米軍UFO調査資料から生まれた映画
映画『未知との遭遇(Close Encounters of the Third Kind)』(77年製作、78年日本公開)は、UFO好きなら誰でも「よく出来た映画だ」というだろう。実際のところ、その映画で描かれているのは、UFOの目撃、遭遇、アブダクション(宇宙人による誘拐)、さらには米国政府のUFOの隠蔽、そして、最後には街の電気工として働く大人になれきれない主人公の男性が、選ばれた人間として宇宙人に招かれて、UFOに搭乗して宇宙に旅立つのである。いまからみれば、これはUFOにハマった人々の頭のなか、そのものだろう。
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しかし、その映画が日本で公開されたとき、UFOに乗った宇宙人との接触を意味する〈第三種接近遭遇〉という言葉が、強烈なリアリティを持って迫ってきたように、当時、UFOや宇宙人の存在についての議論は真摯なものであった。そして、この『未知との遭遇』が、大きな影響力を持った決定的な理由として、長年に渡って米軍UFO調査機関に関わっていたUFO研究家、アレン・ハイネック(Dr. J. Allen Hynek)がこの映画のアドバイザーを務めたことがあげられる。
ハイネックは天文学者として、1947年、米国空軍によるUFO調査機関の顧問となり、52年から始まる〈プロジェクト・ブルーブック(Project Blue Book)〉では、UFOを強く肯定するわけではないが、「UFOは宇宙人の乗り物かもしれない」という穏健な立場を守った。
前回までの記事でも触れてきたように、米国では、50年代にUFO目撃の報告例が急増し、政府はUFOに関する科学的な究明よりもUFO問題が引き起こす、社会的な不安を危惧するようになっていた。とはいえ、ハイネックを含め、専門家であれば、実際にUFO調査に携わると科学的に説明できない事例をいくつも取り扱うことになる。事務的に証拠不十分な事例は切り捨てるのか、あるいは、科学的な好奇心から詳細な記録を残し、その判断を将来に委ねるのか。ハイネックは、後者の立場こそ科学者として正しい方法であるとして、プロジェクト・ブルーブックの1万2000件の調査資料作成に尽力した。
だが、1950年出版の『空飛ぶ円盤は実在する(The Flying souces are real)』でドナルド・キーホー(Donald Keyhoe)が指摘していたように、米空軍のUFO調査機関の関係者には、UFO肯定派、否定派、さらに懐疑派の3派に分かれており、調査機関の名前が47年発足時の〈プロジェクト・サイン(Project Sign )〉から〈グラッジ(Grudge)〉、そしてブルーブックへと変遷していったのは、否定派の発言力が強くなってきたからに他ならなかった。キーホーは、米国政府は「UFOは宇宙人の乗り物である」という事実を知っていながら隠そうとしている、と主張したが、ハイネックは、UFO調査機関の顧問として、キーホーほどの極論には加担しなかった。それでもハイネックは、頭ごなしにUFOを否定する否定派の態度が気に入らなかった。
ハイネックの努力にもかかわらず、政府はUFO否定派に軍配をあげる。第3機関としてコロラド大学の物理学者エドワード・コンドン(Edward Condon)の研究委員会に、ブルーブックの調査資料の最終判断を委託することで、UFO調査についての幕切れを図った。つまり、ハイネックが顧問を勤めていたUFO調査機関、ブルーブックは閉鎖となったのだ。
69年、〈コンドン報告(未確認飛行物体の科学的研究)〉が発表されると、ハイネックは、その報告書を「お粗末なもの」と一蹴し、独自のUFO研究を続けた。そして、1973年、ハイネックは民間機関CUFOS(UFO研究センター)を設立し、その後の人生をUFO研究に捧げている。
政府の御用学者が作成したコンドン報告で、辛酸を舐めさせられたアレン・ハイネックが、その人生を捧げて調査収集してきた米軍UFO資料を映像化することで、米国市民にUFO議論について問いかけたのが、映画『未知との遭遇』だった。だからこそ、この映画には、UFO目撃&遭遇事件に関する、あらゆる要素が非常に具体的に描き込まれているのである。
ハイネックも信じたヒル夫妻のアブダクション
アレン・ハイネックは、1972年に出版した『第三種接近遭遇』(邦訳78年、大陸書房のちに角川文庫)で、UFO調査を分類整理して、数々の実例を丁寧に解説している。この本は、コンドン報告に不満を持ったハイネックが、あらためて、ブルーブックの資料から、自身の見解に沿って、UFO問題に挑んだものである。
ハイネックは主にUFO目撃事件に焦点を絞って、〈夜間発光体〉〈日中円盤体〉〈レーダー・目視同時報告〉〈第一種接近遭遇(近距離での目撃)〉〈第二種接近遭遇(測定可能な物理的影響)〉の5つに分類している。そこにさらに〈第三種接近遭遇(搭乗者との接触)〉を加え、「過去20年以上に渡る研究のなかで、私はこのカテゴリーに属する事件に、直接的には、ほとんど関わってこなかった」としながらも、ヒル夫妻事件に触れ、「ただ、ヒューマノイド事件が、この問題のすべての鍵であった、と将来的に認定されるかもしれない可能性も、決して忘れてはなるまい」とまとめている。
そして、ハイネックも認めたヒル夫妻のアブダクションこそ、映画『未知との遭遇』公開後に復活する〈ロズウェル事件(Roswell Inciden)〉と相まって、のちの米国のUFO神話の骨格をなしていくものである。
まず、具体的に〈ベティとバーニー・ヒル夫妻誘拐事件〉をみてみよう。
1961年9月19日の深夜、2人はカナダでの休暇を終え、車で自宅に戻る途中にUFOを目撃したが、途中で記憶が途切れてしまったという。その後、悪夢にうなされる日々が続いたため、妻のバディはドナルド・キーホーに手紙を書き、翌月にはキーホーが主宰する民間UFO調査機関〈NICAP(全米空中現象調査委員会)〉のメンバーによる調査を受けた。そのとき、ヒル夫妻には、約2時間の空白の時間があると判明した。
事件から2年後、1963年の暮れから6ヵ月間に渡り、2人は、記憶喪失症の権威、ベンジャミン・サイモン博士(Dr. Benjamin Simon)の催眠治療を受けた。セッションは別々の部屋で行われたが、その内容は細部まで一致していた。逆行催眠でベティは、宇宙人に誘拐され、宇宙船のなかで、へそから針を挿入されるなどの身体検査をされた上に、記憶を消されて戻された、と語った。サイモン博士は、彼らの話が、すべて真実であるとは受け止めなかったが、誘拐されたときの状況について、あまりにも詳細に語られたことについては驚きを隠せなかった。
1966年、ヒル夫妻事件は、ジョン・フラー(John G. Fuller)によって『宇宙誘拐 消された時間(The Interrupted Journey: Two Lost Hours Aboard a Flying Saucer)』(邦訳82年、角川文庫)としてまとめられ、ベストセラーとなり、世界的に認知された。
この事件は、それまでのUFO目撃事件とは、まったく異なる、宇宙人によるアブダクションという、第三種接近遭遇の貴重な実例であった。また、ヒル夫妻を誘拐したとする宇宙人の外見は、小柄でのっぺりとしたグレイ・タイプといわれるヒューマノイドに似ており、70年代後半から急増する宇宙人によるアブダクションの原型となり得るものであった。ちなみにヒル夫妻は、当時としては珍しい白人女性と黒人男性の夫婦であったことも記しておこう。
50年代初頭から、ジョージ・アダムスキー(George Adamski)らのコンタクティが、宇宙人とテレパシーで交信したり、UFOの写真撮影や宇宙人との接触に成功したと主張していた。だが、真摯なUFO研究家たちは、コンタクティたちが語る宇宙哲学やUFO教のたぐいとは距離を取ってきた。ブルーブックの初代長官ルッペルト大尉(Edward J. Ruppelt)が述べていた通り、コンタクティたちは、ある種のUFO教を唱えるカルトであった。
だが、ヒル夫妻のアブダクションには、それらとはまったく異なる純朴さがあった。そして、アレン・ハイネックは、それを第三種接近遭遇の実例として認めている。
そして、ハイネックがアドバイザーを務めたことで生まれた映画『未知との遭遇』のいい知れぬリアリティこそが、グレイ・タイプの宇宙人によるアブダクションの報告の急増や、ロズウェル事件に関する陰謀論的なストーリーを生み出す要因にもなっただろう。
実際、同作品では、米国政府が秘密裏に宇宙人との接触を試みるなか、その秘密を暴いた主人公の家庭生活はめちゃくちゃになる。しかし、最後に主人公は、見事に宇宙人との対面を果たし、宇宙に招かれるのだ。
それこそが、当時のアメリカのUFOマニアたちが、夢にみたハッピーエンドではなかったか。ここから、忘れられていたはずのロズウェル事件が息を吹き返し、UFO議論の大きな争点として復活を始めるのである。
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