こんなボブ・マーリー入門
Illustration by Efi Chalikopoulou

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こんなボブ・マーリー入門

ボブ・マーリーは現在でも、もっとも売れているレゲエアーティストだ。市場には関連アルバムやコンピレーションが数えきれないほど出回っており、彼の神話はまったく衰えていない。しかし関連作品が多すぎるゆえ、彼をより深く知りたいと思った場合、どこから手をつければいいのかわからないこともある。そんな人たちにこそ、このボブ・マーリーガイドを。
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illustrated by Efi Chalikopoulou

周りにこんなヤツがいるはずだ。

自称音楽オタク。幅広くいろいろと知っており、音楽の趣味も多岐にわたる。流行りのバンドにも詳しく、耳が敏い。だけどそれだけじゃない。「音楽なら全部聴くよ」なんてのたまう。

「ホントに全部?」と尋ねると、「ホントに全部」と答える。

「カントリーも?」と尋ねると、「クリス・ステープルトン(Chris Stapleton)の『From A Room』はよく聴いてる」と答える。グラミーアーティストだ。

「レゲエも?」と尋ねると、「もちろん。ボブ・マーリー(Bob Marley)は大好きだよ」と答える。

危険信号だ。ボブ・マーリーはもう36年も前に死んでいるし、他にもレゲエ・アーティストはいくらでもいる。レゲエ、といわれて、ボブ・マーリー。どうなんだろう。

「どの時代のボブ・マーリー?」とイジワルする。

ヤツは、胸を張ってこう答える。「ああ、『レジェンド』だね」

出た!『レジェンド』(Legend)!! ボブ・マーリーの好きな曲を誰かに尋ねると、だいたい、答えはこのアルバムに収録されている。でも、このアルバムは彼の死後にリリースされた、6枚のアルバムから掻き集められたコンピレーションなのだ。ボブ・マーリーのキャリアは、こんなふうに扱われがちだ。

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そこで今回は、ステレオタイプを超えたボブ・マーリーをガイドしよう。ボブ・マーリーは、どでかいポスター、大麻、『レジェンド』だけじゃない。

ボブ・マーリーは、〈レゲエ〉という地域密着型音楽を世界に向けて発信した唯一無二のカリブ系アーティストだ。スラムで育ち、活動期間は10年に満たなかったものの、圧政に対する自由の代弁者として、全世界に名を馳せた。彼は、ジャンルや国境を越えた音楽大使であり、1981年、36歳という若さで他界したあとも、彼の残した遺産は広がり続けている。

現在でもボブ・マーリーは、売上NO. 1レゲエ・アーティストだ。マーケットには関連アルバムやコンピレーションが数えきれないほど出回っており、彼の神話はまったく衰えていない。しかし関連作品が多すぎるゆえ、ボブ・マーリーをより深く知りたくなっても、どこから手をつければいいのかわからない。そんな前向きな音楽ファンこそ、このボブ・マーリーガイドを役立ててほしい。史上最高のミュージシャンであるボブ・マーリー、彼の姿をここから知ってほしい。

スカ/ロックステディのボブ・マーリー

〈アイコン〉になってしまうと、〈一事が万事〉になり、本人の足を引っ張る恐れがある。たとえば、キング牧師の「私には夢がある」、ひとり歩きしてしまった映画のセリフ(例:『ア・フュー・グッドメン』(A Few Good Men, 1992)の「お前に真実はわからん!(You can’t handle the truth!)」)。そしてボブ・マーリーの場合は、前出のアルバム『レジェンド』だ。

ボブ・マーリーのキャリアは、『レジェント』のずっと前に始まった。スタートは、レゲエ誕生以前のジャマイカのミュージック・シーンの揺籃期だ。ジャマイカが英国から独立した1962年、ボブ・マーリーは17歳だった。つまり、ジャマイカという島国が自らのアイデンティティを確立し始めた時期に、彼は、すでに分別のある大人になっていた。さらに、この時期は、ジャマイカ音楽が米国産R&Bの影響から脱却し、成熟している最中だった。そのなかで、ボブ・マーリーは、産声をあげたばかりのジャマイカ音楽業界におけるパイオニアたちと交わり、キャリアを築き始めていた。

1962年以前、ジャマイカのアーティストたちはメントやカリプソ、もしくは、米国から輸入されたR&Bを独自に焼き直した〈ジャマイカン・ブギ〉と呼ばれるスタイルの音楽を演奏していた。そして、スカが登場した。ジャマイカ独立と足並みを揃えたかのように誕生した、陽気で高揚感に溢れたスカは、〈解放の音楽〉とも呼ばれていた。スカは、管楽器の裏打ち、つまり、2拍目、4拍目を強調し、R&Bよりもアップテンポだった。こうしてスカは、ジャマイカを代表する音楽になった。しかし、米国から持ち込まれた当時のドゥワップサウンドにおける4声のハーモニーは、スカにも残っていた。

ボブ・マーリーは、15歳の頃から、すでに、音楽を志していた。その頃のジャマイカシーンは、THE JIVING JUNIORSやTHE MAGIC NOTES、そして、超重要人物であるジミー・クリフ(Jimmy Cliff)などのナンバーが、米国産R&Bに匹敵する人気を誇っていた。マーリーの母親は、彼を溶接工にさせたがっていたが、そうは問屋が卸さなかった。

「俺は歌うことが好きだった。だからチャンスはモノにしたかったんだ」。マーリーは1973年2月24日号の『Melody Maker』のインタビューに応えた。「溶接の仕事はかなりキツかった。1964年にレスリー・コン(Leslie Kong)のレーベル〈BEVERLEY’S RECORDS〉にで、シングルトラックのマシンでレコーディングした。ジミー・クリフが連れていってくれたんだ。ジミーはBEVERLEY’Sの売れっ子だった」

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ボブ・マーリーについて語るなら、初期の曲を知らなくてはならない。しかし、彼がリリースした作品は、当時、誰の耳にも届かなかった。

ボブ・マーリー、次のレコーディングは、ザ・ウェイラーズ(THE WAILERS)がいっしょだった。また、その頃の彼は、「Manny O」でローカルランキングの1位を獲ったHIGGS & WILSONからハーモニーを学んでいた。さらにいうとHIGGS & WILSONのジョー・ヒッグス(Joe Higgs)は、マーリーにふたつの影響を与えている。ひとつは、マーリーにギターを教えたこと。そしてもうひとつは、マーリーをラスタファリ運動に引き入れたことだ。

この頃の音源を聴くと、マーリーのリード・ボーカルから、大きな自信が溢れているのがわかる。また、この時期には、「Stir It Up」など、自らリアレンジ、リレコーディング、リリリースした楽曲が後々人気になる、という彼のヒット・パターンが出来あがっていたのだ。

スカの楽曲はわかりやすいが、ロックステディとレゲエを聴き分けるには、よっぽど耳が慣れた玄人じゃないとかなり難しいので、年代で聴き分けるのが賢明だろう。この時期の楽曲のほとんどはEP盤で、長らくアルバムには収録されなかったが、1992年に発売されたボックスセット『Songs of Freedom』で聴くことができる。

Playlist: "Judge Not" / "One Cup of Coffee" / "Put it On" / "Bus Dem Shut " / "Stir it Up (original version)"

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ルードボーイ/ルポルタージュのボブ・マーリー

スカ、ロックステディ期のボブ・マーリーは、非政治的なパーティ・ソングを歌っていたが、ルードボーイ期になると、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズとして、ジャマイカの現実を扱うようになる。

彼らをそこに導いたのは、バンドとして初めてのヒットソング、1964年の「Simmer Down」だ。この曲のテーマは、ジャマイカの暴力や犯罪だ。マーリーは以後、このようなコメンタリー、ルポルタージュ形式のソングライティングを続ける。こうしてボブ・マーリーは〈人々の、人々のための〉アーティストと呼ばれるようになったのだ。

ボブ・マーリーのストーリーテラーとしての手腕、彼がどのようにストーリーと同化していたかは、「Johnny Was」で確認できる。

女性が頭を抱え泣き叫んでいる

通りすがりの俺は彼女を慰める

彼女は不平を訴え そして泣く

ああ 泣いている 俺は知ってる

知ってるよ(ジョニーはいいヤツだった)

知ってるから(間違ったことなんてしたことない)

ああ(ジョニーはいいヤツだった)

当初、ボブ・マーリーは、ラスタカルチャーを全面的に受け入れたわけではなかった。身だしなみもきちんとしていたし、それこそまさに、当時のルードボーイたちのスタイルに忠実だった。しかし、60年代が進むにつれ、全てが変化する…。

Playlist: "Simmer Down" / "Rude Boy" / "Duppy Conqueror" / "Mr. Brown" / "Caution" / "Concrete Jungle" / "Burnin' and Lootin'" / "Johnny Was"

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ラスタ/革命のボブ・マーリー

ラスタ、革命期は、〈ボブ・マーリーの音楽〉としていちばん有名だろうし、私も、断然この時期の楽曲が好きだ。

ボブ・マーリーの音楽は、あらゆる人種、あらゆる宗教の信奉者たちに届く。私は、若い頃、同僚たち(ほとんど白人)が酔っぱらって、「Redemption Song」を繰り返しかけては、歌詞を叫び、歌い、破顔して「ボブ・マーリーなかでも、かなり好きな曲なんだ」なんて私に迫ってくる姿を、何とも複雑な心境で眺めていた。なぜなら、この曲のテーマは、〈奴隷制を生き抜くこと〉だったからだ。

ボブ・マーリーは、そのほかの曲でも、奴隷制について歌っている。植民地主義からの影響や戦争、そして強欲の結果についても歌っている。そんな楽曲の多くは、ポップ・アンセムになってしまったため、楽曲が有していた革命的なパワーは、失われてしまった。しかし、この時期の楽曲があったからこそ、彼は、世界的なアイコンになったのだ。

楽曲の最大のテーマは、〈逆境の超克〉だった。ボブ・マーリーは、決して、自らを〈犠牲者〉にしなかった。その姿勢を支えたのがラスタファリアニズムだった。ラスタファリアンとしての信念が彼の音楽的アティチュードを形成したのだ。彼は、このタイプの楽曲を、キャリアを通して発表し続けた。

たとえば「Crazy Baldhead」の歌詞には、ラスタの思想体系が色濃く反映されている。

追い出そう

あのイカれたヤツらを

イカれたハゲ野郎どもを街から追い出そう

俺たちは刑務所を建て 学校を建てた

俺たちを愚かにする洗脳教育のために

俺たちの愛にアイツらは憎しみで報いた

アイツらの〈神〉が頭上から俺たちを見ていると説いた

Playlist: "Slave Driver" / "No More Trouble" / "Get Up, Stand Up" / "Rastaman Chant" / "Revolution" / "Crazy Baldhead" / "War" / "Kaya"

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ラヴァーズ・ロックのボブ・マーリー

ボブ・マーリーは女性を愛した。もちろん、そこに何の違和感もない。

実際、ボブ・マーリーはモテた。公式ウェブサイトによると、彼の子どもは、計11人いるらしい。ラスタ、革命ソングの次に大きなカテゴリーは、間違いなくラブソングだ。

私の経験上、ボブ・マーリーのラブソングを理解したければ、方法はひとつしかない。私は、ボブ・マーリー研究家を自称したことはないし、彼についての知識なんて、ほとんど無いに等しい。それを痛感したのは、大学生の頃、完全にボブ・マーリーに恋をしている、完全にボブ・マーリーに夢中になっている女の子と出会ったときだった。彼女は、ロマンティックなラブソングを聴いては、興奮して叫ぶような娘だった。彼女は、ボブ・マーリーを愛していたのだ。彼は、すでに他界していたけれど、彼女が抱いていた感情は、間違いなく〈愛〉だった。

生きていた頃のボブ・マーリーは、あの娘が抱いた感情を、世界中の女性たちに抱かせていた。彼の書く心のこもった歌詞、そこに描かれた繊細な心情は、数えきれないほどの女性のハートをわしづかみにした。彼の歌詞によって愛を深めたカップルもいるだろう。ローリン・ヒル(Lauryn Hill)との「Turn Your Lights Down Low」の歌詞をチェックしよう。

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あなたを愛することは 繰り返し聴く歌のよう

3分30秒のその曲を毎日繰り返し聴いている

全てのサビは 私たちが歌うために書かれたの

毎晩のお祈りのメロディもそう

この海の一滴が 私を感情の波のなかへと運び

私はあなたに「結婚してくれる?」と訊く

全ての言葉がこれまでにないくらいはっきりと

私の幸せを表している

Playlist: "Baby We Got a Date" / "Stir it Up" / "No Woman No Cry" / "Turn Your Lights Down Low" / "Waiting in Vain" / "Is This Love" / "Satisfy My Soul"

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大使のボブ・マーリー

1972年、ボブ・マーリーは、クリス・ブラックウェル(Chris Blackwell)の〈ISLAND RECORDS〉と契約を交わした。そしてブラックウェルは、ある作戦を計画していた。ボブ・マーリーをグローバルなアーティストとしてブレイクさせるためには、〈先鋭的なイメージを少しソフトに〉〈もう少しロック的要素を〉〈サウンドをイメージに寄せる〉といった戦略の必要性をブラックウェルは実感していた。『キャッチ・ア・ファイア』(Catch a Fire, 1973)は、より聴きやすい作品に仕上がった。この方向性は、1981年に彼が逝去するまで続いた。

ボブ・マーリーの影響力が大きくなると、彼の思想は、〈パン・アフリカ主義〉的性質を強く帯びるようになる。彼の音楽が、アフリカをはじめとする全世界に影響を及ぼしているのを、彼はわかっていた。晩年の作品は、大衆向けではあるが、強力なメッセージを内包している。しかし、他の時期のアルバムに比べると、音楽としてのレゲエとのつながりは弱い。〈ボブがレゲエ〉だから、かろうじてレゲエと呼べる曲もある。

とはいえ、歌詞はすばらしいし、その歌詞が世界中に感銘を与えた事実もすばらしい。ボブ・マーリーは〈預言者〉と呼ばれていた。彼は、あらゆる物語に注目し、その真実を明確にとらえていたからだ。「Zimbabwe」の歌詞は、アフリカにおける不安を、全てとはいわないまでも、要約している。

分割統治は俺たちを引き裂く

全ての人間の胸で鼓動が鳴っている

誰が真の革命家か 俺たちはもうすぐ知ることになる

仲間たちには雇われ人にだまされてほしくない

最期が迫っていたボブ・マーリーが発信していたメッセージは、非常に力強く、いまでも彼が世界中でアイコンであり続ける理由のひとつだ。

Playlist: "Zimbabwe" / "Africa Unite" / "Wake Up and Live" / "One Drop" / "Bad Card" / "We and Dem" / "Zion Train" / "Forever Loving Jah"

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