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国際社会が関心を寄せない気候変動の影響が深刻なソマリランド

ソマリランドは、ここ何十年ものあいだ、旱魃に悩まされ続けている。誰もが以前のように雨が降るのを待ち望んでいるが、旱魃は今や当たり前になってしまった。科学者の研究によると「アフリカの角」で何十年も続く旱魃と二酸化炭素の排出量の上昇には直接的な相関関係があるようだが、悪化する状況の原因はそれだけなのだろうか。

最初に10頭の牛が死んだ。次に20頭いる羊のうち大半が、そして、40頭いるヤギのうち大半が死んだ。

アフリカ北東部「アフリカの角」を襲う旱魃は、ファルハン・アブディ・アリが精魂込めて育てたすべてと、財産のすべてを徐々に奪っていく。そこで彼は、家畜を2グループに分けた。まず、商品となる子を産む動物。そして乳を出す動物。彼の13人の子どもたちの栄養源となるだけでなく、彼の妻が乳を使ってつくるチーズは通年の副収入になる。

ソマリランドは、紛争が止まないソマリア北部に興り、独立を宣言した国家であり、世界でも有数の牧畜地帯だ。ソマリランド人はサウジアラビア、その他の中東国家の貿易商に対し、家畜、特に羊とヤギを1頭100ドル(約1万円)以下で売っている。世界銀行によると世界で4番目に貧しい国であるソマリランド経済の、3分の1を畜産業が担っている。

しかし、2012年までに、アリの手元には、売れる動物がいなくなってしまった。衰弱を免れた数頭の羊やヤギたちも、繁殖するには体力が足りなかった。そこで、アリは故郷に戻る決心をした。エチオピアとソマリランドの国境に面するレビサガルから南のムバレを目指した。彼が生まれ、結婚した町だ。その旅のために家族から借金し、最後までとっておいた財産のラクダを売却して移住の準備をした。ラクダは1頭あたり1500ドル(約15万5千円)で売れる。

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それが2013年のことだ。以来、彼は家族とともにキャンプで暮らしている。そこには、旱魃を逃れた8万人以上ものソマリランド国民たちが、同国は国家として承認されてないものの、国内避難民として暮らしている。

2015年、アリ一家はディガーレにいた。ソマリランドの首都ハルゲイサの近郊にある居留地だ。ディガーレは彼のような人たちの住む場所である。つまり、気候変動のために旱魃が起こり、そのせいですべてを失ってしまった人たちである。ディガーレは国際NGO組合が支援する正式な居留地であるが、ソマリランドには国内避難民のための非公式のキャンプが多くあり、土地に根付き暮らしていた住民たちが、今は小さな自治体に加入し、先住者たちとの相互扶助によって暮らしている。ソマリの文化が「共有」を奨励する文化であるのは、避難民たちにとっては幸運だろう。ハルゲイサのタクシードライバーは、道に暮らすホームレスによく金を恵んでいる。明日はわが身。だから、富める者がそうでない隣人を助けるのだ。禍福は糾える縄の如し。

2015年の10月以来、アリは週6日、避難民キャンプと首都をつなぐ凸凹の幹線道路を整備して生活費を稼いでいる。首都への交通を円滑にするための工事だ。そのおもしろみのないキツい労働で、アリは月127ドルを稼ぐ。この労働は国内避難民たちに給料を払い、居住地を発展させようと尽力するNGOが主導している「キャッシュ・フォー・ワーク」プログラムの一環である。この月給は、アリにとっては動物を1~2頭売れば稼げる程度の額である。もし家畜が生きていればの話だが。

「アフリカの角」を形成するソマリア、ソマリランド、エチオピア、エリトリア、ジブチは、何十年も旱魃に悩まされ続けている。旱魃に対する肯定的な意見など当然なく、誰もが以前のように雨が降るのを待ち望んでいるようだが、旱魃は今や当たり前になってしまった。科学者の近年の研究によると、「アフリカの角」で何十年も続く干ばつと二酸化炭素の排出量の上昇には直接的な相関関係があるようだ。

これはソマリランドにとって酷い話だ。ソマリランドは貧困にあえいでおり、同国の温室効果ガス排出量など取るに足らない量にもかかわらず、国民は、気候変動の結果により直接的被害を被っている。専門家によると、ソマリランドでは2013年以来、牧草や飲料水が不足した結果、30~40%の羊とヤギが餓死してしまったそうだ。そして24万人以上の国民が食料不足に悩まされている。そのため、避難民は増え続けている。旱魃リスク減少プロジェクトのコンサルタント、アブディシャクール・スラーブ・ヘルシ氏は、「この国はもうすぐ国内避難民しかいない国になるだろう」とジョークを飛ばすが、表情は険しい。

英国の保護領であったソマリランドは元来、食肉の供給を目的に統治されていた。1880年代、アデン(現イエメンの都市)の重要港湾に配備された英国軍への食肉供給が途切れないようにするためにつくられた、通称「アデンの肉屋」だった。そのおよそ100年後の1991年、現在も決着に至っていないソマリア内戦の最中、ソマリランドは独立を宣言する。独自の政府と通貨を持つが、ソマリランドを国家として承認している国や国際機関はひとつもない。ソマリアはソマリランドをいまだ自国の領土だと主張している。しかしソマリアの首都モガディシュにある政府当局は、アルカイダとも関連があるイスラム過激派団体アル・シャバブとの戦いに注力せざるを得ず、ソマリランド奪還を実現する余力がない。

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現在でも、ソマリランドは世界有数の家畜供給源だ。アラビア半島の人々の食料をまかない、ハッジ(メッカ巡礼)の際に生贄として葬られる何百万頭の動物もソマリランドが供給している。国連食糧農業機関(FAO)によると、2014年、ソマリランドを含むソマリア地域から輸出された家畜は計500万頭に上り、その総額は3億6000万ドル(約366億円)に上るとみられている。

ソマリランド国民は、ほぼ100%が畜産に従事している。家畜の飼育から、運送、貿易、売却まで。「私たちの燃料です」。そう語るのは農業省の家畜部長、アフメド・ハイベ氏だ。「石油で稼ぐ国があるように、わが国は家畜で稼ぎます。動物が病気になってしまったら、すべてが瓦解します」

2015年11月に発表された世界銀行の研究によると、2030年までに、気候変動により貧困に追い込まれる人口は世界中で100万人以上に達するそうだ。ソマリランドでは、現在、すでにそれが起こっている。

コロンビア大学ラモント・ドハーティ地球観測所の気候・生活センター長ピーター・デメノカル氏はによると、「アフリカの角」では年に2回の雨季があるが、そのうち3~5月に降る「長雨」はこの30年で年々減っているそうだ。また、彼は2015年の初秋に発表されたこの分野の草分け的共同研究で、「アフリカの角」の旱魃は、気候変動と同調している、と明らかにした。「長雨」は「アフリカの角」の年間降水量の大半をまかなっているので、降水量が減ると同地域は乾燥してしまう。さらに南に下ると、エルニーニョ現象によって引き起こされた豪雨が激しい洪水の原因となっている。

旱魃に打撃を受けている多くの家畜飼育者のなかに、60歳のマリアン・フサインがいる。彼女はかつて300頭のヤギを飼っていたが、今では瀕死の5頭のみ。現在はジブチ近くの海岸、ルガヤビーチにある仮設の国内避難民キャンプに滞在している。そこでは、砂だらけの地面にたくさんのカラフルな仮設テントが立っており、しわくちゃの顔をした人々が居住している。時折、小雨が降るものの厄介なだけだ。それによって何かが変わるわけでもなく、ただ布の家が濡れて、カビっぽくなってしまう。ルガヤ地域の宗教的権威によると、国連世界食糧計画(WFP)がテント7000張りとプラスチック製シートの支給を約束したが、2015年末の時点で何も届いていないそうだ。

海岸をルガヤから南に下ると、エル・ラハイ村がある。ハルゲイサからガタガタと揺られて数時間のその村で、アフマド・ハッシュは羊とヤギ、計400頭を飼っていた。現在では130頭にまで減っている。2014年には50頭の動物を売却したが、2015年は1頭も売却していない。なぜなら弱り過ぎているからだ。

アリ・アブカルは300頭のヤギを飼っていたが、今では3頭に減った。ほぼすべての家畜を失い、妻と娘1人とエル・ラハイにやってきた。今は村の長たちから米を借りて生きている。他の4人の子どもたちはそれぞれハルゲイサで、学校に通うため、親戚の元に身を寄せている。

ムーサ・ジャマとアイシャ・ジャマは動物の死骸と、死にかけた動物とともに過ごしている。各腐敗段階の死体がそこかしこにある。家畜がすべて死に絶えたら、家族でどこかの避難民キャンプに移住するつもりだ。すでに180頭の羊とヤギを失い、生き残っている約20頭も、立っていられないほど衰弱しているため、膝を折って丸くなるのが精一杯だ。当然、その数は減り続けている。農園はルガヤ、同じく海岸沿いにあるカロルウェという町のあいだに位置している。ジャマ家が動物たちを残して避難するのは、たとえ半分も生き残っていなくても、金を破るように辛いことだ。

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2015年の11月上旬、小雨がぱらついた。地元住民によると、何カ月ぶり、もしかしたら何年ぶりの雨かもしれないらしい。しかし、それは功罪のある天恵であった。雨とともに寒波が押し寄せ、そのせいで、霧雨にさえ耐えられないほど衰弱していた動物たちが死んでしまったのだ。

ニュースにはそこまで切迫感がないものの、このゆっくり、そして確実に進む旱魃は、これまで「アフリカの角」を襲った、どんな劇的な、過激な出来事よりも深刻な事態だ。1984年にエチオピアを襲った旱魃による飢饉では、かつてないほど多額の寄付が全世界中から集まり、支援活動も活発になった。それは、飢餓により眼球が飛び出た子どもたちの写真がメディアに取り上げられたからだ。また、それはボブ・ゲルドフのBAND AIDと、活動のアンセム「Do They Know It’s Christmas?」発表の契機にもなった。

「大規模な『突然発生』的災害は、短期的は最悪のニュースですが、そこからの回復も早いです。逆に、数度にわたる危機は、壊滅的打撃こそ与えないまでも、農家や家畜を育てる住民たちから、対応する可能性を奪ってしまう」とFAOのソマリア支部長、リチャード・トレンチャード氏はいう。

ソマリランドと「アフリカの角」は、明らかに気候変動の影響を受けているが、世界でも、より影響が少ない他地域のほうが研究が進んでいる。それは、この地域が軽視されているだけでなく、コロンビア大のデメノカル氏によると、「ろくに観測もされていない」のが原因らしい。

科学者や開発責任者、政策担当者のあいだのコミュニケーション不足が、研究が遅れるいち因となっている。たとえば、地域の旱魃対策の責任者であるFAOのソマリア水・土壌情報管理プロジェクトのチーフ技術アドバイザーは、深刻な長期的干ばつと、二酸化炭素排出量との相関関係の最新調査について何も説明されていないそうだ。

「ここでは、観測データがかなり限られています。アメリカやヨーロッパでは何十年も、場合によっては何百年もの膨大な観測データがあるのですが」とデメノカル氏。彼は、ソマリランドの正確なデータが少ないのは、人口の少なさに加え、観測報告所や地元研究者の不足、データ送信のための通信網の未整備にも原因があるとしている。しかし、ソマリランドへの無関心を引き起こす包括的な理由こそが、ねじれた循環のなかで起きる継続的気候変動が状況を悪化させている。

「そもそも」、デメノカル氏は言明する。「ソマリランドが貧しいからです」

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当記事は2015年12月6日、VICE Newsにて公開。2016年、記事公開から半年以上経た現在、ソマリアの状況は好転していない。