聖なる呪詛 中世教会に遺されたグラフィティ

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聖なる呪詛 中世教会に遺されたグラフィティ

中世教会の壁や座席には、おまじない、祈り、呪詛、守護呪文と思しきグラフィティが刻み込まれている。刻み込んだのは、主に信徒だが、教会によって刻まれたグラフィティもところどころに遺っていた。

マシュー・チャンピオン(Matthew Champion)は、新刊『中世のグラフィティ:英国教会の失われた声(Medieval Graffiti: The Lost Voices of England’s Churches)』で、イギリス中の教会を巡り、壁や座席の裏に描かれたグラフィティについて実施した調査から、「教会は、これまで考えられていた以上に、いわゆる「魔術」に関わっていたのでは」という興味深いテーマに突き当たった。チャンピオンによれば、教会が「中世の奇妙な獣や、未知のドラゴンと戦う騎士、石灰の海を渡る船や、壁に忍び寄る悪霊」たちの戦場になっていたという。壁や椅子には「ラテン語による死者への祈り」が記され、そのすぐ隣には「中世の呪詛」や、「『邪悪な目』を撃退して悪魔の所業を挫くための、複雑怪奇な幾何学模様」が刻まれていた。

チャンピオンは、BBCの歴史番組『ヒストリーエクストラ』に対し、以下のように書き送った。

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「グラフィティは、破壊的かつ反社会的と見做され、教会では歓迎されない。しかし、このような認識が広まったのは近代になってからだ。中世は、グラフィティが一般的に認められており、中世の教会や大聖堂には、たくさんのグラフィティが残されている」

教会は魔術を認めていなかだろうが、信徒たちは、神聖な建物の壁に、呪詛、まじない、護符を刻みつけていた。こうした厄除グラフィティは、魔女や異端の儀式にも使われており、描いた者、描かれた場所を守る効果があると信じられていた。描かれた記号は尊重され、加筆されたり、修正こそ施されたものの、上から無関係な何かを描かれたり、無視されたりはしなかった。グラフィティは中世のものが多く、ウォルシンガム小修道院の廃墟、ノーウィッチ大聖堂、ノーフォークのリッチャム村、国内に建てられた中世の家屋まで、あらゆる場所で発見されている。

そうした記号は、描いた本人、それが描かれた場所を守るものである。その行為の核心は幸運祈願であり、その深層には、あらゆる脅威から「大切な何か」を護りたい、という願いがあった。

伝承や魔術は、教区教会に訪れる信者の日常と切り離せないものだった。「パンとブドウ酒」を、キリストの「肉と血」である、と信じつつも、稲妻を避けるために教会の鐘を乱打してみたり、豊作を祈るために鋤を崇め奉りもした。こうした事例が示す通り、超自然的な「魔術」と、教会の認める「信仰」を区別するのは難しい。

中世に描かれた図形は、コンパスで描かれた図形、五芒星、「VV」の主に3種類に分類できる。他にも様々な種類が見つかっているが、この3種類が主流だ。「VV」を除いて、図形は一筆書きで描かれている場合が多い。一筆書きは、「ゴルディアスの結び目」「ソロモンの結び目」と同様に魔除けの効果があるとされている。この線を目で辿った悪魔は、無限に引き込まれ、シンボルに捕らわれてしまうと信じられていた。

コンパスで描かれた図形は、ヘクサフォイル(hexafoil, hexfoil)と呼ばれ、最も多く発見されているが、その起源は明らかになっていない。見習いに幾何学を教えるために石工たちが描いた、設計図の書きかけ、という主張もあるが、ヘックサフォイルは通常10センチにも満たず、石工の仕事としては小さすぎる。そのうえ、ヘクサフォイルの近くには、今でも魔除けとして使われるシンボルが見つかっている。さらに興味深いのは、こうした図形を描くのに使われたであろうコンパスは、当時、さほど普及していなかった。しかし、植木バサミやハサミのような、コンパスたりうる道具は、女性の間で広く普及していた。

ヘクサフォイルは、聖水盤や、浸礼の石製容器にも描かれていた。おそらく、洗礼前の幼児への加護を引き寄せるためだろう。この印を描いたのは女性だと考えられている。中世は、占星術を重んじる風潮があり、人生の節目を迎えるさいには、星図で占うのが当たり前だった。当時、星や惑星は「天球」に配置され、地球を中心に周回する、と信じられていた。教会の天井や壁には、こうした天体が描き込まれた天球であり、コンパスで描かれた出生占星図であった。教会のような神聖な場所に出生占星図があると、「図」そのものや、占われた人間の精神世界が拡張する、と信じられていたようだ。

五芒星は、キリスト教会にとって闇深い歴史もあるが、中世では、身を護るために使われる記号だった。五芒星の5という数字は、指、感覚、磔刑に処されたキリストのの傷、聖母マリアと息子イエスが受けた祝福、騎士道の美徳、その他もろもろの「数」を表していた。五芒星は、イギリスで10個程しか見つかっていないが、中世の教会全盛期には、ダビデの星と呼ばれる六芒星で代用されることもあった。五芒星はグラフィティに多く、悪魔の上や人物の横に描かれるケースが多かった。悪魔の上に五芒星を描くと、その悪魔から身を護り、人物の横に描くと、その人物が守られる、と信じられていた。

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聖母マリアと結び付けられる「VV」の記号は、「処女の中の処女(virgin of virgins)」の略、またはマリア(Mary)のMに由来するとされている。この記号は幸運を呼び込み、悪運を遠ざける効果があるとされ、正教会にも伝播した珍しい例である。この記号は、精霊を混乱させて捕まえるためにも使われていた。「VV」の派生として、稲妻を避けるためのジグザグのモチーフや、悪からの救済を意味する梯子のモチーフなどがある。

ヘクサフォイルは、もちろん、魔除けや幸運祈願にも使われていただろうが、実は、教会が呪詛として使っていた可能性がある。教会の天井には数々の呪詛が残っている。「呪い」という概念は最近生まれたものではなく、教会は礼拝のさい、聖書の申命記28章15-68節に言及するなど、「呪い」を明らかに意識していた。この章では祝福と呪詛が取り上げられ、姦淫を犯した者、大酒飲み、中傷する者など、呪詛の対象は多岐に渡る。教会に背くような言動を働けば、呪いをかけられるのだ。

さらに教会は、「教会そのもの」に罪を働いた者に対して、より積極的に呪いをかけていた。それは単純で、教会に対して呪いをかけたり、呪詛のヘクサフォイルを描くと、その呪いが自らに返ってくる、といったまじない返しである。わざと傷をつけられたり、コンパスで描かれた花弁が1枚足りないヒナギクのように、未完成のまま残されたグラフィティが、教会が盛んに試みた呪詛返しの痕跡である。

中世の教区では、ローマ時代に描かれた呪詛も見つかっている。そこには、呪詛をかけたい相手の名前とともに、どんな災いが降りかかるのか、詳細に記されている。本文や名前は、文字の反転、入れ替等、アナグラムのように崩されている。こうした呪いは、占星術で使われる記号とともに記されており、完遂した場合は水中に捨てられるか、聖堂や神殿のような神聖な場所に打ち付けられたりした。同様の呪いは、中世の教会でも発見されている。

こんにち、教会にグラフィティ、といったらヴァンダリズムでしかなく、魔除けとは認められないだろう。しかし、魔術儀式、魔女にとって、記号の価値が完全に失われたわけではない。ケイオスマジックのシジルを始め、お守り、魔除け、祈り、追放を目的に、様々なシンボルや記号が使われている。コンパスで描かれた図形は、幾何学は神の御意なり、と信じる神聖幾何学に通じるものがある。占星術はいまだにスピリチュアル界の主流であり、そこで使われる記号は、さまざまな形而上思想や伝統のなかで息衝いている。しかし、呪詛や五芒星に関しては、現在教会とは何の関わりもない。過去は忘れ去られてしまったのか、それとも単に教会が、暗い過去を認めたくないだけなのかもしれない。