「『覚悟があるなら婚姻届を持ってこい』といわれて、2日後に自分の印を押した婚姻届を渡しました。付き合うという段階をすっ飛ばして、勢いで結婚したんです」

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みんなの〈おかあちゃん〉として愛を与える女性

「『覚悟があるなら婚姻届を持ってこい』といわれて、2日後に自分の印を押した婚姻届を渡しました。付き合うという段階をすっ飛ばして、勢いで結婚したんです」

女性の社会的地位、格差についての議論が増えるのと同時に、〈女性が働きやすい職場〉〈女性が輝ける社会〉〈女性がつくる未来〉を目指し、女性を応援する制度や価値観を生みだそうとする動きが社会全体に広がっている。だが、ここでいう〈女性〉とは、果たしてどんな女性なのか。女性に関する問題について真剣に考えている女性、考えていない女性、そんなのどうでもいい女性、それどころじゃない女性、自分にとって都合のいい現状にただあぐらをかいている女性。世の中にはいろんな女性がいるのに、〈女性〉とひとくくりにされたまま、「女性はこうあるべきだ」「女性ガンバレ」と応援されてもピンとこない。

「いろんな女性がいるんだから、〈女性〉とひとくくりにしないでください!」と社会に主張する気は全くないし、そんなことを訴えても何にもならない。それよりも、まず、当事者である私たち女性ひとりひとりが「私にとって〈女性〉とは何なのか」本人独自の考えを持つべきではないのか。女性が100人いたら、100通りの答えを知りたい。

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ふうこ(30)

「女性とは」と考えたことはありますか?

あまり考えてはこなかったです。ただ、自分は女性だな、と今はすごく感じています。私は自分でガツガツと物事を切り開いていったり、自分でなんでも決断して責任をもってやっていくタイプなので、これまでは男性っぽい性格なんだと捉えていたんです。でもこの2年で考えかたが変わって、自分のこのタフさは女性だからこそなのではないか、と感じるようになりました。

この2年のあいだになにがあったんですか?

離婚を経験したんです。夫婦として、向き合うことができなくなってしまって。このままお互いに依存しあって終わりたくなかったので、一旦離れたほうがいいという判断で、私が飛び出すかたちで離婚しました。

どのあたりから向き合えなくなってしまったんですか?

はじめから、ちゃんと話せなかったんですよ。もともと話をするというのがすごく苦手なふたりだったというのもありますし、何かを話し合って決めるということができなかったんです。今は夫婦共働きで、対等な立場の夫婦関係が普通という考えなのかもしれないですけど、彼は変わっているというか、とても古風なひとでした。

具体的にどんな生活を送っていたんですか?

彼は、自室でお酒を飲みながら食事をするひとだったので、居酒屋みたいに1品ずつ料理を出して、自分の食事は台所でちゃちゃっと済ませていました。でも、本当は一緒にご飯を食べたかったんですよね。

一緒にご飯を食べようと提案したことはあるんですか?

ありますよ。でもそれは私の希望だし、彼のスタイルもあるので、全部が全部、私の思い通りにはいかないですよね。外食もしなかったので、一緒にご飯を食べることはほとんどありませんでした。

その結婚生活は何年続いたんですか?

4年くらい前に結婚して、離婚したのがちょうど2年前なので、結婚生活は2年ですね。家庭のありかたをふたりで考えて、話し合っていければよかったんですけど、とにかく話し合いができず、本当に力ずくな家庭だったので。

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旦那さんとはどのように出会ったんですか?

私は音楽をやりたくて上京したのですが、当時は楽器もなにもできないし、東京にツテもない状態だったんです。そんななか上京して、初めて歌ったイベントの司会をやっていたのが彼でした。そこから、彼にギターを教わるようになったんです。

師匠と弟子のような関係がうまれて、会う機会が増えていったんですね。

1週間に1回、ギターを教わるために会ったり、色々なライブハウスに連れていってもらう関係が半年くらい続いて、一緒に過ごすうちにお互いが大切な存在になりすぎてしまったんです。でも、師弟関係だったのに付き合って、だらしないという見方をされることを彼が気にしていて。まだ付き合ってもいないのに「恋愛関係になるなら、覚悟を決めて結婚だ」「覚悟があるなら婚姻届を持ってこい」といわれて、2日後に自分の印を押した婚姻届を渡しました。付き合うという段階をすっ飛ばして、勢いで結婚したんです。

いきなり結婚といわれて、迷いはありませんでしたか?

いえ、そこは「おう、どんとこい!」と(笑)。私のそういう性格は男性っぽいのかもしれません。〈結婚は勢い〉とはよくいいますけど、私たちは本当に勢いしかありませんでしたね。

結婚前に、両家へのご挨拶はなかったんですか?

なかったですね。両親には、結婚することになったと電話で報告したんですけど、父も母も爆笑していました。旦那さんのほうは家庭事情が複雑だったので、結婚したことはおそらく未だに伝えていないはずです。

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旦那さんとはどのように別れたんですか?

やはりこのままの関係で生活を続けるのは難しい、と私から彼に話していたんです。せっかく一度きりの人生を生きるなら、自分のやりたいこと、自分にできることをやって生きていきたかったし、彼にもそう生きてほしかった。夫婦の前に、ひとりの人間として彼の音楽が好きでしたし、現場で活躍している彼が好きだったんです。夫婦として、お互いの好きなことを応援することは無理ではないと考えていましたけど、一緒にいることによって互いの足かせになってしまうのは嫌で、私から離婚を切り出しました。

旦那さんの反応はどうでしたか?

ショックだったはずです。ビクビクして、いいたいことを我慢することもあった私が、最後のほうは徐々に意見するようになっていったので。勝手な想いですが、離婚をするとき〈2年間は彼のことを待とう〉と決めたんですよね。彼が迎えにくるときまでに、ダメだった部分や彼を怒らせてしまった部分を克服してもっと良い女になっていたいという想いが、この2年間のバイタリティでした。でもちょうど1ヶ月前に、別れてから丸2年が経ってしまったので、今勝手に失恋中なんです(笑)。この2年間、彼のことを想っては「負けないぞ」と意気込んでいる自分は、女性っぽいなと感じていました。

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離婚後、どのように生きていこうと考えましたか?

東京での暮らしを終えて、地元の北海道の家に帰ることもできたのですが、なんとか東京に残って歌っていたかったんです。歌をやめることだけは頭にありませんでした。

なぜそんなに歌うことにこだわるんですか?

小さい頃は本当に音痴で、むしろ歌は苦手でした。家では父の趣味で洋楽ばかり流れていたので、周りの子が話している音楽の話題にはついていけなかったし、クラスの合唱で隣の子に「歌わないで、口パクにして」をお願いされることがあるくらいの音痴で、歌うことはわりとコンプレックスだったんです。

どのタイミングで歌うことが好きになったんですか?

札幌の高専を卒業後、上京してフリーターをしていたんです。でも22歳くらいのときに、自分の道を見つけなければならない、何者かにならなければならないというプレッシャーを勝手に感じて焦りはじめ、お金を貯めてニューヨークに渡り、ジャズクラスを受講したり、オープンマイクで歌ったりしてみたんですけど、途中で挫折して日本に逃げ帰りました。とりあえず目の前に仕事があって、住む場所も食べるものもあり、私のことを知っているひとがいない環境で働きたくて、奥飛騨の温泉宿の古民家で1年間住み込みで働きました。

奥飛騨の温泉宿にいる期間はずっと辛かったんですか?

無気力というか、自分のなかにやりたいことを見つけられなくて。今振り返ると、診察は受けませんでしたけど、鬱の症状だったのかなというくらい無気力でした。でも奥飛騨の温泉宿での仕事の最終日、朝風呂に入ったときにふっと楽になって。それまでは、何か目的がないと生きてはいけないような気がしていて、生きる目的が見つからずすごく無気力でしたけど、やっと自分を許せたんです。なんとでも生きていけるし、自分を生きてみればいいじゃないかと思えたときに、歌を歌いたくなったんです。そして「街で歌え」と親父に蹴り出されるかたちで、今度はちゃんと音楽をやろう、と決めて上京しました。そのときに出会ったのが旦那さんだったんです。

そんな旦那さんと離婚して、まず何をしようと考えましたか?

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住むところと新しいバイトを探そうと考えて、そのときに頭に浮かんだのが〈下宿のおかあちゃん〉でした。 10代の頃、やりたいことが見つからないあいだもなんとなく「下宿のおかあちゃんならやってもいいかな」とぼんやり考えていたので、やりたいなら今やろうと考えました。

下宿のおかあちゃんとは具体的に何をするんですか?

自分で一軒家を借りて、改装して、女性限定のゲストハウスを開いたんです。低価格のゲストハウスなので、だいたい自分と同年代のバックパッカーや留学生の女の子たちが集まってきて、みんなで寄せ集まって生きていく生活をこの2年間続けてきました。朝はみんなのご飯をつくって「野菜も食べなさい」なんて注意したり。本当にみんなのお母さんみたいなことをしてきましたね。

下宿のおかあちゃんをやってきて、女性だったから良かったこと、逆に女性だったから辛かったことはありますか?

これまで、自分のタフさは男性っぽい性格からきていると捉えていたんですけど、このしなやかさや、開き直れる強さは、私が女性だからなのかなと。自分が男性だったら、下宿のおかあちゃんはできていなかっただろうなとは感じますね。あと、離婚後に初めて水商売をしたんです。ゲストハウスを始めるにあたって借りたお金を早く返したくて、8ヶ月ほど音楽活動を休んで、ガールズバーとスナックをかけもちしながら下宿のおかあちゃんをやる生活をしばらく続けました。そういう水商売もそうですし、下宿のおかあちゃん業も、私が女性だからできたことだろうし、女性でよかったことしかないですね。

男性、女性、それぞれ役割はあると思いますか?

女性はこっち、男性はこっちという役割はないはずですけど、例えば夫婦のあいだで、夫と妻にそれぞれ役割があったとしても お互いが自立していて、互いを尊重して、尊敬しあえるのであれば役割があってもいい気がするんです。逆に、本当に役割を半々にしたいのであれば、そうすればいいですし。でもどちらにしても、自立と尊重がないと、かなり依存することになってしまうのではないかなと。

旦那さんとの関係のなかで、自立と尊重が足りなかったと感じますか?

ひとついえるのは、お互いにすごく子どもっぽかったんですよね。当時は私が28歳、彼が34歳だったんですけど、今考えればあの2年間は〈夫婦ごっこ〉のような感じでした。私は昔から、子どもを産んで母になるという未来を想像していましたし、自分が母になることを疑ったこともなかったんです。でも意思疎通が難しい夫婦の関係性のなかで、一緒に子育てをしていくということがすごく恐ろしく感じてしまって。

旦那さんと子どもの話をすることもあったんですか?

最初の頃はありましたけど、途中から、彼と子どもをつくることが恐くなりました。離婚するという話が出た頃は、結構荒れてまして。私も恐がっているし、逃げ出しそうな空気を察して、彼のほうが私を縛り付けたい、繋ぎ止めたいという想いがあったのかもしれませんけど、結構無理矢理にということもあって、翌日病院でアフターピルをもらってお医者さんに怒られることもありました。実は、家を飛び出したというタイミングで、最後の最後に妊娠が発覚したんです。

家に戻ることは考えましたか?

それまでは、もし妊娠したら迷わずに〈産む〉という選択をする人間だろうと自覚していたんですけど、当時は視野も狭くなっていたのか、旦那さんのいる家に戻って子どもを産むなんて無理だと感じました。なんでもスパっと決めることができる自分が、どうして「産むぞ」という気持ちになれないんだろう、と悩んでいたとき、母から「もし産んで苦労したときに、その子のことを本当に愛せるの?」と訊かれて、その言葉に納得して堕ろしました。もしあのとき産んでいたら、その子は楽しくて賑やかな家庭で育って、兄弟もできて、色々な人生の選択肢があったのかもしれないけど、それを私が終わらせたんです。当時はすごく落ち込みましたけど、その分の〈生〉をもらったので、私は生きなければ、と考えるようになりました。

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なぜ、そのタイミングで妊娠したのだと感じますか?

当時は、いちばん弱っていた時期でした。人のせいにしたり、後ろ向きにしか考えられないようになってしまっていたこと気づかせてくれるためだったのかな。今は、もしこんな私でもチャンスがあるなら、子どもが欲しいですし、逆に子どもを産めなくても、ひとりの女性として社会で楽しく生きていくのもいいだろうという気持ちです。

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女性が様々な生きかたを選択できる現代において、女性はどう生きたら幸せになれるでしょうか?

愛することじゃないですかね。それは男性のことを愛するでも、子どもを愛するでも、友人を愛するでもいいですし、もっと博愛的なことでもいいんですけど、愛情に素直になっていけば本人も幸せだし、周りも救われる気がするんです。

社会のなかで、女性ができることは何だと考えていますか?

これからの時代、母性や博愛がすごく大切になる時代がくると考えているんです。私たちの今の生活は自然環境とも折り合いがつかなくなってきているし、ヒトという生物としても疲れてきているというか。男性であっても女性であっても、このままの働きかたとか生きかたを続けるのはしんどそうなので、そういう意味で、受け入れる姿勢、何か失敗があっても開き直って考えかたを変えられるしなやかな強さは重要になるだろうなと。そのために女性は自立する必要があるし、社会もそれを認めざるを得ない状況になるのではないかな。

あなたにとって〈女性〉とはなんですか?

だれかを愛することや、愛情に素直になることに繋がるんですけど、私は女性だったから、このぽちゃぽちゃとした身体で誰かを抱きしめることができる。私は女性だからこそ、みんなの〈おかあちゃん〉になれるし、みんなを愛することができる気がするんです。