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グランジの枠にハマれなかった巨漢の名はTAD

MUDHONEYやNIRVANA、SOUNDGARDEN等と共に活動しながら、シアトルシーンのトップに君臨したバンド、TAD。しかし、周りがブレイクするのを横目に、彼らの活動にはいつも不幸が付き纏っていた。期待されながらも「ポストNIRVANA」になれなかったTADとはどんな存在だったのか?フロントマンのタッド・ドイルが振り返る。

TADは、SUB POPの黎明期から同レーベルに所属し、MUDHONEY、NIRVANA、SOUNDGARDEN等のバンドと活動しながら、シアトル・ミュージック・シーンのトップに君臨したバンドだ。しかし、同時期に活動していたグランジバンドの中では、最も知られていないバンドかもしれない。なぜならTADはアンラッキーなバンドだったからだ。グランジ時代には、たくさんのバンドが大きな成功を収めたが、そんなバンドとは対照的に、TADのカルト伝説は、うまくいかなかった逸話ばかりだ。90年代には〈惜しかったバンド〉として繰り返しネタにされ、最終的には彼らのドキュメンタリー映画『Busted Circus And Ringing Ears』(2008)のなかでも、自虐的に当時を振り返っている。しかし、そんな不運とは関係なく、TADは素晴らしい作品を産み続けた。90年代を代表する極めて重要なヘヴィーミュージックは、現在のシーンにも大きな影響を与え続けている。そして2016年末、ようやくSUB POPは、TADの初期3作『God’s Balls』、『Salt Lick』、『8Way Santa』を、グランジシーンのゴッドファーザー、ジャック•エンディノ(Jack Endino)によるリマスター盤で再発した。ヘヴィーリフ・フリークは必ず聴かなくてはならない。

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さて、インタビューに入る前に、TADの不遇な歴史をざっと振り返ってみよう。それは1990年に始まった。まず彼らの6曲入りシングル『Salt Lick』に収録された「Wood Goblins」のミュージックビデオがMTVに放映を拒否された。その理由は「ブサイク過ぎるから」だった。続いて、セカンドアルバム『8-Way Santa』。オリジナルジャケットは、60年代のクスリ漬けカップルの写真を使用していた。彼らの友達がリサイクル・ショップで買った写真用アルバムにはさまっていた1枚だった。その写真の女性が『SPIN』に掲載されたレビューを偶然発見。もちろん訴えられ、アルバムは店の棚から回収されてしまった。そして1990年リリースのシングル「Jack Pepsi」は、〈凍った湖上を酒とペプシを抱えて四駆で疾走する〉というやんちゃな歌詞のオマージュ・ソングであったにも関わらず、がっつりペプシのロゴマークを使ったジャケで、またもや裁判沙汰に。噂によると、SUB POPをクビになった従業員がペプシに内報したそうだ。もちろん、これもすぐさま回収。これらは、すべて彼らがSUB POPにいた時期に起こった不運だが、メジャーデビュー後も不運はまだまだ続く。まず、ワーナー傘下のGIANT RECORDSに移籍後、1994年のSOUNDGARDENとのツアーポスターに、大麻を吸っているビル・クリントンを起用し、「TAD:こいつらはヤバイほどヘヴィーだ」という文言を添えた。もちろん大ゴトになり、レーベルはバンドとの契約を切った。その後、これまたメジャーのEast Westと契約したものの、担当A&Rがクビになり、TADも連鎖的に契約を切られた。その後もドラマーが辞めたり、メンバーの酒癖、ドラッグ事情も相俟って、1999年にバンドは解散。期待とは裏腹に〈ポストNIRVANA〉の座には収まれなかった。

今回、音楽ジャーナリストの友人らに、元TADのフロントマンで、現在も様々な活動を続けるタッド•ドイル(Tad Doyle)にインタビューをすると話したら、こんな反応が返ってきた。「彼は最高の男だ! 絶対に気に入るぞ!」。しかし同時に、アドバイスも貰った。「いいか。なにを訊くにしても、決してカート•コバーン(Kurt Cobain)の名を上げるな。〈グランジ〉っていうワードもダメ」。また、ある友人はタッド・ドイルに電話を切られたという。彼の新しいドゥーム・バンド、BROTHERS OF THE SONIC CLOTHについてインタビューした友人は、テーマから外れ、TAD時代について質問をしたからだそうだ。この友人は、タッド・ドイルとは初対面だった。だから、90年代にSUB POPが売り出した彼のイメージをもとに話すより仕方なかったという。そう、そのイメージとは、不器用で、挑発的で、無礼で、チェーンソーを振り回している男。太平洋岸北西部の〈レッドネック・ドラッグ・カルチャー〉のイメージを具現化したような男。観客の2〜3倍もの巨体で、ギターを持ったままステージダイブをする男。それがタッド・ドイルのイメージだ。

誤解しないで欲しい。タッド•ドイルは間違いなく、NIRVANA、SOUNDGARDEN、PEARL JAM、ALICE IN CHAINS同様、モンスター級のキャリアを誇るバンドのフロントマンだ。たとえ当時、ヨレヨレのネルシャツを着て〈グランジ〉という巨大な傘の下で、ひとまとめのパッケージとして売られていたとしてもだ。音楽ファンやメディアにとって〈グランジ〉は、ある時代のある場所にまつわる音楽を十把一絡げに、わかりやすくカテゴリー化するのに最適なキーワードだった。しかし、そのシーンにいたミュージシャンにとっては、ただの苛立たしい〈括り〉でしかなかった。80年代後半〜90年代前半にかけ、シアトルでヘヴィー&キャッチーな音楽を演奏していたバンドは、すべてが同じ商品のように語られていた。実際は、どのサウンドも大きく異なっていたのだが、まるですべてのバンドが、そっくりであるかのような印象で語られていた。また、緊密に繋がっていたシアトルのアンダーグラウンドコミュニティーでさえ、突如、世界中のスポットライトに照らされれば、サーカス状態になってしまう、その時代背景も象徴していた。ファンとメディアの想い、ミュージシャンの想い、すべて理解できる。もちろん、私は意見できる立場ではない。グランジと、ほぼ同じ頃に生まれたのだから。

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私は、タッドがインタビュー場所に選んだシアトルのジョージタウンにあるスクエア・ノット・ダイナーに到着した。二度も曲がり角を間違えたにもかかわらず20分前に着いた。しかし中に入ると、既にタッドは角のブースで待っていた。気立てのいい〈木こり〉のように、分厚いネルシャツを着込み、顔がほとんど隠れる帽子をかぶった彼は、笑って手を振っていた。ああ、機嫌がよさそうだ。彼は近年、奥さんであり、BROTHERS OF THE SONIC CLOTHのベーシストでもあるペギーとシアトルに住んでいる。そしてライブやツアー時以外は、彼のスタジオである『Witch Ape』で、レコーディング作業をしている。彼は、何年もアルコールにもクスリにも手をつけていない。25年前のプロモーション写真に写っていた彼はそこにいなかった。デカイ男という部分を除いては。

インタビューを始める前に、どこまで踏み込んだ質問ができるか確かめるべきだ、と考えた。

「以前はTADについて、断固として語ろうとしなかったそうですね。でも今回は、TADの再発記念インタビューなので、訊いてもかまいませんか?」

彼は「もちろん」と頷いた。

「またシアトルのミュージシャンに訊くとき、〈グランジ〉という言葉には気配りが必要だとも」

「俺には必要ない!」彼は眉をひそめたが、顔は笑ったままだ。

「本当ですか? 私が友人から受けたアドバイスとは正反対のお答えです。とても嬉しいです」

「本当だ」と彼はいった。「俺はもう諦めてる。どうしても必ず話題になるだろ? まぁ、俺を形成してきた過去のひとつには間違いない。ムーヴメントになった当初は、まったく〈ノー〉な態度でインタビューに臨んでいた。〈G〉で始まるあのクソ・ワード!(指をXにクロスさせ、陽気にシーッと、追い払うように音をたてる)…ってね。でも今はどうでもいいよ」

というわけだ。私たちは皆、歳を重ねるのだ。

〈グランジ〉という言葉を使って、あの時代を話す人たちについてはどう感じていますか?

今は何も気にしていない。今まではちょっと面白がっていた部分もあった。何度も繰り返し訊かれていたから。あの時代は、あらゆる記者や音楽業界に携わった関係者たちが、シアトルに群れていた。間違いなく俺は、そのシーンにいたし、その盛り上がりを中堅バンドとして経験したんだ。わかるだろ? 大抵は笑い飛ばしていた。馬鹿げていたよ。もちろん音楽は馬鹿げていなかったけどね。そのシーン特有のものだった。ユニークな音楽だったのは確かだよ。ただ必要以上に大袈裟なムーヴメントだった気がする。特に彼らが特ダネを狙って必死になり始めた頃はね。「次のNIRVANA、次のALICE IN CHAINS、次のSOUNDGARDENを探せ!」ってね。すると、途端にすべてのバンドがそれを目指し始めた。シアトルだけじゃなく、あらゆる場所でね。

次のNIRVANAを探しにやってきたレーベルのスタッフは、どんなバンドを求めていたんでしょう?

大抵はルックスとか雰囲気だった。ネルシャツを着て、権利を剥奪されたようなティーンエイジャーで、顔に髪がかかっていて、社会から逸脱したようなヤツ。そしてなによりも、世の中の状況に敏感なヤツだね。

なぜ、当時のミュージシャンは〈グランジ〉という言葉に反感を持っていたのでしょう?

わからない。完全に聞き飽きただけかもしれない。わかっているだろうけど、どのバンドも違うサウンドだった。なのに、みんなこのジャンルにまとめられた。ミュージシャンであれ、アーティストであれ、誰もが純粋でユニークなものを表現しようとする。だから、分類されたり、レコード棚のいちジャンルに入れられたら、とても屈辱的に感じる。それに人間らしくない。うまくいえないが、とても冷静で科学的な行為だ。

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グランジが大ブームになり、たくさんのジャーナリストがあらゆるシアトルのミュージシャンにインタビューをしていましたが、どれもこれも無愛想で、常にふざけていると話題になりましたよね? MTVの番組『Headbanger’s Ball 』では、なぜかSOUNDGARDENがボーリング場に行って、メンバーのキム・テイル(Kim Thayil)が、ホストの邪魔をし続けたり、ドキュメンタリー映画『Hype!』では、あなたとカート・ダニエルソン(Kurt Danielson)* は、日曜礼拝に来ているキッズたちに、「悪魔と中絶について教えている」といったり。当時のシアトル流ユーモアだったのでしょうか? それともくだらない質問責めからの反動だったのでしょうか?

たぶん後者じゃないかな。たくさん同じ質問をされた。今でも対応に困るときがある。どのジャーナリストが真剣なのかもわかるしね。俺たちはたいてい楽しもうとしていた。奇妙で奇想天外で突拍子もない発言をしてね。もちろん行き過ぎもあった。しかし、楽しんで、ふざけていたのが本当のところだ。明らかに同じ質問を何度も受けると、すごく突飛な答えでひねりを効かせて、違う話をさせたり、たまにはインタビューを完全に乗っ取って好き放題もした。具体例が思い出せるといいんだけれど、もう25年前の話だからな。それに、(大麻を一服する仕草で)ダメージもあったし。な?

ビデオやジャケットなどを通して、SUB POPが世界に売り出したTADのイメージと、本当のあなたの姿にはズレがあったという話をファンからよく聞きます。本来の自分を歪められ、商品のように扱われていたと感じていましたか?

SUB POPの連中、ジョン•ポーンマン(Jon Poneman)とブルース・パビット(Bruce Pavitt)は、俺たちの情報や経歴をまとめて、存在感を膨らませるエキスパートだった。でもTADの奇怪な雰囲気は、すべて真実に基づいている。俺は肉屋だったし、カートは伐採がさかんな町の出身だ。俺もある夏は、アイダホの森の中で薪割りをしていたしな。だからそんなバックグラウンドは真実なんだけれど、彼らはそれを、更にパワーアップさせるのが好きなんだ。

初めは楽しくて、俺たちみんな、好んでやっていた。しかし、少し経つとそれが煩わしくなったんだ。俺たちを観に来るファンの多くが、俺たちの音楽に本当に入れ込んでいるのではなく、奇妙な見世物か何かを期待してたからな。でも長くやっていたから、客も入れ替わり、その奇怪なイメージよりも音楽に興味を持つようになってくれた。それはすごく嬉しかった。イメージのおかげで助けられた部分もあるし、同時に痛い目にもあった。なんていうか、いい勉強になったな。楽しみに来ているヤツ、興味本位だけのヤツ、両方いたんだ。初めは良かったけれど、そのうち飽きたよ。

キャラ設定によって、あなたの生活に影響はありましたか?

ああ。ツアーに出ても女の子と仲良くなれなかった。いつも「ヘイ、タッド! パーティーしようぜ! 呑もうぜ! そして薪を割りにいこう!」。そんな感じで、周りは野郎ばかりだった。

もしTADの結成時に戻れたら、違うバンド名をつけますか? 〈TAD=タッド・ドイル〉というイメージでしたが。

最初は違う名前にしたかった。色々な名前を考えていた。TADには〈Total Audio Destruction〉の意味があったから、候補のひとつではあった。ただ、俺がメインで曲を書いて、ギターも演奏するという状況に、ブルースとジョンが固執していたんだ。確かにバンドは俺からスタートした。もっとプラスになるようにと俺がメンバーを捕まえてきた。より良い音楽をデカイ音でできるようにな。でも正直にいうと、初めはバンド名をTADにはしたくなかった。まぁ、そのうち慣れたな。名前なんか関係ない、と諦めたよ。

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以前、SUB POPのジョン•ポーンマンは、世間に興味を持たせるためには、バンドの背景にある神話が絶対に必要だ、と主張していました。どう思われますか?

確かに当時は必要だった。しかし、現在は最優先事項ではない。確かに俺たちが、他のバンドとは違う独特なバンドとして目立ったのは、SUB POPの戦略があったからだ。でも、どんなに曲が良くて上手くても、最終的には人の興味をそそる個性がなければならない。それこそが他のバンドと差をつける。そういうもんなんだ。だから俺たちにとって問題はなかった。俺たちがTADの音楽に付け加えたのはユーモアだった。自分たちを過大評価せず、楽しもうとしたんだよ。俺たちの神話…例えばレッドネックだの、ドラッグ・カルチャーなんてのは、事実に基づいていたし、面白い演出だった。事実は小説より奇なりだ。

インターネットの普及によって、神話は必要無くなったのでしょうか? 現在は、ミュージシャンの行動も、四六時中確認できるようになりましたから。

あらゆるファンタジーが奪われたかもしれない。目の前にあるものを新鮮なまま受け止める替わりに、物事をこねくりまわせるようになると、そうなり得る。そういうふうに音楽に接したがるヤツもいる。俺は、音楽を聴いて、そのままを受け入れ、それを学びながら発見したい。圧倒されるのが好きだ。どこから影響されて、どう仕上がったかを、すぐに知る必要もない。曲、アートそのものに触れる瞬間だけで十分だ。

もしあなたがまだキッズで、レコード屋にいった経験がなかったとします。曲に触れる瞬間の何たるかもわからずに、そんなマジックを見つけられますか?

見つけられる人間はたくさんいるハズだ。それにこれからは、どんどんその機会が増えるだろう。スマートフォンが有益なツールではなく首吊り縄だ、と世間が気付き始めるにつれてね。まあ俺は、インターネットなんて無い時代にツアーをしていた古いタイプだから、楽になるのは大歓迎だ。ナビゲーション・アプリをひらけば、もう地図を読まなくて済む。「会場を変更して、今夜はこちらでライブをします」って瞬時に拡散できる。すごく便利だ。だけど、それだけじゃ電話を見続けるゾンビのようになってしまう。既に見飽きてきた。この状況をとてもうまく描いているのが『ブラック・ミラー(Black Mirror)』だ。観た?

まだですが、観るべきだそうですね。

スマートフォンでお互いを評価しあっているメンバーが、ばったり遭遇する場面がある。彼らにとってはSNSでの自分の地位がすべてで、〈4〉か、それ以上のポジションに達すれば、社会からクールだと見做される。酷く非人情的だ。そこで下される判断がおぞましい。SNSの大部分は、それと同じだ。〈いいね〉ボタンがある。いいね、いいね、いいね、いいね。「ほら、私の投稿、こんなたくさん〈いいね〉の数!」。本当に大事なこと、もしくは、これから再び本当に大事になるのは、それじゃない。例えばミュージシャンなら、音楽について話したり書いたり、SNSで拡散している時間を、演奏に費やすべきだ。俺の意見は、ガレージから出る資格のないバンドが巷に溢れ過ぎている。彼らは、Facebookに夢中で、並以下のカット&ペースト・ミュージックをレコーディングしている。真のミュージシャンシップなど持ちあわせていない。さらにそのおかげで、懸命に能力を磨いてきた本物のミュージシャンたちが、然るべき評価を受けずにいる。オーディエンスは、その違いがわからないほどバカじゃないだろうけど、俺は不満だ。

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過去も現在もツアーが活躍の場だったあなたにとって、最近のオーディエンスはどうですか? 常になにかに気を取られていて、思い切り楽しんでいない気がします。

いいや。今でも客は音楽にのめり込んでいる。さすがにスマートフォンを掲げて写真を撮っているオーディエンたちを見るとムカつく。そんなもんはしまえ。その瞬間を過ごすべきだ。「俺は今、ここで、このバンドといるんだ!」っていいたいのはわかる。まぁ、しかし、そのうちこれも飽きられるだろう。

あなたも、多くのシアトル・ミュージシャンたちも、90年代の前半には、マジカルで楽しくて純粋な音楽シーンがあった、と振り返ります。結局、それも業界がコントロールしていたんでしょうが、良質なシーンが今後も生まれる、と楽観視していますか? 今でも世界中の音楽から影響を受けられると考えていますか?

ああ。その可能性はあるだろう。いつもそうやって始まるんだ。コミュニティーの数人が、お互い助け合って始まるんだ。今でも、どんな場所でも起こりうる。ノース・ダコタかどこかの、郊外の小さな町かもしれない。この数年の間に弾けるかもしれない素晴らしいシーンが既にあるかもしれない。俺たちが知らないだけかもしれない。

俺はシアトルでその渦中にいた。TADだって、そうやってカートをバンドに引き入れた。当時の俺は、H-HOURというバンドでドラムを叩いていて、カールはBUNDLE OF HISSでベースを弾いていた。俺たちは一緒にライブをするたびに、お互い戯れあって、そこから友達になった。みんな、そんな風だったんだ。30人もの友達と一緒に、SOUNDGARDENのライブを観たりもした。

「これ、もう聴いたか? じゃあ、今度はこれだ。絶対チェックしろよ!」。そんなレベルで繋がっていた。巡り合わせで一緒に演奏したりしたヤツらと、何かしらの共通点から繋がっていく。好きなバンドでもなんでもね。

残念ながらTADの神話は、酷い不運が多いですが、当時はどんな気分でしたか?

自信を失くした。だけど、俺たちはいつもいってた。「そんなもん、クソくらえだ。俺たちは前に進む。俺たちは止めようのないチカラみたいなもんだ」とね。難しかったが、自分がなぜこの音楽に惹かれて、それをやり続けるのかを気づかされた。そしてそれが続ける力となっていた。腰抜けなら、とっくに止めていたような状況にも、俺たちは耐え抜いてきた。それに、そんなシチュエーションのほとんどは、俺たちとは何の関係もなく、同情されるべきものだった。例えばGIANT RECORDSから降ろされた理由は、SOUNDGARDENとのヨーロッパツアーのポスターに、ビル•クリントンがマリファナを吸っている画像を使ったからだ。俺たちはそう聞かされている。だけど、俺たちはこのポスターに何も関係していない。おそらく真相は、アート・チームの誰かが自分のケツを守るために、「やったのはバンドだ」とホラ吹いたんだ。ポスターを見た上司から、「こんなポスターをつくっていいと思っているのか!」と叱責され他のヤツらも「バンドに責任がある」とね。実際のところ、俺たちは本当に関係していない。信じて欲しいね。俺たちは、自分たちの行動のすべてに責任を持ってやってきたんだ。

例のカップルがジャケットに使用された『8-Way Santa』は、回収されましたね。SUB POPとあなたたち、どちらの責任だったのですか?

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両方だ。友達が、リサイクル・ショップで写真用アルバムを手に入れたら、たまたま写真が残っていた。持ち主が処分した結果、アルバムがリサイクル・ショップに回ったんだ。全体の話を理解したうえで思い返すと頷ける。カップルは離婚して、もう一緒ではなかった。だから、一緒にいた頃の写真を見たくなかった。その頃の出来事や、居心地の悪さを思い出すからだろう。そして俺の友達は、そのアルバムを購入した。パーティーで一緒にいたときに、そのアルバムを見せてもらった。俺とカートで、他人の暮らしを眺めていたんだが、この一枚が特別によかったんだ。そこで、「これ、いくつかもらってもいいか? アルバムのアートワークを探しているんだ」ってね。SUB POPに見せると、ジョンもブルースも、とても気に入った。「アートチームに、これでなにができるか訊いてみる」とね。だから責任は両方にある。しかし一方で、リサイクル・ショップで手に入れた写真を気にかけるヤツがいるなんて、思いもしなかった。

それに、本人たちが見つけるなんて、あり得ないですよね。

残念ながら見つけられた。『SPIN』のアルバムレビューを、その女性が見てしまった。「これ私じゃない? そうよね?」と二度見しながらいったらしい。「私の胸を掴んでるのが元夫。それに私なんて大麻常習者みたいじゃない」ともね。確かに新生クリスチャンには、都合が悪かっただろう(笑)。

ものすごく困ったんじゃないですか? それとも「まあ、しようがない。然るべき結果だ」って感じでしたか?

いや、然るべき結果とは思わなかった。しかし、こんな出来事が起こりうるのもわかる。相手側の見方も理解できる。でも同時に思う。きちんと自分で管理しろ。アルバムをリサイクル・ショップに持ち込むな。燃やすべきだろ!

続いて、ペプシのロゴマーク事件について教えてください。

当時、多くのバンドが企業のロゴマークをつくり変えて、自分たちのロゴにしていた。MELVINSは、ホットウィール* の入ったマテルのロゴを使った。シカゴのURGE OVERKILLは、ガソリンスタンドの76オレンジボールをパクった。ちょっとした流行りで、面白かったんだ。しかし、害があるとはなぁ。まあ、振り返ってみると良いアイデアではなかった。でも、こんなちっぽけなバンドが何をしていようと、普通は構わなよな?

そうですね。SUB POPは、まだ小さなレーベルでしたし、世界中のウォルマートやターゲットに並ぶようなレコードでもありませんでしたし。少々、馬鹿げていますね。

俺たちは、馬鹿馬鹿しさを引きつける磁石みたいなもんだ。East Westから降ろされたときだってそうだ。俺たちには、CLUTCHとか、いくつかのバンドを担当しているウェンディっていうA&Rがついていたんだが、彼女がクビになった。それと同時に彼女が受け持っていたバンドも、すべて解雇された。しようがない。レーベルの代理人がいなくなったのだから。『Infrared Riding Hood』がリリースされるはずだった2週間後に、マネージャーがレーベルに電話して「アルバムはどうなっている?」と訊いたら、「お前たちは誰だ?」と返ってきた。バンドの名前すら知らなかったんだ。彼らからは、ふたつ教わったよ。企業とビッグビジネスは利益第一で、そこに人間性はほとんどない。もうひとつは、「すべてを壁に投げてから、どれがくっついたままか」といった考え方をする。まったくアートではない。非人間的だ。俺たちは、それを味わった何千、何十万というミュージシャンのうちのひとバンドだ。まあ、どうでもいい。それが人生ってもんだ。自分のやることをやり続ければいい。それがレースドライバーと、冷やかしでタイヤをつつくだけのヤツとの違いだ。

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この件が、解散する理由となった最後の一撃ですか?

どちらかというと、当時のドラマーにとっての最後の一撃だった。彼は信用できなくなって、自分の道を進むと決めた。俺とカートは、ボールを手にしたまま、置いてきぼりを喰らった。だが俺たちは、一緒に曲を書けば素晴らしい効果が生まれるから、と前に進む決意をした。だから、新しいドラマーを見つけて、しばらくやってみたんだ。だけど、ちょうどその頃、俺の生活も下降し始めた。音楽よりも、俺の課外活動であるクスリを優先するようになってしまった。いろんなもんが壊れ始めた。人間関係や、創造へ向けて開かれた門も閉ざされた。クスリで死ぬヤツもたくさんいるし、正気を失って、二度と浮かび上がらないヤツもいる。だが、自分についてしかいえないが、俺は倒れたままではいられなかった。立ち上がりたかった。打たれ続けたとしても、立ち上がり続ける。俺はそんな男で、それが俺の強みだ。あと、自分の行動に純粋なところだな。

もしドラマーが辞めず、クスリ癖もひどくなっていなかったら、TADは続いていたでしょうか?

わからない。それは、俺だけの話だからな。俺は自分についてしかわからないし、自分の行動にしか責任を持てない。確かに、もっと長く続けていた可能性はある。しかし、今にして思えば、俺の音楽キャリアの1章を、切り上げるときだったのかもしれない。ときにそれは手放すのが難しい。愛、想いなど、たくさん詰め込んで築いた家が、崩壊して土に返るのを見ているようだ。でも俺は学んだ。俺の家は、なにか特別なもの、限定した家としてつくられたわけではない。ただやり続け、前へ進み続けるだけだ。常識を超えたモノに生涯を捧げるのが俺だ。もしくは、ただそれが大好きだからやっている。まぁ、後者だろう。俺にとっては、音楽とアートこそが唯一頷けるものだ。俺の人生に価値を与えてくれたんだ。

やり直せるとしたらどうしたいですか?

いい質問だ。俺は元々ドラマーだったから、他のドラマーは、俺とは演奏しづらかったらしい。第一に、俺は下手ではなかったから、俺より技量の少ないヤツは受けいれなかった。さらに俺には、ドラムのアレンジについても確固たるアイデアがあった。ギターやベースをより引き立たせるためにね。だからドラマーには、とても口うるさく「こうしろ、ああしろ」といい続けた。それがスティーヴ•ワイド(Steve Wied)が辞めた理由のひとつでもある。ずっとツアー続きの生活に疲れた、という以外にね。彼は、自らのスタイルを持つ驚異的なドラマーなのにもかかわらず、俺は越権行為をしてしまったかもしれない。音楽的に彼がすべき演奏に、俺の考えを押しつけた。やり直せるとしたらそこだ。

あなたは、いくつかのインタビューで、なにも後悔しないのが大事だ、と何度も繰り返しています。

おうよ。過去は変えられない。後悔すれば、余計に痛いだけだ。俺は今、自分自身の人生を、まあまあだと感じている。これまでの人生の大半は、自らに良い感情を持っていなかった。でも、後悔してもしようがないとわかった。たいてい俺の耳と耳の間には、雑音が鳴っている。でも適度に冷静でいられれば、クリアになって、そのうちの何が自分にとって重要かを選べるようになる。そしてそのフィルターで、木々の間でユラユラしているクソ猿どもをジャングルから追い出し、より敏感になり、確実な選択ができるんだ。

あなたのいち番の誇りはなんですか?

俺たちのしてきたすべてに対する誠実さ、それだけだ。どんなやり方だろうと、俺たちは変人の旗を掲げていた。もっと格好良く見せようとか、他人がどう感じるかなんて気にしなかった。他のバンドが「ゲーッ!」となるような行為は、いくらでもやった。それが最高の誇りのひとつだ。自分たちのやっている音楽に対してオープンでいられたのも誇りだ。さらにメンバー個人も、常にワンステップ上へ進もうと挑戦すべく努力していた。『God’s Balls』みたいなアルバムを3回つくって満足するのではない。ほとんどのバンドは、「ファンがこれ好きだから、これやり続けよう」となりがちだが、とにかく新鮮でいられるように、自分たちをプッシュし続けた。ときには、自分たちの音楽的技量を超えてでも。

今回の再発で、生まれて初めてTADを聴く人たちに、何を知っておいて欲しいですか?

わからない。好きなように体験すべきだ。プロのミュージシャンとしていわせてもらえば、俺のプライドを丸々そのままテープに録音した事実を知っておいて欲しい。カット&ペーストは、一切していない。細かいドラムパートに集中して、ビートをずらしたり、録り直したり、完璧にしようとした。確かに不完全かもしれない。でもだからこそ、そこに個性が生まれる。俺は若いミュージシャンに、それを見極めて欲しいと切望している。完璧なサウンドをつくるよりも、音楽の才能のほうが遥かに重要だ。ときには音楽的な流れの中で、ハメを外してめちゃくちゃになればいい。それを恐れてはダメだ。安全策をとらず、ときには、流れに身を任せればいい。考え過ぎずに、心を信じろ。