ある日の午後1時、モロッコ、タンジェ。私は、港の安いレストランのテーブルで、自転車のチェーンのごとく油でギトギトな指をきれいにしようと躍起になっていた。目の前にある食べ残した魚のフライには、もう食欲も湧かない。腹もカメラも、すでに充分に満たされていた。小説家ウィリアム・S・バロウズ(William S. Burroughs)の世界に魅了された私は、『裸のランチ』に登場する都市〈インターゾーン〉のモデルになった、北アフリカの街を訪ねたのだった。
取材前日の夕方、ライアンエアーFR7744便で、タンジェの空港に到着した私たちは、雪のパリとは対照的な、暖かく心地良い太陽に迎えられた。今朝の目覚ましは、信者にモスクでの礼拝の時刻を告げる〈ムアッジン〉の歌だった。
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海の向こうにスペインが見える道を進むと、漁師たちで賑わう港に着いた。私たちは、朝の漁でいっぱいになった網を避けながら、波止場を歩いた。訝しむというより、興味津々な様子の猫と、仕事に勤しむ漁師たちが私たちを見つめていた。
北を向くと、水平線の上にスペインが見える。ここから、たった15キロしか離れていない。タンジェ港は、アフリカ大陸、地中海、ヨーロッパを繋ぐ中継地点で、マグロやウツボなど、新鮮な魚介の宝庫だ。誰もがいち度は目にしているであろう、青と白の壁に囲まれたこの港では、網の巻き取り、水揚げ、古い船の修理だけでなく、お腹を空かせた来訪者のために、魚の仕分けから、下処理、販売、梱包まで、あらゆる作業が行なわれている。
ハシシのパイプから漂う甘い香りに包まれた漁港の朝のドタバタ劇は、隣接する屋台で大団円を迎える。古看板を組み合わせたその場しのぎの屋根の下に、プラスチック製のピクニック・テーブルが並ぶこの場所で、ヒレと骨のある生き物は、みんなフライにされてしまう。余計なサービスはない。トレイに盛り付けられたフライにはレモンが添えられている。付け合わせは、ビーツと生タマネギを使ったペースト状のサラダだ。
ナプキンやウェットティッシュが必要な場合は、テーブルのあいだを練り歩くホシン(Houcine)という男性から購入する。毛糸の帽子を目深に被った漁師たちは、テーブルに肘をつきながら、まだ船上にいるかのように、大声で話していた。私たちは、色見もへったくれもないプラスチックの椅子に腰をおろした。屋台の店員は、無駄な説明で客を煩わせたりしない。メニューを尋ねると、彼は、アラビア語で「メニューはひとつだけだ」と答えた。それなら構わない、と私たちは、それ以上質問しなかった。
残念ながら、この賑わいは、もうすぐ終わりを迎えようとしている。新しく、現代的な港湾施設の完成により、この歴史的な漁港は、廃港の危機に瀕しているのだ。現国王モハメッド6世の即位後、タンジェは急速に近代化を遂げた。その結果、魚市場、製氷工場、冷蔵倉庫、船主や鮮魚店主のための店舗など、現代の水産業に必要なあらゆる機能を備えた、5万1000平方キロメートルに及ぶ施設が造られた。
時代の流れを想うと、私たちの目の前に広がる光景は、消えゆく大切な刹那を切り取った古びたポストカードのように観えた。私たちは、そんな瞬間をできるだけ多く持ち帰ろうと試みた。ここでは、貴重な写真を、キャプションとともに紹介する。