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森達也vs佐村河内守! 巷で噂のドキュメンタリー『FAKE』、その制作秘話

これは活字ではなく映像だと思いました。だからしばらく彼と話してから、「映画にしたい」と伝えました。
22.6.16

森達也監督がゴーストライター騒動後の佐村河内守と対峙した。マスコミ試写での約束──「誰にも言わないでください。衝撃のラスト12分」は、宣伝目的のこけおどしではなかった。公開後、「観た?」「いつ観るの?」──感想を言いたくてうずうずしている人たちが巷にあふれ、彼らが新たな観客を呼んでいる。今もっとも話題のこの映画がどうやって出来たのか。森監督に聞いた。

© 2016「Fake」製作委員会

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『FAKE』の撮影期間と、その間どのぐらいの頻度で佐村河内家を訪れていたか教えていただけますか。

2014年9月に撮りはじめてクランクアップは今年の1月ですから、撮影期間は1年4カ月。年末年始は足繁く通いましたし、逆にブランクがあいた時期もありましたが、平均すると月に2〜3回くらいです。

雑誌のインタビューで、佐村河内さんを撮ろうと思った理由を聞かれて「フォトジェニックだったから」と答えていましたが。

そもそも彼のことは知らなかった。新垣さんの記者会見で騒動になったとき、こんな人がいたのかと思った程度でした。その後しばらくしてから、「佐村河内さんの本を書きませんか」と書籍の編集者から連絡がきました。彼は騒動後に佐村河内さんに何度も会っていて、メディアの論調と佐村河内さんの言い分が大きく異なることに注目して、僕に本を書かせようと思ったようです。そのときは忙しかったし、さほど興味もなかったのでお断りしたのだけど、その後も熱心に何度も連絡をくれたので、ならば一度だけ会いましょうかというつもりで、佐村河内さんの自宅に行きました。それが2014年の8月。そのとき、フォトジェニックだと思いました。

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やはりデカかったですか? 佐村河内さんは。

それほど大きくないですよ。神山(典士)さんが書いた『ペテン師と天才』 * には「180センチ近い巨体」と書かれていたけれど、実際は176センチの僕よりも数センチは低いです。四捨五入しても180センチは無理ですね。

でもフォトジェニックと感じた?

薄暗い部屋の中に佐村河内さんと奥さんが座っていて、そばに猫がいて、窓を開けると電車がすぐ下を走っていて──これは活字ではなく映像だと思いました。だからしばらく彼と話してから、「映画にしたい」と伝えました。

同行した編集者は?

当然だけど呆然としていました。申し訳ないことをしてしまった。

8月に会ってから撮影開始の9月までの1カ月間、どんな準備をしましたか?

実質は2週間弱だったと思います。いくつか彼を紹介していた過去のテレビ番組を観たり週刊文春の記事を読み返したりした程度です。一般レベルの情報くらいは身に付けようと思ったので。その程度です。

映画にしたいと言ったときの佐村河内さんの最初の反応は?

少なくとも即答ではなかった。奥さんからは「私は絶対ダメです」と言われました。2週間ぐらいたってからカメラを持っていきました。それが映画の冒頭のシーンです。あのときはまだ奥さんはNGでした。

そのとき佐村河内さんはOKだった?

ある程度は。

その時点でNGの奥さんを諦めて、佐村河内さんだけを撮ろうとは思いませんでしたか?

思いません。奥さんは絶対に撮るつもりでした。

佐村河内さんが森さんの撮影を受け入れた理由はなんだったと思いますか?

なんでしょう。映画の被写体になることをお願いしたとき、「僕はあなたの名誉を回復する気はさらさらない」と彼に言いました。「自分の映画のためにあなたを利用したい」とも。断られて当然です。頭がおかしいと思われたかもしれない。……不思議ですね。よくわからない。何かに感応してくれたのだろうと思うけれど。

© 2016「Fake」製作委員会

本作を撮りはじめた時点でスタッフの編成は決まっていましたか?

まだ決まってないです。一人で撮りはじめてから、プロデューサーの橋本(佳子)さん * に連絡をしました。山崎(裕)さん ** に撮影をお願いしたいと思っていたので、そのとき橋本さんに相談しました。編集を鈴尾(啓太)さんに決めたのはずっとあとです。「若いんだけど、とにかく口答えするので有名な奴がいる」と橋本さんから紹介されて。実際、「このカットは絶対に違う」とか、何度も言い争いました。楽しかったです。アシスタントプロデューサーとして編集以降に参加した田中志緒理さんや、配給会社東風の代表でプロデューサーの一人である木下繁貴さんなど、多くのスタッフたちと充実したセッションができたと思います。

橋本さんや山崎さんといったベテランと一緒にやろうと思った理由は?

『A』 * と『A2』 ** は一人で始めて、途中から安岡(卓治) *** というパートナーを得ましたが、現場は常に一人か二人でした。それはそれでよいのだけど、今回は多人数のチームワークを試したかった。それと、橋本さんとはテレビ時代を含めて長い付き合いですが、数年前に東電のドキュメンタリーを撮りたくて相談したとき、お金を使わせたけど途中でやめちゃったことがあって。その埋め合わせ的な気分もあったかな。山崎さんにお願いしたのは、この巨匠と一度は組んでみたいと思っていたので。

彼らに依頼するとき、どんな映画にしたいかイメージを伝えたんでしょうか。

その段階ではイメージはありません。とりあえず、「テーマは佐村河内騒動だけど協力してくれる?」みたいな感じかな。橋本さんからは「そんなの誰が観んのよ」と言われたような気がする。山崎さんは笑いながら「お前も相変わらずだねぇ」、……そんな感じでした。

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撮影のクレジットは山崎さんと森さんの二人になっていました。

最終的に残ったカットでは、8割ぐらいは僕が撮っています。山崎さんは大御所ですから、「ここぞ」というタイミングでお願いするようにしていました。でも「ここぞ」のシーンは、結局あまり使わなかった。残っているのは、京都への道行きやアメリカのメディアの取材、授賞式パーティなどです。もちろん僕が写り込んでいるシーンは、だいたい山崎さんが撮っています。

制作中に意見の相違などでスタッフ間に波風が立ちませんでしたか?

橋本さんとはたまにやり合ったけれど、大きな意見の相違はありませんでした。ただ撮影が進まないとき、「これどうやって終わるの?」「こんなの誰が観るの?」「公開するころには佐村河内事件なんて誰も憶えてないわよ」とか言ってましたけど。

編集時に手応えはありましたか?

作品として面白くなるとの手応えですか? ないです。長く編集していると距離感がわからなくなるんです。編集の鈴尾さんと二人で、「そもそもこれって面白いのかな?」とか「作品として成立していると思いますか」なんてよく言い合っていました。身内の試写で何人かから感想を聞いたとき、それなりに面白くなったのかなと思えた程度です。

予期せぬことが起こるのはドキュメンタリーを面白くする要素の一つですね。

もちろん。現実に翻弄される度合いが大きければ大きいほど面白いドキュメンタリーになります。

今回、撮影中に起こった予期せぬ出来事の中で、とくに印象に残ったことはありますか?

とくに、ということであれば、アメリカのメディアの取材や、授賞式パーティや新垣さんのサイン会などかな。もちろんラストで僕の挑発に佐村河内さんがしっかり応えてくれたのも予期せぬ出来事でした。それぐらいかな。ほとんど家の中で撮っていたので、『A』や『A2』に比べれば、現実にダイナミックに翻弄されたという感覚は、さほどなかったかもしれません。でもだからこそ、ダイナミックではないけれど、現実が手の指のあいだをすり抜けるような感覚は常にありました。……難しかったです。

謝罪会見以降、佐村河内さんは表に出てこない人というイメージがあったので、いまだに出演交渉や取材のため家を訪れるメディアがあることが意外でした。

そうですか? 撮影中の期間も、ベランダにいる佐村河内さんを写真週刊誌が盗み撮りしたり、買い物に行く奥さんを女性誌が尾行したりなどがありましたよ。だからこそ外に出なくなる。取材の依頼はもっとあったはずだけど、僕の撮影を許可してもらうことが佐村河内家の中に入る条件でした。それを了解したのは、二つのテレビ番組とアメリカのメディア、そして最終的にカットしちゃったけれど、漫画家の吉本浩二さんの取材でした。吉本さんの取材の様子は、聴覚障害のドキュメンタリー漫画『淋しいのはアンタだけじゃない』 * に描写されています。

© 2016「Fake」製作委員会

撮影中、森さんの中に葛藤や迷いはありましたか?

ほとんど毎日葛藤していました。ずっと家の中にいるので画変わりしたい。どこかに出かけてくれないかなあと思っていました。でも気軽に出かけられない事情もわかります。

出かけたのを撮ったのは京都行きだけですか?

弁護士事務所に佐村河内さんが行く道中を撮ったけど、これは全部カットしました。とてもいいシーンがあったのだけど……。あとは病院。到着すると同時に、彼と奥さんが受付で何かを必死に頼んでいる。カメラをまわしながらそばに行ったら、「名前を呼ばないで番号で呼んでください」と頼んでいた。なるほどなあと思いました。名前を呼んだらみんな気づきますよね。

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物悲しいですね。

本当は使いたかったシーンですが、最終的には落としちゃいました。やはりカットしたけど、お父さんも言っていました。「自分の名前が佐村河内でなければ……この名前のおかげで息子には迷惑をかけた」と。切ないです。

感音性難聴という障害があるのをこの映画で初めて知りました。京都まで行って聴覚障害者のカウンセリングをやっている方を訪ねたのはどうしてですか?

彼は自らのブログで佐村河内騒動をとりあげて、難聴に対して無知なマスコミを批判していました。それを読んだ佐村河内さんから会いにゆくと決めたと連絡があったので、カメラクルーと共に同行しました。感音性難聴は、一般的には音がまったく聴こえないわけではないけれど、聴こえない音があったり、歪に聴こえたりするようです。音はわかっても声までは聴き取れない。佐村河内さんは「曲がって聴こえる」と言っています。耳鳴りがひどいとも。これはその日の体調によっても変わります。さらに、彼はある程度は口話を理解できますが、奥さんの口の動きは読めても、初対面の人の口の動きはほとんど読み取れない。考えたら当たり前ですよね。すべてグラデーションです。でもメディアは、聴こえるか聴こえないかの二つに単純化してしまう。かつては「全聾の天才作曲家」と称賛し、騒動後は「聴こえるのに聴こえないふりをしたペテン師」と全否定する。1かゼロです。でも現実はもっと複雑です。グレイゾーンがある。京都行きはそのニュアンスを補強できたかもしれない。

森さんにとって、ドキュメンタリーでやってはならないことはなんですか?

ドキュメンタリーはジャンルではなくて手法です。だからルールは自分で決めればよいと思っています。僕は、隠し撮りはしない。撮っているときに「撮るな」と言われたらやめる。撮った直後に「使うな」と言われたシーンは使わない。倫理や礼節などが理由ではありません。ドキュメンタリーは加害性が強いからこそ、自分に対しての歯止めです。ただし、直後ではなくてもっとあとになってから「あのシーンを使うな」と言われた場合は拒否することもあります。

今回、使うなと言われたシーンはなかったですか? 佐村河内夫妻以外からも。

直後ですか? ならばないです。

撮影の終わりをどうやって決めましたか?

ラストのあのシーンを撮ったとき、これで終われるかなと思ったんです。でも映画的なカタルシスだけでよいのだろうかと考え直した。その帰結がエンドロールのあとのワンシーンです。物理で言うところの「対消滅」。粒子と反粒子を衝突させてゼロにする。それをやりたかった。

© 2016「Fake」製作委員会

ところで、森さんと佐村河内さんは似ているところがあると思いますか?

……変な質問ですね。

佐村河内さんは森さんと自分が似ていると思っているでしょうか?

どうかなあ、それはわからないけど。彼に聞いたら「心外です」とか言うんじゃないかな。

二人とも広島県出身ですね。一攫千金を目指す野心があるんですか?

どういう意味?

神山さんの本に、一攫千金志向のある広島県人の血 * が佐村河内さんに流れていると書いてあるんです。

意味がよくわからないです。

謝罪会見の質疑応答で、いちばん前に座っていた神山さんを佐村河内さんは敢えて指します。それをある対談で神山さんは「広島県人の侠気」と表現しています *

そういえば佐村河内さんも、「神山さんが手を挙げたとき、絶対に逃げずに答えようと思った」と撮影時に言っていましたね。広島はさておき。

© 2016「Fake」製作委員会

森さんは、佐村河内さんに隠していることはありますか?

僕が? いっぱいあります。

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言える範囲で一つ。

今ここで? 言えないです。佐村河内さんにだけではなくて、浅原さんにだって隠していることは、今この瞬間も無限にありますよ。

「信じてないと撮れないもん」と森さんは佐村河内さんに言っていましたが、これは本心ですか?

……だと思います。嘘じゃないです。

あの言葉には含みがあるように感じました。

そうですか? まあ感じかたは人それぞれです。含みはたくさんあります。どんな表現にも嘘の要素が含まれていると僕は思っています。でもそれは、ヤラセや仕込みといった低レベルの嘘ではない。そんなつまらないことやりません。だって撮りながら面白くないもの。
ただ、ドキュメンタリーは「客観的でありのままの事実の集積」との解釈については、異議を唱えたいと思っています。カメラが撮れるのは、カメラの存在によって変質したメタ現実です。ありのままなど絶対に撮れない。さらに人は演技します。しかも撮った映像を、編集によって加工します。作為がなければ編集などワンカットもできません。客観とか中立などありえない。主観です。それはジャーナリズムも同じ。ドキュメンタリーとジャーナリズムの境界もグレイゾーンです。でも方向が明らかに違う。ジャーナリズムは客観や中立を、できるかぎりは目指すべきです。僕はそこに向かわない。優先するのは自分の思いです。だから、僕は自分をジャーナリストなどとは絶対に呼びません。本当のジャーナリストに失礼だと思う。
ドキュメンタリーの演出は、化学の実験に似ていると思っています。フラスコの中に入れた被写体を、加熱したり、揺さぶったり、触媒を入れたりして、その反応を撮影する。時にはカメラを持つ僕自身がフラスコの中に入り、挑発したり誘導したりする。被写体に逆襲されることもあります。その過程と相互作用が、僕が定義するドキュメンタリーです。

観客に隠していることはないですか?

無限にあります。映像はモンタージュです。編集で繫いだカットとカットのあいだは削除されている。隠すことで現れるんです。フレーミングもそうですよね。フレームで区切ることで映すものと映さないものを選別している。それも隠していると言えるでしょう。

佐村河内さんと奥さんは、この映画を観た感想を何か言っていましたか?

佐村河内さん、聴こえないもん。

あ〜。

(笑)簡易なテロップをつけて観てもらいました。細かな部分では満足していないところもあるとは思いますけど。「撮られると決意した以上、僕は四の五の言いません。作品は監督のものだから」と撮影中も言っていましたから、それは守ってくれていると思います。

この映画を観て、佐村河内さんを少し好きになりました。

そうですか。まあ、いろんな意味で彼も表現者ですから。業が強いところもありますけど、チャーミングで礼儀正しい部分もある。当たり前ですよね。誰だって多面的です。メディアが世界を矮小化するならば、その狭間にある吐息や囁きや小さなつぶやきを伝えることが、今のドキュメンタリーの役割の一つだと思っています。

観ているうちに佐村河内さんを信じたいという気持ちが芽生えましたが、信じたいからこそ疑ってしまったりもします。嘘が暴かれるラストシーンが待っているんじゃないかという期待感を抱きながら、すべてが不確かなように感じられて少し混乱しました。今はこの映画の中で確かなものは、奥さんの愛情だったように思っています。

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ありがとう。純愛映画を撮ったつもりなので、そうやって普通に観てくれて嬉しいです。

§

森達也
1956年生まれ、広島県呉市出身。立教大学在学中に映画サークルに所属し、自身の8ミリ映画を撮りながら、石井聰亙(現在は岳龍)や黒沢清などの監督作に出演。92年、小人プロレスを追ったテレビドキュメンタリー作品「ミゼットプロレス伝説 ~小さな巨人たち~」でデビュー。95年の地下鉄サリン事件発生後、オウム信者たちを被写体としたテレビドキュメンタリーの撮影を始めるが、所属する制作会社から契約解除を通告される。最終的に作品は『A』のタイトルで98年に劇場公開されたほか、ベルリン国際映画祭など多くの海外映画祭でも上映され話題に。99年にはテレビドキュメンタリー「放送禁止歌」を発表。2001年には映画『A2』を公開、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。06年に放送されたテレビ東京の番組「ドキュメンタリーは嘘をつく」には村上賢司、松江哲明らと共に関わる。11年には東日本大震災後の被災地で撮影した『311』を綿井健陽、松林要樹、安岡卓治と共同監督。おもな著書に『放送禁止歌』、『下山事件(シモヤマ・ケース)』、『A3』、『オカルト 現れるモノ、隠れるモノ、見たいモノ』、『チャンキ』などがある。

上映情報:
森達也監督作『FAKE』
ユーロスペースにてロードショーほか全国順次公開

また、2002年公開時にカットされた幻のシーンを入れた『A2完全版』、ユーロスペースにて初の劇場公開
6月18日(土)〜24日(金)連日21時〜
7月9日〜15日(金)連日21時〜