一緒にドラッグをやらなくても友だちでいられる?

「ドラッグがなければ、友人関係も今とは異なるものになっているはず。でもその価値が変わるわけじゃない」
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translated by Ai Nakayama
Tokyo, JP
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友だちだからドラッグをやるのか、一緒にドラッグをやるから友だちなのか。PHOTO: HINTERHAUS PRODUCTIONS, GETTY

「ドラッグは友情の始まり」と語るのは、フィリピン・マニラ在住の27歳医師、ルークだ。(※ドラッグの使用に関する法的な影響を避けるため、ルークをはじめ、この記事の登場人物の名前はすべて仮名を使用しています)

ルークは友人たちと集まったとき、バーやクラブ、あるいは小旅行に出かけたときなどに、折に触れてみんなで大麻やLSD、MDMAをやるという。彼はアルコールやコーヒーも〈ドラッグ〉とみなしており、少なくとも仲間うちでは、「ドラッグを中心に成り立つ友人関係は多い」と語る。

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意識が変容することが、ひとびとを結びつけるきっかけになるというのは確かにありそうだ。ひとつには、その経験の愚かさがあるだろう。ハイになっているときには何もかもが面白く思える。それはまたドラッグ自体の効果である可能性もある。MDMAは愛を、LSDは共同体としての親密感を、ケタミンは意識がつながっているような不思議な感覚を与えてくれる。

しかし、その友情はドラッグなしでも成立するのだろうか?

「一緒にドラッグをやる相手とは、より強い友情を感じます。それがドラッグのせいなのかはわかりません。あるいは一緒に過ごす時間の長さのせいなのか。というか一緒にドラッグをするからこそ、長い時間を過ごすのか?」とルーク。

ドラッグ仲間とはより多くの時間を過ごすことになるのも当然だ。LSDのトリップは1回あたり12時間続く場合もあり、コカインは何日もぶっ通しの会話を可能にする。しかしハイになりながら過ごす時間は、大切なひとと過ごす充実した時間だ、と語るひともいる。

「友人とドラッグをやると、より親密度が増します。その大きな理由は、制約がなくなるからだと思います。思考に邪魔されず、その瞬間を楽しむようになる」と語るのは、同じくマニラ在住の25歳、カティアだ。

カティアは複数のドラッグを、それぞれ別の友人グループと使用しているという。ハイになることでみんな本音を漏らすようになり、互いのガードが下がると彼女は語る。それが、普段は隠している一面をあらわにすることにつながるのだ。

ドラッグにしか叶えられない体験を通して、ひとびとはお互い、より率直になる。たとえばドラッグが誘発する実存的危機を乗り越えたり、どれだけ愛しているかを全員に伝えて走り回ったり、あるいは一日じゅう腰を据えてひたすら食べ続けたり、一晩じゅう踊り続けたり。

大麻、LSD、MDMA、コカインを友人とやるという、同じくマニラ在住で27歳のアルフォンソも、ハイになり制約がなくなることが、忘れがたい体験やより親密な友情につながることがあると語る。しかし彼は、また別のポイントも指摘する。

「僕たちが住んでいるのは、ドラッグが違法とされる国。だから誰かとドラッグをやることは、一緒に危険を冒しているということなんです」とアルフォンソ。「その時点ですでに絆が生まれます」

彼には同じドラッグを使うことで出会った友人もいれば、シラフで出会い、一緒にドラッグをやるようになった友人もいる。基本的には、ドラッグがなくてもどちらの友人たちとも親しくなっていただろうと彼は考えている。前者とは別のかたちで出会っていただろうし、後者はドラッグをやっていなくても付き合いが続いているだろう。というのも、彼らとはドラッグ以外の共通点もあるからだ。

ドラッグが深める友情もあるだろうが、必ずしも友情をはぐくむために必要なものではない、とアルフォンソはいう。友人と行う活動のひとつにすぎない。ドラッグをしなくなったら友情のかたちは変わるかもしれないが、消えることはないはずだ。

「(ドラッグがなければ)友人関係も今とは異なるものになっているはずです。でも、その価値が変わるわけじゃない。いずれにせよ友だちであることは変わりないと思うから」とアルフォンソ。どちらがいいという問題ではない。しかしアルフォンソは、友情とドラッグの使用が問題になる場合もあるという。それは、友人同士がお互いのドラッグの使用を促すことで、依存症へとつながる場合だ。

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ドラッグが厄介なのは、すばらしいものを導く可能性があると同時に、人間関係の醜悪な側面があらわになる場合もあるということだ。家でハイになるために仕事を休め、家族の用事をサボれとルームメートをそそのかしたり、オフィスで使用するようになるまで同僚たちにコカインを勧めたりといった具合に、一緒にドラッグを使っている仲間たちが、危険でネガティブな行動を誘う負のループへとお互いを引きずり合うこともある。

一方で、一緒にドラッグを使うことでお互いのハイやローを注視することができるという利点もある。他のひとと一緒のときより心を開いてコミュニケーションがとれ、自らのクリエイティビティをよりオープンに表現できる。それらすべてにより、シラフのときにもお互いの良さに気づき合うことが可能となる。

「ドラッグ経験により、みんなの優しさや思いやり、クリエイティビティに気づいたんです。ドラッグをやっているとき、友人たちに大切にされていると思うことが何度もあったし、逆に彼らにとっては自分もそうだった」とカティアは語る。

ルークは、周りのひとたちが使っていてもLSDやMDMAなどのドラッグの使用をパスすることがあり、コカインは一度も使ったことがないというが、カティアの意見に賛同する。ドラッグ使用に加わらないときも自分が楽しい経験を逃したとは思わないし、自分以外のみんながハイになっていようと、彼らとのつながりを感じると彼は語る。

「それにより自分が多幸感やつながりを感じなくなるということはありません。友達みんなと一緒にいることには変わりないし、みんなと一緒に参加しているし。同じようにドラッグをやったり、完全に酩酊状態になっていないとその体験をみんなと楽しめないわけじゃない」とルークは語る。

ドラッグ仲間たちとはドラッグをやっていなくても友達だと思う、とカティアも語るが、ただし全員にそれが当てはまるわけではなく、ハイになっているときだけ仲のいいひとはいるという。そういうひとたちといるときは気を付けるようにしていれば問題は起こらないと思う、と彼女は考えている。

「友達のなかには、一緒にハイになって楽しむだけ、という関係のひともいます。前に誰かがそういう友達のことを『娯楽的価値しかない友達』と称しているのを見たことがある。そのときはネガティブな意味で使われていたけど、私はそういう娯楽用の友達、一緒にハイになるだけの友達がいることは悪いことだとは思いません」とカティア。「価値ある時間を過ごさせてくれるひととだけ一緒にいるべきだと考えるひとにとっては、自分の時間に対して無責任であるように見えるかもしれないけど、私は誰の人生においても、娯楽は大きな価値をもつと思うんです」

当然ながら、〇〇をしなくても友達でいられるのか、という疑問は、音楽の趣味が同じとか、仕事が同じとか、住んでる街が同じとか、誰かと一緒に過ごすきっかけすべてに投げかけることが可能だろう。

逆にドラッグをしないひとには、一緒にドラッグをしたことがある相手と友達でいられるか、という疑問を投げかけることができる。

ドラッグを通して育まれた友情について疑問を呈したくなるのはわかるが、ドラッグがあろうとなかろうと健全な友情を築くことはできるということを示しているにすぎない。

「多くの場合、ドラッグは友情をより速く発展させると思います。でも、本当の友情を形づくるためには、シラフのときも一緒に過ごしたり、シラフでの経験を積んでいく必要がある」とカティア。「ドラッグをベースとした関係性で、友達だということ自体に問題はありません。でも真の友情を築くには、相手がシラフのときにどんな人間なのかを知らないと」

当記事における見解・意見はインタビュイー個人のものであり、VICEは薬物/向精神薬の使用を支持・奨励していません。

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