Who Are You?:逢坂俊之さん(28歳) ミュージシャン

物件探しに何軒か不動産屋を回ったのですが、みなさん「ああ、ネコちゃんを飼ってらっしゃるんですかー」っていいます。確かにお客様のペットだから「ちゃん」付けしてくれるのはわかるんですが、ちょっと強面の不動産屋さん…オールバックで、金の腕時計みたいな、その方も「ネコちゃん」「ネコちゃん」を連呼する。「ネコちゃんは何歳ですか?」「ネコちゃんは何匹お飼いですか?」「ネコちゃんなので敷金は2ヶ月に」とかとか。やっぱ本当は嫌なのかなぁ。あと「ワンちゃん」だったらいいけど、ウサギだったらなんていうんだろう?「ピョンちゃん」? ああ、「ウサちゃん」か。

日々の生活の中で、私たちはたくさんの人たちとすれ違います。でもそんなすれ違った人たちの人生や生活を知る術なんて到底ありません。でも私も、あなたも、すれ違った人たちも、毎日を毎日過ごしています。これまでの毎日、そしてこれからの毎日。なにがあったのかな。なにが起るのかな。なにをしようとしているのかな。…気になりません?そんなすれ違った人たちにお話を聞いて参ります。

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逢坂俊之(おおさか としゆき)さん(28歳):ミュージシャン

逢坂さんは、「ご職業:ドラマー」ということですが、日々叩いてらっしゃるんですか?

はい。「FEELFLIP」と書いて、「ヒールフリップ」と読むバンドで叩いています。

ごめんなさい、FEELFLIPさんって存じ上げなかったんですが、結構キャリアは長いんですか?

僕は後入りなんですけど、バンド自体は12年くらいやっています。僕が一番最初に入ったバンドの活動時期とも被っていて、その頃から対バンはやっていました。

CD出してるんですか?

はい。実はテイチクエンタテインメント・インペリアル・レコードからこの春にメジャー・デビューしました。

わ! それはすごい! テイチクさん、行ったことありますよ。入り口に巨大なジュークボックスがドーンとあって。

仰々しいですよね(笑)。

テイチクっていうと演歌のイメージがありますけど、バンドも多いんですか?

はい。ロックバンドの先輩でいうと、怒髪天であったり、SAとか。

ああ、なるほど! それ以前は、インディーズとかでリリースされていたんですか?

はい。大阪のTHE NINTH APOLLOというレーベルから出していました。

どのようにしてテイチクからお話が来たんですか?

ライブを続けているうちに、お声を掛けて頂きました。

やっぱりメジャーデビューとなると、「ウオー!!」ってなるものなんですか?

なりましたねえ。はい、なりました(笑)。それまでは、「メジャーデビュー」というものに、それほど意識はしていなかったんです。まるっきりというと嘘になりますけど、そこを目指していなかったというか。むしろこう…

「アンチメジャー!」みたいな?

そういうスタンスも若干。それも今考えたら、やっかみなんですけどね(笑)。それで、現実にメジャーに移籍できるかもしれないって話が来たら、めちゃくちゃしたくなって。「これはやっておくべきだろう」みたいな。だから決まったときはすごく嬉しかったです。

ジャンルでいうと何になるんですか? そのカラフルなタトゥーからお見受けすると、やっぱパンクですか?

スカ・パンクなんですけど、自称「Skhaotic(スカオティック)」と言っています。

あ! もしかしてスカとカオティックの合体ですか!

はい、ありがとうございます(笑)。バンドのメンバー編成がちょっと変わってまして、ギターとドラム、そして当然ベースがいるんですけど、ベースって、一般的には4弦じゃないですか。うちは7弦なんですよ。さらにブラスバンドは「トランペットとサックス」とか、「トロンボーンとサックス」とか、金管と木管、ひとつずつが普通なんですけど、うちはサックスとサックスなんです。

ほほう。

テナーサックスとバリトンサックスという、出る音域が違う楽器なんですけど、木管が2本なんです。曲も割とガチャガチャしていまして、メタルっぽいリフがあったり、王道のスカの裏打ちがあったり、ハードコアみたいな8ビートがあったり。高速2ビートからレゲエ、ダブみたいなパートもあって、インディーズで出したアルバムのレコーディングのときに、エンジニアさんから、「えらいカオティックですね」といわれたんです。

なるほど(笑)。

「スカオティックですね」と(笑)。なので、そのアルバムにも『Skhaotic Bottom』というタイトルをつけました。ちょうどバンド結成から10年だったんです。10年かけて新しい世界へのボトムを築きあげました…と。次はメジャーデビューでしたし。

10年間かぁ。長いですよね。

そうですね。まだまだ続きます。

ご出身はどちらですか?

東京都の瑞穂町というところです。

ああ、福生の近くでしたっけ?

はい。

東京都…の次は何になるんですか?

西多摩郡ですね。西多摩郡瑞穂町です。東京都唯一の郡なんですよ。現在は、日の出町、檜原村、奥多摩町、そして瑞穂町の4つで成り立っています。前は羽村町とか五日市町とかあったんですけど、羽村市とかあきる野市ができたので、この4つは隣接していないんです。

へぇ〜! 今のお答えだけで、5つぐらい物知りになりました。もうちょっと訊いていいですか? 瑞穂町って何駅になるんですか?

箱根ヶ崎という駅があるんですけど。

ああ、また物知りになった。

八王子と群馬の高崎を結ぶJRの八高線の駅なんですけど、絶望的に本数が少なくて(笑)。本当にここは東京都なのか? ってくらい。ですので、もう1本別の路線で、JR青梅線の羽村駅を使ってます。

奥多摩には行ったことがありますし、檜原村も小学校のときに遠足か何かで行った思い出があるんですけど、勝手なイメージですいませんが…山ですよね?

えっとね、山までは行かないんですよ(笑)。僕のところは青梅街道と国道16号がちょうど交差するあたりなんですね。どちらかというと横田基地ですとか、ショッピングモールが乱立してるところなんです。だからなんでも揃うは揃うんですよ。もちろん、山にも行けますが、都内にも出られる…みたいな(笑)。2時間かかりますけどね(笑)。

ごめんなさい、山なんていって。

ただ何もないですよ。名産でいったら狭山茶ですね。茶畑があります。

あれ? 狭山って埼玉じゃないですか?

そうなんです。でも狭山茶の産地は、埼玉の狭山とか入間の他に、瑞穂町も入ってるんです。日本三大名茶ですから。

マジで勉強になります。ちなみに残りふたつも知ってますか?

宇治と静岡。「色の宇治、香り静岡、味・狭山」みたいな。

すげえ(笑)!! まるでクイズ王ですね!小学校のときに覚えさせられたんですか?

いや、自分でディグリました。何か誇れるものないかな?って(笑)。

このインタビューのために?

いえいえ、それは関係ありません(笑)。

素晴らしい郷土愛ですね! そんな大好きな地元では、どんな小学生でしたか?

ひょうきんな子供だったとは思いますね。学芸会とかでも、割といい役を取ろうとしたり。

主役の座ですか?

いや、主役じゃないんですよね。三枚目というか…いや、なんていうかな…

例えばどんな役ですか?

主人公を鍛える天狗とか。

天狗(笑)!!!! じゃ、この場合、天狗は誰を鍛えるんですか?

少年ですね。

少年(笑)!!!!

牛若丸ではなかったと思うんですけど。

別に牛若丸の話はしていませんよ。

天狗が牛若丸を育てるじゃないですか?

そうでしたっけ?

そうですよ。あとはオカマの役もやりました。

小学校の学芸会でオカマ?

はい。学園ものだったかな? イヤミなオカマの先生みたいな。だから別にキーマンじゃないんですけど、印象に残るような役を取って、目立とうとしていましたね。

じゃあ、結構人気者? モテました?

いえいえ、まったく。人気者の太鼓持ちというか。腰巾着というか。

小学生の頃の好きな子とか覚えてます?

覚えています。でも、中学生くらいになると、その子と付き合えたりする。

あら、なんで?モテ始めちゃった?

うーん…このナリでいうのもアレですけど…僕は、割と人畜無害なんです。

はい(笑)。

だから「安パイ」みたいな感じだったのかもしれません。

何ちゃんと付き合ったんですか?

ユカちゃんと付き合いました。

ユカちゃんとは、どういうデートを?

立川の昭和記念公園に行きましたね。

いいですねぇ。

クリスマスにイルミネーションを観たり…。でもすぐに別れましたけど。

まぁ、なんで?

自らわかってしまうんですよ。「俺、キープくんだ」とか「俺、安パイじゃん」って。多分、ユカちゃんも本当は好きなヤツが別にいるんですよ。

人畜無害でいい子なのに。

「どうして一発◯ッておかなかったのか?」なんて、当時はない訳ですよ。

どうしたんですか? 急に?

純粋ですから。ピュアですから。これはお互いのためにならないんじゃないか? と。確かに俺は好きだけど、別に俺のことは好きじゃないじゃんみたいな。子供ながらに彼女がいる、彼氏がいるっていうのはステータスなわけです。いない子より一段上に立てる。斜に構えたガキだったんです。

ありがとうございます。一発◯ラなかった逢坂さんがステキです。中学では部活とかは?

写真部でした。

写真部ってモテるんですか?

モテないです。全然、モテないです。でも中学のときは生徒会の人になったり、写真部では部長をやったり。同時に「悪いやつとも喋れるんだぜ、俺」みたいなポジションを保っていました。

その頃から音楽は聴いてたんですか?

はい。姉の影響で。

お姉さんがいるんですね。

ふたりいるんですけど、下の姉がヴィジュアル系が好きで。その流れでメタルに行きました。SEX MACHINEGUNS。

おお〜、中学生でSEX MACHINEGUNS。なかなか口に出せない名前なのに〜。

土壌としては、うちの親父もロックを聴く人間だったんです。

お父さんのお好みは?

邦楽だったらTHE YELLOW MONKEYとか、尾崎豊とか。洋楽だとエリック・クラプトンやビートルズなんかが、車の中でかかっていました。

SEX MACHINEGUNS以降はどうなりましたか?

メタルにいって、4大スラッシュにいきました。

エリートコースですね! でもまわりにこの手の音楽聴く子って…

皆無でしたね。僕らが中学生から高校生になるくらいって、まわりはヒップホップに夢中だったんです。福生が近かったんで、米軍基地の黒人がたくさんいて、クラブカルチャーも盛んだったんですよ。福生にも歴史のあるライブハウスはいくつかあって、それこそ忌野清志郎さんが出てたりしてたんですけど、若いツアーバンドが来るライブハウスはなかった。クラブの方が盛り上がってましたね。

じゃ、ヒップホップ好きに囲まれて。

そうですね。普通にRIP SLYMEとか、KICK THE CAN CREWとか、みんな聴いてたドンピシャ世代なんです。そこから深くいく子たちはマイクを握るようになったり、ターンテーブル買ったり。そのなかで僕はドラムセットを買いました。

おお〜、早速スタートしましたね! でもどうしてドラムだったんですか? 普通はギターですよね?

まず、お姉ちゃんがクリスマスにアコギを買ってもらったんですね。でも全然、続かなかった。ずっと部屋に転がってた(笑)。そしたら今度はドラムがやりたいと。

お姉ちゃんが?

はい。お姉ちゃんはSEX MACHINEGUNSのドラマーが好きだったんです。だから次はドラムがやりたいと。でもそれは買ってもらえなかったんです。ちょっと高いし、ギターも続かなかったし。

お父さん、お母さんにしてみたら、アコギがゴロンとなってるんじゃねぇ。

僕は大人になって思い返すと、お姉ちゃんにモテたかったのかもしれないです。

あら。ちょっとセンチメンタルないい話ですね。

それでお年玉を2年分貯めて。中1の正月に入門用のドラムセットを買いました。…あ、ごめんなさい。1年分は前借りでした(笑)。翌年ちゃんと全部返しました。

偉いですね。私だったら踏み倒しますけど。でも家の中で叩いても平気だったんですか?

瑞穂町では叩けるんです。

瑞穂町すごいですね(笑)。

まわりは茶畑ですから。13時から19時までという暗黙の了解の下で叩いてました。

ん? 暗黙の了解? それは逢坂さんが決めたルール?

うちの両親と決めました。もちろんお隣さんもいますし。

もしかしたら、お父さん、お母さんが、ご近所さんに「息子が叩きます。ヒップホップに囲まれた可哀想な息子なんです。19時まで許してください」って、回っていたのかもしれませんよ。

ああ…だとしたら、ちょっと泣いちゃいますね。

いい話ですね。

帰ったら訊いてみます(笑)。

それで叩きまくっていたんですか?

はい。写真部なんて適当ですから、授業が終わったら、すぐに家に帰って、19時までドラムを叩いて、晩御飯を食べて、お風呂に入って、部屋を真っ暗にしてニルヴァーナを聴くみたいな。

アハハ!…ごめんなさい、笑うところじゃないですね。

いや、笑って欲しいところですから(笑)。

ちょっと確認していいですか? 部屋を真っ暗にしてニルヴァーナを…

「レイプミー」と叫んだりしますよね。

じゃ、逢坂さんはカート・コバーンになってるんですか? デイヴ・グロールではない? クリス・ノヴォセリックって話もありますけど。

クリス・ノヴォセリックはないですね(笑)。

ですよね(笑)。私もない。

カートじゃないですかね? やっぱり。

やっぱニルヴァーナは衝撃でしたか?

はい。4大スラッシュのあと、次に何を聴こうかってとき、CDの帯に「あのメタリカも絶賛!」って書いてあるCDがあったんですよ。

えっ? 帯にそんなことが書いてあったんですか?

そうなんです。それが『ネヴァーマインド』なわけですよ。帰って聴いて、「全然メタルじゃねえじゃん!」みたいな(笑)。でも、そこからグランジに行って、ニューウェイブに行って、パンクに行きました。そこから当時盛り上がってたポップパンクも聴きつつレッチリに行って、ファンク〜スカ〜レゲェでサブライムからハードコアに戻る感じですね。

超エリートコースですね! ちなみにユカちゃんに音楽の話は?

一切しませんでしたね。

あら〜。私はジューダス・プリースト聴かせましたよ。無視されましたけど。寂しくありませんでした? ロック仲間もいなかったんでしょ?

孤独を楽しんでいたかもしれませんね。中二病でしたから。ロック少年はみんなそうです。

でも叩いてるから、バンドしたいでしょ?

はい。ちょっとやったんです。選択授業っていうのがあって、音楽2っていうのがあったんですよ。非常勤の音楽の先生がいて、なんでもやっていい、バンドもやっていいって。それで僕がドラムを叩いて、ベースはヤンキーチームで力を持っていたヤツ、そしてギターが野球部のエースで。

でも逢坂さん、いきなりドラムが上手いわけじゃないですか。みんなビックリしてたんじゃないですか?

そうですね。お前すげえなって。

なんだよ、やってたのかよって。

ドラム持ってるのかよって。

時代が来ましたね! 19時までの練習成果を見せるときですね!そのときは何をやってたんですか?

なんだったかなぁ。なにかのCMソング。J-POPですね。

でもそれって、ニルヴァーナとか聴いてる人間にしたら、屈辱じゃないですか?

でも、楽しかったんですよ。メンバーの二人は派手だし。

派手?

そいつらは人気者でしたから。僕は日陰者でしたから。

日陰者って(笑)。

暗室に籠ってお菓子食ってたんですから。卒業前のちょっとしたイベントで発表することになったんですけど、俺もワーキャーいわれるんじゃないかっていう気持ちは、絶対にあったと思います。

で、発表の結果は?

ワーキャーでしたね。

やったー!

楽しかったー。

味を覚えてしまったんですね。

はい。でも一番楽しかったのは、その非常勤の先生のピアノとセッションですね。

どんなセッションをしてたんですか?

インプロです。

おしゃれですねえ。

相手は大人ですから、何をやったって許されるわけですよ。テンポ感がどうのとか、あんまりいわないんです。思ってることを表現しなさい、みたいな。それが僕の音楽の原体験だったりするんですけどね。

女の先生?

女の先生でした。

可愛かったですか?

全然。ババアです。

でもババアで目覚めたんですね? ババアで。

「うまい人とやるのって、こんなに楽しいんだ」っていうのを覚えましたね。

先生のお名前を教えてください。

ウスイ先生です。

では高校時代にいきましょう! どちらの高校へ?

地元の高校です。拝島高校ってところに。下の姉が通ってまして、美術部がまぁまぁ有名で、拝島高校は伝統として、巨大な貼り絵を文化祭のときに展示するんです。とても濃い美術の先生がいまして、僕も中学生の時から貼り絵を手伝いに行ってたんです。姉が美術部の部長だったので。この先生に絵を習うのもいいかなって。結局軽音部に入りましたが。

結構、先生に導かれてますね。

そうかもしれないですね。

ウスイ先生と、貼り絵の先生は何先生?

えっと…なんだっけな…ワタナベ…わかんない…ワタナベ。

ワタナベにしときましょう。

あ、すいません、マツオカ先生でした。

ワタナベとまったく違いましたね。で、軽音部はどうでしたか? これまでのパターンだと、パンクやりたくて入ったのに、J-POPやらされて辞めた〜って方が多かったのですが。

SEX MACHINEGUNSのコピーバンドがいたんです。先輩たちの。

拝島高校に?

はい。さすがにニルヴァーナはいませんでしたが、「やったあ〜」って。「もういけるな。大丈夫だ。この曲俺叩けるし。こいつより上手いんじゃね?」なんて。先輩からも可愛がられて。「叩けんじゃん!できんじゃん!」みたいな。

お茶に囲まれて練習した甲斐がありました!

同級生の女の子も新入部員でいっぱいいたんですよ。

レイプミー!って叫んだ甲斐がありました!

ドラムやりたいって子がいたら教えられるわけですよ。

エリート街道が、遂に現実になったわけですね!

そういう考えもあったのかもしれませんね。エリート意識みたいなものも。

女の子は? こりゃモテたんじゃないですか?

でも全部3年生に持ってかれるっていう。

うーわー。生々しいですねえ。拝島高校軽音部。

ええ。先ほどもいった通りクラブミュージック全盛なわけですよ。ちょっと悪そうなヤツ、クラスの中心にいるヤツは、ヒップホップを聴いてるわけです。軽音部でギターを弾いてるヤツは正直イケてないからクラスでは相手にされない(笑)。でも軽音部内では後輩の女子がいる。ある程度モテる。そりゃ、先輩はいくわけです。

では、逢坂さんも2年生になりました。持って来ました?

まぁ(笑)。でも高2でクラス替えがありますよね。そしたら、隣の席の女の子の缶ペンにニルヴァーナのステッカーが貼ってあったんですよ。

お!

すごい吃るわけですよ。「ニ、ニ、ニルヴァーナ好きなの?」って。

逢坂さん、かわいい! その子も可愛かったんですか?

可愛いかったです。その子の立ち振る舞いも好きだったんですよ。

お名前聞いてもいいですか?

菅野(すがの)さんです(笑)。

で、吃って声をかけたら?

「いや実はあんまりよく知らない」って(笑)。

そんなもんですよね(笑)。

でも僕、そのとき財布にブリンク182のトラヴィスがやってる「FAMOUS STARS AND STRAPS」のキーホルダーをつけてたんですね。菅野さんはブリンクとかの方が好きだった。ポップパンクが好きだったんですね。僕もその辺真っ盛りだったので、少しだけ盛り上がって。MxPxとかボウリング・フォー・スープとか。

やっぱ、音楽って青春ですね。その後菅野さんとはどうなったんですか?

3年生の冬にお付き合いすることができました。

おお!やりましたね!でも結構間が空きましたけど。

はい。特にアプローチをかけるでもなく、高2から外でバンドも始めていたので、そちらも忙しくて。軽音部で一緒にバンドをやってた友達で、サイトウヒロシという男がいるんですけど、そいつだけは僕の音楽の趣味に付き合ってくれて。そいつの彼女が、菅野さんとすごく仲が良くて、3人で僕のライブに来てくれるようになったんです。高円寺とか、吉祥寺、メインは八王子でしたけど。そのふたりの後押しがあって、付き合うことになりました。

おめでとうございます。で、外のバンドの話が出ましたが、そのいきさつも教えてください。

先輩のツテで、あるバンドがドラムを探してると。それで加入しました。

何系のバンドですか?

西海岸ですね。西海岸系ポップパンク。SECOND STRINGSというバンドでした。ちゃんとしたリリースは無かったんですけど、デモを持ってツアーを周るみたいな。

何個くらい上の先輩とやっていたんですか?

4つ上でしたね。楽しかったですよ。色々仕込まれるわけですよ。もっともっとマニアックな音楽を。ミレンコリンとか。

ウォ〜! 15年ぶりくらいにその名前聞きましたよ(笑)。

オーソリティ・ゼロとか。インターネットも今ほど発達してませんでしたから、ライブハウスにいる人たちから情報を仕入れて。楽しかったんですよね、大人といる自分も好きでしたし。そのときにFEELFLIPもいました。お互いの企画に呼び合ったり。

でも高校生でツアーは大変でしょ?

さすがに長いツアーは卒業後でしたけど、近場はちょくちょくやってました。

先生はバンドのこと知ってたんですか?

はい、知ってました。でも高3の冬に、僕、タバコが見つかって停学になったんです。

あらま(笑)。

停学期間中って外出しちゃいけないんですよ。自宅謹慎ですから。毎日電話が来るんです。3時とか4時に先生から、「ちゃんとお家にいますか?」「はい、います」「よろしい、課題をしっかりやって、では何日の何時に校長室に来てください」みたいなのが毎日かかって来るわけですよ。ちょうどその停学中に高崎でライブが入ってまして、どうしようかと。

高崎かー。

八王子だったら電話出てからでもリハに間に合うんですけど、さすがに高崎は間に合わない。それで担任の先生に正直にいったんです。

そしたら?

「そんなもんダメに決まってるでしょう。あなたは今なんなんだ?」「はい、おっしゃる通りです。返す言葉もないですー…」と。

ですよねぇ(笑)。

そしたらライブの前日の電話で、「ちゃんとやってます」っていったら、「ちゃんとやってるんですね? 課題はちゃんとやってるんですね? 登校日までに必ず終わらせるね? 提出するね? じゃあ明日だけは電話をしないでおこうかな」って。

「おこうかな」っていうのがたまらないですね!

「私はあなたを信用してます」と。

クーッ!! 男の先生ですか?

いや、女の先生です。

何先生?

テヅカ先生。テヅカヒメコ先生です。

ヒメコ先生。いいお名前ですね。ババア?

はい。そうですね。それで無事に高崎でライブができたんです。

本当に先生に支えられてここまで来たんですね。

本当にそうですね。それに、停学中の課題もヒロシ、菅野さん、ヒロシの彼女が手伝いに来てくれて。

どんだけステキな停学なんだ!

楽しかったです。その間にベランダにふたりで追いやられて、告白をして来い、みたいな。

クーッ!!

停学してよかった。

クーッ!! 菅野さんとエッチなことは?

エッチなことは…2回目のお泊りまで我慢しました。

たった2回かよ! でも菅野さんと付き合う前にも色々あったでしょ?

まぁ、そうですねー。

よろしくないナァ。

よろしくないんです。僕は菅野さんのことが好きだったのに、ラッキーと思って。3年生に持ってかれた子が、どうしても3年生が卒業したらグダグダなりますよね。相談に乗りますよね。そういう流れになるじゃないですか? 相談からのそういうの。大人になってからもありますよね?

私はあんまり…っていうか、一回も無い。

別れる、別れない、向こうは好きな女がいるだか、どうだかとか。それでそのまま。

どういう流れでそうなるんですかね?

んん〜。

逢坂テクニック教えてください。

いやいや(笑)。

何か音楽とか、かけてるんですか?

そのときは何だったかなあ…。その子が好きだったGO!GO!7188ですね。

アハハハ!!!!

GO!GO!7188って、すごく悲しくて、切ない恋の歌が多いんですよ。

そんな使い方して、GO!GO!7188さんも喜んでるでしょうねぇ。じゃ、もういいです。進路ですよ、進路。どう考えてましたか?

バンドをやるつもりでしたので、進学はいいやって。

お父さん、お母さんはなんていいましたか?

「え?」みたいな。

ですよね。

でもドラムを叩いてるのは知ってるわけですよ。高2でバンドを初めて、だんだんピアスが増えてきて、穴が大きくなって、モヒカンになって。モヒカンで修学旅行に行けませんでしたから。

アハハ!先生が「ダメー!」って?

じゃあいいです、みたいな。先に送った僕の荷物だけ北海道に行って帰ってきました。

フフフ。で、お父さん、お母さんは?

お母さんは、ちょっと不満があったみたいなんですけど、お父さんはやりたいことをやれっていってくれました。でも結局…今もそうなんですけど…自分が日和りまして。3年の終わりくらいに、「やっぱり専門学校行きたい。ESPにいきたい」ってお願いしたんです。

あらら。

やっぱ免罪符が欲しかったんですね。専門学校を卒業した資格っていうのは、別に要らなかったんですけど、「基礎も学びたい。それに学生という身分も欲しい」って。でも年間100万円くらいかかるわけです。それでも両親は通わせてくれました。

親って本当にありがたいですね。それでドラムコースに行ったんですか?

はい。

菅野さんは?

菅野さんは服飾の学校にいきました。

結構長いことお付き合いされてたんですか?

20歳くらいまでは付き合ったかな?19歳で別れて、また付き合って、20歳でもう一回別れてみたいな。

さっきのGO!GO!7188事件がバレちゃったから?

いえ、それも多少はなじられたこともありますけど(笑)。まあ色々ありまして(笑)。

そうですかー。で、ESPなんですが、ドラムの基本から教えてくれる?

そうですね。

勉強になりました?

はい、なりました。でもライブハウスに通っていたので、結構そこで格好いい人とうまい人の違いっていうのがある程度わかってたんです。敢えていうとしたら、先生たちは、すげー手が超動くー、みたいな。音がキレイなんですね。でも正直ちょっとパンチは足りなかった。ただ毎日ドラムが叩けるし、ないがしろにしてきた基礎も学ぶことはできました。

友達もできました?

まぁ、普通に。でも同じクラスに、髪をオレンジ色に染めたデブがいたんですよ。すげーデブ。こりや絶対、ファット・マイクだって。

アハハハ!

「どんなの好きなの?」って訊いたら「ヴィジュアル系」って。ズコッって。パンクとかは、あまりいませんでしたね。

学校は2年間ですか?

はい。でも結局卒業できなかったんですよ。

あら〜、なんで?

ライブが多くて日数が足りなかったんです。音楽の専門学校ですから、ライブの日は公欠が取れるんですけど。

ええ〜!そうなんですか!!

ライブ公欠っていうのがあるんです。やっているバンド名を学校のデータベースに登録しておいて、ライブスケジュールとかを見せるんです。それで休める。ただツアーが重なると、全部が公欠扱いにならないんです。

なるほどねー。じゃ、ツアーはガンガンやっていたと。どうでした?楽しかったですか?

はい。本当にドサ廻りでしたけど、すごく楽しかったですね。いろんなところで演奏をして、お客さんは、いつものようにあまりいないわけですけど、ちょっとした反応がもらえたりとか、「また来てよ」っていわれたりとかするのがとてつもなく嬉しくて。

港、港に女がいたり。

そういう夢は見ていました(笑)。

機材車は持ってたんですか?

うちの自家用車のオデッセイを。スリーピースだったんで十分でしたね。

SECOND STRINGSは、どうして辞めちゃったんですか?

辞めたというより、喧嘩別れですね。まずフロントマンふたりが揉めて、ベースが抜けたんです。ギター/ボーカルと僕が残ったんですけど、結局解散しました。

今までずっとバンドやってたのに、寂しくなかったですか?

そうですね。ちょっと大変でした(笑)。そこからは、ありがちですけど、「もういいかな、アメリカでもいこっかな」みたいなモードに入って、ネット系のバイトやったり、サポートでドラム叩いたりして、そこそこ金も貯めて。でもちょうどその頃から、CATCH ALL RECORDSっていうレーベルに出入りするようになったんです。そしたら、たまたま僕が暇だってだけで、「海外のバンド来るから、ツアーマネージャーをやれ」と。イエローカードにベン・ハーパーってメンバーがいたんですけど、そいつがやっているHEY MIKE!というバンドです。…ご存知ですか?

ごめんなさい、HEY MERCEDESかHEY!たくちゃんなら知ってるんですけど。ちなみに英語喋れるんですか?

全然です。でもそこは運転で認めさせて。

いいですね! そこ大事ですもんね!!

そしたらそのツアーで、いろんな人に出会って、「お前ドラムやってるんだ?じゃあ今度一緒にスタジオ入ってみない?」みたいな話をいただくようになって。アメリカは止めて、某売れっ子バンドに入りました。

某売れっ子(笑)。ここは内緒の話なんですか?

すいません、色々事情がありまして(笑)。

了解です! ちなみに貯めたお金はどうしたんですか?

車を買いました(笑)。インプレッサの丸目のやつ。すげえ可愛くて(笑)。ジャガーみたいな顔なんだけど、ボルボみたいなケツなんですよ。あと姉が美容詐欺に引っかかって、余ったお金も全部渡しました(笑)。

憧れのお姉ちゃんですものね。エライ!じゃ、そのあとは某売れっ子バンドで大活躍ですか? いや、大活躍だったら、バンド名出せるか(笑)。

まぁ、色々ありまして(笑)。こちらも辞めました。それが21とか22歳くらいで、そんなときに今のバンドのボーカルから電話がかかってきたんですよ。「最近どうなの?」「明るい未来が全く見えないです」って。前にFEELFLIPのサポートもやっていて、正式ドラマーとして誘われていたんですけど、そのときはアメリカにいく気満々だったので、「ごめんなさい。もし次のドラマーが辞めたら俺がやります」っていってたんです。話をしたら、案の定ドラマーが辞めてしまったと。「じゃ、やります。あのとき約束したので」っていったら、「何の話それ?」と。ボーカルは忘れていたんです(笑)。男の約束を僕は一方的に果たして正式メンバーになりました。

では現在は、FEELFLIPでガンガン活動されてるんですね。

はい、ガンガンしてきました。フルアルバム、ミニアルバム、シングル、何であれ、NINTH APOLLOから年に一度はリリースさせてもらって、その度にツアーがあって。そこからはがむしゃらにやってました。

年間どれくらいライブやってるんですか?

えっと、だいぶ減りましたけど、数年は100本くらいやって、今はそれでも40本、50本くらいですかね。

すごいですねぇ。

若さのなせる技ですよ。本当に年食ってからやろうとするとキツイので、若いうちにやった方がいいですよね。

じゃあ今も機材車で移動と。

やっとホテルが取れるようにはなってきました。ガソリン代とか交通費関係は事務所が出してくれるようになったから、その分ホテルに泊まろうぜって。結局自腹なんですけど(笑)。

フムフム。でもテイチクさんになって、楽になりました?

なりましたね。でもやっぱメジャーとインディーって、かなりスピード感が違うんですよ。「何がしたい? じゃあしましょう」っていうところまでのスピード。正直いうと前の方が早かった。今は企画を通して、OKもらってみたいな。でもその分プロモーションとか、お仕事を取ってきてくれたりとか、今までには無かった感じで広がっています。

メジャー・デビューミニアルバムは、いつ出たんですか?

4月20日です。

お店周りとかもしたんですか?

しました。インディーズのときも、都内とか、神奈川、埼玉くらいは周ってたんですけど、今回は初めて、名古屋、三重、神戸、京都、大阪も周りました。

現在、ライブのブッキングはどうされてるんですか? ご自身でやられてるんですか?

半々くらいですかね。事務所が持ってくる案件もありますし。総合的にメンバーみんなで話あって決めています。

忙しくなりました?

うーん、実際やることはそんなに変わってないですね。制作のペースがかなりハイペースになったくらいでしょうか。今までは「できたら出す、できたら出す」の連続だったんですけど、現在は日程が決まっていますので。あ、個人的な仕事もあって、テイチクの事務所のアーティストになったものですから、ドラマーとしてのお仕事ももらえるようになったんです。結構うちのベースとセットで、レコーディングとか、サポートミュージシャンとしてのお仕事ですね。で、こないだですね、和田アキ子さんの曲のレコーディングで叩きました(笑)。

え! アッコですか!!

はい、レコーディングしました。あ、会えてないですよ。歌は別録りです。

それは残念(笑)。デカさ、見たかったですね。でもメジャーになって、プレッシャーとかありません?

ありますね。曲をつくってる人間は尚のことだと思うんです。ギター/ボーカルとベースがメインでつくってるんですけど、少しでも負担を軽くできればなって。

そっかあ。そのお二人に、お夜食でもつくりましょうね。さて、そろそろ締めたいと思います。今後の夢とかあります?

えっと、夢というか、近々のことなんですけど…そこが成功したらいいなぁ…と。

あ、告知系ですね(笑)。いいですよ、特別ですよ。

ツアー中なんですけど、ファイナルがワンマンで渋谷CLUB QUATTROなんです。

おおー。

メジャー第一弾のツアーなので、それなりに色々考えて、気合を入れてやってます。QUATTROワンマンって、やっぱデカイので。

MxPxもやってましたものね。

やるしかないっていう感じですね。

プライベートはいかがですか? ライブが忙しくて時間が取れないんじゃないですか?

そうですね、今回のツアーは長丁場なんですけど、合間にオフも取って、ゆっくりも出来ました。息子の誕生日もあったので。

あら! 何!!ご結婚されてるんですか?

はい。…えっと、菅野さんと。

ゲゲーッ!! 黙ってたなこのヤロー!! 流れ上手いなこのヤロー!!

それこそMxPx…そのときは「MxPx ALL STARS」だったんですけど、ちょっとフェスみたいなイベントで、FEELFLIPも出たんです。そのときにいたんですよ。

菅野さんが?

ええ。まあ、いるだろうなぁとは思ってました。LONG BEACH DUB ALLSTARSのオーピー・オルティス来てたし。それで一緒に観て「最高だね」って。そのときは、それで別れたんですけど。でもやっぱ好きだったんですね。

フムフム〜。

そしたら、連絡が来て、飲んだり、お互いの誕生日を祝ったりとかするようになって。でも僕は、「もっかい付き合って」なんて、いえないわけです。プライドがあるから。

男って面倒くさいわよねぇ。

バンドでもうちょっと、ちゃんと世に出たらしよう、とかとか。そしたら向こうから、「もういいんじゃん」みたいな。「付き合えばいいじゃん、大丈夫だよ」みたいな。

菅野さん、軽い! その軽さ、イイ!!

マジかよ!って思いながら、そのまま東横イン(笑)。

東横インにIN!!

福生駅前には東横インしかないんで。

円楽師匠の錦糸町ホテルよりいいですね。じゃあ、もうパパなんですね。でもちょっと将来が心配になったりしません?

そうですね。でも、かなり緩やかなんですけど、そこへの坂を上ってしまっているので、引くに引けないといいますか。子供ができてすら真面目に働けない性といいますか。言い訳なんですけど(笑)。メジャーデビューなんて、できるわけないと思ってたけど、できましたし。カミさんも働いてくれていますし。もちろん、音楽で子育てができたら一番です。カミさんと一緒に。

いきなりカミさんに変えましたね! やるなチクショー!! でも狭山茶に囲まれながら叩き続けてきて本当に良かったですね。

はい。今は両親と一緒に5人で住んでいるんです。バンドができるというか、許される環境にいれて、すごくありがたいですね。音楽でいろんな人に恩返しがしたいです。それが理想とする私の人生のカタチなので。どうしてもそこに行き着きたいですね、どうしても。

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