声が聞こえる人々 統合失調症患者への新たな取り組み

ロン・コールマン(Ron Coleman)がオフィスで計算をしていると、背後から「その計算間違ってるよ」と声が聞こえた。あたりを見回したが、誰もいなかった。

「ストレスのせいだと思ったので、その晩は飲みに出かけ、ちょっとだけ酔っ払いました。そうすれば声は聞こえなくなるとタカをくくっていました」とコールマンは当時を振り返る。「しかし、声は聞こえ続けました。更に他の声も聞こえはじめ、やがてほぼ6つの声が代わるがわる聞こえるようになったんです。すべての声が同時に聞こえることもありました」

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それらの声は、さまざまなトラウマが表面化したものだ、とコールマンはいう。彼は、教会でミサの侍者をやっていた子供の頃、カトリックの神父に性的いたずらをされていた。また、17歳で、結婚から僅か1年後、最初の妻が自殺により他界した。「その後は、何年も病院に収容されていました」とコールマン。彼に変化が訪れたのは、あるサポートワーカーから〈ヒアリング・ヴォイシズ・サポートグループ〉に相談するよう説得されてからだった。「そのグループでは最初に、『聞こえる声は本物だ』と教えられました」

その話を聞いて、コールマンに劇的な変化が訪れた。「すごく納得できました。声が本物なら、なんとか対処できるからです」と彼は説明する。「それまでは、『声なんて偽物だ』といわれていたので、なにもできませんでした」

コールマン自身も指導者を務めている〈ヒアリング・ヴォイシズ・ネットワーク(The Hearing Voices Network:HVN)〉は、声が聞こえる人々のサポートしている。非公式団体ではあるが、非常に影響力の大きいグループだ。声が聞こえたとしても、それは誰にでも起こりうる現象で、本人がそれを病気だ、と自認しない限り、必ずしも診断の必要はない、とHVNは考えている。さらに同団体は、メタファーとしての〈声〉が象徴する意味を探るためにも、〈声〉を認めなくてはならない、と説く。

HVNは、代替的であり、非医学的手法を採る。声が聞こえる人々は、〈声〉に対して決然と返答する方法、〈声〉を黙らせるための交渉法も教わる。「自助運動を推奨しています」とコールマン。「声が聞こえる現象について話し合うだけでなく、〈声〉への対応方法についても話し合っています」

HVNの前身組織は、1987年、オランダでスタートした。精神科医のマリウス・ロム(Marius Romme)、科学ジャーナリストのサンドラ・エッシャー(Sandra Escher)、〈声が聞こえる人〉であるパッシー・ハーゲ(Patsy Hage)らが同組織を創設し、その1年後には、英国ネットワークの拠点をマンチェスターに設立した。その後、HVNは着実に活動範囲を広げ、現在は世界35カ国で活動している。

世界保健機関(World Health Organization:WHO)では、統合失調症を次のように定義している。

「言語、知覚、自己の感覚に影響を及ぼす、思考の深い分裂を特徴とする重度の精神障害。幻聴や妄想などの精神病的体験を伴うことが多い」

オーストラリア・ニュージーランド精神医学会(The Royal Australian and New Zealand College of Psychiatrists:RANZCP)によると、統合失調症の治療法は、リスペリドン、クロザピン、オランザピンなど、複数の抗精神病薬の組み合わせによる服用が主流だという。

だが、これらの薬を服用すると、肝機能障害、体重増加、性機能障害、昏睡、糖尿病、心血管障害のリスク増加など、さまざまな副作用に見舞われる可能性がある、と指摘されている。コールマンは、抗精神病薬のさまざまな潜在的副作用を経験した。「あらゆる状態を経験しました。手が震えはじめたり、体重がすごく増えたり…。しまいには心臓のバイパス手術を受けました。糖尿病も患いました。ありとあらゆる副作用に悩まされたんです」

38歳の学生で、HVNのメンバーであるテインも同じような変調を経験したそうだ。「リスペリドンを約1年間服用したあと、ケトアシドーシス* を発症して救急搬送され、ICUで治療を受けました」とテイン。「ICUで私の治療を担当した医師は、リスペリドンが血糖値急上昇の原因だと予想していました」

* 糖尿病ケトアシドーシス。急性合併症のひとつ。高血糖になることで、極端にインスリンが不足したり、コルチゾール・アドレナリンといったホルモンが増え、インスリンの作用が弱まることで急に発症する病気。

医師は、テインの抗精神病薬を変えたが、ほとんど効果はなかった。「薬をアリピプラゾールに変えましたが、およそ1年後、同じような症状が現れはじめました。血糖値が急激に上昇したんです」

当然、HMVに懐疑的な風潮もある。多くの精神科医は、同団体が統合失調症の治療に、非医療的で、根拠のない治療法を奨励しているのでは、と懸念している。精神病の投薬治療を受けない期間が長引けば長引くほど患者の容態が悪化する、という結果が研究によって裏付けられているからだ。

さらに、オタゴ大学精神保健臨床研究所の所長リチャード・ポーター(Richard Porter)博士によると、統合失調症と診断された患者のなかには、自らの疾患に対する病識がないという。「苦しみがあまりにも大きいため、聞こえる声について話をするどころではありません。幻聴は単なる病的現象です。深刻な段階に至れば、どうしてもそれを治療しなくてはなりません」

「一部の医療センターでは、統合失調症にともなう認知障害に対処するために、患者自身による認知ストラテジーを設定を支援しているんです」とポーター博士は続ける。「留意すべき重要な点は、幻聴が単なる精神病の症状ではなく、症候群のほんのいち部だという事実です。統合失調症患者は、きわめて重大な認知障害を患っているのです」

ニュージーランドの、一般成人コミュニティ向け精神科サービスの臨床部長であり、精神科医のシグルド・シュミット(Sigurd Schmidt)博士は、統合失調症患者が、投薬治療を受けない場合の潜在的危険性は「大きい」と語る。妄想、思考の混乱など、精神病の症状が継続するリスクが、投薬治療を受けている患者よりはるかに高く、「その結果、自身や他人に対するリスクが増加したり、自己管理不能に陥ったりする可能性がある」そうだ。

さらにシュミット博士はこう説明する。「精神病は、きちんと管理されていないと、認知機能の著しい低下を招く可能性があります。終生続く恒久的な機能低下を招く可能性すらある、と証明されています。抗精神病薬以外の治療には潜在的なメリットがあるかもしれませんが、効果があるのは、治療を受けている患者が発症していない期間に限られます」

薬の問題以外にも、HVMは負の烙印の払拭を重要な目標としている。「究極の目的は、声が聞こえる人たちが道を歩きながら声に返答したとしても、まわりが当然のごとく受け入れる世の中にすることです。〈左利き〉を受け入れるのと同じように、声が聞こえる人を受け入れるのです。HVMは病気に対処するための運動ではなく、解放のための運動なのです」とコールマン。

現在、医療サービス業に携わる37歳のジェームズは、精神科病棟で5年を過ごしたが、自らの精神状態に押し付けられた烙印を、自ら消し去る作業が回復するために重要だった、と語る。「最初はたいへんでした。自分の脳は、どこかおかしいのではないか、自分はありのままの現実を体験していないのではないか、と懸念していました。自分を信用できないとしたら、誰を頼ればいいのでしょうか。問題を知っていながら、普通の人と同じように接してくれるHVNのスタッフに囲まれて、私の人生は変わりました」

ジェームズは、入院中の体験をHVNでの体験と比較しながらこう語る。「医療スタッフと患者には明確な違いがあります。図書館にいくにも、コーヒーを飲みにいくにも介護スタッフが私には必要でした。スタッフは、私たち患者の行動を、常にメモしていました。本当に、自らの無力さを痛感しました。その過程全体が私から気力を奪ったんです。その大きな影響から脱するのに時間がかかりました」

「(長いあいだ)全く別の観点から病気を捉える機会に恵まれませんでした」とジェームズは付け加えた。「私の病気は、自らのいち部として見るべきもの、理解する必要があるもの、そこに何らかの意味を見出さなければならないもの、というよりは、負、悪、克服すべきもの、として扱われていましたから」

テインは烙印を押されたくないので、いまだに〈声〉については、口外しないようにしている。「睡眠障害の専門医に、『声が聞こえる。そのために睡眠が妨げられる』と相談したところ、医師はただちに警戒心をあらわにしました。医師のしぐさは明らかに変わったんです。目の前にいる私を恐れているのがわかったんです。私の頭のなかの声が、彼らにを危害を加えろ、と命じている、と信じて疑わない様子でした」

テインは、世間の大半が〈声〉のマイナス面しか知らない、と語る。それが話題になるとしても、精神病が原因の犯罪、校内銃乱射事件についての会話中くらいしかない。「多くの人々が声にうまく対処しているのに…」

ジェームズは、統合失調症と診断された人々の健康の悪化に、負の烙印が大きく関与している、と分析する。「大勢が診断結果によってコミュニティから追放されてしまいます。この屈辱的な烙印には〈何らかの欠陥〉〈人間性の欠落〉が科学的に証明されたかのような影響力があります。多くの人にとって〈統合失調症〉という診断結果は終身刑みたいなものです」

「〈声が聞こえる〉という理由で、私たちはいまだに、世間で危険分子扱いされています」とコールマン。「みんな、声が聞こえなくなるようにしたいんです。そして精神科医は、治すのは彼らの役割だ、と信じています。何が起きているかを把握しようとする努力が足りないからでしょう」

コールマンにとって、HVNの核は、声が聞こえる人々の人権を守るための共同闘争にある。「HVNは、社会の少数派を苛む抑圧に闘いを挑みます。今世紀の大きな運動になる価値が本当にあるんです」

「20世紀には女性運動、同性愛者運動、公民権運動がありました。そして今世紀は、精神病患者の権利の世紀になるでしょう」