「PROPAGANDHIで政治意識に目覚めた」というパンクファンもいるだろう。これまでにも、たくさんのパンクバンド、そして、ハードコアバンドが政治的信条を掲げていたが、PROPAGANDHIが活動していたシーンは、少し違っていた。もしPROPAGANDHIが〈Ebullition Records〉と契約していたり、〈Maximum Rocknroll〉とつるんでいたなら、〈ゲイ・ポジティブ(ゲイに好意的)〉〈プロ・フェミニスト(フェミニスト賛成)〉〈アニマル・フレンドリー(動物愛護)〉〈アンチ・ファシスト(反ファシスト)〉などのフレーズがジャケットに記載されていても、別に違和感はなかっただろう。しかし、PROPAGANDHが所属していたレーベルは、〈Fat Wreck Chords〉であり、彼らは、90年代中頃に流行を極めたスケートパンク・シーンの真っ只中にいたのだ。作品のなかで進歩的な思想を宣言すれば、これまで育んできたオーディエンスとバンドのあいだには、確実に越えがたい境界線が生まれてしまう。しかしPROPAGANDHIは、1996年リリースのアルバム『Less Talk, More Rock』で、スケートパークに集う仲間たちだけではなく、オープンマインドかつ進歩的な考えを持つファンベースの構築を目指し、意図的にアクションを起こしたのだ。
「PENNYWISEが好きなようなヤツらは、すぐにまわりからいなくなったよ」。バンドのヴォーカルとギターを務めるクリス・ハナ(Chris Hannah)は、そう語る。しかし『Less Talk, More Rock』という試金石にめげなかった熱心なリスナーたちは、単なる1枚のレコード以上のものを手に入れた。この作品は、いってみれば〈アクティビズム入門〉だったのだ。ライナーノーツは社会正義、フェミニズム、ホモフォビア、資本主義についての長いテキストで、そこには、雑誌、作家、詩人、バンド、アクティビスト団体がたくさんリストアップされていた。〈ワープド・ツアー(Warped Tour)〉に参加するようなキッズたちを「もう少し物事を深く考えるように」導いた作品だった。そんな政治活動団体のパンフレットと勘違いされかねない『Less Talk, More Rock』は、実質的にPROPAGANDHIを象徴する作品になった。ただし、ストレートに信条を主張していたので、反対意見も熾烈だった。「90年代はヤバかった。『殺すぞ』なんて脅迫を受けたりしたよ」とハナは回想するが、今では、命の危機を感じるほどの脅迫はされなくなったという。「当時、殺してやる、といっていたヤツらも、もう、俺たちに構わなくなった」
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PROPAGANDHIが知っていたのかどうかはわからないが、彼らを〈仲間外れ〉にしていたレーベルも、その後、政治にアクティブになった。2000年代中頃、PROPAGANDHIは、所属アーティストの顔ぶれが変わるなか、Fat Wreck Chordsから離れた。しかし、GREEN DAY、NOFXのようなバンドもテイストを変え、当時のジョージ W ブッシュ(George W. Bush)大統領に異議を唱える歌詞を書くようになった。社会問題を取り上げ、意識の高いポップパンクへと舵を切った彼らは、単にすんなり受け入れられただけではなく、かなり好意的に受け止められた。近作まで商業的に落ち込んでいたGREEN DAYは、『アメリカン・イディオット(American Idiot)』でビルボード・チャート1位を獲得し、息を吹き返した。NOFXの『The War on Errorism』も、ビルボードのインディー・アルバム・チャートで1位に輝いた。
それだけではない。『Less Talk, More Rock』を聴いて育った若いバンドも登場した。RISE AGAINSTは、2003年の『Revolutions Per Minute』のライナーノーツにおすすめの文献リストを載せたが、それはPROPAGANDHIのスタイルを踏襲したものだ。また、NOFXのファット・マイク(Fat Mike)は、自ら発起人となって、コンピレーション・アルバム・シリーズ『Rock Against Bush』への参加を、FOO FIGHTERSからNO DOUBTまで、たくさんのバンドに呼びかけた。更に、PENNYWISEもアルバム『ランド・オブ・ザ・フリー?』(Land Of The Free?)で、ムーブメントに合流した。
現在では、あらゆるアーティストが作品、あるいはTwitterで、政治的信条をはっきり表明する傾向にある。『Less Talk, More Rock』は、いまだに共感を呼ぶ〈タイムカプセル〉的作品だ。しかし、PROPAGANDHIの最新作であり、7枚目のアルバム『Victory Lap』は、そうではない。昨今、Twitter上での議論は、目まぐるしい速さで展開される。Twitterは、人類を核戦争に駆り立もするし、反対派の意見を増幅するプラットフォームでもある。PROPAGANDHIは1996年、石油会社〈シェル〉のビジネスを攻撃する楽曲をリリースし、それは、重大な告発として機能した。しかし、現在は、誰もが情報通であり、なんでも知っている。PROPAGANDHIですら、Twitter上で議論に参加している。「Twitterがあるから、わざわざ俺たちが貿易協定について歌う必要なんてない、と諦められるんだ」とハナ。「最新の情報を得て、バカバカしい言説や皮肉めいた意見に同意する。それで終わり。怒りとかはもういい。だから今は、ヘッドバンギングする曲でも創ろうかな、ってとこかな」
とはいえ、『Victory Lap』に〈このリフ、サイコー!〉なんて曲が多く収録されているわけでもない。このアルバムでは、物事が移り変わる時代のバンドの姿が反映されている。同時代の問題に言及しているのには変わりないが、公権力を相手に叫ぶのではなく、PROPAGANDHIを聴く行為がアクティビストとしての義務だ、と考えているようなリスナーに「内省を促すのが自分の仕事だ」とハナは認識している。「〈ブラック・ライブス・マター(Black Lives Matter)〉にしろ、〈インディジェナス・リサージェンス(Indigenous Resurgence)〉にしろ、中年白人カナダ人の俺たちは、米国やカナダにおける、植民地主義的な状況に抵抗する運動の当事者ではない。けれど、バンドとして、そういった声のパイプ役になりたい」とハナ。「北米で生まれた現在進行中の運動なかで、もっとも感銘と希望を与える類のモンだと思うんだ」
「Comply/Resist」などの曲で、ハナが明確にメッセージを向けているのは、白人のリベラル層だ。自らをムーブメントの支持者と位置づけながらも、ムーブメントに直接関係している人々の声に耳を傾けなかったり、その声をかき消してしまう層だ。「90年代初頭の、クリストファー・ヒッチェンズ(Christopher Hitchens)記事を見つけた。そして、彼の主張について考えてみた」とハナ。「ヒッチェンズは、高く評価されている白人の研究者で、昔は、俺も彼の研究に関心を抱いていた。でも、今回は、彼の主張を批判的に利用し、事実上の〈白人至上主義社会〉のなかで俺が抱く、〈白人社会が有色人種から奪っているもの〉への印象と疑いを歌っている」。この曲は、ヒッチェンズの記事への2017年現在からの批判であり、同時にこの曲でハナは、自分の敵も皮肉っている。彼は、対立する相手の言葉と信念を逆手にとって、そのあらを突いている。
「この曲はもともと、〈インディジェナス・リサージェンス〉(Indigenous Resurgence)に、明け透けに、直接的に言及している曲だ。自称リベラル、自称中道の白人たちが、この運動をどう捉えているか。〈ブラック・ライブス・マター〉もそうだ。だけど俺は、自らが隠し持っていた差別的視線に少しずつ気づき始め、その差別主義、白人のリベラル的差別主義の本質を、世界に向けて明らかにし始めた白人の視点から、この曲を書いていた」
これこそ『Victory Lap』を定義づける〈均衡〉だ。ハナは、社会運動を支持しながらも、自分自身の責任を意識している。彼は、問題を指摘しながらも、そういう彼に対してこそ、批評家が疑問を呈さなくてはならない、という事実も理解している。「誰かのストーリーを、自分たちのために我が物顔で所有しないようにしている」とハナ。「白人を客観的に見つめようとしてるんだ。成功しているかどうかはわからないけど、とにかくそれを心がけてる」
人のふんどしで相撲を取らないよう、ハナは敏感になっている。彼の視点は、あくまで、白人中年男性の視点でしかないことを、ハナは忘れていない。「『Less Talk, More Rock』の時代は、〈拡声器をくれ! 俺のことを語らせてくれ!〉っていう感じだった。でも、そういうじゃなくなったんだ」とハナ。「みんな、白人男性の言い分を聞くのには、うんざりしてるんだ。俺もそうだ。自分の話なんてもう聞きたくないんだよ」。その結果、必要ならば、〈喜んで目立たないところに引っこむ〉と決断した。「Cop Just Out Of Frame」という曲で、ハナは、自分自身に、犠牲と闘争について何を知っているか、そして、白人以外の人種が暴力の餌食になるなかで抵抗を歌う意味は何か、と問うている。『Victory Lap』では明確にされていないが、PROPAGANDHIは、長いあいだ、ふたつの疑問に取り組んできた。「俺たちは、議論を深められたのだろうか?」とハナは懸念する。「できていればいいんだけど」
『Victory Lap』というアルバムに結実するまでの流れを説明するハナは、全てが、90年代初頭の作品からの疑いようのない進歩だという。「これまでと違う曲なんてない。全部通してPROPAGANDHIの作品だ。1曲だけあって、それをいくつかの章に分けているような感覚だよ」とハナは説明する。『Victory Lap』は、間違いなくPROPAGANDHIの新章の始まりを告げている。ここ20年ですべてが変化した。PROPAGANDHIが疑いを知らないパンクシーンに、再び啓蒙的なアルバムをお見舞いすることは、もはやありえない。かつて急進的だったPROPAGANDHIの思想は、今や、パンク界においては、当然の規範だからだ。パンクシーンの倫理的意識を高めるのは、もはや、PROPAGANDHIの仕事ではない。バンドは、今作で、単純にシーンに参加したのだ。