「どうなることやら〜」で、始まったこのコーナーも、おかげさまでなんとか半年を越えることができました。ご登場してくださったみなさま、読んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。そしてお礼を言いたい人がもう一人。カメラマンのスージー。ご登場全みなさまの撮影をし、さらにインタビュー中には、合いの手をかましてくれました。ときには温かく、ときには毒づいてね!そんなスージーが今回をもってご卒業。サヨナラ記念ってことでご登場をお願いしました。ちなみに今回の写真は彼女の自撮りです。
日々の生活の中で、私たちはたくさんの人たちとすれ違います。でもそんなすれ違った人たちの人生や生活を知る術なんて到底ありません。でも私も、あなたも、すれ違った人たちも、毎日を毎日過ごしています。これまでの毎日、そしてこれからの毎日。なにがあったのかな。なにが起るのかな。なにをしようとしているのかな。…気になりません?そんなすれ違った人たちにお話を聞いて参ります。
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スージー(すーじー)さん:フォトグラファー
7ヶ月間お疲れさまでした!いろんな人を撮影していかがでした?計29人ですよ。
そうですねぇ、いつもの仕事のときと変わらないんですけど、やはり面白かったですよ。
でもいつもはアーティストとかバンドとか撮ってるじゃないですか?ある程度前情報がある人たちですよね。でもこのコーナーは、お越しになるまで分からないでしょ。
確かに仕事では、事前打ち合わせもありますしね。でも俳優さんとかモデルさんを撮っているわけではないし、自然な感じで撮ることもあるので、そういう意味ではあまり変わらないかなぁ。
撮ってみてどうでした?「みなさん、緊張してるなぁ」とか。
それが、みなさん堂々とされていたからビックリしました。すごいなぁって。撮影スタイルも良かったんじゃないかなー。来られてすぐ撮るでしょ。カバンも下ろさずに。だから「なんだ?なんだ?」って、緊張する暇さえもなかったのではないかと(笑)。
確かに確かに(笑)。ちょっと強引でしたけどね。これまでで一番印象に残っている方は誰でですか?
やっぱり…(笑)
やっぱり…?(笑)
くんぺい君ですね。殿堂入り。アイドル。
やはり(笑)。キョーレツでしたからねぇ。この前ウチのスタッフがすれ違ったそうです。でもなんか友達と楽しそうだったから、話しかけなかったと言ってました。
また、くだらない話でもしてたんでしょう(笑)。

で、スージーさんなのですが、よくよく考えてみたら私もあなたのことを良く知らない。カメラ撮る人、千葉生まれ、新宿に長いこと住んでいる…くらいしか。そもそもカメラマンになるにはどうしたらいいのかも分かんないですしー。なので色々教えてくださいね。早速ですが、千葉のどちら生まれ?
佐倉市です。
長嶋茂雄ねー。
そうそうそうそう。何もないですよー。
どんなお子さんでしたか?
本当に外が嫌いで、絵ばかり描いていました。
どんな絵ですか?
イラストみたいな…イラストレーターという職業をどこかで覚えたんですね。漠然とそれになりたいと思っていたんです。かっこいいなぁ〜って。
例えばどんなイラストでしょう?
今でも覚えているのは、毎朝通学するときに、物凄くオシャレなお姉さんとすれ違うんです。それがもう本当にオシャレで。そのお姉さんとすれ違うのが毎朝楽しみだったんですね。それでその日お姉さんが着ていた服を記憶して、家に帰ったらそれを克明に描くという。
毎日?
そう毎日。今日は可愛いセーターだ…とか、ミニスカートだ…、ブーツ履いてる…とかとか。お姉さん、本当にオシャレだったんですよー!
どんな風にオシャレだったの?
たぶん洋服屋さんかなんかだと思う。毎日違う着こなしで、今日チューブトップに革ジャン着てたと思ったら、次の日はフワッフワッのセーター着てたり。靴も毎日違うんですよね。「スゲエ!!お姉さん好きー!!」って。ドキドキしていました。
じゃあお姉さんのイラストがどんどんたまって行くと。
そうそう、だからちょっと見返したりして、ああーこういうサイクルなんだと分かったり。
スージー的には、お姉さんのどの格好が好きでした?
やっぱブーツかなぁ。
じゃ、逆に好きじゃなかったのは?
そうですねぇ、モコモコセーター+ミニスカート…は「あれ?ちょっと今日は違うな」って思っていました。2年くらいやってたのかなぁ。しばらくしてすれ違わなくなって、結局まったく知らないお姉さんのまま終了しました。転勤かなぁ。結婚でもしちゃったのかなぁ。結婚だな。
ご家族構成を教えてください。
両親、祖父母、弟…サザエさん系なんですよ、ウチ。お父さんがマスオさんだったから、表札も二つあって。
へぇ〜、やっぱそういう家庭もあるんですね。でもお父さん、やりにくかったんじゃないかしら。お母さんのご両親に気を使ったり、パンツ一丁でゴロン出来なかったり。
そうそう、だからそういうのが原因で離婚すんだけど。
アハハハ!!あ、笑っちゃいけませんね。
でもホントそうだったから。当時は子供だったからイマイチ分からなかったんだけど、大人になってから双方から話聞いたら面白くて。お父さんはおばあちゃんに「あのクソババア!」って思ってたらしい。
(笑)!
で、おばあちゃんはおばあちゃんで、「ワタシが庭いじりしてたら、あの男、二階のベランダからタバコ吸って見てんのよ。ホント許せない!」とか。わだかまりがハンパなかったみたい。それで中学で離婚して、お父さんは出て行っちゃいました。二世帯って大変ですよー。
で、その中学時代はいかがでしたか?
やっぱ絵がやりたかったんですね。でも美術部が無かった。だけどイラスト部はあった。
おおー!即入り?
迷わず入ったんですけど、要するに今のマンガ研究会みたいなやつだったんですね。私、マンガはそんなに好きじゃなかったけど、結局みんなと喋ってるだけで楽しくて。
スポーツは?
だめだめ。運動大っ嫌いでしたから。
でもスージー、身長も高いじゃない。勧誘とかあったんじゃないですか?
そうそう、ありました。毎日ビクビクしてました。そしたら案の定、放課後に教室の外で、バスケ部顧問の先生と3年の生徒が私を待ち構えていて、「ちょっと体育館に行こうか」なんて拉致られて。「いえいえいえいえ、私やりません」って、こっちはイラスト部で安定した生活を過ごしているのに、何回も見学に連れて行かれて。「イラスト部がー!イラスト部がー!」って言ってたら、結局先生が「そうか。そんなにイラストに志があるなら」と諦めてくれました。喋ってるだけの部なのにね。
そんなにバスケ嫌だったんだ。
っていうか、本当に運動が死ぬほど嫌いで。体育館、ジャージ、グランド、本当に大嫌い。それが過ぎて、体育の授業がある日は学校に行かなくなって。
ええ?休んじゃうってこと?
そうそう。これが端を発して、中学のときは、ほとんど学校行ってないです。
えっ!マジ?
マジマジ。
これっていつもの「Who Are You?」のパターンじゃない!アンタもか!!
そうそうそうそう。
登校拒否ってこと?
ちょっと違う気もするんだけど、まぁ…登校拒否ですねぇ。
順を追って説明してください。まず体育の授業が嫌だったと…
そうー。まず病的にジャージが嫌で嫌で。
何で?形?色?あずき色の?
うーん、「もうこれ着替えたら何かが始まるー!」みたいな。体育館ならまだしも、外だと埃とかあるでしょ。行ったとしても見学していましたね。お腹痛いとか具合悪そうな顔して。制服でしゃがんでる分には大丈夫だったから、やっぱジャージが嫌いだったんだな。
でも家でくつろぐときのジャージは?
それはいいのいいの。要するに「これから体育するよー」のジャージが病的に嫌いだったんですね。未だに夢に出てくるもん。「これから体育かー…。嫌だ!嫌だ!」って。
で、体育がある日は休むようになって…
で、だんだん関係なく休むようになり、中二のときはほとんど行かなくなり、中三で決定的に行かなくなりました。
でも卒業したんでしょ?
はい。でも家で勉強してたんですね。それに「こっちの方がはかどるー」って。そういうシステムが完全に出来上がったんです。

ご両親は?
ホラ、もうお父さん、おばあちゃんのことで出て行っちゃってたから。怒る人も少なくなってるし、それに勉強はしてたから。家で何してんだ?っていったら、仕事かよ!ってくらい勉強はしてたんですね。で、テストのときだけ学校に行くんだけど、家で勉強し始めたら、成績もグングン上がっちゃって。テストが楽しみでしようがなかったくらい。だから先生も何も言えなかったんじゃないかな。夕方くらいに先生から電話がかかってくるんです。「今日は何の教科をやりましたか?」「はい、今日は結構英語をやりました」「はい、分かりました」って。
いじめられているわけでもない。学校が嫌いなわけでもない。ただ学校に行かないで、家で勉強している中学生?
そうですー。でももちろんたまに行くんですよ。「そろそろみんなに会いたいなぁー」って。
じゃ、久々に学校に行ってもクラスの子とかは…
うん、「あ、今日は来たの」みたいな感じで、何も言われなかったし、それが当たり前みたいになってたんです。
でもそういうのって許されるの?
だよねぇ、今考えたらおかしいと思う。そういう時代だったのかなぁ(笑)。
高校受験は?
しましたよ。普通に行きたかったし。だから他の生徒と同じなんです。ただ学校に行ってないっていうだけ…
そこが超問題でしょ!!でも学校行ってないんだから、内申書とか…
それもおかしいんだよね。3年になって気づいたんです。「あ、いくら成績が良くても内申書悪ければ高校に行けない!」って。それで先生に相談したら、「ああ、それは大丈夫!」って。普通に合格したんです。うーん、今考えると不思議ですねぇ。
でも家で勉強だけしてるだけじゃないでしょ。何してたんですか?
うーん、テレビ観たり。夕方くらいになるとコタツでゴロゴロしながら。ただ、ウチが弟の友だちの溜まり場だったんですね。悪そうなヤツの(笑)。だからみんな勝手に入って来るんだけど、私のゴロンの横を通って行くわけです「…ちぃす」「ハイ…どうぞ」って。その友だちはみんな「お姉さん、病気なの?」って心配してくれてたらしい。
あははは!いい子たちだねぇ。でも思ったんですけど、これまでこのコーナーに出てくれた「学校行かなかった人」って、みんな辞めちゃったり、進学しなかったりしてたじゃない。スージーは良かったねぇ。
そりゃ勉強してなかったからでしょ。成績悪いからだよ。勉強してれば文句は言われん!説得力が無いっつーの。
ごもっともです(笑)。じゃ、高校はしっかり行って…
いやいや、その…
ホレ!またじゃん!
いや、ちゃんと理由があるの。やはり絵を描きたかったから、美術の予備校に通うようになったんです。美大に行きたいっていう目標も出来たので。そしたらその予備校の課題が多くて多くて。「こりゃ終わんねぇ」って、高校どころじゃなくなった。すごい大変なんだよー。それで行かなくなりました。
まぁ、そういっても卒業しないと美大行けないでしょ。
うん。だからなんとか最低限は行って卒業したんです。だから高校よりも、予備校の方がメインになっちゃって、そっちの友だちと一緒にいる方が長かったかな。非常階段で午後の紅茶飲みながら喋ったりね。
それで美大に?現役合格?
なんとかおかげさまで。
学校はどちらですか?
武蔵野美術大学です。デザイン科です。
学校は面白かったですか?
面白かったですよー。なんか入学したらみんな「この大学、大丈夫かなぁ」みたいな不安から生まれる連帯感があって…この感じ分かります?それでみんなと仲良くなりましたね。
…はぁ。
で、そうそう、ここからですよー。入学式から10日くらいたって、まだみんなよそよそしくしているときに、なんかいきなりコバヤンっていう一歳年上の同級生がタバコをぷぅ〜って吸いながら「今日から鈴木さんのことは、スージーって呼ぶから」って。
こっから!
なんだかわからないけどいきなり。「絶対やめてください!恥ずかしいから」って言っても聞かなくて、周りの人も調子に乗って、「新手のいじめかよ!」なんて思いながら、そこからずっとスージーです。
コバヤンさまさまですね!
コバヤンはそのこと覚えていないんだけどね。

サークルとか入ってました?
サークルは入ってなかったけど、バイトを始めたんです。社員寮の管理人みたいなやつ。で、そこのバイト仲間に、和光大学の映像サークルがいたんですね。その人たちと仲良くなって、そしたらサークルなんだけど、仕事もしていると。既にカラオケとかの映像も制作してるチームだったんです。それで現場にも顔出すようになって、手伝ったり、エキストラで出たりして、とても面白かったんです。そしたらのちのちそのサークルが、竹内芸能企画っていう映像会社になって、ウルフルズとかのPVを撮るようになったんです。
あ、スージーもそこに入社したと。
いえ、私は普通にデザイン会社に就職したんですけど、2年で辞めて、その映像チームの現場に再び遊びに行ったりしてたんですね。たまに手伝ったり。お弁当配ったりとかー。で、そのとき他に何もすることなかったから、カメラを持って行ってたんです。
元々カメラは好きだったのですか?
大学の授業であったからやっていただけで。カメラマンになろうなんて気もサラサラ無かった。ただ手持ち無沙汰だから、現場を撮っていただけなんです。そしたらあるとき、この竹内芸能企画が映画を撮ることになったんです。ギターウルフの『WiLD ZERO』っていうゾンビ映画。
ハイハイ!!
それで、とにかくスタッフが足りないと。だから私も手伝うようになったんです。ゾンビを作るお手伝い。毎日毎日ラテックス使って、シンナー中毒になりながらねぇ。そしたらこの映画、どうやら爆発シーンがたくさんあると。日本では無理だってなって、タイで撮影することになったんです。それでもう間に合わないから、タイでも作ってくれ…と。それで私もタイに行ったんです。
タイでゾンビを作るなんて一生無いですよね!
で、タイに行ったらクランクインの前日に監督が「スージーさ、カメラ持ってきてる?」って。いつも手元にあったから「はい」って言ったら、「あのさ、スチールカメラマンを準備するの忘れてた。スージー撮って。ゾンビはもういいから」って。そしたらそれがその後ポスターになるわ、パッケージになるわで。私しかカメラ持ってなかったし、本当にたまたまだったんですよ。
へぇー、それでデビュー?
もちろんデビューなんて気はなかったですけど、それが初仕事ですね。そこから現在に繋がってるんです。
名前もスージーで。
いや、それも監督の命令で。「スージー、クレジットどうする?」「鈴木でお願いします」って言ったら、「面白くもなんともない!スージーでいいだろ」と。「あー、またかー」なんて思いながらここまで来ちゃいました。
でもまだお仕事って認識無かったでしょ?
そうですね、ただそのタイの撮影が1〜2ヶ月あったんですよ。お母さんにも「カメラマンやることになった」とか連絡してたんだけど、ちょうどその頃、実家のリフォームが始まっていたんです。で、帰国してリフォーム後の間取り図みたら、「暗室」があった。
えっ!
「お母さん、この暗室って何?」って訊いたら、「え?だってカメラやるんでしょ」って。水道もちゃんと引いてあって。
お母さん、スゲエ動き!
あ、これで写真できると私も思ってたんですよね。それにPV撮影の現場にカメラ持ってウロウロしてたら、当時デジカメとか持ってる人も少なかったから、結構重宝されて。会報用にスナップを撮るようになったり、ちょっとしたオフショットを依頼されたり。それに竹内芸能企画が、椎名林檎ちゃんとかのPVも撮り始めていたんで、その周辺の写真も撮っていたら、「そんなんばっかり撮ってるカメラマン」みたいなイメージが一人歩きを始めて、そこから仕事の形になったんです。
これまでどんな人を撮ってきました?
結構たくさん撮らせてもらってきましたので、ぜひ私のHPを見てください!でも本当に人の繋がりだけなんです。修行もしていないですし。

普通はどうやったらカメラマンになれるんですか?
たぶんスタジオに入るか、カメラマンさんに師事したりしてなるんだと。だから私は全然違う方向から。経歴なんて何も無かったし。
そんな感じでスタートしながら、「ああ、私はカメラマンになったんだなぁ」と思ったポイントってあります?
どうだろう。やはり引越しかな。それまで実家から通っていたんですけど、ちょっと仕事も多くなってきたので、さすがに通勤は厳しくなったんですね。それで新大久保に…
新宿の前は新大久保だったの?また物騒な所にー、女の子がー。
知り合いが近くに住んでいたので。そんなに危なくなかったですよ。住みやすかったし。あ、違うか。私四階だったんですけど、一階で殺人事件があったんだ。
ホレホレホレホレーッッ!!!!
それ以外は何も無かったんですけど…
いや、それが一番でしょ!!
さすがに殺人事件は嫌なので、新宿に引っ越しました。
いやいや、もっと平和ところに引っ越すんじゃない?
便利だったんですよ、あの辺。当時はフィルムで撮ってたから、その現像所が新宿御苑前にあったんですね。それで今のところにしたんです。堀内カラーありきで。
ああ、堀内カラーねぇ、聞いたことあります。でも当時はその堀内さんに持って行ったり大変じゃなかったですか?今はデータでやりとり出来るけど。
大変でしたよー。まず現像に出しに行きます。それを取りに行きます。家に帰って、コンタクトシートっていって、写真が一覧できるインデックスみたいなものを作ります。それを水で洗って乾かします。それをクライアントに持って行って「どの写真がいいですかー?」って決めてもらって、「コレとコレとコレと」って言われて、家に帰って、言われたものを焼いて、それをまた渡す…と。
ひゃあ〜大変。
だからバイク便が重宝してたんですねー。データのやりとりもメールじゃなくてバイク便。データが入ったDVDを渡したり。
色々とお金が動いていたんですねぇ。でも世の中、ちょっと景気も悪くなったりして、実際現在のお仕事はどうですか?
いつも危機感あるんですけど、ありがたいことになんとかお仕事いただいております。逆にちょっと不思議です。なんで私食えてるんだろうって。
そりゃスージーの写真がいいからでしょ。
でもマジで「来月はバイトかな」って思いながら、10何年ここまで来たから、本当に不思議ですね。
ちなみに「Who Are You?」は卒業されますが、もっと過酷な撮影頼みますから。キャリアアップってヤツです。今度はロケしますからね!覚悟しておいてください。引き続きよろしくお願いします!
はーい、よろしくお願いしまーす。

※「Who Are You?」では、インタビューを受けて下さる方を募集しています。お名前、ご年齢、性別、お住まい、ご職業、応募の動機を明記の上、こちらまでお問い合わせください。
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