カルト教団設立はそれほど難しくない。必要なのは明確なビジョン、カリスマ性、人里離れたところに信者を隔離する施設、信者が食べる鹿肉のチリと幻覚剤。難しいのは、それを継続させられるか否か。
カルト教団の趨勢は教祖次第だ。教祖が他界すると、信者は散り散りになり、洗脳から醒め、別の教団に入信したり、別の教祖に帰依したりする。自らの死後も存続する盤石のカルトを築けた教祖は数えるほどしかいない。例えば、L・ロン・ハバード、オショウ(Osho、バグワン・シュリ・ラジニーシ[Bhagwan Shree Rajneesh])。また、不思議なことに、バーナード・プールマン(Bernard Poolman)という男もそのひとりだ。
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ナミビア共和国出身のプールマンは、ハゲ頭で樽のような体型の白人で、まるで、スパイダーマンの宿敵、キングピン(Kingpin)のような外見の男だった。彼は、外見には恵まれなかったが、決断力があった。さらに、彼には悪霊退治の逸話がたくさんあった。逸話の数々は、彼を南アフリカ版〈L・ロン・ハバード〉に祭り上げるのに充分な箔になり、彼の死後も教団は存続している。
プールマンによると、とある悪霊折伏(exorsicm)からすべてが始まったそうだ。
悪魔祓いと思しき現象(少なくとも彼の信者たちはそう信じている)は、90年代初頭、南アフリカ、ダーバン(Durban)のプールマン宅で撮影されていたTVインタビューの最中に起きた。彼がピーターマリッツバーグ(Pietermaritzburg)の自らの地所でカルト教団〈Desteni〉を始めたのも、彼の集金ピラミッドがネット上で拡まったのも、彼曰く「ヒトラーの霊魂を呼び寄せる少女」に出会ったのも、TVインタビューの数年後だ。それまで、青ざめた肥満のプールマンに信者などいなかった。彼は、児童向け個別指導教材のソフトウェアを販売する元警官でしかなかった。
2008年、信者によるプールマンのインタビューで、彼はDesteniの端緒を「偶然からだった」と説明。90年代初頭のある日、撮影クルーは、彼の自宅を訪問し、児童の注意欠陥多動性障害やその他の行動の問題を解決できる、と彼が主張するソフトウェアについて取材した。その日、プールマンは何よりも話したかったのは、「自らを許す(self-forgiveness)」と称される彼の発案したしたコンセプトについてだった。内容は、自らの欠点を受け入れるための漠然としたプロセスだが、後にそれは、Destiniの重要な教義になる。
「突然、若いカメラマンが撮影セットに踊り込んできて、私に突っかかったんだ」とプールマンは2008年のインタビューで詳細を語っている。「彼の怒りは凄まじかった」
その20歳のカメラマンに、何が気に食わないのか、と通常であれば訊ねるところを、プールマンはそうせずに、若者の手を取り、「自分を許す」と発言させた。すると、奇妙なことが起こり始めた。その若者は、何かを言わんとしてしきりに口を動かしたが、音声は全く発せられていなかった、とプールマンはいう。
カメラマンは取り乱し始めた。若者は白目を剥き、手を固く握りしめていたそうだ。プールマンは、まず、癲癇の発作を疑った。しかし、ある時点で、どういうわけか、若者は発作に見舞われたのではなく悪霊に憑依されたのだ、と直観した。プールマンは対処法を知っていた。彼は、若者を引き寄せ、抱きしめた。
「自らを許すのは素晴らしい」とプールマンは優しく諭した。
結局、カメラマンの発作は治り、どのように自らを許したのか、ボソボソと説明できるまで回復した。プールマンは、彼の対処法がうまく機能し、悪霊は若者の体から去った、と判断した。撮影クルーは録画を中断しなかったので、一部始終が記録されていた。しかし、プールマン曰く、不幸にも、クルーが恐れおののき、証拠の映像をすべて破棄してしまったそうだ。現在のDesteni信者たちは、プールマンの証言だけを頼りにこの奇跡を信じている。
プールマンは、それが初めての悪霊折伏だ、と主張する。しかし、それは束の間の成功だった。その後すぐに、彼は、悪霊折伏は完全に成功していない、と気がついた。彼は、悪霊をカメラマンの体から追い払っただけで、霊体は、別の憑依先を探していたそうだ。
「悪霊を追い払うだけでは、問題の解決にならない」。2011年、Demons DailyがYouTubeに投稿した動画のなかで、プールマンは、南アフリカ訛りの英語で説明している。「新たな問題を生んでいるだけだ」
プールマンは、悪霊を葬り去るべく、活動を開始した。活動のために彼は、建物を購入し、カルト教団を創設し、2013年、最終的にプールマンは、Desteniの信者に看取られながら心不全で他界した。その後も信者たちは、悪霊にまつわる騒動、霊媒、「悪の次元」におけるヒトラー殺しなど、常軌を逸した教祖の伝説を世間に広めている。
プールマンは、南アフリカのノース・ウエスト大学(North-West University)で法律を学ぶために、ホームタウンのナミビア共和国、オカハンジャから南アフリカに移住した。彼は、1983年に大学を卒業し、南アフリカ警察で刑事としてのキャリアをスタートさせた。彼が精神世界に魅了されたのは、義理の父親が霊媒師だったからだ。プールマンは、義父の身体に憑依した霊魂と会話する人々と空間を頻繁に共有していた。
プールマンによると、ある夜、進行中の事件調査を続ければ殺害される、と霊界から警告を受けたそうだ。彼はその警告を受け入れ、警察を辞め、ダーバンに移り住んだ。
そこから、プールマンは児童向け個別指導教材の販売を始めたが、彼の心霊主義、オカルトへの関心は高まり続けた。そうして、先に記したインタビューの日がやってきた。そこで彼は、憑依されたカメラマンから悪霊を追い払ったが、悪霊は別の憑依先を求めていたそうだ。当時、プールマンは、自らの人生を悪霊折伏に捧げなければならない、と悟っていた。Desteniの伝承によると、悪霊は彼に応戦したそうだ。
1998年、悪霊の脅威が顕在化した、とプールマンは語っている。彼と2人の子供が目を覚ますと、自宅が邪悪な落書きで覆われていた。車庫の壁には、「貴様と貴様の息子を殺す」と大きくな字で書かれていた。
「ある悪霊が信者のひとりに取り憑き、メッセージを書かせたのが明らかになった」とプールマンは、2008年、Desteni史についてのインタビューで説明した。彼は警察に通報したが、警察にはなすすべもなかった。警官たちは器物損壊で調書を作成しただけで、プールマンは悪霊の落書きを自ら洗い流した。
「悪霊だらけ」と娘がいったのをブールマンは忘れない。彼によると、約300もの悪霊に自宅を急襲されたそうだ。彼は、悪霊と対決したことこそあれ、そこまでの大軍と対峙した経験はなかった。
しかし、彼は悪霊と戦い、叩きのめした。プールマンと子供たちは、すべての悪霊をかき集めて、それをプールマンの体に押し込んだ。それが最も理に適った手段だ、と彼らは直観したようだ。彼は悪霊たちに「許しとは何か」を教唆した。こうして、300体の悪霊は永久に消えた。
YouTubeに投稿された動画で彼は、「この闘いで、『許し』が悪霊を変異させるのを知った。そして、可能な限り救う、という目標を掲げた」とDestieni信者に語りかけている。
ポールマンは、定期的に〈悪霊折伏〉会をダーバンの自宅で開催した。憑依された参加者は床の上をのたうち回り、叫び声をあげた。ポールマン曰く、悪霊折伏は、悪霊が「自らを許す」よう導くしかないらしい。
ジーナ・スワンポール(Zena Swanepeol)は、2001年、プールマンのアシスタントになった。ちょうどプールマンが、こころのなかの言語を司る領域に侵入し、再プログラムを施す方法を解説した『A Virus-Free Mind』を書き終えた頃だった。同書はDesteni信者にとってのDianetics(精神治療指南書)になった。
スワンポールが雇われた〈初期〉Desteniが掲げたヴィジョンは漠然としていた。プールマンがプランを固め世界征服に着手するまでに、まだ時間が必要だったが、彼はスキルを着実に磨き続けていた。
「バーナードは、相手が誰であろうと、彼を好きにさせることができました」と南アフリカにいるスワンポールはスカイプ越しに教えてくれた。「彼は、ものの数分で、他人を知的に支配できました。彼は他人のアタマのなかを混乱させられたんです」
スワンポールの助けもあり、プールマンは、『A Virus-Free Mind』で開発した言語テクニックと、90年代に販売していた教育プログラムを組み合わせ、『Power Education by Mind Technology』という新たな教育ソフトウェアを完成させた。そして、彼らは、南アフリカ中で、ソフトの販売を開始した。
「振り返ると、私たちは、国じゅうの親たちに、あたかも彼ら自身が『Power Education』を必要としているかのように信じ込ませたんです」とスワンポール。「私たちは400ランド(約3,800円)の商品を、12,000ランド(約11万1,400円)で販売しました」
その後、プールマンはエステニ・デ・ウェット(Esteni de Wet)という名前の女性と知り合い、恋愛関係になった。スワンポールによると、デ・ウェットはすぐに、スワンポールを嫌悪するようになったそうだ。スワンポールとプールマンはとても親密で、彼女は約5,000ドル(約54万円)の月収を得ていた。しかし、彼はスワンポールへの給与の支払いをストップし、彼女をケープタウンの事務所に左遷した。スワンポールは、デ・ウェットが、スワンポールを遠ざけるるようプールマンを説得した、と信じている。
プールマンの教育ソフトウェア・ビジネスは2000年代に入ると追い風を受け、より多くの資金が集まった。スワンポールによると、プールマンは、大勢の『Power Education』販売員を引き連れ、ピーターマリッツバーグ郊外に新たな不動産を購入したそうだ。その不動産は、すぐにDesteniの教団施設になった。
「彼は、私たちの心と感情をコントロールしていました。私は彼自身、彼の思考、彼の精神をたいへん愛していたので、彼に幻滅するようになってからは、大変辛い想いをしました。彼は信者に、デタラメな社会に見切りをつけたんだ、と信じ込ませるのが非常に上手でした。私たちが気づいていなかっただけで、彼は、私たちを洗脳していたんです」
数年後、スワンポールは、プールマン、彼のビジネスとの繋がりをすべて断った後、デ・ウェットの両親のもとに駆け込んだ。
「彼女の両親はケープタウンのヒルトンホテルに滞在していたので、私は会いに行きました。彼らは、バーナードが発明した瞑想法を私に説明しました。私にそれを試させたかったようです。それから、その瞑想を充実させる、バーナードが使用していたある道具について言及しました。それは、エクスタシーです」
スワンポールによると、デ・ウェットの両親は、ヒルトンホテルのスイートルームでエクスタシー1錠を彼女に手渡し、飲み込むように、と勧めたそうだ。
「私はエクスタシーを手にしたまま、絶句してしまいました。バーナードは教団施設内の信者全員に服用させていたんです。彼の娘セリーズ(Cerise)、息子のレズリー=ジョン(Leslie-John)、教団内のすべての子供にも服用させていました」
この件に関して、Desteniとデ・ウェットの両親にコメントを求めたが、彼らから返答はなかった。
スワンポールは、ヒルトンホテルを去った後、Desteniについて何か知っているか、と旧友から電話がくるようになるまでの数年間、プールマンについて考えなかったそうだ。
「人々は、『プールマンが何をしたか知っているか、彼がどのようにカルト教団を築き上げたかを見たか?』と言い始めました。私は、Desteniの創設前からバーナードと知り合いでした。私は、彼を行いを知っても、全くショックを受けませんでした」
プールマンがヒトラーの霊魂とチャネリングできる少女に出会うと、彼のグループはエクスタシーを摂取する瞑想サークルから、本格的カルト教団に発展した。その少女の名前はサネット・スパイズ(Sunette Spies)。彼女は、ショートヘアーの白人南アフリカ人で、彼女の英語にはわずかなアフリカ訛りがある。彼女は「次元往来の門」でもあった。
スパイズは単にヒトラーだけでなく、マザー・テレサ、カート・コバーン、アントン・ラヴェイ(Anton La Vey)、オードリー・ヘップバーン、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ニーチェ、さらには、どうやら人類を創造したらしい〈レプタリアンの神アヌ(Anu)〉、きわめつけは、タンポン、砂粒といった無生物とまでチャネリングした。
プールマンがスパイズと出会ったのは、彼がスワンポールをケープタウンに追いやった頃だった。ダーバン郊外にあるクルーフ・モール(Kloof Mall)で、プールマンとデ・ウェットが朝食をとっていると、テーブル担当だった可愛らしい10代のウエイトレスと彼が会話を始めた。少女は母親をガンで失ったばかりだった。朝食を終えたプールマンは、その少女が泣いているのを見かけたので、施設に招いた。そうして、2006年、ポールマンは彼女をDesteni公式の「次元往来の門」に任命した。
「彼は、私の背中に両手を置いて、『抗わずにリラックスしなさい』と指示しました」とスパイズはDesteniのウィキで説明している。「彼がその言葉をかけてくれたとき、私は、文字どおり、精神を抑圧するすべてを放り出しました」
すると、「次元往来の門」が開かれた。プールマンは、天国次元と悪次元への繋がりを手に入れたのだ。
若くて可愛らしい金髪のスパイズは、Desteniの象徴として、プールマンが担ぎ上げるには適材だった。彼女は、死んだ著名人、宗教指導者、レプタリアンの大君主を彼女に身体を明け渡すだけで、何も危害などを加えなかった。少なくとも、彼女はそれをうまく演じた。うまくやり通せないにしても、彼女が喜んで演じようとしただけで、プールマンには充分だった。
プールマンのDesteni、L・ロン・ハバードのサイエントロジー(Scientology)、両者には違いがある。ハバードは、信徒たちがサイエントロジーに完全にのめり込むのを待って、クレージーな路線を打ち出した。対するプールマンは、悪霊チャネリングをプロモーションの中心に据え、それをインターネットで拡散した。
プールマンはスパイズとともに、彼女の降霊儀式のビデオ撮影とブログを始めた。その後すぐに、YouTubeにスパイズがチャネリングする、Desteniの数々の動画が投稿された。
「次元往来の門」に、これといった信憑性はないが、Desteni信者たちは信じてしまった。アンドレア・ロッソウ(Andrea Rossouw)は初期段階で騙された。彼女は、2006年の冬、プールマンとスパイズによって見出された。ロッソウは11歳で父親を失い、それ以降、悪霊に取り憑かれるようになったそうだ。時折、彼女の身体を離れた悪霊が、彼女の父親の友人に憑依して、彼女に性的いたずらを働いた、と彼女は主張する。その後、悪霊は再び戻ってきて、彼女に自殺を唆したそうだ。
その後、ロッソウは2008年からブログを始めた。彼女のブログによると、悪霊は、彼女のボーイフレンドにも憑依し、彼女を痛めつけた。目を醒ました彼は、何が起こったのか、何ひとつ覚えていなかったそうだ。プールマンは、「悪霊」がロサウに被害を与えないよう、彼女を施設に招き入れた。そうして、彼女は施設に移り住み、教団初のウェブサイトの立ち上げに携わった。そのウェブサイトでは世界中のネットユーザーが降霊動画を視聴し、掲示板では、プールマンとスパイズに直接質問できた。
プールマンは、サイエントロジーが開催する講義のような独自の有料自己啓発プログラムを開始するなど、L・ロン・ハバードの手法を参考にし続けた。彼のプログラムは〈Structural Resonance Alignment Training〉というオンライン講義で、最も優秀な成績の受講者は、教団施設での生活に招待された。
2009年までに、約30名がピーターマリッツバーグの教団施設に住み込みで活動するようになっていた。チャネリングとオンライン自己啓発は、ブログなどを通じて、Desteniの軌跡として瞬く間に拡散された。これらの活動に加え、教団は、頭剃りキャンペーン「FaceWorldFaceOff」を開始した。ハゲ頭の教祖プールマンは、そうすれば「髪型にとらわれず、他人の顔を見られる」と説いた。プールマンの頭は、その数年前にすでに禿げ上がっていたのだ。
この時点でDesteniは、破壊的なカルト教団の拡大防止を目標に掲げるウェブサイト、カルト・エデュケーション・インスティチュート(Cult Education Institute、以下、CEI)に警戒されていた。CEIの創設者であるリック・ロス(Rick Ross)は、脱洗脳専門家であり、これまでに500件以上の脱洗脳に携わってきた。彼は、Desteiniのチャネリング、動画、オンライン自己啓発、教団の規範である〈剃髪〉などの詳細を、自身のWebに掲載した。
「Destiniの信者たちとのオンラインでの交流に基づく情報です。私見では、Destiniは破壊的カルト教団です」とロスは取材に答えた。
プールマンと信者たちは、ロスの活動に対して、中傷オンライン・キャンペーンを展開した。彼らはロスを「反キリスト教を掲げる過激派のユダヤ人(偏屈者)」と呼んだ。Destini信者たちは、ロスのオンライン討論に参加し、「自らを許す」ためのメッセージを発信し続けるなど、〈荒らし〉も実行した。ロスのユダヤ教的な考えを中傷したにもかかわらず、Desteniは活動的なレイシスト集団であったかどうかはハッキリしていない。教団施設で撮影された写真の1枚は、白人以外の信者が少なくともひとりはいるのを示唆しているが、その男の背後の人物が彼に向けてナチス式敬礼をしているようにも見える。
最終的に、ロスは、Destini信者と堂々巡りの議論をするのに疲弊してしまい、CEIのDestiniを扱ったスレッドに新着コメントを書き込まなくなった。「反キリスト教」の悪党であるロスを打ち負かしたのち、プールマンは、「次元往来の門」スパイズの尽力も得て、悪霊折伏を続けた。
プールマン曰く、ある夜、イエス・キリストが「次元往来の門」に降臨したそうだ。しばらく会話を交わしたのち、プールマンは、悪霊の次元を永遠に葬り去るのに協力するよう、イエスに要請した。イエスは、Destiniに加わるのに明らかに肯定的である反応を示したそうだ。
プールマンは、イエスと共に悪霊を1体ずつかき集め、「自らを許す」力で忘却のふちへと葬った。最後に現れた最大の悪霊はヒトラーだった、と2008年のインタビューでプールマンは回想した。最後の敵がヒトラー、つまり、彼が悪の次元のボス、もしくは大魔王、長老だ。プールマンがヒトラーに自らを許す方法を教えるのに成功すると、総統の悪霊は折伏されてしまったそうだ。
悪霊が完全に折伏された世界で、プールマンと信者たちは、オンンライン自己啓発を本格的な前払制ウェブセミナープログラムに進化させ、プログラム名を〈Desteni I Process(以下、DIP)〉に変更した。DIPの1年目の受講料は月額111ドル(約1万2,000円)、2−3年目の受講料は倍になる。
DPIのウェブサイトによると、マルチ商法のノウハウも利用している。DPIの3年プログラムを修了した受講者は〈バディー〉になるり、新たな受講者勧誘が奨励されていた。バディーたちは、自ら勧誘した受講者に受講料を払わせ続け、35%をピンはねできる仕組みだ。
Destiniは、数年間にわたり数百名のDIP受講者がいた、と主張している。それを証明する具体的な数字を突き止めるのは困難だが、DIPのウェブサイトは全世界に62名いるバディーの名簿を掲載しており、彼らは受講者からピンはねし続けている。あらゆるマルチ商法の例に漏れず、収入のほとんどは、直接、組織の頂点に立つプールマンの懐に入るようになっていた。
2013年8月11日の朝、プールマンは息を引き取った。しかし、スパイズは現在もチャネリング動画を投稿し続けており、これらの動画は未だにDesteniのウェブサイトで閲覧できる。同ウェブサイトでは、依然として月額100ドル以上の自己啓発、レプタリアンの神アヌがどのように人類を創造したかを説明した書籍などの宣伝が掲載されている。しかも、YouTubeではヒトラーの霊が発言する動画を、未だに視聴できる。
「今こそ、私たちはバーナードが指導者ではなかった世界を証明しなければなりません」とプールマンの娘セリーズは、彼の死亡記事欄にコメントを寄せている。「私たちは彼がいなくても立ち上がることができますし、自らと教団を成長させることが可能です」
そうして、プールマンの死後も、Destiniはなんとか存続している。教団はもたつきながらも歩み続け、動画アップロード数も減ったが、虎視眈々と世界進出を目論んでいるようだ。
プールマンは生前、テキサス州のDestini信者、キャメロン・コープ(Cameron Cope)とパートナーのケイティー・コンクライン(Katie Conklin)を雇い、彼らに教育ソフトウェアをアメリカ国内で販売させていた。〈TechnoTutor〉というソフトウェアは、Destini教団と繋がりはない、と謳っているが、教団はその教育ソフトウェアを「推薦」しており、ウェブで商品をレビュー者はDesteni信者と同じ名前だ。
さらに、コープは〈Acounduit Marketing LLC〉という会社を経営していた。この会社は、「生活を向上させる画期的な製品」のセールス・スタッフを募集し、「月収1万4,000ドル(約150万円)も夢でない」と謳っていたが、スタッフになるには1万5,000ドル(約160万円)の前金を支払う必要があった。
おそらくであるが、その「画期的な製品」とはTechnoTutorだ。そして、そのマルチ商法のシステムは恐ろしいまでに、プールマンとスワンポールが実践していた教育ソフトウェアの販売方法と酷似している。コープは当初、インタビューに何の衒いもなく応えていたが、ソフトウェア販売の類似性について質問した途端、彼は口を固く閉ざした。
Destiniの活動はプールマンが望んでいたような世界規模のムーブメントには発展しないだろうし、サイエントロジーのように数万人規模の信者も集められないだろう。しかし、たった数十名の信者だけでチャールズ・マンソン(Charles Manson)は60年代の社会に衝撃を与えた。プールマンの悪霊折伏の相棒イエスも、12名の使徒を連れていただけだが、多大なる功績を残した。プールマンがこの世に残したものは、ヒトラー、イエス、悪の次元についての、トンデモ話だ。