ノースカロライナ州チャペルヒルで結成されたSUPERCHUNKほど、〈インディーロック〉を体現しているバンドはいない。結成は1989年。そして90年代には、数あるバンドのなかでも革新的なギターロックを放つバンドとして存在感を高めた。彼らはセールス枚数が突出していたり、同時代のシーンに大きな影響を与えたわけではなかったが、常にブレない姿勢を保ちながら、新作の度に緩やかな進化を聴かせ、着実に成長するバンド像を提示していた。またSUPERCHUNKは、FUGAZI同様に強烈なDIY志向を持ちながらも、理想を力づくで推し進めるようなスタイルではなかった。メンバーのマック・マコーン(Mac McCaughan:ヴォーカル/ギター)とローラ・バランス(Laura Balance:ベース)は、バンド結成と同時にMERGE RECORDSを設立。レーベルを立ち上げた目的は、SUPERCHUNKや友人バンドの7インチシングルをリリースするためだったが、その後MERGEは成功し、ARCADE FIRE、NEUTRAL MILK HOTEL、SPOON、THE MAGNETIC FIELDS、DESTROYERなどのトップ・アーティストを輩出。現在もインディーロック界の名門レーベルとして君臨している。
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SUPERCHUNKは、決してMERGEの看板バンドではない。しかし、そういっても差し支えないほどの偉業を残してきた。1990年代のSUPERCHUNKの活動はそれほどすさまじかった。なんせ、フルアルバム7枚、コンピレーションアルバム2枚、そしてインディーロックを代表するアンセム数曲(「Slack Motherfucker」、「Precision Auto」、「Hyper Enough」)を残したのだ。MERGEはこの数年、SUPERCHUNKの作品を次々とリマスター再発し、昔からのファンへのアピール、そして新規ファンの開拓に努めている。現時点での最新リマスター盤は、2003年に発売されたコンピレーションアルバム『Cup of Sand』で、これは2017年のRECORD STORE DAYに合わせてリリースされた。まだ再発されていないスタジオアルバムが残っているので、なぜこの『Cup of Sand』が選ばれたのかは不思議だが、メンバーのローラ・バランスでさえも、「なぜこのアルバムを選んだのかはわからない」と語っている。「廃盤になっていたから、再発する理由はなくはないでしょ」。MERGEのオフィスにいるバランスは、電話インタビューでこう語った。「SUPERCHUNKのカタログを少しずつ検討してながら再発を進めてきた。このアルバムは発売が2003年…ってことは、発売14周年? それは記念すべき年だ(笑)。うそ、冗談。なぜかわからないけど、とにかくこれが次に再発する順番になってた。認めざるを得ないけど、私たちの活動には論理的なプランがまったくないこともある」正直なところ『Cup of Sand』が発売14周年だからといって、あえて今、このランク付け企画をオファーする理由にはならないし、〈なぜ今?〉感もあるかもしれないが、バランスはやる気を出してくれた。「超難しい!」。彼女はそう嘆く。「今回の企画が決まったあと、先にアルバムを全部聴いてランク付けしようと思ったの。絶対悩むだろうから。なんとなく選んだものもある。いちばん好きじゃないアルバムは3枚のうちから選んだんだけど、そのアルバムに収録されている1曲がどうしてもいやだから、ただそれだけの理由」§
当時は、THE GET UP KIDSとツアーを回っていましたよね? 個人的には変な組み合わせな気がしてました。実際どうでした?もう最悪。THE GET UP KIDSなんて聴いたこともなかったし。みんなが薦めてきたから私も承諾したんだけど、本当に憂鬱だった。自分たちよりだいぶ若いバンドの前座なんて、おちぶれたような気分だった。本当に落ち込んだ。当人たちは何も考えてないのかもしれないけど、THE GET UP KIDS待ちのキッズたちが最前列に陣取っててね、明らかに、超退屈してる。頬杖をついて、「マジうせろ、こっちは好きなバンドを見たいんだ」っていう表情でね。あるいは完全にうつむいて寝たふりしてた。こっちは演奏しながら、「ふざけんなよ! 何で私こんなことしなきゃいけないんだろう。帰りたい。マジ最悪」って憤ってた。このアルバムにはそういう嫌な思い出も付きまとってる。
ジョン・クック(John Cook)の著書『Our Noise: The Story of Merge Records』のなかで、SUPERCHUNKのヨーロッパでのレーベル、CITY SLANGの代表クリストフ・エリングハウス(Christof Ellinghaus)が、「マックのバッキングボーカルを、女性の声だと勘違いしていた」と語っていましたね。あれはおもしろかった。そうね。マックの声についてはいろいろいわれる。特に初期のレコード。
6.『マジェスティ・シュレッディング(Majesty Shredding):2010年』
ここから選ぶのがさらに難しくなる。『マジェスティ・シュレッディング』は好き。レコーディングもライブも楽しかった。このアルバムの何年も前に書いた曲も数曲収録されてる。2009年に「リーヴズ・イン・ザ・ガター(Leaves In The Gutter)」っていうEPを出して、初期のSUPERCHUNKに戻った気がした。個人的にはよりわかりやすい、ストレートなスタイルのSUPERCHUNKのほうが好き。9年もの活動休止期間があって、そのあとにリリースされた作品です。バンドのサウンドの方向性を決めるための話し合いなどありましたか?うん。意識的に〈楽しい〉アルバムにしようと決めた。演奏していて楽しいアルバムにしようと。そういうアルバムを私は創りたかった。もう『インドア・リヴィング』みたいなのはイヤだった。絶対にね。寝たくないし! まあ、もうそれについて心配する必要はないんだけど。
スティーヴに、「ルートビアとか、ペパリッジ・ファームズ・チェスメンのクッキーとかを買ってこい」、なんていわれませんでしたか?確かに、お菓子を買いに行くときに頼まれた気がする。あるいは自分で持ってきてたかも。覚えてないな。でもお菓子を買う余裕もないくらいの予算だったから、そんな姿すら想像できない。このアルバムがリリースされたのは、NIRVANAが『ネヴァーマインド(Nevermind)』をリリースした1カ月後でした。その恩恵にあずかった部分もあると思いますか?そうね、インディー・ロックが盛り上がっていた時期だし、NIRVANAはそのいち部だったからね。インディー・ロックっていうジャンルに対する興味がかなり高まっていて、それはNIRVANAが牽引したと思う。でもNIRVANAだけじゃなく、先駆者たちのおかげでもある。グランジ・ブームの立役者であるSUB POP RECORDSや、MUDHONEYの人気だってすごかったからね。
アルバムのジャケットに使われているあなたが描いた絵は、ふたりの別れについてですか?ある程度は、このアルバムのテーマにインスパイアされているはずだけど、でも、もっと無意識だったかな。残念ながら、SUPERCHUNKのアルバムのために絵を描くときには、決まって時間がない。だから何度も練り上げた作品というより、もう、気の向くまま描いた(笑)。あと、AMERICAN MUSIC CLUBのアルバム…確か『Mercury』にもインスピレーションをもらったかな。中ジャケで女性の写真を使っていて、それがすごく好きだったから、私も肖像を使うようにした。でも、そんなモデルになってくれる人なんて自分くらい。ちょうどマイケル・ムーア(Michael Moore)監督のテレビ番組『Pets Or Meat』(1992)を観たところで、そこからウサギのアイデアが生まれた。何か足りない気がしたから。そんな感じ。本当バカみたいでしょ。そうやって、このジャケットにいろんな事柄が描かれたんですね。そう。まあ、もちろんそうなるだろうとは思っていたんだけど。少なくとも、意識的なプロセスとしては、みんなが考えているような感じではなかった。
『フーリッシュ』は、スティーヴ・アルビニがミックスをしています。ちなみに彼にも口から火を噴く方法を教えましたか?うん。これって何度もできることじゃないの。飲み込まなくても、口に含んでいるだけで吸収されて、酔っぱらって、すぐに頭が痛くなっちゃうから。ジョン・レイス(John Reis:ROCKET FROM THE CRYPT、DRIVE LIKE JEHU、HOT SNAKESなどで活動。SWAMI RECORDSも運営している)と彼のガールフレンドから伝授されたの。最高でしょ。頭おかしいんじゃない、って感じだけど挑戦した。成功と失敗は半々くらい。当時の私は、タフを気取ってれば気分がよかった。火を噴くなんて最高にタフでしょ。151プルーフ(アルコール度数75.5%)のラムを使ってたからね。最後に火を噴いたのはいつですか?うーん……えー……確か1996年かな?(笑) たぶんうちのリキュール棚には、まだそのラムのボトルがあるはず。もう使い道がないんだけど。バナナのフランベに使おうかな。
2.『ヒアズ・ウェア・ザ・ストリングス・カム・イン(Here's Where the Strings Come In):1995年』
プロデューサーはジョン・レイスです。なぜ彼と組んだのですか?私たちはROCKET FROM THE CRYPTもDRIVE LIKE JEHUも、あと彼の最初のバンドであるPITCHFORKも大好きだった。いっしょにツアーして仲良くなれたしね。でも、正直なところ、このアルバムにジョンが参加してくれたのには罪悪感がある。彼はプロデューサーとして参加してくれたけど、タダ働きさせちゃったからね。最終的に町を離れるとき、サンディエゴまで彼を送り届けようとしたんだけど、「じゃ、ここで降りるわ! またね!」っていって途中で降りちゃったの(笑)。「やばい、絶対私たちにうんざりしてるし、怒ってるんだ……」って焦った記憶がある。その後、私と彼は、この件ついて未だに話していない。マックとのあいだで話がついてるのかもしれないけど。ホント落ち着かない……。もし彼と話す機会があったら、SUPERCHUNKからプロデュース代が支払われたかどうかを私から聞いておきましょうか?んー、支払ってないのは間違いない…いっしょにいるときの食費くらいは出したかもしれないけど、ホントに全く渡してない気がする。どこかで、レコーディングスタジオにはおかしなポルノ・ビデオのコレクションがあったと読んだのですが。あったあった。おもしろかった。何本か流していたんだけど、変なのばっかり。「何これ、ウナギついてんじゃん! これどうなっちゃうの?!」みたいな。おもしろくて夢中になるっていうより、好奇心で観てた。