ヒップホップ界がいまだにA Tribe Called Quest(以下、ATCQ)のファイフ・ドーグ(Phife Dawg)の喪に服すなか、彼とグループがカルチャーに与えた影響の大きさが日ごと明らかになる。音楽はもちろん、あらゆる面で際立っていたセンスは、後進アーティストの手本でもあった。週末、ATCQは、彼のホームであるクイーンズのジャマイカにあるセント・アルバンズパークで、4月4日、月曜日の朝、ファイフの追悼式を催し、先着200名のファンには特別なサプライズを用意している、と発表した。冷たい雨が降りしきるなか、『ビデオ・ミュージック・ボックス(Video Music Box)』のラルフ・マクダニエルズ、Black Sheep(ブラック・シープ)のドレス(Dres)、ATCQのジェロビ・ホワイト(Jarobi White)ら、ヒップホップ界の先駆者たちとともに、開催直前の発表だったにもかかわらず、多くのファンがファイフの冥福を祈った。先着200名のファンには、ファイフ・ドーグのシャツと火曜の午後にハーレムのアポロシアターで予定されているシークレットイ・ベントのチケットが配られた。
『Beats, Rhymes, and Life: The Travels of A Tribe Called Quest』の監督マイケル・ラパポート(Michael Rapaport)は、自らのラップ・ヒーローと出会えた悦びを参列者に伝え、長年にわたって撮りためた動画を編集し、ファイフ、という規格外の個性を象徴する追悼コラージュとしてまとめ、発表した。スポーツ界からも弔辞があり、何名ものNBAプレイヤーが弔意をあらわした。ピーター・ローゼンバーグ* (彼はATCQをレッド・ツェッペリンに例える)がスコット・ヴァン・ペルト** を紹介した。ペルトは、ファイフが始めて解説者の席に座ったさいの興奮を、愛すべきエピソードとして披露した。ファイフは、あまり評価されなかったにもかかわらず、バスケットボールと野球に関して極めて深い知見を有していた。
クエスト・グリーンの厳かな紹介で、シャープないでたちのD’angelo(ディアンジェロ)がThe Rootsと共にジェームズ・テイラーの名曲「You’ve Got a Friend」のファンキーなカバーを披露すると、感傷的な夕べは興奮の夜に一転した。D’angeloがステージを降りてすぐに、グリーンがカニエ・ウエスト(Kanye West)を手を振って招き上げた。全身を黒に包んだカニエは、ATCQの音楽の偉大さと、1991年のヒットアルバム『Low End Theory』が彼に与えた影響の大きさを語った。(「オレが今までやらかしたことは、全部ティップとファイフのせいさ。何たってあんたらがオレを育てたんだからな」)。ウェストはローゼンバーグがATCQをレッド・ツェッペリンに例えたのを公然と非難し、「ファイフの葬式でレッド・ツェッペリンの名前なんて聞きたかなぇよ」と吐き捨て、ツェッペリンのアルバムを最後まで聴いたためしがない、と毒づいた。カニエは、ヒップホップの先駆者たちに対する敬意を要求し、ヒーローや先駆者の生き様をネタに、ブラック・カルチャーが商品化されるのに嫌悪感を露にした。
KRS-One, 後ろに並ぶのはGrandmaster Flash, Teddy Ted, Special K, and Kid Capri
A Tribe Called Quest
KRSワン(KRS ONE)とキッド・カプリ(Kid Capri)が大音量で、Boogie Down Productionsの名曲「I’m Still #1」をプレイすると、バルコニー席の土台が実際に揺れた。その後も、グランドマスター・フラッシュ、クール・ハークなどが次々に登場し、最後にファイフを失ったATCQのメンバーがステージにあがった。明らかに、まだ、メンバー全員がショック状態にあり、細やかな思い出を早口で交わしたり、支えあってつらい時期を乗り越えよう、とファイフの家族に直接、言葉を投げかけたりしていた。牧師の挨拶、ファイフが果たせなかった音楽を悲しいほど暗示している、彼とJ・ディラと組んだ「Nutshell」のビデオで、この夜のイベントは幕を閉じた。そして、泣きはらした目で、疲れ切った身体を引き摺り、参列者たちは夜のとばりの中に消えていった。