正に女性専用車両の時間が切り替わる瞬間に電車に乗りました。あまりにも瞬間すぎだったので車内はまだまだ女性だらけ。「切り替わってなかったのか!」と何度も確認するくらい女性に包まれました。ウォーキング・デッドの女性の村に紛れ込んだらこんな感じなんだろうなぁ。でも奥の方にひとりの男性発見。目が合った瞬間、会釈してくれました。私も返しました。一緒にニーガンを倒しましょう!
日々の生活の中で、私たちはたくさんの人たちとすれ違います。でもそんなすれ違った人たちの人生や生活を知る術なんて到底ありません。でも私も、あなたも、すれ違った人たちも、毎日を毎日過ごしています。これまでの毎日、そしてこれからの毎日。なにがあったのかな。なにが起るのかな。なにをしようとしているのかな。…気になりません?そんなすれ違った人たちにお話を聞いて参ります。
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萩原由和(はぎわら よしかず)さん(39歳):ラーメン屋店主
萩原さん、こんばんは。ラーメン屋さんなんですよね?
はい、そうです。こんばんは。
お友達からのご紹介なのですが、ラーメン屋でありつつバンドマンであると。それもグラインドコアをやってるんですよね!
はい、そうです。
失礼ですけど、「ラーメン+グラインドコア」の足し算がお見事過ぎるルックスですね!
ありがとうございます。
…で、お隣にいらっしゃる方は?
嫁です。
すいません、ご一緒だと聞いていなかったのですが。
(奥さま)やっぱりどこかで時間潰してようか?
いえいえ、大丈夫ですよ! そういえば新婚さんだと訊いておりましたし! 本日は、三枝…じゃなかった、文枝モードで参ります。宮本さんがまみね。
(カメラマン宮本さん)え、は、はい。
やっぱり、おふたりは今も離れられないくらいアツアツなんですか?
まぁ、今日はいてくれた方が安心だなって(笑)。結構、あがり症でして。最初は、軽い気持ちでこのお話を受けたんですが、近づいて来た瞬間に緊張してる自分がいました(笑)。
奥様は大丈夫ですか? 今日は旦那さんのHなことも訊きますよ。
(奥さま)はい、全然大丈夫です。
最初は夏頃にオファーしたんですけど、ちょうどご旅行と重なっちゃったんですよね?
はい。
新婚旅行ですか?
って訳ではないんですけど、ちょうどふたりの休みが合ったので、ちょっと博多に。
奥様のお仕事は?
(奥さま)アパレルです。
博多にはなにか目的があったのですか?
ラーメン屋なので、テレビを観てたら博多に辛いラーメンがあると。
辛いラーメン?
はい。宮崎発祥なんですけど、辛麺っていうのがあって、それが博多でも流行ってるようなんです。ちょうど自分の店も辛いラーメンに力を入れているので、これは気になるぞと。そしたら今度は、餃子の特集をしていて、ちょうどうちも餃子に力を入れているので、これは行こうと。
お仕事熱心ですね! でも奥さまは、「またラーメンかよ! アタイはハワイとがグアムとか行きたいの!」みたいのはなかったんですか?
嫁は辛いのがすごく好きなんですよ。尋常じゃないくらい。
(奥さま)辛いの好きですね。
ピザの1ピースにタバスコ1本使うくらい使いますから。
(奥さま)1本は使わないよ。
でも1本使うくらい使う。
(奥さま)それは盛りすぎです。
でもインタビューのときは盛っておいた方が。
嘘はダメです!でも本当に辛いのが好きなんですか
(奥さま)はい好きです。「中本」の北極とかは全然余裕です。
さすがラーメン屋の奥さまですね! 素晴らしいお答えですね! で、その博多の辛麺は、何スープなんですか?
ベースは、鶏ガラスープでひき肉を炒めたものを入れて、スープを肉の味にして、そこにニンニクも入れて…
台湾ラーメンみたいな感じですか?
そうですね。台湾ラーメンにかなり近いですね。それで麺が、こんにゃく麺なんですよ。
こんにゃく麺は美味しいんですか?
マロニーみたいな感じですかね(笑)。
うーん、マロニーか。個人的には鍋のシメでマロニーは嫌だなぁ。
でも地元では、飲んだ後にシメで食うのが、ラーメンという位置付けが強いみたいで。だからガッツリする麺よりは、こんにゃく麺とか、食いやすいのがウケてるのかな? って思いました。
ごめんなさい。よく考えたら萩原さんのお店の名前も聞いてませんでした。
「らーめんHAGGY」といいます。萩原でHAGGYなんですけど。
良いお名前ですね(笑)。
自分が店をやるとなったらこの名前だなって、すごく昔から決めてたんです。でも、やってみると意外と恥ずかしいものだなと。
古閑さんの「KOGA RECORDS」みたいですね。
普通に萩原さんという名前のお客さんも来る訳ですよ。そういう人に「僕も萩原です」とか話かけられるんです。ちょっと恥ずかしくなります(笑)。
お店を始められてどれくらいになりますか?
7年目です。
わー、もう長いですね。どちらでやられているんですか?
調布の柴崎です。京王線で調布から3駅です。
どうして柴崎にしようと思ったんですか?
家賃が安かったからです。物件をネットで探していて、それで今の物件が出て来たんです。ランク的にはCランクというか…
Cランクってなんですか?
物件のレベルですね。立地条件や、物件の状態とかで、Cランクみたいな位置付けをされていたんです。木造で築40年っていうとかなりボロですし、柴崎駅は各駅しか止まらないので、商売をやる立地としては、乗降者数が少ないんですね。だから、そういう場所で店をやるというのはあまり…
ということは、相当腕に自信があると!
全然、ないですよ(笑)。
いや、いや、7年もやられているんですからねぇ。HAGGYさんのラーメンは何ラーメンなんですか?
メインは塩・醤油です。鶏ガラと魚のベースを合わせたスープです。いわゆるWスープといわれているやつですね。最初は醤油とつけ麺だったんですけど、売り上げがだんだん下がってくるに連れて、「アレやらなきゃいけない…コレやらなきゃ伸びない…」って、広げました。味噌とか辛いのとか餃子とか。だんだんメニューが増えまして、更に限定ものとかゴハンものとか…。気が付いたらバーミヤンみたいになってました(笑)。
いいじゃないですか、バーミヤン!! 揚げワンタンでビール、最高ですよね! 「おつまみ小皿メニュー」、ふたつ頼むと500円になるの。HAGGYさんとこのおつまみは?
餃子とチャーシューとメンマくらいですね。あんまり居酒屋っぽく充実させちゃうと、また別の面倒臭さというか、そこの線引きはギリギリ保ってるというか。ただ心は揺らぎますけどね、「もうちょっとつまみ増やしちゃおっかな?」みたいな(笑)。
ぜひお願いします。小皿でキクラゲ卵がいいなぁ。さて、新婚生活はどれくらいなんですか?
(奥さま)もうすぐ1年になります。
どこでお知り合いになったんですか? お店のお客さん?
店の斜め向かいに美容室があるんです。そこで働いてる女の子の高校の同級生なんです。髪を切りに行くときに「彼女欲しいんだよね」っていってたら、嫁も「年上でヒゲが生えた彼氏が欲しい」みたいなことをいっていたらしく(笑)。それで紹介されました。
ヒゲはバッチリだし、年齢も。奥さまはおいくつなんですか?
(奥さま)31歳です。
きゃー、HAGGYいやらしい!
(奥さま)友達に、「その条件だと紹介できるのは近くのラーメン屋くらいしかいない」といわれました。
それでその子が店に嫁を連れて来まして、自分的にはドンピシャだったんですね。
奥さまはどうでした?
(奥さま)顔自体はタイプだったんですけど、自分的には「お友達から初めてみようかな?」くらいだったんです。でも結構グイグイだったので。
グイグイしたんですか?
年も年なのでねえ(笑)。
奥さま的には、ラーメン屋さんというのはどうだったんですか?
(奥さま)その辺はあまり拘ってなかったんですけど、付き合ってる中で、もしこのまま結婚したら「自営業かー」っていうのはありました。
安定はないですからね。
開業資金は、借りたりしたんですか?
はい。でももう返し終わりました。
ああ。素晴らしい。
でも初期投資が本当に少なかったので。
居抜きだったんですか?
はい。前もラーメン屋でしたから、中のクロスを張り替えたくらいなんですよね。什器とかも格安で譲ってもらったので。
奥様は、どの段階で「お付き合いしてもいいかな」って思ったんですか?
(奥さま)もう1回くらい遊んだら、告白されるだろうという雰囲気がありまして、正直どうしようかと迷っていたんですけど、紹介してくれた子が「とりあえず付き合って、ダメだったら別れればいいじゃん」みたいなアドバイスをくれました。それで結構軽いノリでここまで来ちゃいました(笑)。
可愛い笑顔ですね! で、告白はどこで?
えっと…LINEで告ったんだっけ(笑)?
(奥さま)お家に遊びに行ったんだよ。
そうだっけ?
(奥さま)カムジャタンをつくってくれたんだよ。
ああ。
(奥さま)やっぱりラーメン屋だから、ラーメンのスープとかを使っていて、すごく美味しかったです。
カムジャタンつくったのは覚えてる。
ちょっとHAGGY、ちゃんと覚えてないとダメでしょ。その場で奥さまもOKしたんですか?
(奥さま)…だった気がする。
まぁ、人の記憶なんて、こんなもんですよね(笑)。萩原さんは、もともとラーメン屋さんになろうと思ってたんですか?
ラーメンは好きでしたけど、全然そんなことはなくて。ラーメン屋で働きだしたのが27歳からなんですよ。
あら、結構遅いんですね。
はい。それまでは職を転々としてたんですけど、25歳を過ぎた辺りで「このままだとあんまりよろしくない。どうしよう?」と。そこで腹を決めてラーメン業界に入りました。「ラーメン屋なら出来るんじゃないか?」というノリで。
お店で修行はしたんですか?
最初に恵比寿の「AFURI」で。
おー、有名店。「中村屋」ラインの?
そうです。弟さんが中村屋で、お兄さんがAFURIを経営しています。
どうしてAFURIに?
別にAFURIに入りたかったわけではないんです。元々ラーメンは、豚骨とかが好きだったので、家系の店とかをあたっていたんです。それで、店の前にデカデカと「社員募集」とか張り紙を出している店に問い合わせたりしていたんですけど、「うちは社員募集してないから」とか理不尽なことをいわれて(笑)。
さすが家系! 面白いですね(笑)。
あとは「ラーメンショップ」みたいなところとか。
ラーメンショップ! 最高ですね!!
はい、「うまい ラーメンショップ うまい」って書いてある(笑)。本当は自分の店の看板も、ああいうビカビカなやつにしたかったんですけどね(笑)。でも結局は、ラーメンショップでも働けませんでした。そしたらAFURIがバイト募集をフロム・エーに載せてたのを発見したんです。それで「ここでいいや」と。
「いいや」ですか(笑)。
だから最初はバイトだったんです。
AFURIってお洒落でしょう? ラーメンショップとは真逆のような(笑)。
ああいうお洒落な場所で働きたいっていう意識はまったくなかったんですけど、結果的には良い方向に行きました。
ご実家はどちらなんですか?
町田の相原というところです。最寄駅でいうと、京王線の橋本駅から歩いて15分くらい。
橋本駅、降りたことないですね。
何もない街ですよ(笑)。でも橋本駅って、リニアの始発駅になろうとしてるんです。ゆくゆくは大きな駅になるから、ずっと駅舎自体が簡単な掘っ建て小屋みたいなつくりなんですよね。2、30年そんな感じです。
へえー、知らなかった。
だから、ゆくゆくは東京駅みたいな雰囲気になるかもしれない。
それはいい過ぎでしょ(笑)。
でも子供の頃からそう聞かされてきましたし、最近は具体案とかも出てますよ。
そうなんですね、失礼しました。萩原さんは、どんな小学生でしたか?
そこから話すんですか?
そうですよ!
ナードな感じでした(笑)。
ナードな小学生ってどんなのですか?
平日は小学校に行って…
まあ、行きますよね(笑)。
週末は少年野球をやってました。
外交的じゃないですか!
でも下手で下手で(笑)。しょっちゅうエラーして。
どこを守ってたんですか?
セカンドだったんですけど、自分がトンネルをして、ピッチャーの完全試合を潰したこともありました。ピッチャーはすげえいいヤツだったんですけど、そのときは怖かったですね(笑)。2週間くらい口を聞いてくれなかったです(笑)。
初恋は? あ、奥さま、ここから順を追って、女の子遍歴とかも入れていきますので。
(奥さま)どうぞ、どうぞ。
大したことはないから(笑)。
じゃ、お願いします。何ちゃんとか覚えてます?
えっと、タチバナさんですね。この間ちょうど同窓会があって、タチバナさんは来なかったんですけど、周りのやつらと話をしてたら、みんなタチバナさんが好きだったと。「俺もタチバナさん!」「 俺もタチバナさん!」って。
タチバナさん、スゲエ! 誰に似てましたか?
強いていうと、ちょっとメロディックになった北川景子みたいな。
メロディック…メロディック・ハードコア(笑)?
はい。メロコアみたいな顔の(笑)。
よくわかんないんですけど、確かに北川景子ってキリッとしてる感じだから、それに比べるとメロコアだと?
ちょっとポップな感じが。
DISCHORDというよりもLOOKOUTな感じですか?
正にそんな感じです(笑)。多分合ってると思います(笑)。
DISCHORDにアプローチしましたか?
まあ小学校のときですから(笑)。なにもなかったですねぇ。
中学はどうでしたか? 中学校は公立ですか?
はい。普通に公立の中学校に進みました。
部活とかは? また野球ですか?
野球は、そのまま地域のチームに入って、平日は中学の部活をやってました。1年のときは水泳をやって、2年生になったら友達に誘われて陸上部に入りました。そこから高校卒業まで、ずっと陸上をやってました。週末も野球なので、ほぼ運動漬けというか。
超体育会系じゃないですか。未来にグラインドコアが待っているとは思えませんね。あ、グラインドコアもスポーツみたいなもんか。さて、中学のときの恋愛話をお願いします。
中学校に入ると恋に目覚めましたね。どんどんシーンに広がっていくじゃないですか。
シーンですか(笑)。グラインドコアシーンですか。
自分もどんどん好きな子ができて。だから結構告った方なんじゃないのかな(笑)。
何勝何敗ですか?
ほぼ負けてましたけど、ひとりだけ付き合いました。
すごいじゃないですか! 何ちゃんですか?
下の名前は覚えてないですね。
さっきから下の名前は覚えてませんね。名字は?
クノさんです。
クノさんとは、どこでデートしてたんですか?
デートは1回もしてないですね。中学校は別で、塾で知り合った子なので、そこで2、3言喋って帰るみたいな(笑)。
それって本当に付き合ってるんですか? 萩原さんの妄想コアじゃないんですか? 奥さま、どう思います?
(奥さま)怪しいですね。
いえ、「付き合って」といったら「いいよ」といわれたので。契約書は交わしたようなものじゃないですか(笑)。それが中2くらいのときでしたかね。
結構長く付き合ってたんですか?
いや、結局付き合った期間は1ヶ月もなかったんじゃないでしょうか。でも、その間にクリスマスがあって、プレゼントをあげたんです。初めての行為ですよね。
何をプレゼントしたんですか?
町田の東急ハンズで4000円の置き時計を買いました。
超高価じゃないですか!
ですよね! 中2で4000円じゃないですか。今でいうと20万円くらいですよね(笑)。
そうでしょうか。どんな置き時計ですか?
普通の「ゴーン、ゴーン…」って鳴るような。
(奥さま)要らないよ。
木のやつ? ウッド?
はい(笑)。わざわざ塾に持って行ったんですよ。そしたら「あ!」って顔をされて。「今日クリスマスだって忘れてた。プレゼントを忘れてきちゃったから、後日持ってくる」っていって、次に塾に行ったときに渡された箱がカチャカチャ鳴ってるから「なんだ、なんだ?」って。周りのヤツらも「何貰ったんだ?」みたいな。「これって手作りクッキーじゃねえ?」「そうだよ! 絶対手作りクッキーだよ!」とかいって、ワクワクしながら家に帰って、紙袋を開けたら、エッフェル塔のパズルでした(笑)。
クノさん、パリジェンヌ!
しかも裏にご丁寧に値札まで貼ってあって(笑)。
いくらだったんですか(笑)?
1000円です。俺は4000円をあげたのに1000円のパズルが来たと思って(笑)。
エッフェル塔はつくったんですか?
もちろんつくりましたよ(笑)。つくってちゃんと箱に入れて、3ヶ月くらいは飾ってましたよ(笑)。
エッフェル塔を部屋に飾るグラインドコアマスターがいたんですね。ムラムラはどうしてたんですか?
ムラムラしてましたねえ。
ムラムラ発散のオカズを教えてください。
このインタビュー、家族は読まないですよね。
わかりません。
親父の部屋に本宮ひろ志の「俺の空」があったんですよ。あれの初期ってエロいじゃないですか? 小学校のときからそ「ほう…」って感じで見てて。親父は真面目な人なんですけど、記憶を辿るとヌードカレンダーとか部屋に飾ってあったり、あとカメラが好きだったので、「アサヒカメラ」とかあって、そういう芸術性の高いヌードのページを見て中学校初期は悶々としてましたね。
いいお父さんですね。
ある日親父の書斎で、エロい本ないかな? って漁ってたら、「セックス四十八手」っていう、謎の組手本みたいなのが出てきて。
おおー!
「なんだ、これは!?」と(笑)。それを開いたら仮面をした男女が森の中でいろんなポーズをとってる(笑)。
仮面って(笑)!! そっか、顔を出しちゃうと気がそっちに行っちゃいますもんね。やっぱりテクニックを学ぶものだから。
だから真面目な本だったんじゃないですか(笑)?
たまにお父さんのいないときに自分の部屋に持って行ったり?
そうですね。
俺の空も?
俺の空も(笑)。
どうですか、奥さま?
(奥さま)そんな話は聞いたことありませんでした。しかし、旦那の服とかも借りたりするんですけど、ポケットに卑猥なお店の名刺が入っていたことがありました。
ああ、良い思い出です(笑)。
(奥さま)領収書の整理をしているときも出て来ました。
領収書?
確定申告のために領収書を整理するじゃないですか。仕分けをお願いしたら出てきたことがありました(笑)。昔の話です。
(奥さま)どんだけ行ってんだよ。
(カメラマン:宮本さん)ひっひっひ(笑)。
やっぱ四十八手出身だからパワフルなんですよね。高校も地元の高校ですか?
はい。京王線で橋本から行ける都立の高校に。
男女共学?
そうです。
そろそろ音楽にハマる時期ですか?
いや、音楽自体は好きだったんですけど、バンドをやろうという発想は全くなかったんですよ。陸上ばっかり(笑)。
じゃあ陸上をしながら、変な音楽を聴くだけ?
でも高校のとき聴いてたのって、本当にC&C MUSIC FACTORYとか(笑)。
あら? 普通にハイスタとか出てくるかと思ったんですけど。
小学校とか中学ときの方が聴いてましたね。THE MODSとかX JAPANとか。中学ではSOFT BALLETにハマっちゃいました(笑)。
クネクネですね!
はい。クネクネのピコピコ。ギターのジャーンという音はダサいって思って。ピコピコ音が最先端で格好良いみたいな。
そこからのC&C MUSIC FACTORYは、なんとなくわかる気がしますね。
AEROSMITHくらいは聴いてましたけど、高校は普通にB’zとかも聴いてました。
うむー、EYEHATEGODのキャップまでは、まだまだ遠いですね。高校時代のムラムラは?
高校のときはまったく何もありませんでしたね。
それは何で?
何でかなぁ(笑)。高3のときに予備校で知り合ったウジカワさんという女の子には告白したんですけど、「友達にしか思えない」っていわれたくらいです。
じゃあなんにもない高校3年間?
ないですね。
奥さまの高校時代はどうだったんですか?
(奥さま)彼氏がいないときはあまりなかったかもしれないです。
おおー。どう思います? 旦那さんの彼女がいない高校3年間。
(奥さま)卒業アルバムを見せてもらったときに「ああ、なるほど」って思いました。
何で?
(奥さま)モテるとかじゃなくて、おちゃらけ雰囲気っぽかったです。ギバちゃんみたいな髪型をしてました。
柳葉を目指してたんですか(笑)?
まぁ、流行ってましたので(笑)。後ろから持ってきて、キュッていう。90年代半ばくらいだと思うんですけど。ジェルをベタベタにつけてました(笑)。
そして高校も卒業です。進路は決めていたんですか?
すごく頭の悪い高校だったんですね。だから、1度は偏差値の高い連中に囲まれて生活がしてみたいと大学進学を決めました。
すごい理由ですね(笑)。
もちろん、現役では無理だったんですけど、1浪して受かりました。
浪人中はガッツリ勉強を?
はい。浪人のときは本当に勉強しましたね。1年で偏差値が20くらい上がって。
どちらの大学に行かれたのですか?
法政大学です。
ご立派!
記念受験みたいに受験したら受かっちゃったんですよね。それは行くじゃないですか。
記念受験で受かる人、結構多いですね。変態の中島さんもそうでしたね。サークルとかは入ったんですか?
はい。音楽系に。
やっと来た! でもC&Cからグラインドコアって、相当な道のりですよ。
予備校時代に新しい友達が出来たんです。それで音楽好きなヤツが周りに増えて、そこら辺から、当時盛り上がってたメロコアとか聴かされて。最初はOFFSPRINGにすごくハマって。
アハン、アハンの頃ですか?
アハン、アハンの前ですね(笑)。ドクロのレントゲンの写真みたいな。そしてNOFXとかメロコアにどっぷり。同時にスマパンとか、NIRVANAとかもそのときに聴き始めて。今までに知らなかった音楽を聴きまくったんです。それで大学で音楽サークルに入るんですけど、その当時、自分の入った法政の音楽のサークルにいろんな先輩がいて。
ああ、そっか! 法政ったらねぇ〜!
そうですね。95、6年の法政は、日本のあらゆるバンドがライブに来てました。もう、カルチャーショックがすごくて。最初の新入生歓迎会なんか、原爆オナニーズですよ。
すごいですよねぇ。
学館大ホールという大きいホールで、毎月いろんな企画が組まれてました。
じゃ、入ったサークルでグラインドコアを叩き込まれたと?
まぁ、そんな感じですね。当時はわからないことばっかり(笑)。「OFFSPRINGしか知らないから」って(笑)。毎月、毎月、新しい刺激が入るというか。パンクからグラインドコア、ガレージから70’s。はたまたノイズも。灰野敬二さんも来てましたからね。
それでご自身でもバンドを始めようと?
周りも組んでいたので、「俺も何かやろうかな?」という気持ちで。
そのときは、どんなのをやってたのですか?
最初からハードコアみたいな(笑)。まだ音楽もロクに知らないし、バンドの経験もあまりないですから、ハッキリいって、その4年間は何をやったかよくわからないような(笑)。
女の子もサークルで知り合っちゃったりするんですか?
それがですね、大学のときもパッとしないんですよ。
パッとしない? モテなかった?
まぁ(笑)。
変な音楽やってたからでしょ?
でも合コンはしょっちゅうやってました(笑)。
お! 女子大生と?
違う大学の子とかバイト先の子とか。あらゆるツテを使ってやってました。バンドもやりたかったんですけど、合コンもやりたいみたいな(笑)。比率でいうと合コンの方が多かったかな。フリーの合コンプレイヤーみたいな(笑)。
どうですか、奥さま?
(奥さま)馬鹿だな。
お決まりのアミューズメント的な芸とか持ってたんですか?
なかったですね。でも勢いでグイグイ行くタイプなので、特に面白いモノマネとかを持ってるわけではなく、ゲームとかをやるわけでもなく、ずっと喋ってました。でもそれが良くなかったんですかね。上手く行った経験はほとんどないんですよね。
じゃあ、どこで四十八手の一手目を刺したんですか? 奥さま、訊いても大丈夫ですか?
(奥さま)全然、大丈夫です。
一手目は、居酒屋でバイトしてたんですけど、そこのお客さんでした。何かお客さんが自分のことを気に入ってくれて…みたいな。2個上の女の子でした。
その子も大学生だったんですか?
看護師さんで。
HAGGY、やらしいですね!
その子は、バイト先の近くに住んでたんですけど、ご両親はどこかに引っ越してて、その3LDKのマンションにひとりで住んでたんですよね。
3LDKをフルに使って? やらしいなぁ!
そうですね。それが四十八手の一手目です(笑)。
素敵でしたか?
素敵でした。キラキラした思い出ですよ(笑)。
二手目も大学であるんですか?
その後の彼女もバイト先の別の店舗の子で(笑)。嫁の前でこういう話をするのは、本当に変な汗をかきますね(笑)。
新しいプレイですね! じゃあバイト、バンド、合コン、四十八手と、楽しい大学生活だったと。
華やかなイメージはなかったですけどね(笑)。
まぁ、確かに灰野さんとは結びつきませんが(笑)。
別の音楽サークルに入ってたら違ったんだろうなとは思います。そこで、変にアンダーグラウンド志向を持ったっていうのはありますよね。違う大学とかに行ってたら、普通にOFFSPRINGのコピーバンドをやって、楽しんでいた気もします(笑)。アンダーグラウンドで活動すること自体が、格好良いとか、憧れとか、そんな感じになっちゃって。そうなると世の中を斜めに見たくなるみたいな。
ライブハウスで演ったりもしてたんですか?
当時の僕の周りは、スタジオとかを借りてライブをする人がすごい多かったんです。自分もそういう影響をすごく受けたものですから。ライブハウスにブッキングで出るのは、「ちょっとダサいんじゃないか?」みたいに思ってたんですよね。ライブハウスでもやったことはありますけど、スタジオでやることの方が多かった気がしますね。
その頃の髪型は? まさかギバちゃんじゃないですよね?
ギバちゃんを卒業して、普通の中分けだったかな? 学祭ではモヒカンにしてBIOHAZARDのコピーをやりましたね(笑)。
で、そろそろ就職活動になるじゃないですか。モヒカンで就職活動したんですか?
将来の安定は欲しいと思ってたんですけど、本当に何をやりたいか、わからなかったんです。就職活動のやり方もよくわからなかった。エントリーシートを書いて、いろんなところに面接も行ったんですけど、ほとんど落ちまして、大学4年の2月まで決まらなかったんです。ちょっとヤバいなと思ってたときに、たまたま「とらばーゆ」を見たんですよ。
あれ、「とらばーゆ」って女の子が読むヤツですよね?
そうです(笑)。でも、とらばーゆで見つけた英会話学校の事務が、年間休日140日あったんです。
休めますねぇ〜!
週休2日でも年間120日じゃないですか? それが140日ですからね。給料も他の会社と同じくらいだったし、英会話学校だから英語も勉強出来ていいんじゃないか? みたいな。ちょっと応募してみたんですよ。そしたら受かっちゃいまして。
男でもOKだったんですか?
OKだったんですよね。初の男性職員として入りました。それが最初の就職でしたね。
おおー。じゃあ、周りは女の子ばっかり。どうでした?
年が近い子ばっかりで。そういう子たちが、結局自分の上司になるわけじゃないですか。初めてそういうことを経験して、ギャップというか、就職するってこういうことか? って。
嫌になっちゃった?
嫌になったというか…女の子の人間関係で嫌になったというか。そこの社長がなかなかスピリチュアルな方で。
女性の方ですか?
おっさんなんですけど、いわゆるワンマンの人で、オーナーがスピリチュアル過ぎて。自分は唯一の男性社員だから、気に入られていたんですけど、電波系というか。マズいなと思ったのは盗聴されてて。
えー、事務所内で?
はい。周りの職員から「盗聴されてるから、変なことを喋らないほうがいいよ」っていわれてたんです。「マジか?」って思ってたんですけど、ある日ケリー…怠け者のケリーという女の先生がいて。
素敵なお名前ですね(笑)。本当に怠け者だったんですか?
しょっちゅう遅刻するし、休憩中お菓子ばっかり食ってました(笑)。それで、ケリーは酷過ぎるからクビにしようみたいな話が出てたんですよ。でも俺はケリーと仲良くて、ある日ケリーと話してたんですね。ケリーは自分の状況をわかってて「私、クビになるかもしれないわ」みたいなことをいってて、「ケリーは皆から慕われてるから平気だよ」って励ましてあげてたんです。そしたら、そのタイミングで社長から電話がかかってきて「ハギー、ケリーとあんまり仲良くしないほうがいいよ」って(笑)。本当にリアルタイムで盗聴されてるんだって。
怖いですね。そして、もうハギーって呼ばれてたんですね。
本当にあるんだと思って、これはまずいと。結局1年いなかったですね。
そこから転々ですか?
そうですね。次は変な仕事じゃなくて、ちゃんとした営業マンになろうと思って、また求人誌を見るんですけど、カタログショッピングの会社が営業を募集してたので、「これいいじゃないか!」と。
ニッセン的な。
それで受かったんですけど、初日に「こいつと外回ってきてくれ」といわれて、先輩の社員と車に乗るわけですよ。ワンボックスカーみたいな。ちょっとこれから何件か周るからっていわれて、「カタログショッピングで何件か周るって何だろう?」と。
雲行きが怪しくなってきましたね。
それで走り出して、パッと後ろを見たら、いっぱい布団が積んであるんですよ。
アハハハ!!!!
「◯◯さん、たくさん布団が積んでありますけど、今日はどこに行くんですか?」っていったら「これ全部配達だよ」っていわれて、「布団ばっかりですね」っていったら、「聞いてないの? うち布団屋だから」って(笑)。
すごい展開ですね(笑)。萩原さんも売りさばいたんですか?
自分は営業じゃなくて、アフターサービスというわけのわからない肩書きを与えられました。クレームがあったら行って謝ったり、説明したり。あと在庫の管理とかの仕事もしていました。
布団自体はいい物なんですか?
どうなんですかね(笑)? 扱っていた布団は、無圧効果というか、マッサージ効果があって、それがいいみたいな売りの布団だったんです。原価はいくらか知らないんですけど、それを60万とか80万で営業さんが売ってくるんですよ。
スゲエ…。
もちろん、ランクもありますけど、20万で売りつける人もいれば、100万で売りつける人もいるんです。その布団がデコボコになってるんですけど、使ってるとぺちゃんこになってくるんですね。ぺちゃんこになるから当然クレームが来るじゃないですか? 「ぺちゃんこになったけど、どういうことなんだ?」っていわれたら、自分が出動するんです。
HAGGY,GO!!!!
「これぺちゃんこじゃないか、不良品じゃないか」っていわれたら「奥さん、聞いてください。揉むと直りますから」っていう意味のわからないセールストークして帰って来るという(笑)。
まじスゲエ世界ですね。萩原さん揉みまくっていたんですね。
そうです。
奥さま、どうです? 旦那さんのこんな過去。
(奥さま)ねー。
これは長くいちゃまずいなって。
そして次の闇商会に行くんですか?
そうなんです。
はい(笑)。
ちゃんとした会社で、ちゃんとした営業をしなきゃまずいと思って。
さっきもいってましたよ。
それでまた求人誌を見て「電話機の営業」って書いてあって。「やったら、やっただけ稼げる」って書いてあって、「こういうのがいい!」と思って(笑)。
「こういうのがいい!」ですか(笑)。
「こういうのがいい! 頑張ろう!」と思って入ったら、やっぱインチキ系だった。
はい(笑)。
「●●●の工事担当なんですけど、これから光回線に変わっていきますよ。ISDNにした方がいいので、ちょっと調査にうかがいます」って意味のわからない電話をして。「この電話機は使えなくなるから取り替えましょう」って電話機を売りつけるわけです。
ええ。
最初は自分も全くそういうのは知らないですから、会社に入ってISDNというものを教えられるわけですよ。「ISDNはこれだけ素晴らしいから、これだけ売りつける」っていわれて、最初はちょっと感動しちゃったんですよね。「俺は何て素晴らしい仕事に就いたんだ」と(笑)。
あらー。
1回線から2本取れるとか、電話とFAXが同時に使えるとか、こんなにいいのは他にはないという説明を受けて。最初は入ってテレアポをしまくるわけですよ。でも営業の電話をかけても東京の人たちは皆わかってるので、ほとんど埼玉から上の方にかけて「●●●の電話工事担当」って装ってやってました。でも2日後くらいに「やっぱ、これもマズイんじゃないか?」って気付くんですよね(笑)。結局そこには2週間くらいしかいませんでした。真っ黒でしたから。
はー、早く終わってよかった。黒いのはお終いにしました?
ええ(笑)。こういうのはもう嫌だと。それで、派遣で探したらルート営業ができるみたいな会社があったので、そこに入ってようやくまともな仕事をしました。
なるほどね。でも、お父さん、お母さんは大学を卒業したのに、「何やってんだ!」とかいいませんでしたか?
そこまでいわれなかったですね。それに「詐欺の会社に入っちゃった」とはいえないですよね(笑)。
確かに(笑)。バンドの方はどうだったんですか?
ちんたらやってましたね。バンドをやりたいとは思っていたので、週末休みの仕事を意図的に選んでました。
で、遂にガチンコ!ラーメン道ですね。元々ラヲタだったんですか?
そこまでではありません。ラーメンは普通に好きでしたけど。
どこのラーメン屋さんが好きだったんですか?
自分は地元が八王子の方ですから、八王子近辺のラーメン屋にはものすごく影響を受けました。今のラーメンオタクは、ものすごくネットの情報を使って、いろんなところに行くじゃないですか? 自分はそんなノリじゃなかったんですけど、予備校のときに八王子の友達に連れてってもらった長浜ラーメンを初めて食ったときに、頭に雷が落ちるくらいの…正にBAD BRAINSのジャケットみたいな感じの衝撃を受けて(笑)。「この美味い食べ物は何だ…!?」みたいな。
HRからお告げがあったんですね! それまで豚骨的なものはあまり食べたことがなかった?
そうですね。「これは美味い!」みたいな。そこからちょこちょこ近所のラーメン屋を周るようになったんですよ。その辺りから「ラーメン屋、いいかも」って思ってましたね。
それでAFURIに入られて。修行は厳しかったですか? 今まで料理をやったこととかは?
料理は今でも全然ダメですよ。
え? 今まで料理もされたことがなく、それでもAFURI側はOKだったんですか?
最初はバイトですから。別にどこのラーメン屋もそうですけど、元気があれば大丈夫みたいな(笑)。料理のスキルは求められないんですよね。
なるほど。
まあラーメンをつくる作業って、タレを入れてスープ入れて、麺を茹でるだけなんですよ。教えたら20分くらいで小学生でもつくれるような作業ですから。
でも佐野さんのガチンコ!では、ホースで骨を洗ったりしてたじゃないですか。
そういう店もありますけど、AFURIは違いました。ウェイターとか、つくる人で分かれているわけではないので。最初に注文を覚え、洗い物とかを教わったら、次は、具を入れてねとか、麺を茹でてねって。全部一緒くたにやるんです。確かにAFURIにも、細かいところはたくさんありましたが、うまくできるように計算はされていました。
じゃあ途中から社員になったんですか?
厳密にいうと、最後まで社員というポジションではなかったんですよ。店長という役職に就きましたけど、雇用形態としてはバイトっていう身分でしたね。だからかえって稼げましたけど。ボーナスも出ていましたし。
それでAFURIには何年間いたんですか?
トータルで3年ですね。
「そろそろだな」という時期が来たんですか?
AFURIで3年やって、別の店で経験した方がいいなと思い、中目黒の豚骨ラーメン屋に転職しました。そこは家系みたいな味なんですけど、厳密にいうと直系ではない店です。AFURIだけで勉強しても限られますし、いろいろ知らないといけないなと思って。
家系ではないけど、鬼軍曹系? 佐野さんより怖い師匠系?
そんなことはなかったですよ(笑)。自分は鬼軍曹的な人に鍛えられたことはありません。テラスハウスみたいな空間で。
やらしいですね(笑)。
あんな女性は出てこないですけど、あれくらいのノリで修行はしてました。中目黒では2年やりました。
それで遂に独立ですが、ご自身の味はどのようにして決めたのですか? AFURIっぽいものとか? 中目黒っぽい味とか?
自分がどういうものをつくりたいというよりは、何ができるか? という自分のスキルという部分を考えていました。今思うと、物凄く浅はかというか、よく今までやれてきたなと思うんですけど、これしか出来ないんだから、これをやればいいという感覚でしたね。AFURIのラーメンのつくりかたは、ちょびっとだけ教えてもらったんです。ただ全部ではないので、少ない知識と中目黒の店で教わった知識をミックスさせて、とりあえず醤油でいこうと。
オープン資金は貯めていたんですか?
AFURIの店長時代にかなりガッツリ貯めました。手持ちの資金だけでもいけたんですけど、保険も兼ねて国庫と両親からもちょっと借りましたね。
家では、試作とかもつくったりしていたんですか?
試作も多少しましたけど、1番大きかったのは、中目黒の店のオーナーに「独立しようと思うんです」といったら、「今度の店の夏休み中だったら、店を使っていいよ。流れ営業という形でHAGGYをやってみろ」というお話をいただいたんですよ。そこで自分の味をつくりました。更に、中目黒の店のすぐそばに、すごく有名なラーメン評論家さんの事務所があって、その流れ営業のときに食いに来てくれたんですね。その方が、ネットとかで色々発信してくれて、全国のラヲタさんたちが注目してくれたわけですよ。それが本当にデカかったですね。
やっぱラーメンネットワークってすごくパワーがありますね。流れ営業はどれくらいやったんですか?
3日間だけですけど、1日100食限定で、夕方くらいには捌けました。今、自分の店をやってても、100食ってすごく大変なんですよ。だから自信にはなりましたし、土台としてはかなりいいものができましたよね。
そして待望のオープン! お客さんはどうでした? 初日のこととか覚えてますか?
満席になったときは正直怖いと思いましたね(笑)。
お店はおひとりだけで回してたんですか?
知り合いに来てもらってたんですけど、つくるのは全部自分でした。AFURIも中目黒の店も、結構繁盛してる方で、AFURIとかは20席くらいありますし、中目黒の店も10席くらいだったので、うちの8席だったら自分ひとりでも楽勝でしょ、くらいの軽い気持ちだったんですね。でも初日で満席になった瞬間に、頭が真っ白になって、初めて仕事が怖いと思いました。
怖いっていうのはどういうことですか? 8席がずっと続くというのが? ミスはできないぞというのが?
そうですね。自分の店という責任感なのか何なのか知らないんですけど、恐怖を感じましたね。
いつも不思議に思うんですけど、ラーメンを色々試作して、どこで納得して終了するんですか? 「これだ! できた!!」って思うんですか?
突き詰める人は、すごく突き詰めるんでしょうけど、商売ですから、原価の部分と期限の部分を考えますね。例えば、限定品とかで自分が出したいってなったら、自分でちゃんと期限を決めて出さないと、ダラダラになってしまう。そこで流れちゃうっていうのもありますし、「これはこんなものでいいかな?」っていうパターンもありますし。自分はそうやって出しちゃうんですけど(笑)。
例えばスープにしても、魚介だの豚骨だの野菜だの、その量、その素材によって、何パターン、何千種類の組み合わせが出来る訳じゃないですか。どう計算してるんだろう? と。
自分は何も計算してないです(笑)。
そうなんですか(笑)?
経験がたくさんある人は、すぐに味がわかると思うんですが、自分は何回も試作しないとわからないわけですよ。試作しなくても、頭の中でレシピを構築したらこうなるってわかる人もいるんですが、自分はそういうことも、計算も出来ないので、何回も、何回もやらないといけないのです(笑)。
限定品っておっしゃられましたけど、やっぱり限定ラーメンって大事なんですか?
大事ですね。すごく大事です。店によるかもしれませんが、うちは地域の常連さんがほとんどなので、ハッキリいってレギュラーメニューには飽きてらっしゃいます。この間も限定をバンバン出したら売り上げは良かったんですね。うちも実力がついたなと思って天狗になって、もう限定とかやらなくても、このまま行けるんじゃないか?と思ってやらなかったら売り上げがすごく落ちて(笑)。
なるほどねぇ。あと、ラーメンデータバンクとか食べログとかあるじゃないですか? レビューとかチェックとかするんですか?
結構見ますよ。2ちゃんねるまで(笑)。エゴサーチはガンガンしますね。まあ、どこの店主も見てるとは思うんですけど、好意的なコメントは当然嬉しいんですが、否定的なコメントもいっぱい来ると、血管500本くらい切れますね(笑)。
お店が調子が悪かった時期もありましたか?
はい。正直いって、最初のオープン時の勢いは、AFURI出身という部分もすごく大きかったんです。「AFURIで店長をやってた人がオープンしました」って。ただ正直実力はなかったですし、そこから続けるためのネタも持ってなかったんですよね。だからある程度したらガクンと落ちました。
そのときのお気持ちはどうでした?
当時はひとり暮らしでしたし、家賃も安かったですから、焦りみたいなものはそんなになかったですけどね。ただオープンして1年後には、限定物を出し始めました。
ラーメン屋さんって、気付かれないように少しずつ味を変えてるっていうじゃないですか? それって本当なんですか?
本当です。そうじゃなきゃ無理ですね。何10年も同じ味っていうのは、老舗とかはそうかもしれないですけど、ほぼ全ての店のレシピはアップデートしてるハズですね。結局そういう意識がないと続かないというか、そういうことをやらない店は潰れていくことになっちゃうので。
萩原さんは、他店にも行かれるんですか?
最近は特に行くようになりましたね。
チェック?
前はどうでもいいなと思ってたんですけど、最近は勉強しなくちゃヤバいなと…。結婚してから、やっと危機感が生まれて来たので。
奥さまも一緒にラーメン行きます?
(奥さま)そうですね。だいたい外で食べるのはラーメンです。もともと自分も女子の中ではラーメンとか食べに行っちゃう方ですので。
ラーメン女子なんですね! 萩原さんが「すげえ…」って思う店はありますか?
あります。佐野さんの「支那そばや」は、やはりすごいと思いましたよ。
どういったところがですか?
やっぱり自分が分析できるようになってきたっていう部分もあるんですけど、あそこってスタンダードな味じゃないですか? ああいったもので美味いって思わせるのは、やっぱり難しいですよね。科学調味料とかもいっぱい使ってるわけでもないですしね。10年前の自分だったら、「なんだ、この薄いラーメンは?」と、いっていたかもしれませんが。
つけ麺ブームだったり、油そばブームだったり、忙しい世界ですが、今は何がトレンドなんですか?
トレンドというか、二極化してると思います。どんどん高級食材を使って、ラーメン1000円時代ってもう来てるんですけど、それとは別に、チェーン店は低価格の物を出して行く。やっぱり実力というか、店自体のスタイルがどんどん二極化していくと思うんですよね。真ん中が生き残れなくなってると。ラーメン業界というもの自体が儲からなくなっているので、すごく有名なランキングに入っているような店でも、自分みたいな一店舗、もしくは二店舗だけしか持ってない個人店って原価がすごいんですよ。そうなると、儲けってそんなに出てこないんですよね。どこもいい生活をしてるわけではないと思うんですけど…いるのかな? わからないですけど(笑)。
うーん、大変なんですね。HAGGYの営業時間は何時から何時までなんですか?
平日は11時半からで、途中3時から6時まで休んで、夜は11時くらいまでです。
1日の流れを聞きたいんですけど、まず何時にお店に行かれるんですか?
行くのは9時前後です。オープンまでの間に、準備とか仕込みをやりながら、それで平日の営業は2時半で終わって、夜11時で終わって片付け始めて、帰るのが12時半くらいですかね。だから店は、家から2分以内じゃないと無理なんですよ。
夕飯はどうしてるんですか?
店で、何かしらつまんだりしてますね。
奥さまも12時半まで待ってられないですよね。
(奥さま)つくらなくてもいいので、めちゃくちゃラクです(笑)。
あら! また素敵な笑顔! 奥さんに試作を食べてもらったりは?
毎回そうしてます。この間もダメだし食らいました。
それは何ラーメンだったのですか?
まぜそばの炙りチーズかけみたいな。
(奥さま)結構これで行こうみたいな感じだったんですけど、直前に「これラーメンじゃない。カルボナーラだよ。やめた方がいいよ」といいました。
ボロッカスにいわれて、すごく落ち込みました。頑張ったのに…。でも、自分だけで食べてると、本当に見えなくなっちゃうので、客観的な意見は大切にしています。結構厳しくいってくれるので、絶対に食べてもらいますね。
素晴らしい奥さまですね! で、バンドですよ。グラインドコアですよ。やってるんですよね?
やってるというほどではないんですけどね。練習は月に1回か2回、入るくらいですよ。
なんてバンド名ですか?
BROILERといいます。ドラムをやっています。
奥さま、いかがですか? この音楽。
(奥さま)これまで知らない世界でした。1曲がすごい長いなって思ってたら、3、4曲やってました。衝撃的でした。
バンドはやっぱりやめられない? 大好き??
別にいつやめてもいいと思ってるんですけど(笑)。ただ、店始めたらバンドは出来ないだろうと思っていて、実際最初の1年はやってなかったんですよ。少し余裕が出てきたときに、友達が「グラインドコアをやりたい」っていい始めまして。自分のバンドも当時あったんですけど、そっちは動けなくなったので、今のBROILERを始めました。
ラーメンとバンド、繋がる部分はありますか?
バンドと仕事がリンクするっていうのは、自分の中で理想ではあったんですけど、現実には無理だとは思ってましたし、そこを狙っていたわけでもありません。でも、音楽繋がりの仲間内が話題にしてくれたり、今回のインタビューもそうですけど、そうやって知名度が広がって、逆に音楽の友達が増えたんですよ。
それは素敵ですね!
近所にバンドをやってる人もすごく多かったので、そういう繋がりもできましたね。
「大将はバンドマンなんだ! グラインドコアマスターなんだ!」って来るお客さんも?
まぁ(笑)。店のイメージとして、バンドをやってる店主っていうのが、いいカタチになってるようです。でも同時にディスられたりもするんですけど。「店主がミュージシャンぶっててウザい」とか(笑)。
可哀想〜。さて、素敵な奥さまと一緒になって、さらに店を広げたいとか、夢とかはお持ちですか?
夢と股間ばっかり膨らんでますけどね(笑)。
HAGGYったら。
常に膨らんでますね。
常に? こんな素敵な奥さまの前でー。
やり手の人ってラーメン屋の店主もそうですし、サラリーマン金太郎とかを読んでても、皆性欲が強いですよね。
金太郎、相当の影響力を持ってますね。
島耕作だって愛人が出てくるじゃないですか。
全部マンガじゃないですか。
でもそうだと思いますよ。
性欲はあるんですか?
性欲はあるんですけど、体が追いついてきてない部分がありますね。
はい(笑)。じゃあ股間を膨らませながらラーメン屋も膨らませると?
頭の中では、すごいところまで行ってます。
どの辺まで行ってるんですか?
山手線の駅全てにHAGGYが(笑)。
オオーッ!!!!
富士そばの横にHAGGYがあったら最高です。
「コバンザメ商法」ってヤツですね! 奥さま、この夢どうですか!!
(奥さま)オリジン弁当の方がいいと思う。
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