私がクウェートの油田が炎上しているのを知ったのは、偶然にも、ベネズエラの巨大石油産業を撮影している最中だった。クウェートでの大惨事は、当時のベネズエラをも脅かした。同国では警備強化のため、すべての外国人の油田への立ち入りを禁止したので、私はすぐにマラカイボ周辺の油田地帯から追い出された。その時はもう、米国率いる多国籍軍がクウェートからイラク軍を追い出そうと準備しているのを、全世界が認知していた。しかし、多国籍軍の勝利は、今に至る〈不安定〉な中東情勢の始まりを意味していた。
1991年2月中旬、連合軍がクウェート入りし、たったの2週間でサダム・フセインの拡張路線に終止符を打つと、600を超える油井が炎上し、莫大な損害を被ったクウェートの油田こそ〈真の〉事件現場だ、と私は直観したので、『ニューヨーク・タイムズ』写真部の編集担当、キャシー・ライアンに電話をして、この問題を取材したい、と申し出た。彼女は賛同してくれたので、私は準備を始めた。
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石油を巡る問題は、イラクによるクウェート侵攻の始まりであり、終わりであった。 イラク政府は、クウェートの領土に対して歴史的根拠に基づく権利を主張していた。しかし、サダム・フセインをなにより怒らせたのは、クウェートによる過剰な石油の増産が世界の原油価格が引き下げている、と彼が分析していたからだった。さらに、クウェートはイラクとの国境沿いに跨る広大なルマイラ油田で、斜面掘削法により、イラク側の石油を吸い上げている、と確信していた。 イラクは、クウェートを併合し、自国の石油埋蔵量を大幅に増やすだけでなく、石油市場への影響力を強めようとしていたのだ。少なくとも当初、サダム・フセインにとってこの侵攻は、国外逃亡したクウェート王室を断罪する程度で十分であった。
しかし、予想をはるかに上回る多国籍軍の攻撃によりイラク軍は打ちのめされ、さらには、決行直前の〈砂漠の嵐作戦〉に直面したサダム・フセインは、すぐに計画を変更した。 1991年1月、イラク兵士たちはクウェートの油井に火を放った。この作戦により、サダム・フセインは少なくともひとつ、世界の原油価格上昇、という目的を達成したのだ。 同時に独裁者は、油田破壊に軍事的価値を見出した。 燃える油井から立ち昇る暗い煙は、多国籍軍戦闘機の視界を制限し、イラク軍地上部隊への攻撃を妨げた。 さらに、長い塹壕を掘って石油を流し込み、そこに火を放ち、連合軍の戦車やその他の重火器の前進を妨げるよう、イラク軍に命令が下された。そして2月28日、イラク軍がクウェートから完全に撤退すると、同国には、炎上する油田が戦争の爪痕として残された。
中東における紛争については『ダーイッシュ(自称イスラム国)-野望の行方①』から
北米とヨーロッパから現地に駆けつけた石油エンジニアと専門家は、命と体を危険にさらしながら激しい油井火災の鎮火、噴出し続ける油井の封鎖を直ちに開始した。鎮火を依頼された会社が、チームを組織して仕事を開始するまでの数週間、私は、クウェート渡航を延期した。少なくとも12社以上が油井封鎖の依頼を受けたが、大部分の作業はカナダのセイフティ・ボス(Safety Boss)のチームと、アメリカのレッド・アデイア(Red Adair)社、ブーツ・アンド・クーツ・インターナショナル油井管理(Boots & Coots International Well Control)、ワイルド・ウェル油井管理(Wild Well Control)が担当した。彼らをサポートしたのは、東アフリカとインド亜大陸から集まった、勇敢なドライバーをはじめ、様々な職種のスタッフたちだった。彼らの働きは、どれだけ誇張しても足らない。駆けつけた専門家300余名は、土地と大気の汚染拡大の阻止、クウェートの石油生産の早期回復、疲弊した経済の救済、国際石油市場の安定化、といった難事業が期待されていたのだ。
長いあいだ原油にまみれて、暗闇の中を亡霊のように移動するスタッフは、深刻な危険と隣り合わせの緊張感から、面前の作業を完遂する以外、何についても考えられなかった。経験、機転、鍛錬、結束、心身の強靭さを要求されていた。もし彼らがいなければ、この大災害による環境、人間が被る損害は図り知れないほど大きかっただろう。私は、4月初旬にサウジアラビアの国境に着き、今や遅しと取材許可を待った後、4WDを借りたその足で、黒い煙に覆われたクウェートに向かった。
事件が発生し、写真に記録してから25年経った今、この本を出版するのは、当時の写真を最初に見直した際、そのほとんどが世間に公表されていない、と気づいたからである。しかし、もっと重要なのは、これらの写真には時間を超えた価値があると感じたからだ。1991年に撮影した写真だが、今、同様の災害が発生すれば、今日明日にでも撮影されて然るべき写真だ。だが、私個人にとって、これは過去への旅でもあった。私は、1枚1枚を撮影した瞬間を追体験し、四半世紀前に目撃した瞬間と同じように、こころを動かされた。後にも先にも、これほど大規模な人為災害を私は目撃していない。