちには。まずはこの映画を観て、タイトル以上の何かがあるとわかってほしい。本作に差別的な意図はいっさいないということも。僕がしたいと思っているのは、苦しんでいるアフリカの映像作家たちを支援すること。彼らにスポットライトを当てる一助になりたい。もっといろんな作品をいっしょに作りたいし、他にもアフリカに行く人が増えればいいと思います。アフリカでは、良い作品を安くつくれますから。特に〈プロデューサーマン〉のダニー・ボーイを僕は讃えたいですね。彼は知り合った当時まだ23歳ですが、23歳の頃の僕とは比べ物にならないほど優れている。彼がいなかったらこの作品もありませんでした。

ただ、シームレスな特殊効果やお涙頂戴的なセリフはアフリカでは手に入らないでしょう。アフリカ人の映画監督たちは、そういったものは求めてないんです。『African Kung Fu Nazis』を観ればそれがわかると思います。この作品にはたくさんの人物が登場しますが、印象的なのは語られる物語よりも、見事な戦闘シーンやアクション。いろんなところに注目すれば、いろんな楽しみかたができる作品だと思いますが、いかんせんとことんジョークなので。真面目な作品じゃないですし、観客にも真面目に捉えてほしくはないですね。

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でも、改めて、めちゃくちゃな企画ですよね(笑)。

いや、酔っ払ってて企画を思いついたのは本当のことなんですけど、実は、この企画を考えたとき、黒人の女性と付き合いたいなって(笑)。撮影が、どんどん進んでいって、その欲求が爆発して。

ああ、そんなことだと思った(笑)。

エロパワーだよね。

もうひとつの夢も叶ったんですか?

毎晩毎晩、超疲れたよ。寝れなかったし(笑)。大変だった。