女性の社会的地位、格差についての議論が増えるのと同時に、〈女性が働きやすい職場〉〈女性が輝ける社会〉〈女性がつくる未来〉を目指し、女性を応援する制度や価値観を生みだそうとする動きが社会全体に広がっている。だが、ここでいう〈女性〉とは、果たしてどんな女性なのか。女性に関する問題について真剣に考えている女性、考えていない女性、そんなのどうでもいい女性、それどころじゃない女性、自分にとって都合のいい現状にただあぐらをかいている女性。世の中にはいろんな女性がいるのに、〈女性〉とひとくくりにされたまま、「女性はこうあるべきだ」「女性ガンバレ」と応援されてもピンとこない。
「いろんな女性がいるんだから、〈女性〉とひとくくりにしないでください!」と社会に主張する気は全くないし、そんなことを訴えても何にもならない。それよりも、まず、当事者である私たち女性ひとりひとりが「私にとって〈女性〉とは何なのか」本人独自の考えを持つべきではないのか。女性が100人いたら、100通りの答えを知りたい。
Videos by VICE

要りか
「〈女性〉とは」とこれまで考えたことはありますか?
考えたことはないですね。でも、女の子としてこうあるべきという変なこだわりはあります。手を洗った後にちゃんとハンカチで拭く、脚は閉じて座る。出来て当たり前だし基本的なことです。ただ、自分のなかの〈当たり前〉を他者に押し付けてるみたいで嫌なので、日常生活で直接口にだすことはないですけどね。
価値観を押し付けたり、押し付けられることが嫌いなんですか?
まわりから指図されたりするのは嫌ですし、なにより自分が誰かに指図するのが嫌です。「自分のことを棚にあげてんじゃねえよ」と思われたくないから。
自分を着飾ったり、可愛くなりたいと感じはじめたのはいつからですか?
幼稚園生のときですね。当時、父が再婚して義理の母親ができたんです。そのひとに「ぶりっ子してるんじゃねーよ」とか「自分のこと可愛いと思ってるの?」とか「可愛く写ろうとするな」といわれて育ったので〈可愛いひと=自分とは違う人種〉だと感じるようになりました。「可愛くなりたい」というより「私もそっち側の人間になりたい」と小さい頃から強く感じていました。極端ないいかたをすると〈可愛くなりたい〉ではなくて〈人間になりたい〉だったんです。
可愛くないと、ひとりの人間として認められないと感じていたんですね。
家庭や学校生活のなかで可愛いひとはいじめられないと学んだので、学校では可愛いひとと仲良くして、自ら金魚のフンになりました。今振り返れば、可愛いひとと一緒にいることで自分も可愛いひとに近付けていると勘違いしてたのかな。それが私にとっての〈可愛くなりたい〉への1歩でした。
可愛くなるため、人間になるために、要さんは整形をしますよね。初めて整形したのはいつですか?
初めての整形は、高校を卒業してすぐでした。中学生の頃から整形したいとずっと考えていて、その執念があったから整形への期待がすごく大きかったのかもしれません。まるで魔法にでもかけられにいくような気持ちで「やっと可愛いひとになれる」と、整形に臨みました。
整形への恐怖などはなかったんですか?
私にとっては、このまま〈可愛くないひと〉として生きていくほうがよっぽど恐怖でした。これまで経験してきたことと比べればどうってことなかったです。でも、整形してもやっぱり何かが満たされないんです。自分が可愛いかどうかをどう確かめれば良いのかわからなくて、インターネットで可愛い女の子の画像を探したり、道ゆくひとの顔のパーツと自分のパーツを比べて〈なにか違う〉と悩みました。その〈なにか〉が何なのか、自分にはわからなくて。整形したのにさらに自信を失っていって、人通りの少ない道を通ったり、マスクや前髪で顔を隠して下を向いて歩くようになりました。
整形したことで、余計に人の目が気になるようになってしまったんですね。
誰も私なんか気にしていないことはわかっているんです。でも歩行者全員が私を〈ブス〉だという眼差しでみてるんですよ。毎日毎日、鏡で自分の顔をみて泣いて。そういう日々が積み重なって、いつのまにか〈可愛いひとになりたい〉ではなく〈早く整形したい〉という気持ちに変わったのかな。顔じゃなくて、心を整形したような気持ちです。
トータルでどのくらい整形にお金をかけたんですか?
どうでしょう。眼瞼下垂、二重切開、目尻、グラマラスライン、鼻尖形成、これまでに色々な整形をしてますけど、もう金額なんか覚えていないです。プチ整形も含めたら、トータルで700万は余裕に越えてますね。かかったお金のことは考えたくないんです。もともと可愛かったら、整形の費用を他のことに遣えるのにと考えだして病むので、金額よりも手術してどう変わったかにかけてます。ギャンブルです(笑)
要さんは、整形したことを周囲に隠していませんよね。整形したことを隠すかたもいるなかで、要さんはなぜ隠さないんですか?
整形は自由だし、整形したことを隠すも、隠さないも自由です。自分を守るための嘘なら良いじゃないですか。誰にも迷惑はかけていないのだから。実はあの子が整形してた、という話にも全く興味がないですね。
可愛くなることで、人生はどう変わりましたか?
どうなんでしょう。私自身は、何も変わっていない気がします。環境や人間関係、待遇が変化しても、自分の心は変わらないしずっと自信のないままです。そういってしまうと整形に希望を抱いているひと達の夢を壊すようで悪い気もしますけど、心は本当に、何も変わらないです。

女性に生まれて、得をしたことはありますか?
いえばキリがないくらいにありますけど、ひとつ例をあげるなら、金銭面に関してはかなり得しましたね。はじめは普通のアルバイトで整形費用をコツコツと貯めていたのですが、より貪欲に、早くお金を貯めて整形しようと高時給のバイトやアングラなバイトに手を出すようになって。
どんなバイトをしたんですか?
叩けばホコリしか出ないようなことばかりしてきたので、そこは深く訊かないでください(笑)。それからさらに、お金と見た目への執着がスクスクと育ちました。長い目でみたら、私の生きかたは〈得〉じゃないかもしれない。履歴書の空白は埋められないし、社会的な立場も低いです。でも私は、自分のしてきたことを悪いと思ったことが人生で1度もないし、過去に戻りたいと思ったこともない。だって全ては可愛くなりたいがための行動だし〈可愛い〉は残酷だけど、正義なんですよ。
では、女性に生まれて損をしたこと、窮屈だったことはありますか?
特にないです。見た目に関して悩んだこともありましたけど、手元にあるお金だけは絶対に裏切らないから。女性は〈武器〉だと確信しましたね。
〈武器〉ですか?
女性は武器です。愛嬌も武器、顔面も武器、スタイルも武器。女性として使えるモノは武器なんです。女性という武器を使えばお金が手に入るし、お金があれば、選択肢の幅が広がる。現状の自分に満足できないのであれば、稼げばいいとある意味ポジティブに考えられるし。私は武器を使って、磨いて、強くして、みえない敵と戦っている気持ちで毎日を生きています。

価値観を押し付けたり、押し付けられるのは嫌いだとおっしゃっていましたが、男性、女性それぞれに〈役割〉はあると思いますか?
そういう法律がないのであれば、役割なんて無視すればいいんです。聞く耳をもたないのも自分を生きやすくするための術だから。好きなように生きていいし、もっと自由でいいのではないか、と。こういう持論を述べると「自己中心的だ」とか「社会を舐めてる」と周りからいわれますけど、まさにそうなんです。私は自分がいちばん大切だから。役割や周囲からの意見を気にするひとは、社会や周りに縛られているのではなくて、自分に縛られているだけです。
いろんな人生の選択肢があるなかで、女性はどう生きたら幸せになれるでしょうか?
アドバイスとしてだったら、私から他者にいうことは特にないですね。自分がいわれたら「何目線だよ」と腹がたつので(笑)。でも、ひとことだけいうなら、なるべく自分を粗末にしない選択をしてほしいです。
女性として、今後どう生きていきたいですか?
容姿のコンプレックスのせいで、チャンスを捨ててしまう生きかたをしてきました。利害関係が一致しない人間関係は構築しないようにしていたし、自分にとってメリットがあるのかどうかで、仲良くするひとを選んできました。よくいえば合理的ですけど、この年齢になって寂しいと感じるようになったんですよね。友達もほとんどいなかったし、口癖が「奢るから一緒に遊ぼう」でしたからね。お金があって、選択肢の幅が広がったとしても、人望だけはお金じゃ買えねーな、と勉強になりました。
でも今や、Twitter では約2万人のフォロワーが、要さんの投稿を待っていますよね。
私も仲間や味方が欲しくなって、SNSで自分自身を嘘偽りなく表現しはじめたら、フォロワーが増えていきました。今では、キャバクラの指名の8割はSNSからですし、影響力で飯が食える時代だと実感しましたね。私にとって、フォロワーの存在が支えだし、今後の目標は相変わらず〈可愛くなる〉ですけど、自分の世界観や〈可愛い〉を表現して、たくさんの女の子に共感してもらいたいです。

「整形してもずっと自信のないまま」とおっしゃっていましたけど、今は前向きに生きているんですね。
いや、こういう話をするとすごくポジティブで向上心があると勘違いされますけど、やっぱり死にたくなることも逃げたくなることもありますよ。精神科のお世話になったり、自殺を試みて入院したこともあります。でも、私にとって〈死にたい〉と〈生きたい〉は表裏一体で、〈可愛くなりたい〉と同じで生涯付きまとうマジだりぃ感情なんです。本当にやってられないですけど、その感情はこれからも背負っていかないといけないので、今後は〈生きたい〉というほんの少しのクソみたいな生命力にすがって、やりたいことをとことん追求して好きなように生きていきたいです。
More
From VICE
-
GLASTONBURY, ENGLAND – JUNE 28: Móglaí Bap, Mo Chara and DJ Provaí of Kneecap perform on the West Holts stage during day four of Glastonbury festival 2025 at Worthy Farm, Pilton on June 28, 2025 in Glastonbury, England. Established by Michael Eavis in 1970, Glastonbury has grown into the UK's largest music festival, drawing over 200,000 fans to enjoy performances across more than 100 stages. In 2026, the festival will take a fallow year, a planned pause to allow the Worthy Farm site time to rest and recover. (Photo by Ki Price/WireImage) -
Photo courtesy of the author -
Screenshot: Jaw Drop Games -
Screenshot: TNK