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80年代メタル・シーンは おもてなしの心にあり

「オールド・ブリッジ・メタル・ミリティア」はかつて(そして今も)、ニュージャージー州オールド・ブリッジの社交好きなヘッドバンガーの一団で、80年代のニューヨークやニュージャージーのメタルコンサートには、必ずといっていいほど出没していた。METALLICA、SLAYER、ANVIL、MERCYFUL FATE、EXCITER、VENOMといったバンド(まだまだたくさんいる)が町に来れば、ミリティアは大挙して馳せ参じた。ブルックリンのL’Amour、オールドブリッジのClub 516、アズベリーパークのSunshine Inn、マンハッタンのAcademy of Musicといった会場の最前列に陣取り、その活動領域は、隣接3州で、ヘヴィーメタルバンドや、台頭するスラッシュメタルのムーブメントが見られるところすべてに及んでいた。「当時は全員にニックネームが付いていたぜ」と語るのは兄貴分のロッキン・レイ・ディル。メタル・ジョーやブルドーザー・レイ(後にラーズ・ウルリッヒのローディーとなる)、メタル・マニア(多くの有望メタルバンドのプロモーターとなる)、ジェスロ、ジョン・ボーイ、トニー・ボローニャ、パーティー・アーティーといったジャージーっ子たちは派手に騒ぎ、ビールを叩き付け、頭を激しく振っていた。「ニックネームが無ければ、誰だオメエ?って感じだな」

ミリティアのメンバーにあだ名を付けたのは誰あろうMETALLICAだった。1983年のデビューアルバム『Kill ’Em All』のクレジットには、「オールド・ブリッジ・ミリティアにラウドな‘metal up your ass’を」と記されている。ミリティアは、1984年のMegaforceのコンピレーション『Born To Metalize』(「One Night In Old Bridge」)や、ニュージャージーのスピードメタルBlessed Deathのデビューアルバム『Kill Or Be Killed』(「Knights Of Old Bridge」)でその名声を更に確立した。震源地は、地域のプロモーターでありMegaforce Recordsの生みの親であるジョニー・ザズーラのレコード店Rock N’ Roll Heavenだった。ザズーラが招聘したバンドが地域をツアーしている間は、ミリティアの誰か…ロッキン・レイやメタル・ジョーが多かった…の家に滞在した。「オレの家は24時間ロックしていたから、オレは名を挙げたのさ」とロッキン・レイは笑う。「クスリはさんざんやった。みんなそれこそモータヘッドだったから(笑)、パーティーが終わることはなかったぜ」

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ここ最近、ミリティアのほとんどは落ち着いて身を固めている。しかし今回、多くのメンバーが復帰し、バスをチャーターしてブルックリンのDefenders of the Old Festivalに参加することになった。そこでEXCITERの旧友たちと再会し、恵まれない若手ミュージシャンのために設立された「オールド・ブリッジ・ミリティア・ファウンデーション」のプロモーションを行うとのことだ。

まず音楽にのめり込むようになったいきさつを教えてください。

ロッキン・レイ・ディル:オレがまだガキだった70年代は、コンサートってのは町の連中がただ観に行くだけの集まりだった。ま、ニュージャージーのクールなところは、アズベリーパークやニューヨークに近く、Academy of MusicやSunshine Innなんかにすぐに行くことができたってことだな。Sunshineはバスのガレージだったのをホールに改装しちまったんだ。73年にSLADEを見るために親が送っていってくれたのが最初だったな。それがオレの初めての生の音楽体験だ。その後Rock Sceneという雑誌でKISSのことを知りSunshine に観に行った。本当にぶっ飛んだな。それでヘヴィーな音楽にハマったんだ。オレも友達も音楽にイカれちまったんだ。

Slayer playing a private show for the Militia

New Wave Of British Heavy Metalとの出会いは?

HWOBHMについてはSoundsというイギリスの雑誌で知った。たまに、イースト・ビレッジのレBleecker Bobに行って情報をゲットしてたんだ。ガキだったから、ほとんど買わなかったけどな。ジョニー・ザズーラのRock N’ Roll Heavenがまだオープンしてなかったから、輸入盤はそこにしかなかったんだぜ、チキショウ。ジョニーの店が始まったのは、81年だ。で、82年の8月にはカナダからANVILを呼んで最初のショーをカマしたんだ。「Metal On Metal」が流行ってたな。で、メンバーを家に泊めてやったんだ。そん次は、RAVEN、次がMETALLICA、そしてVENOMだぜ、ワォ! スゲぇよな。でも当時のオレたちはオールド・ブリッジのただ以下のメタル・フリーク団に過ぎなかった。音楽を愛し、パーティーを愛し、何か新しいことを探してただけだ。みんなフレンドリーで落ち着いた雰囲気だったな。エゴをむき出しにしてくるヤツなんていなくてね。バンドの連中もオレたちみたいなファンだったのさ。METALLICAの連中はMOTÖRHEADやANVILのファンだった。わかるだろ?

ミリティアのメンバーは何人くらいでしたか?

おそらく15くらいだろう。そのうち3人がRAVENとMETALLICAの「Kill’Em All for One」ツアーでローディをやった。バンドをサポートするためになんでもやったぜ。70年代のシーンはカバー・バンドばかりだっただろ。だから80年代初頭にヘヴィーなバンドが出てきたとき、彼には使命があったんだ。カバーバンドは女・子供の聞く音楽だ。でもヘヴィーなバンドは見た目とかそんなのは関係なかった。METALLICAがステージに立つときは音楽がすべてだった。女や金なんて関係なかったんだ。

Joe and James Hetfield of Metallica on the Master of Puppets Tour

ミリティアにも女性はいたんですよね?

ああ。でもみんなワイルドでアマゾネスみたいな女だ(笑)。バンドのメンバーとつるむヤツらもいたけど、思い切り楽しむのが好きな連中だったね。当時は、みんなでステージの最前列に行って大騒ぎするというのがスタイルだった。ヘッドバンギングやエアギターしたりしてね。その頃モッシュはなかったな。もっと後だね。いったんモッシュが始まっちまうと、女は前列には行けなくなる。殺されるからな。分かるだろ。手がつけられない状態になる。正直に言ってそういうのはオレのスタイルじゃなかった。オレは前の方でプレイヤーとしてのバンドを見るのが好きだった。けどモッシュが始まると会場全体が本当に醜い状態になってしまうんだ。

最初にモッシュを見たのは?

EXODUSだな。ブルックリンのL’AmourでSLAYERのサポートだったときだ。ライブ観てたら、知らねぇ野郎がぶつかってきやがった。ビールを飲んでたから、瓶が喉に刺さりそうになってな。そしたら、メタル・ジョーが野郎を追いかけて、ブン殴って、柵に叩き付けたんだぜ(笑)。そしたらSLAYERのデイヴ・ロンバードが走ってきて「何やってんだ!」って言うから、ジョーが「レイを殴りやがったんだ!」と答えると、デイヴが「違う。彼はただ楽しんでいただけだ」と言うんだ。それを聞いたジョーは「そんなクソったれのゲームなんて知らなかった」ってキョトンとしてたぜ(笑)。そんな感じさ。カリフォルニアから来たカルチャーだな。

DJ night in the summer of 1984 with a visit from Exciter and Anthrax. Metal Joe (far left), Dan Beehler (on Joe’s right), Scott Ian (in front of Dan), Charlie Benante (on Dan’s right), John Ricci (on Carlie’s right), Dan Lilker (on John Ricci’s right), Johnny Z (behind John Ricci and Dan Lilker).

当時、スキンヘッドはヘッドバンガーの敵でしたね。何かトラブルはありましたか?

ハードコアがヘッドバンガーに混ざりはじめた頃、スキンヘッドのダイブに遭遇した。あれにはたまげたぜ。OVERKILLを観に行ったら、スキンヘッドが何人かで前列の連中を殴りつけていた。オレたちはバルコニーにいたんで、ヤツらにビールをお見舞いしてやった。ヤツらは上を見てオレたちを見つけたんだが、オレは大して気にしていなかったんだ。ジョーイ・ラモーンもたまたまそこにいて、つるんで朝の4時までクラブで飲んでた。で、外に出たら、スキンヘッドが待ち伏せしてやがった。ヤツらはシラフだったがオレたちは酔っぱらってるだろ。気が狂ったように襲いかかってきたんだ。そん中の1人がオレたちの運転する車に飛び乗ってきやがった。車から落ちると、通りを横切って、あたりかまわず、そのへんにいる連中を殴り始めた。狂ってやがる。確か80年代後半だったね、あんな酷いことが始まったのは。ブルックリンに極悪なスキンヘッドのグループがあって、いつも酷いことをやらかしていたよ。

METALLICAとの最初の出会いは?

METALLICAがやって来たときジョニーは宿を用意してなかった。それがすべての始まりだ。それで、メタル・ジョーのところに泊まるようになったんだ。「Ride The Lightning」も何曲かは、そこで出来たんだ。やべーだろ? ジョーの地下室で演奏してくれたこともあったな。ジェームズが、ラーズのドラムヘッドにサインとMETALLICAのロゴを描いてプレゼントしてくれた。そしてクリフ・バートンは「またこの地下で演奏するのが待ちきれない」ってメッセージを書いてくれた。スゲぇいい思い出だ。SLAYERも地下で演奏してくれた。METALLICAがオレたちのところにいたって聞いていて、Rock N’ Roll Heavenでのインストア・ライヴの後にオレたちのところに来たんだ。まずトラックでやって来て、その後トム・アラヤがカマロに乗ってきた。ジョーの家に数週間滞在していたな。家の中に機材を持ち込んで、リリース前にもかかわらず「Hell Awaits」から何曲も演奏してくれた。やっぱスゲエいい思い出だ。

King Diamond right after Joe and Ray gave him the skull at L’Amore in November of 1984 (left), Jeff Hanneman and Dave Lombardo wen they were staying with the Militia at the “Fun House” in November of 1984(right)

今でもMETALLICAとは親しいんですよね?

ロックの殿堂に入ることが決まったとき、オレとジョーをクリーブランドまで飛行機で招待してくれた。昔さんざんサポートしたからな。早く借りを返したくてしょうがないんだろうな(笑)。あと、どこのコンサートにいっても、奴らは必ずメイク・ア・ウィッシュ・ファウンデーションの子供たちを招待している。まわりがMETALLICAについていろいろくだらないことを言ったり、書きたてるのは構わないが、これだけは間違いねぇ。奴らは最高だ。そしてオレたちにもよくしてくれる。メンバーとは個人的な知り合いだけど、いまだかつて「NO」というのを聞いたことがないぜ。

キング・ ダイアモンドに骸骨をあげたことがあるって本当ですか?

METALLICAがコペンハーゲンで『Ride The Lightning』をレコーディングした後、MERCYFUL FATEの『Don’t Break The Oath』のデモテープを貰ったっていうんで聞かせてもらった。『Melissa』も素晴らしいアルバムだったが、そのテープにはマジでぶっとんだぜ。その後MERCYFUL FATEがこっちに来るってんで、ニューヨークのMagical Childという、ゾッとするような魔女の店に行ってスカルを買った。L’Amourで演奏する時に、そこで働いていた知り合いが彼に会わせてくれて、それを渡したのさ。スゲエ興奮して「家の祭壇に飾ろう」ってな。本当にクレイジーだぜ、ヤツは。VENOMの連中がサタンだなんだと言ってもありゃ見せかけだ。まあ、それでもイイ奴らだからよしとしよう。でも、キング・ ダイアモンドはマジだ。アブねーぜ。その骸骨はツアーに同行することになったんだが、結局パクられた。そのツアーはMOTÖRHEAD、MERCYFUL FATE、EXCITER。豪華だったな。

VENOMはどうでした?

メンバーが風呂嫌いだった (笑)。オレの家の地下にはジムがあって、あるときクロノスとドラマーのトニーがそこでワークアウトしてた。20分くらいして行ってみると、汗と臭いで鏡にスゲエ膜張ってんだよ。それでも風呂はいらねぇ。クセーよ。
ある晩、VENOMの連中も誘って、みんなで遊びに行ったんだ。ダチ何人か途中で拾ったんだけど、車にはもう座るところがなかったんだ。遠くに行くわけでもないから、ってクロノスをトランクにブチ込んだんだ。でも忘れちまったんだな。結局何時間もドライブすることになって、しばらくしたら、クロノスがトランクを内側から叩いてやがった (笑)。ありゃ悪いことしたな。作品に関しては最初の2枚は最高。でもこれだけは確かに言える。「ライブは最悪」(笑)