数年前、写真家、アンドリュー・クイルティ(Andrew Quilty)は、夢に見た仕事に就いたつもりでいた。当時、オーストラリアの大手新聞社に勤めていた彼が撮る写真は、1日おきに1面を飾っていたのだ。しかし、その状況は、アフガニスタンに足を踏み入れるといっ変した。
2013年、クイルティは、同僚の記者と、戦争で荒廃したアフガニスタンを訪ねた。もともと、短期出張の予定だったが、結局、現在に至るまで、2001年の米軍攻撃以来疲弊しきったアフガニスタンの姿を写真に収め続け、タリバンの再興も目の当たりにした。
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2017年8月には、ドナルド・トランプ(Donald Trump)米国大統領が、タリバン壊滅、ISIS撃破、敵兵を匿うパキスタンの封じ込める、新たな対アフガニスタン政策を公表した。「私たちが実施するのは、国家再興計画ではない」とトランプ大統領は言明した。「テロリストの殺害だ」。もはやこれは、アフガニスタンのみんなの心を救う戦いではないことが明確になった。
カブールにある彼の家の裏庭から、不安定なインターネット回線を通して、「私が初めてアフガンに来た2013年後半、まだ、国民のあいだに楽観的な雰囲気がありました」とクイルティはSkype越しに語る。彼の背後からは、改造バイクの排気音が聞こえてくる。彼の後ろでは、ニワトリが首を振りながらうろついている。
「しかし、その後、すぐにふたつの出来事が起き、その雰囲気は、霧散してしまいました。まず、2014年のアフガニスタン大統領選です。不正疑惑をめぐる論争に陥り、結局、決選投票に進んだふたりによる挙国一致政権樹立、という妥協案に落ち着きました」とクイルティ。「そして同年末、国際部隊が撤退しました。タリバンの再擡頭です」
今回、クイルティは、過去4年間に撮影した写真に収まりきらなかった心象を回想してくれた。「アフガニスタンのみんなは、戦争に慣れたとはいえ、疲弊しています」とクイルティ。「2013年当時の楽観的雰囲気は、もうありません」

銃撃戦のさなか、銃弾が開いた壁穴からタリバンの拠点を見つめるアフガニスタン軍(Afghan National Army, ANA)の兵士。アフガン南部ヘルマンド州都のラシュカルガー(Lashkar Gah)からほど近い、ナダリ地区(Nadali District)前線基地としてANAが使用しているチャイアンジール(Chah-i-Anjir)の学校。タリバン旗が100メートルも離れていないところではためいている。ANA対タリバンの戦闘は、ほぼ毎日のように起こる。多くの地域住民は既に避難しており、地元のバザールも、実質的にからっぽだ。

国境なき医師団(Medecins Sans Frontieres, MSF)がラシュカルガーで運営する〈ブースト・ホスピタル〉(Boost Hospital)の治療摂食センターで、深刻な栄養失調に苦しんでいる男の子、グル・アフメド(Gul Ahmad)が母親のスカーフに包まれ、治療を受けている。MSFのスタッフによると、アフガニスタンにおいて、栄養失調は、慢性的な問題らしい。同国の子どもたちは、栄養失調が原因で病院に運ばれるのではなく、必須栄養素が不足による免疫力の低下のために病気に感染し、治療を受けることが多い。子どもたちの栄養失調の原因は、母乳替りに乳幼児用ミルクやお茶による育児だ。情報不足や、教育の欠落がこういった状況を招いている。

ワジリスタン北部難民を収容する、グアルン難民キャンプ(Gualn Refugee Camp)の学校で、男女を分けるシーツに映った女の子たちのシルエット。ここはノルウェー難民委員会(Norwegian Refugee Council, NRC)が運営している学校で、2017年8月の時点で、約2000人の子どもたちが在籍している。数回にわたるパキスタンへの爆撃の報復として、2017年6月、パキスタン軍がアフガン西部の部族地域に侵攻し、タリバンをはじめとする反乱グループを攻撃した。彼らは、そのさいに、ワジリスタン北部へと逃げてきた難民たちだ。

日の出前。アフガニスタン西端のヘラート(Herat)にある、米国領事館から数百メートルの離れた、大通りの脇。ゴール州(Ghor)出身の家族が、簡易住宅、簡易テントを建て、火を囲み、暖をとっている。300人程度の国内難民たちが自宅からここに来たのには、様々な理由がある。派閥争いや干ばつ、あるいは、それが原因で、農家の食料や生計が大打撃を被ったからだ。日の出直後、気温は、摂氏マイナス8度だった。

日の出前。アフガニスタン西端のヘラート(Herat)にある、米国領事館から数百メートルの離れた、大通りの脇。ゴール州(Ghor)出身の家族が、簡易住宅、簡易テントを建て、火を囲み、暖をとっている。300人程度の国内難民たちが自宅からここに来たのには、様々な理由がある。派閥争いや干ばつ、あるいは、それが原因で、農家の食料や生計が大打撃を被ったからだ。日の出直後、気温は、摂氏マイナス8度だった。

ナダリ地区サイダバッド(Sayedabad)の学校内、先生のいない教室にいる生徒たち。ANAの兵士が屋上に配備されているが、生徒と教師の数は減り、常時、近くから戦闘音が聞こえる。わずか数百メートル先に、タリバン支配下の村がある。ナダリ地区は長年、比較的平穏だったが、現在は、アフガニスタン地方警察(Afghan Local Police, ALP)がANAの支援を受け、弱体化した前線を支え、州都へと迫りくるタリバン軍と対峙している。ALPは、タリバン軍が目と鼻の先にいるため、一瞬たりとも緊張を緩められないものの、村を守るための充分な装備がなく、進退窮まった状態だ。


アフガニスタン南部、ヘルマンド州の首都、ラシュカルガーの中心から車で30分弱走るとチャイアンジールに着く。タリバンの支配下にある同地の捕虜収容所から60メートルも離れていない、孤立した検問所のなかで、アフガニスタン国家警察の警察官たちが休憩し、タバコを吸っている。2017年7月、検問所で男性3名が殺害され、さらに数名が負傷した。

カブールのはずれ、テレビ山として知られるアスマイ(Asmai)山の斜面を、タクシーのルーフに乗って登る少年たち。

8歳の娘、ザーラ(Zahra)を慰めるナジーバ(Najibah)。ふたりが涙に暮れているのは、アフガニスタン北部の都市クンドゥーズ(Kunduz)南部にある、ナジーバの夫、バイナザール(Baynazar)が眠る墓地だ。バイナザールは享年43。2015年後半、帰宅中にタリバンによるクンドゥーズ制圧に巻き込まれ、被弾して負傷したバイナザールは、MSFが開設した〈クンドゥーズ外傷センター〉(MSF Kunduz Trauma Centre)に運ばれ治療を受けていた。しかし、同年10月3日早朝、彼の2度目の手術中、同医療施設は、米空軍のAC-130ガンシップによる30分以上にわたる攻撃を受けた。MSFスタッフ、患者、看護スタッフを含む43名が死亡、さらに数十名が負傷した。米国は、この攻撃についての責任を認めた。誤った標的を攻撃してしまった原因は、人的エラーと技術的ミスだ、と主張したが、まだ、多くの疑問の答えがでていない。2017年8月の時点で、12名の軍関係者が行政処分を受けているが、目下のところ、刑事責任を問われている関係者はいない。バイナザールは妻のナジーバ、ふたりの息子、サミウラ(Samiullah, 19歳)とカリド(Khalid, 6歳)、ふたりの娘、ライアナ(Raiana, 10歳)とザーラを残して他界した。

2014年5月3日:アフガニスタン北東部のバダフシャン(Badakhshan)州アルゴ(Argo)地区で、2度の大規模な地滑りが発生し、数十メートルに及ぶ土砂が、住民約2000名を飲み込んだ。その約24時間後の写真。最初の地滑りで、約300棟の家屋とその中にいた住民、通行人たちが飲み込まれた。結婚式の出席者たちもそのなかにはいた。その後、シャベルや素手で、飲み込まれた生存者を救出しようとしていた村人たちが2度目の地滑りで犠牲になった。救助活動に必要な重機が調達できず、生存者の救出は打ち切られた。当時のアフガニスタン第2副大統領、ムハンマド・カリーム・ハリーリー(Mohammad Karim Khalili)は、少数の閣僚を伴ってカブールから現場に赴き、犠牲者たちの冥福を祈った。地滑りの痕を背にした男たちが空を見つめている。視線の先には、ハリーリー副大統領を乗せたANAのヘリコプターが旋回していた。

2015年8月7日:早朝、カブール東部で発生したトラックによる自爆テロで、ドアや窓が破壊された店先に店主が座っている。このテロで、15名が死亡、数百名の民間人が負傷した。最初に発生した同テロも含め、24時間のうちに3度のテロが続いた。

2015年8月16日:日の出前、首都、カブールにあるアフガニスタン唯一のパスポートセンターの外に、数百名のパスポート発行希望者が列をなした。アフガニスタン国家警察の警察官1名が、ボディチェックを始めたところだ。日々、数千の国民がパスポートを申請し、数千のパスポートが発行される。治安と雇用状況の悪化により、この国から脱け出そうとする国民は、増え続けている。
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