1月14日、ラッパー、俳優、活動家のモス・デフ(Mos Def)改めヤシーン・ベイ(Yasiin Bey)が南アフリカからエチオピアに向けて出国しようとしたところ、南アフリカの入管当局に逮捕、拘束された。南アフリカ内務省は、ベイを、期限切れ観光ビザによる不法滞在、認可されていないパスポートの使用など、入管法違反で訴えている。この一件で注目すべきは、ベイが当局に対して有効性を主張する「ワールド・パスポート」だ。
各メディアは、ベイが使用したパスポートは「偽造」もしくは「不正」(New York Dily News)である、と報道した。ベイは、身元を偽り、認識不能な渡航書類の使用を罪に問われている。そもそもこの「ワールド・パスポート」とは何なのか? なぜ、彼はこのパスポートを使ったのだろうか?
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ワールド・パスポートの始まりは、ゲイリー・デイヴィス(Garry Davis)がワールド・サービス・オーソリティ(World Service Authority, 以下WSA)を設立した1954年に遡る。デイヴィスは、空軍爆撃手として第二次世界大戦に参戦した後、平和運動家に身を転じ、WSA設立の数年前にアメリカ市民権を放棄した。国境のない世界を夢みたデイヴィスは、ワールド・パスポートを発行し世界市民を認可する、世界政府の行政機関としてWSAを設立したのだ。
設立当初は承認問題に悩まされた。デイヴィスは、ワールド・パスポートを旅券として使った罪で何度も逮捕されている。デイヴィスについてのドキュメンタリー『The World is My Country』(近日公開予定)を製作した映画監督アーサー・カネギス(Arthur Kanegis)は、1987年、デイヴィスがフランス当局に公文書偽造罪で逮捕された顛末を語ってくれた。「逮捕されたゲイリーは、『あなたたちは、私がワールド・パスポートを偽造したとでもいうのか?』と役人に食ってかかったんだ」。カネギスは続けた。「そうしたら役人は『そんなものは存在しない』と突っぱねた。それに対してゲイリーは、『じゃあ、私は、そもそも存在しない文書を偽造した罪に問われてるのか?』とやり返した」。問答の結果、デイヴィスは釈放された。
現在、WSAは、自らが発行するワールド・パスポート、旅行証明書が世界中で認可される、とは公言していない。WSAは、ワシントンDCで小さなNPO団体として活動している。団体のスタッフはほとんどがボランティアで、書類発行の手数料と寄付によって運営されている。
WSAの発表では、これまでに750,000冊ものワールド・パスポートが発行されており、世界市民認定書、出生証明書、結婚証明書など発行した文書は合計で4百万にものぼるそうだ。
現在のWSA代表で人権派弁護士デイヴィッド・ギャラップによると(創立者のゲイリー・デイヴィスは2013年に他界)、WSAが発行する各種証明書は、「経済状況、社会、宗教、民族、性別などにかかわらず、誰もが有する人権を証明する」。
ソビエト連邦の崩壊にともない、数多の国家が誕生した1988-95年のあいだ、WSAは大量のワールド・パスポートを発行した。現在、書類の発行数は、パスポートを含め年間5,000から10,000程度で、当時に比べると減った。しかし、発行数が減ったとはいえ、文書の需要がなくならないのはWSAの文書が有効である証左だ、とギャラップ弁護士は捉えている。
WASが発行するワールド・パスポート、カード、証明書は、銀行口座開設、各種ライセンスや雇用の申請、役所への届け出の際にも利用される。
一例をあげると、WSAは、ノルウェーに避難したイラク人、アフガニスタン人たちにワールド・パスポートを発行している。避難民たちは、銀行口座開設のために必要な、写真付き身分証を取得するのにワールド・パスポートを利用する。写真付き身分証があれば、スカンジナビア求職旅行も可能だ。
ヤシーン・ベイ(モス・デフ)がワールド・パスポートを利用したのは、上記のように、法的必要に迫られたからではない。代理人によると、ベイにとって、アメリカのパスポートよりもワールド・パスポートが彼の信条・人生哲学を正確に象徴しているそうだ。
通常のパスポート同様、ワールド・パスポートも定期的に更新しなくてはならない。また、WSAは、査証が押印されたページをスキャンし、オンライン上にアーカイブしている。ワールド・パスポートは、ブルキナファソ、エクアドル、モーリタニア、タンザニア、トーゴ、ザンビアの6カ国でしか公認されていないにもかかわらず、アーカイブされた画像は、世界170カ国でワールド・パスポートが受理された事実を物語っている。
逮捕後、ベイは、南アフリカ政府が過去にヨハネスブルグやケープタウンの空港でワールド・パスポートを受理した事例について言及している。古くは1996年、直近では2015年。ギャラップ弁護士は、ワールド・パスポートに関する過去の事例により、ベイに課せられる刑が軽減されるだろう、と期待しているが、専門家のあいだでは意見が分かれている。
カリフォルニア大学ヘイスティングス法科大学院で移民法の研究をするリチャード・ボズウェル教授は、いくら過去の「非公式な」受理の事例を並べたところで、南アフリカ政府が近い将来、WSAの文書を正式に承認することはないだろう、と冷静だ。「アメリカなら、こうした過去の受理は『間違い』として処理されます。現場職員の判断だけでは、政府がワールド・パスポートを公認したことにはなりません」
一方、国家当局が、今まで適用したことのない法律を、特定の個人に適用するのは恣意的である、とカリフォルニア大学デイビス校移民法クリニックのホーリー・クーパーは分析する。「ヤシーン・ベイは、物議を醸すような政治的発言をしています。もし、過去に入管がWSAのパスポートを受理しているのが事実だとすれば、南アフリカ政府は、彼の思想や主張を牽制するために入管法を適用した可能性もあります」
ギャラップ弁護士は、ヤシーン・ベイの代理人に、南アフリカ内務省による労働許可と滞在許可が、2015年8月に押印されたワールド・パスポートを送付した。その他には、2012、13、14年の押印もあり、彼は、南アフリカ内務省の誤りを指摘できるのでは、と期待している。
さらにベイを擁護するべく、ギャラップ弁護士は、南アフリカ政府に対して、ベイの「旅行の自由」を尊重する法的義務を同政府は果たさなければならない、と「法的効力のある文書」を送付した。自由に旅行する権利は、世界中ほとんどの政府が認めており、世界人権宣言にも明記されている人間に備わる先天的権利である、とギャラップ弁護士は主張する。
ギャラップ弁護士によると、WSAは、誰かが旅行する権利を主張したり、自己証明したり、承認を受けるためにサポートを必要としている場合、その人がWSAの発行した文書を所持しているか否かにかかわらず、法的代理人としてでなくサポートするそうだ。それと同時に、WSA文書が受ける法的制限の理解や、当局に文書の受理を請求するには最善の方法をとる必要がある、と利用者に勧告している。
至れり尽くせりのサポートに対し、ワールド・パスポートが犯罪目的で使用される危険性があるのでは、との批判もある。2006年、ワールド・パスポートで南米を旅行していたアメリカ出身のテロリストが、二つのホテルの爆破を計画していた。1996年、旅客船のシージャック犯が再逮捕される前、イタリアからスペインへ逃亡するさい、ワールド・パスポートを使用した例もある。しかし、1954年以来ワールド・パスポートが750,000冊も発行されたにも関わらず、こうした悪用例は極めて少ない。
ギャラップ弁護士によると、WSAは、アメリカの国家安全保障に関わる法律を厳格に遵守している。シリア、イラン、スーダン、ソマリア、北朝鮮などの国々で人権がどれだけ蹂躙されていようとも、アメリカが制裁措置を課している国家を拠点とする個人とは関わらない。FBIやテラー・ウォッチのリストに掲載された個人のサポートもしない。また、証明書発行のさいは、申請者の身元と背後関係を厳しく調査するそうだ。
WSAの実践は、必ずしも効果的ではないかもしれないが、ベイのようなケースで明らかになるWSAの国際的人権についての哲学的論理は真っ当だ。つまり、ワールド・パスポートは、人間が地球上を自由に旅行する権利は不可侵である、という理念を象徴しているのだ。
3月8日、本日、ヤシーン・ベイは、南アフリカの裁判所へ出廷が予定されている。