タンポンで膝下を失ったモデル ローレン・ワッサー インタビュー

2012年、カリフォルニアのモデル、ローレン・ワッサーはトキシックショック症候群に罹患した後、右膝下を失った。現在、彼女は自身の経験にもとづいて他の女性たちを励まし、タンポン業界と対峙している。「いつもすべて理想どおりだった」ローレン・ワッサーは自らの身体についてこう語る。ワッサーの母親は20年以上にわたりモデルの仕事をしていた。「90年代、ステファニー・シーモアやシンディ・クロフォードのような女の子たちと一緒にね」。ローレンは何の苦もなく、同じ道に進んだ。子どもの頃、彼女は母親と共にパリ、ミラノ、ロンドン、ニューヨークを撮影のために旅行した。彼女の初モデル仕事はパトリック・デマルシェリエが撮影。その当時、彼女は生後2か月であり、泣いてばかりで、カメラの前にいたことすら憶えていないが、ローレンがプロフェッショナルなモデルの道を歩み始めたのは、選択というよりは必然だったようだ。彼女の父親さえもモデルだったのだから…

そして2012年、ローレンの体は一夜にして変わってしまった。10月3日、ロサンゼルスの自宅で、彼女はインフルエンザにでも感染したかとおもい、ベッドに就いた。彼女はそのとき生理中でタンポンを使用していたが、それが彼女の体調に関係しているとは想像もしなかった。まさかそんなこと、思いもしないだろう。犬に餌をやって母親に電話してから、何日も後に病院のベッドで目覚めるまでのこと、どこにいて、何が起きていたのかを、ローレンは何ひとつ覚えていない。完全に外に置かれていた感覚だった、と彼女は語る。入院後、医師たちがすぐに検査した結果、ローレンは、タンポンが一因である、細菌性疾患のトキシックショック症候群(TSS)を発症していた。「病院に運び込まれるのが10分遅れていたら死んでいた」そうだ。彼女は、治療のための人工的昏睡状態におかれたが、その後、数日で感染は壊疽へと進行した。右脚は膝下で切断され、彼女が左脚を守ろうと闘うも、その足指は失われ、さらに踵も重度の損傷を受けた。彼女の体と将来は、もはや彼女のものではないような状態であった。

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ローレンのガールフレンドであるジェニファー・ロベロはフォトグラファーであり、最近、現在27歳のローレンが脚を見せている初めての画像の撮影を始めた。彼女は写真の中で、浴槽内に座り、またショートパンツ姿で自宅の外に立っている。ジェニファーはこれを「フォトセラピー」と呼び、ローレンにとっては、自身に起きた災厄を受け入れる新しい方法である。このフォトセッションは、それと同時に、今のところ想像上の脅威としてしか議論されていない、TSSについての意識を高めようとする彼女のキャンペーンの一環でもある。昏睡状態から目覚めて3年、ローレンは経験から得た意見をもとに、タンポン業界と闘うべく、使用していたタンポンを製造した会社を相手取り訴訟を進めている。さらには、理由はどうあれ切断手術を受けざるを得なかった人たちが、自身に起きた現実を受け入れるよう励ます決意をした。

ローレンは、カリフォルニアから電話ごしに、タブーの打破と女性の権利について話してくれた。

成長期のあなたは自身の体をどうコントロールしていたのですか。それはモデルの仕事と、どう関係していたのでしょうか。

モデルの仕事はいつも身近なものでした。両親ともにモデルでしたから。エージェンシーにはよく行っていたし、そこでモデルの仕事を始めるように勧められたんです。私はアスリートでもありましたから、体をとてもハードに動かしていました。いつもバスケットボールをプレイし、自転車に乗り、健康的な生活を送っていたんです。

あなたの体は2012年にどう変化したのですか。

昏睡状態から覚めたとき、私の体重は90.7 キロもありました。そして体から全部の毒素を除くため、36.3 キロの液体が吸い出されたんです。目覚めたけれども、自分の状態がまったく違ってしまっていることがわかりました。自己認識さえままなりませんでした。脚もヴァギナも何も見えない。以前、私の体重はおそらく54.4 キロだったのに、目覚めたら90キロもあり本当に衝撃を受けました。みんなが私の命を救おうとしている最中に、髪がもつれてしまったので、頭を剃らなければならなりませんでしたから、結果的に、髪の毛まで失ってしまいました。瞬く間に、アイデンティティーを失ってしまったんです。すべての状況がどれほど強烈なものだったか、今でも完全には理解できていないハズです。しかも、それは今も続いています。絶えず苦しんでいるし、闘っている最中です。

またスポーツを始めたんですか。

苦痛に向き合わなければならない、やっとそんな前向きな心境になれました。私はタフな女子のつもりですから、他人の哀れみを受けたくないんです。実際、足を引きずって歩かないよう努力しました。長いこと、脚を隠そうとしてきたし、自ら見せびらかしもなかったから、誰もわからなかったでしょう。自転車にも乗り始めたし、バスケット・チームの指導もしています。プレイはできなくても、バスケットに関わる努力をしたんです。

もう脚を隠さないんですか。

隠しません。ジェニファーが写真を撮りながら、「あなたは見せるべきだわ、それを誇りとすべきよ」とアドバイスしてくれました。私は恥ずかしかった。脚を失った自分と共に成長し、現状に納得することが必要だと知りました。それが新しい人生で、失った脚は戻ってきません。「これから私の物語を世界と共有するのなら、自らを肯定して、変わった私を誇らなくてはならない」。ジェニファーの写真を見たのが決定的な瞬間でした。今、写真を見て「それでも私は美しい、モデルだってできる」そう断言出来ます。

あなたがより開放的になって、周りはどう反応しましたか。

私が受けている支援と愛情は驚くべきものです。そのおかげで、現在の私を肯定的に感じることができます。フェイスブックでは、若い女の子、年上の女性、娘さんを亡くされた女性たちからメッセージをいただきました。この議論を始めたこと、人々に知らせたことに、ありがとう、と感謝してくれるんです。これは私だけの問題ではありません。私が世の中に投げかけているのは、声を出せずに忘れられてきた女性たちの問題なんです。

生理は、今もどちらかといえばタブーですね。それは、TSSに対する問題意識の欠如にも関わっているのでしょうか。

タンポンを製造する会社は、自らが女性であることさえもイヤだ、と思わせる立場にありましたし、それについての議論も不快で恥ずかしい、と女性がかんじてしまうマーケティングをしてきました。開け放つ必要があるのは、この扉です。私たちがそれをできたことは誇りだし、嬉しいことです。

今後のプランを教えて下さい。

問題意識を高めるための努力を続けていきたいです。近々、キャロリン・マロニー議員とともにワシントンへ行く予定です。彼女の、生理衛生用品の健康効果を研究するための法案は、議会で9回否決されてきたけど、今回の盛り上が功を奏せば、変化を起こすことは可能ですし、世の中も見て見ぬ振りはできないでしょう。この問題がいつまでも未解決でいいワケがないし、私たち女性には、女性として権利がありますから。

今年になって発言を始めたのはどうしてですか。

とても多くの苦痛を経験しましたから、成長する時間が必要でした。これは、とあるモデルのTSS経験ではなく、身体の一部を失ったことを受け容れ、どう新しい前向きな人生の第一歩を踏み出すか、という問題です。私には、朝起きてシャワー・ルームに跳び込んだり、ビーチではしゃぐような贅沢ができません。膝下を失って初めて、そんな思いを抱えながら生きる切断患者たちがいることを知りました。その人たちに大丈夫だ、と感じてもらう手助けがしたいんです。自分の脚を誰にも見せたことのない少女が、私たちに連絡をくれたんです。私の話を聞いて、私たちに打ち明けてくれました。つまり、私にも、切断障害者たちにプラスの影響を与え、励ますことができますから、発言を決意したんです。