本名:ジョージ・ハーマン・ルース・ジュニア(George Herman Ruth Jr)。そして、バンビーノ:男の子(Bambino)、打撃の帝王(The Sultan of Swat)、ザ・キング・オブ・クラッシュ(The King of Crash)、長打の王様(The Colossus of Clout)など、様々な愛称を持つベーブ・ルース(Babe Ruth)は、歴史的に最も有名なアメリカの野球選手である。1895年2月6日に生まれたルースは、メジャーリーグで22シーズンをプレーし、放った714本のホームランは、1974年までメジャー最多記録を保持していた。ベーブ・ルースは、大食漢であり、大酒家でもあり、充実した日々を送るために惜しげも無く金を遣いまくった。その結果、不摂生が祟り、この男はある時期にどん底を味わったのだが、まったく異なるスポーツのおかげで復活できた事実はあまり知られていない。ベーブ・ルースは、ボクシングをトレー二ングに取り入れ、野球のスーパースターに返り咲いたのだ。
アーティー・マクガヴァンは、ボクシングの元フライ級チャンピオン。引退後の1925年に、ニューヨークで「マジソン・アベニュー・ジム」をスタート。セレブ御用達フィットネスクラブの先駆けである。マクガヴァンの顧客には、ルースと同じくメジャーリーグのスターであったルー・ゲーリッグ(Lou Gehrig)をはじめ、ボクサーのジャック・デンプシー(Jack Dempsey)やゴルファーのジーン・サラゼン(Gene Sarazen)、さらには『ワシントン・ポスト』から『星条旗よ 永遠なれ』など、数々のマーチを生んだ作曲家・指揮者のジョン・フィリップ・スーザ(John Philip Souza)なども名を連ねていた。マクガヴァンの指導法は、鬼軍曹の如く真面目で厳しいものであった。顧客の食事は管理され、砂糖やスイーツはご法度。バランスのとれた食事を推奨した。トレーニングそのものも過酷で、一切の妥協も許されなかった。マクガヴァンのジムは人気を集め、ウォール・ストリートの大物たちも、ジムを訪れるか、自宅に「マジソン・アベニュー・ジム」のトレーナーを招くほどだった。その後、マクガヴァンは「フィットネスの父」と称されるようになる。トレーニングは、ストレッチ、ウエイトトレーニング、数ラウンドの縄跳び、ボート漕ぎローイングマシン、トレッドミルなどを使った有酸素運動が中心だった。同時にマクガヴァンは、アスリートのためのトレーニングについて着目し、あらたなエクササイズも生み出していた。それは、専門種目だけでは鍛えられない筋肉をターゲットにした、今日の「ファンクショナルトレーニング」* の先駆けでもあった。マクガヴァンは、ボクシングだけでなく、様々な格闘技に触れていたため、ジムに通う野球選手、ゴルファー、弁護士、百万長者の妻たち、オペラのソプラノ歌手までもが、ボクシングとレスリングを取り入れたトレーニングに励んでいた。
「マジソン・アベニュー・ジム」では、サンドバッグを打つだけではなく、実際にスパーリングもメニューに入っていた。ニューヨークのセレブやビジネスマンが、アスリートと対戦する光景も良く見られ、最近オークションに出た写真にも、ベーブ・ルースとニューヨーク証券取引所のメンバーであったJ.G.ホール(J.G.Hall)によるレスリング風景が映っていた。またマクガヴァン本人も、オペラ・スターのナネット・ギルフォード(Nanette Guilford)とスパーリングをしていたそうだ。マクガヴァンは、ルースを上客として迎え入れ、減量のために、食事と飲酒を管理する積極的なプランを用意した。ルースは、厳しいトレーニングに真面目に取り組んだ。健康を取り戻さなければ、野球選手としてのキャリアが終わってしまうとわかっていたからだ。1日4時間のトレーニングで、筋力をアップさせると同時に、118キロあった体重を減らしていった。ハンドボールやゴルフも取り入れ、ジョン・フィリップ・スーザなどの有名人の隣で汗を流し続けた。「ベーブ、若返りの泉(Fountain of Youth)* でも見つけたのか?」と誰かが訊くと、「いや、アート・マクガヴァンのジムを見つけたんだ」と応えたそうだ。