現実と夢。朝目が覚めた時から現実の世界が始まり、夜寝ている世界は空想の世界である。物事に想い悩み続けると空想する時間が長すぎて、あたかも空想している世界が現実かのように思え、現実が夢であるかのように思えたことはないだろうか?また、若き日の男子特有の夢精なんて、まさに最も分かりやすい例かもしれない。
あるいは本や映画、音楽、ファッションの世界にのめり込み、あたかもその世界で自分が生きているような錯覚に陥ったことはないだろうか?空想の世界はある種快楽であると同時に、空虚な世界であることも知っている。
「若き写真家が見る歪んだ世界」連載5回目は、現実と虚構の世界を自由に行き来する表現が特徴の石橋英之の作品とインタビューをお送りしたい。
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まず石橋さんが作品創りの際のコンセプトを教えてください。
僕が作品を創る場合には、最初からコンセプトがはっきりと決まってるわけではなく、ほとんどの場合が、日常生活の中で感じる疑問部分を発展させていくことが多いです。つまり、普段なんとなく目にしているイメージに対して、一体なぜこのような写真ばかりがスーパーマーケットに並んでいるのだろう、インスタグラムの写真に共通するテーマがあるとすればそれはなんだろう、他の人がこれらのイメージをどのように受け止めているのだろうという、観察をするところから始まります。そんなことから、アーティストとして明確なコンセプトの上に制作するというよりは、作品創りというのはあくまで日常生活の延長線上にあるものでありたいと思っているんです。職業としてアーティストではなくて、あくまで職人的な姿勢に憧れるんです。
なるほど、では現在の日常生活について教えて下さい。
今僕はフランスの北部、リールに住んでいます。もともと、パートナーとの関係でフランスに移り住むことになり、そのときに言語の問題で、街の人とまったくコミュニケーションが取れなくて引きこもってしまいました。そこで、グーグルのストリートビューでリールの街の行きたい場所を探して、その場所に行き実際に撮影して写った人や物を、グーグルビューの写真にコラージュする作業を繰り返していました。それが、最終的には、様々なイメージの寄せ集めからひとつの写真を創る表現に変化していったのです。 つまり、いかにこの街に馴染むことができるのか、現地の人との距離を縮めることができるのかが、作品を創る上でのきっかけだったかもしれません。 だから、コラージュの作品を創り始めたのは単純にリールの人々とのコミュニケーションツールの一環だったんです。
この作品はすべてコラージュなんでね。かなり精巧で、本当に現実か虚構の世界か分からない、そんな世界観がカッコイイというのは単純で幼稚な表現ですが、幻想的で惹かれます。元ネタもこれだけ見ていてもすごく面白いですね。
いやいや、カッコイイものだなんて(笑)。
これをきっかけにリールの人々とコミュニケーションが取れるようになれたんですか?
そうですね。「この写真はあの場所だろう」とか聞かれることがあり、単なる当てっこゲームから、少し踏み込んだ歴史の部分まで触れるきっかけとなりました。実際に住んでいる人とコミュニケーションが取れるようになると、文化の違いから生まれる歪みの部分に着目したいと思うようになりました。 つまり、フランスが持っている風景や雰囲気に、僕が持っている日本的な何かを混ぜていって戦わせて、そこでどうしても自然に馴染まない部分、違和感みたいなことが出てくる部分を作品としての面白みとしてアウトプットしています。極端なことをいえば、フランスのものを使った静物画的な写真に招き猫が入ってる感じ(笑)。ぱっと見は馴染んでるんだけど、よく見たらおかしいみたいな。
それが、最近制作した下の作品なんですね。
はい。このシリーズはリールという街そのものがインスピレーションとなりました。もともとロベを始めとするフランス北部は、ドゥール川沿いをメインとした工業地帯として数多くの工場が稼働し、繊維業の面では非常に有名な地区でした。しかし、より安価な生産が可能な中国資本が投下されたことにより、繊維業の面で大きな打撃を受けただけではなく、工場の多くも閉鎖してしまいました。その結果、この川沿いには多くの廃墟が残されることとなり、その周辺の治安が悪くなってしまったのです。その問題の解決策として、リールは再開発を選んだのですが、やはり予算や立地の問題で、手を加えることができる部分とできない部分が出てきます。そして、僕はこの、だんだんと綺麗に整えられて、全てが同じような形をした建物が立ち並ぶ地域と、それに反抗をするように立ちはだかる瓦礫の山や、ゴミ、廃墟の一部の奇妙なコントラストに、全てが平均化する直前の最後の声が聞こえるのです。それを表現したくて、あえて曇天の日を選び、とにかく目の前にあるものをフラットに無感情に感じる標本的な方法で写し撮っていくことに集中しました。
リールの人々とコミュニケーションを取れるようになった現在の石橋さんが感じている日常の問題ということですね。
そうですね、また、日本のように古いものを完全に取り壊してしまうのではなく、新しいものと古いものを混ぜ合わせることで建物の修復を行う、その街の成り立ち方がコラージュのように映ったんです。そして、この作品の中ではそのような場所を狙って撮るだけではなく、実は写真の一部に、僕の実家がある芦屋で撮影した、西洋建築を真似た家の外壁写真を入れてます。写真の中では非常によく馴染んでしまい、果たしてどれがリールの建築物か、芦屋のハリボテの建築物かわからなくなってしまいました。
なるほど、どこがリールで芦屋かまったくわかりません(笑)。また、日本の街作りに対してのアンチテーゼも含まれていたんですね。当初からこのようにメッセージを含ませたドキュメンタリー作品に興味を持っていたのですか?
はい。学生の頃から社会的弱者の声に興味がありました。特に、フランスに移住し自分自身がお金もなく言語も話せないという社会的弱者の立場に立ったことで、より彼らを見る目線が変化したと思います。ただ、例えばドキュメンタリーという視点で、社会的弱者の人々のポートレートを撮ることにも惹かれるのですが、それよりもこの地区に捨てられたゴミから読み取ることができるその人の痕跡に惹かれます。特に、再開発が始まって間もないこの地区の今だからこそ、この痕跡の部分がより一層むき出しになっている気がします。その部分にこそ、より生々しい何かがあると思います。
石橋さんが見てきたもの、触れてきたものの集積として頭の中にある観念を、コラージュなど様々な方法でアウトプットしているということですね?
はい。ただ、アウトプットとしては、2重製版やポラロイドなどのコントロールが難しい方法を採用することで、私が考える完成系が崩される瞬間を狙っています。特に、コラージュをする場合には、どのようなイメージを創りたいのかということがはっきりしているものの、なるべくそのイメージを崩していくような方法をとります。頭の中のイメージを表現したいというのはあるのですが、そこからさらに、自分が意図しない何かが含まれることにより興味があるんです。
メッセージ性が強いドキュメンタリーの要素と、写真の面白みである偶然性みたいなものを掛け合わせたものを狙っているということですね。
そうですね。ただ、この作業はすごく時間がかかるので中々作品が完成しないんです。また、現在中国人が経営してるお好み焼き屋でバイトをして生活しているのですが、そこが休ませてくれないのでさらに作品創りが進まなくて。どうやら日本人が働いていると本格的な店構えに見えるという理由らしいです。やっていることは朝から晩までキャベツをちぎっているだけなのですが(笑)。もう少し作品創りの時間を得るために、現在剥製師の資格をとるために勉強中でもあります(笑)。
石橋英之
1986年生まれ。兵庫県出身。最近の展示に「 Présage(Galerie Vol de Nuits)」がある。直近では、2015年9月18日~20日に開催されるUnseen Photo Fair 2015にIMAギャラリーより参加するほか、同ギャラリーでの展示も予定している。出版としては、「写真に何ができるかー思考する七人の眼」(窓社/福川芳郎)で紹介されたほか、IMA photobooksより写真集「Présage」が発売予定。http://www.hideyukiishibashi.com/photography/