アーティストにとって、ギャラリーでの個展開催は、それだけで充分なチャレンジだ。しかし2017年秋、画家、ニーナ・シャネル・アブニー(Nina Chanel Abney)は、ニューヨークでふたつの個展の同時開催を選択した。「強力なステートメントを発するには良いチャンスでした。だから頑張って、開催にこぎ着けたのです。でも手探りですよ」と彼女は笑う。ひとつめがジャック・シェインマン・ギャラリーでの「Seized the Imagination」、ふたつめは、その数ブロック北で開催されているメアリー・ブーン・ギャラリーでの「Safe House」。両展がそろうと、アフリカ系米国人の生きる姿が立ち現れる。
「Seized the Imagination」では、人種間暴力、警察の蛮行、情報過多など、これまでもアブニーが扱ってきたテーマを扱った、社会情勢を反映した作品が揃っている。〈想像力に愬える〉というタイトルが示すとおりの作品だ。描かれているのは、絶えず起きる衝突だ。世界を揺るがせた事件から切り取ったシーンは、警察による残忍な介入を鑑賞者に想起させる。怒りが込もった作品が容赦なく愬えるのは、噛み合わない、ときに矛盾するメッセージだ。それは、Twitterをスクロールするように果てしなく、圧倒的だ。
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「Safe House」で展示された作品は、いわば解毒剤だ。作品の登場人物は全て黒人で、白人と黒人を対置した「Seized the Imagination」とは異なる。そして、登場人物たちは、娯楽に興じ、家事に精を出している。ニュースの外にある黒人たちの日常だ。また「Seized the Imagination」は、SNS時代の視覚言語を使用しているが、「Safe House」は、1960年代の労働安全推進ポスターを範にしている。それぞれ、別の時代を象徴するメディアだ。〈Make America Great Again〉(米国を再び偉大な国家へ)と声高に叫ぶどこかの誰かさんたちを見ていると、戦後米国の覇権主義の亡霊と重なるが、アブニーは60年代のポスターを黒人の幸福のために活用し、保守的なノスタルジーをアップデートしようとしているのだ。

アブニーは、いつでも、積極的に政治問題に取り組んでいる。初めてギャラリーで展示された主要作品は、パーソンズ美術大学(Parsons School of Design)美術修士課程のクラスメイトたちのグループ・ポートレートだ。ただのポートレートではない。クラスで唯一の黒人であった彼女は、白人のクラスメイトを黒人の囚人、自らを金髪の白人看守として描いたのだ。政治的緊張が高まる昨今、アーティストや著名人たちは、直接的な政治的メッセージを求められているが、アブニーは、遠回しなアプローチで社会問題を表現する。数えきれないほど多くの疑問を呈しながら、答えを提示しない。おもしろくもあり、モヤモヤもする。誰もがアドバイスと確実性を請う時代に、アブニーが提示するのは鏡だけだ。

かつて、自らのプロセスを〈直観的〉と述べましたが、今でもそうですか?
そうですね。今回、先んじて計画を練り始めた作品はひとつもありません。完全に直観に従ってます。もし前もって計画を立てたら、飽きてしまうからでしょうね。実際に創ることで、作品への興味を保っていられる。私が、とにかく、がむしゃらにやってみるタイプなのは、そういう理由からです。だから常に、自分に挑戦を課しています。ただ、少なくとも、どんな作品にするかは、ざっくり決めています。
そのざっくりした構想は、手を動かしているうちに変わっていきますか?
なるべく元の主題に忠実に創るようにしていますが、創作中に何かが起これば、積極的に取り入れて、社会の流れを反映させます。そうすることで最新の情報を描けるんです。
今回、同時に開催したふたつの個展ですが、それぞれの作品はどのような関連性があるのでしょうか。
アート作品として、偽のセラピー本を創っているデンマーク人アーティスト、ヨハン・デックマン(Johan Deckmann)の作品と出会ったんですが、そのなかに、『今知っていることを知る前の感覚を取り戻す方法』(How to Feel the Way You Felt Before You Knew What You Know Now)というタイトルの本がありました。それを踏まえて、ジャック・シェインマン・ギャラリーでは、混沌とした〈今知っていること〉を、メアリー・ブーン・ギャラリーでは、〈かつての感覚〉を提示しています。
例えば、ここを出た後、私たちのどちらかが、車を止めろ、と警官に命じられる。そんな事件が起こる可能性があります。でもそのあとは? どこへ行きますか? 翌日には、ジムで運動するかもしれませんよね。メアリー・ブーンの展示作品は、私たちの日常生活を反映しています。混沌とした事件も起こっているけれど、事件と事件のあいだには、日常があります。


あなたの作品には、ニュースで観た覚えのあるシーンがあります。例えば〈White River Fish Kill〉は、テキサスで警官が黒人少女を力ずくで組み伏せた事件です。当時、少女は水着でプール・パーティに参加していました。
実際の事件を参照し、登場人物を変えたのは、この作品だけです。絵本来の衝撃があまりに強ければ、和らげるためにそうしています。
だから描かれている警官は黒人なんですね。
そうです。
あなたはかつて、アートの世界では〈黒人を描くこと=ポリティカル〉と捉えられてしまう、と黒人を描く難しさについて語っていました。その困難にはどう対処していますか?
それこそ人種を入れ替える理由です。私は、様々なジェンダー、人種、人物を混ぜて描きます。ストーリーを広げるためです。登場人物が黒人だからといって、絵のストーリーをひとつの型に当てはめてほしくありません。
観る人の意識が、ひとつの定型を超えて広がるよう、いつも心がけています。ひとつの絵画作品を観たら、すぐにその答えを欲しがる鑑賞者が多いんです。だから、その傾向にどう抗うか、ずっと模索しています。



あなたの作品とソーシャルメディアの関係は?
SNSに踊らされている現状、現代の情報取得方法こそ、私が描く動機です。このカオスを作品に反映させる努力をしています。私たちは、同時に様々な情報を手に入れています。タイムラインをスクロールすれば、誰かが死んだ、というニュースが現れ、「ああ、悲しいな」と思う。その1秒後、スクロールして友だちのパーティの投稿を見る頃には、前の投稿のことなんて忘れている。私の作品でも、あらゆる情報が1ヶ所に集まった様子を描きたいんです。
アート界でもいち目おかれている〈絵画〉があなたの表現手段です。鑑賞者は、ギャラリーに入り、作品に集中するという、SNSとは正反対の姿勢を強いられますよね。
そうですね。もし、少しのあいだでも、情報をじっくり処理しなければならないとしたら、どんな感じだろう、と気になったんです。私が情報をひとつの物語かのように提示できれば、みんなは、全てがいっしょに描かれている意味を考えさせられます。



以前、絵文字が好きだとおっしゃっていましたが、今も好きですか?
もちろん。作品では、あらゆるシンボルを利用しています。観る人によって意味が変わるかたちやモノを描くのが、ひとつの決まった答えに抵抗するための、私の手段のひとつです。
絵文字と同じくらいに普遍的な視覚言語を創ろうとしていると?
どんなバックグラウンドの個人でも、わたくし事に結びつけることができるような、簡潔な視覚言語を創りたいんです。まさに絵文字ですね。
こんな政情ですが、鑑賞者に何らかのメッセージを送る責任を感じますか?
そんなことはありません。もちろん、いま起きている事件について、意見はありますが、私が望んでいるのは、問題についての議論をスタートさせることです。作品のテーマについて、否定的な意見も送られてきます。それでいいんです。必ずしも同意はしませんが、どんな意見でも歓迎します。
ニーナ・シャネル・アブニーのウェブサイトはコチラ。
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