スタンリー・キューブリック〈Life and Love on the New York City Subway〉より 1947年
私は当館の印刷物と写真のキュレーターで、展覧会の企画を担当しています。また、当館収蔵作品の管理人と管財人も務めています。今回展示するスタンリー・キューブリックの写真はそのいち部で、『Look』誌を刊行していた〈Cowles Magazines, Inc.〉より、1950年代から寄贈されました。これらの写真は、撮影からそれほど経たないうちに寄贈され、50年以上当館に保管されています。案件終了後、出版社は不要になったコンタクトプリントとネガを寄贈しました。これらは当館でずっと眠っていました。私たちは時間をかけて少しずつ現像しています。2005年、私たちは『Stanley Kubrick: Drama & Shadows』という写真集を発売しましたが、当時はデジタル化していなかったので、すベての作品を把握していたわけではありませんでした。2010年頃にデジタル化してようやく、収蔵作品のなかに、キューブリックの写真が1万3000枚以上あるとわかりました。まさに夢のような宝の山だったんです。これらの写真からは、のちの映画監督の姿だけでなく、戦後のニューヨークの様子も知ることができます。
スタンリー・キューブリック〈Columbia University〉より 1948年
本展を共同で担当したキュレーターのドナルド・アルブレヒト(Donald Albrecht)とふたりで、1万3000枚以上の写真フィルムの全コマを確認しました。写真は基本的に、キューブリックが担当した案件ごとに分類されています。私たちはすべてに目を通し、『Look』に掲載された写真と、撮影当時のキューブリックの個人的な興味が窺い知れる未掲載の写真へと、徐々に絞りこんでいきました。つまり、『Look』に掲載された写真や、すでに公開されているキューブリックの作品だけでなく、彼自身の当時の関心を示す個人的ないち面も見せる狙いがあるんです。映画監督としてのキューブリックにも、いまだに多くの謎が残っています。なぜ写真家としてのキューブリックに着目したんでしょう?
これらのフィルムはすべて、当館の収蔵作品のいち部です。キューブリックはニューヨークの街を撮っていました。私たちの使命は、街の歴史を記録し、展示することです。キューブリックは生粋のニューヨーカーで、彼の写真の大半は、ニューヨークの生活、ニューヨークの有名人、ニューヨークの日々の物語を撮らえています。例えば彼は、ごく普通の男性の姿、靴磨きの少年の物語、街なかの会話、コインランドリーの利用者などを写真に収めています。ニューヨークの日常から、モンゴメリー・クリフト(Montgomery Clift)、フェイ・エマーソン(Faye Emerson)、バンドリーダーのガイ・ロンバルド(Guy Lombardo)などの有名人まで、当時のニューヨークの多様なライフスタイルを鑑賞できるのが、彼の写真の良いところです。
ベッツィ・ヴァン・ファーステンバーグと友人たち スタンリー・キューブリック〈The Debutante Who Went to Work〉より 1950年
良い質問ですね。まず、キューブリックが『Look』に初めて写真を売ったとき、彼は17歳だった、という事実を思い出してください。彼はまだ高校生でした。高校卒業後、専属カメラマンになった彼は、1950年まで約5年間『Look』で働き、この期間で批判的な視点を身につけました。写真を通して人間を観察する方法、彼らの裡の感情や心理を捉える術を学んだ彼は、もちろんそれを映像制作に応用しました。また、彼は写真から、構図やライティングについて多くを学びました。
スタンリー・キューブリック〈Johnny on the Spot: His Recorded Adventures Mirror the New York Scene〉より 1946年
それは、今回の展示内容に含まれている未掲載写真によく現れているはずです。なぜなら掲載された写真は『Look』に、つまり家族向けの大衆誌にふさわしいものでした。例えば、サーカス特集には、空中ブランコ乗りなどの写真が載っており、これらは『Look』を意識して撮られています。しかし、キューブリックは、決して掲載されないとわかっていたはずですが、ダイアン・アーバス(Diane Arbus)の作品に近い、タトゥーやピアスだらけの男性の見事な写真も撮っていました。そこから彼自身の好みを何となく感じとれるはずです。彼の作品のうち、演出された写真とスナップ写真の割合は?
最初からどちらもあります。例えば、彼が担当したシリーズ〈Life and Love on the New York City Subway〉は、演出された写真とスナップ写真の両方で構成されています。彼は、このシリーズで、ニューヨーク市の地下鉄内の体験の全体像を映しだそうとしていました。演劇かショー帰りに車内で寝てしまった乗客のスナップ写真もあれば、抱き合う恋人たちの写真も数枚あり、後者は明らかに演出されています。実は、この写真の女性はキューブリックの当時の恋人で、のちの結婚相手なので、スナップ写真でないのは確かです。初期の写真から1950年代まで、このふたつのあいだを行ったり来たりしています。
スタンリー・キューブリック〈Guy Lombardo〉より 1949年
初期の映像作品との直接的なつながりは、いくつかあります。彼は『Look』の案件で、何度かボクサーを撮影しています。ひとつはロッキー・マルシアノ(Rocky Marciano)、もうひとつはウォルター・カルティエ(Walter Cartier)の記事で、カルティエは、キューブリックの最初の短編映画の被写体になりました。その映像作品は、彼がまだ『Look』で働いていたときに制作されました。その後、彼は『Look』の仕事をやめ、フルタイムで映像制作に打ちこむようになります。タイトルは『拳闘試合の日』です。彼は、『Look』のために撮った写真を、本作の絵コンテとして使ったんです。これは直接的なつながりですよね。実際、キューブリックが『Look』用に撮ったボクサーやショーガールは、彼が初めて成功した劇場作品『非情の罠』( Killer’s Kiss, 1955)においても、重要な役を演じています。私たちは今回、写真との比較のために、『非情の罠』の映像も展示しています。
スタンリー・キューブリック〈Columbia University〉より 1948年
キューブリックは1966年のインタビューで、自身の初期の活動や映像制作を始めたきっかけに触れています。彼の人となりに興味があるなら、すばらしいインタビューなので、ぜひ聞いてみてください。私たちがひとつ発見したのは、『Look』編集部が彼を誇りに思い、天才少年とみなしていた事実です。実際に『Look』にも書かれていました。確か1948年のコロンビア大学を特集した号です。これはキューブリックが入社直後に担当した大きな特集で、彼が記事内の写真すべてを撮影しました。目次ページにはキューブリックの小さなプロフィールが掲載され、それによれば、年上の専属カメラマンたちはみんな、彼がもっとプロ意識を高め、成長するよう指導していたそうです。これは私にとって興味深いエピソードでした。辛酸をなめてきたベテラン報道写真家たちが、まだ17、8歳の子どもだったキューブリックの面倒を見て、プロの世界へ誘おうとしていたんです。
スタンリー・キューブリック〈Leonard Bernstein〉より 1950年
確かに、少しだけかぶっています。キューブリックはウィージーの大ファンでした。あるとき彼は、『Look』の撮影で、ジュールズ・ダッシン(Jules Dassin)監督の『裸の町』( The Naked City, 1948)のセットを訪ねました。この作品にウィージーが携わっていたんです。彼らはそこで知り合ったんでしょう。彼がウィージーのファンだったこと示す良い例として、非常階段で抱き合ったり、劇場や路地でキスをするカップルを撮影した、キューブリックの未掲載の写真シリーズ〈Love Is Everywhere〉があります。これらはすべて赤外線写真で、まさにウィージーの写真の影響を受けています。ウィージーとキューブリックには親交があり、互いを尊敬していました。そしてもちろん、ご存知かもしれませんが、その十数年後に、キューブリックは『博士の異常な愛情』のセットのスチールカメラマンとして、ウィージーを招きました。
スタンリー・キューブリック〈Peter Arno… Sophisticated Cartoonist〉より 1949年
良い質問ですね。個人的にはキューブリックを、『Look』で活躍していたひと世代前の報道写真家、例えば、アーサー・ロススタイン(Arthur Rothstein)やジョン・ヴァション(John Vachon)など、〈農業安定局(Farm Security Administration: FSA)プロジェクト〉に参加していた写真家と、次世代の写真家をつなぐ架け橋とみなしています。ダイアン・アーバスよりは少し前ですね。彼は、ふたつの世代の狭間に位置しています。誤解しないでほしいのですが、彼は雑誌の仕事をしていたので、多くの写真は前者のスタイルです。でも、未掲載写真には、彼の個人的な写真が『Look』用の写真と同じくらいあり、それを見ると、より新しいスタイルにつながる、雑誌向きではない一風変わった趣向に気づくはずです。次世代の写真家たちに通じるような写真です。キューブリックは、ゲイリー・ウィノグランド(Garry Winogrand)と同時期に活躍していました。ふたりは同い年で、ウィノグランドもちょうど同時期に、『Pageant』や他のメディアで仕事をしていました。初期の作風はどことなく似ています。ウィノグランドはその少し後に方向転換しますが。
難しい質問ですね。いちばん好きな写真を訊かれるのと同じくらい難しいです。たいていのファンは、ワーナー・ブラザース配給作品を挙げますが、それ以前の作品のなかにも名作はあります。後期の作品ほど独創性はないかもしれませんが、フィルム・ノワール作品とされる『非情の罠』や『現金に体を張れ』( The Killing, 1956)のような初期の作品にも、優れた点は多いです。でも、どうしてもひとつ選べといわれたら『博士の異常な愛情』ですね。ダークなユーモアに溢れていて、様々な点で今の米国社会にも通じるものがあります。
スタンリー・キューブリック〈Shoeshine Boy〉より 1947年
スタンリー・キューブリック〈Park Benches: Love is Everywhere〉より 1946年
スタンリー・キューブリック〈Faye Emerson: Young Lady in a Hurry〉より 1950年
スタンリー・キューブリック〈Fun at an Amusement Park: LOOK Visits Palisades Park〉より 1947年
スタンリー・キューブリック 未掲載のシリーズ〈Shoeshine Boy〉より 1949年
スタンリー・キューブリック〈Paddy Wagon〉より 1949年
