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ロッカクアヤコ アクリルに閉じ込めた二面性

現代美術家であるロッカクアヤコ。アクリル樹脂を使った立体物に、彼女が描き出す世界を閉じ込めた作品が「OBSCURA」だ。この展示を機に、彼女のこれまでの歩み、そして今回の作品について聞いてみた。ファンタジックな世界観でありながら、ヒリヒリと迫りくる作品のパワーは、どこから湧き溢れ、生まれるのだろうか?

by VICE Japan
22 May 2017, 9:27am

自身の手のひらに絵具をとり、まるで子供の頭を撫でるかのように、ダンボール、あるいはキャンバスに絵を描き出していくロッカクアヤコ。ファンタジックな空間に、ある意味溶け込んでいるようでいながら、そこから抜け出せず、もがいているように生きる女の子たちの力強い眼差しが、ヒリヒリと生々しく迫ってくるのが、これまでの彼女の作品の特徴だ。現在、日本で開催中の「OBSCURA」では、透明のアクリル樹脂に、彼女が描く世界観が閉じ込められた立体物が展示されている。新たにチャレンジした立体作品は、どのようなコンセプトのもとに描かれ、創り出されているのだろうか? 幼い頃からこれまでの活動とともに、今回の作品について語ってもらった。

Untitled_2017_acryl on canvas_91x116.7cm

幼少期は、どのような子供でしたか?

基本的に大人しくて、物を言わない子でした。

ご両親が絵を描くのが好きだったのですか?

いえ。ただ物を造るのがすごく好きだったようです。また、〈新しいことをやってみなさい〉という自由な教育方針でした。

小さい頃から絵を描くのは好きだったのですか?

そうですね。なんか描いたり、塗り絵は好きでした。

どんな絵を描いたり塗ったりするのが好きだったんですか?

特別にこういうの、というのはありませんでしたが、色鉛筆を与えられて塗り重ねると色が変化するのに、すごく感動したのを覚えています。描くというより色を塗るのが楽しくて、自分で塗った色に感動していました。

その頃は、どんな絵や絵本、アニメを観るのが好きでしたか?

今、ふと思い出したのは『こんなこいるかな』という作品です。絵本かアニメかは忘れてしまいましたが、場面ごとに感情や真理をついているような内容だったはずです。割とシンプルな線の絵だったと思います。あとは『ユニコ』というアニメも好きでした。

学校に入ってからは、絵の成績も良かったんじゃないですか?

いや、器用じゃないので(笑)。

えっ?

成績は良くありませんでした。だいたい、通信簿も4か3くらい。

絵だけが得意だったんですか?

いや、そうでもないんですよ。

市のコンクールで賞をもらってたのではないですか?

賞などは全然獲ったことがありません。好きは好きでしたが、秀でて誰よりも上手いわけではありませんでした。だから、当時を知る人が、私は絵が得意だった、とは誰も思っていないはずです。

では、遊びとして好きだったのですね?

小学校に入ってからは、教えてもらって描かなければならない絵になりますよね、課題というか。だから、絵ばかり描いていたわけではありません。

では、どんな遊びが好きだったのですか?

その頃はご近所さんに、同い年くらいの女の子が多かったので、その子たちと遊ぶのがすごく好きでした。ハロウィンとかクリスマスのパーティーを計画して、近くの集会所のような場所を借りて、自分たちで寸劇や、紙芝などを創り、親を招待して披露していました。それがすごく楽しくかったんです。

面白いですね。

とにかく学校では自分の力を発揮できず、その分、自分たちだけで何かやる方が楽しかったです。いつまでも給食を食べているような子供でしたから(笑)。今思うと、なんで、そんなに学校が嫌だったのかもわかりません。

中学生になっても学校が嫌いだったのですか?

ちょっとだけ変わった気がします。吹奏楽部に入ってトランペットを担当しました。その頃、絵もまた好きになった気がします。美術の授業でアクリル絵具を使うようになりました。道具が好き、というのもありました。

美術の成績も良くなるんですか?

それはないですね(笑)。ただ、野外に出てスケッチとかするじゃないですか? 本物を、よりイキイキと描くように、と教えてくれた先生がいたんです。それが衝撃的で、絵って本物を越えられるんだ、とびっくりしたのを覚えています。言葉での表現にすごくコンプレックスがあったので、絵を描いて自分を表現するのに興味を持ち始めたのはこの頃です。本格的ではありませんが、絵を描くのがそういう手段なんだ、と気付きました。

そのときは、どのような絵を描いていたんですか?

身の周りにあるものを描いていました。オリジナリティーがある絵を描く感覚は、まだありませんでした。

では中学校時代の日常生活は、どのように過ごしていたのですか?

印象に残ってるのは、これも学校での話ではありませんが(笑)、父親がインドネシアに単身赴任していたので、一度だけ遊びに行きました。中1の夏休み、確か1週間くらいです。父の会社の秘書の方のお宅に泊めてもらいました。イスラム圏の人たちでしたから、言葉も全然わかりませんでした。でも、明るい良い人たちばかりで、すごく影響を受けたんです。そこで、いろんな世界、いろんな文化があるんだ、と興味が湧き、英語を喋りたくなりました。高校は、英語の授業に力を入れている学校を選びました。

では、高校生活でも留学などしたのですか?

高2の春休み、学校のプログラムで、2週間だけホームステイしました。私は、移民の多いカナダに行ったので、中華圏のホストファミリーにお世話になりました。実際に私がいても、家族同士は中国語で話していましたから、想像していたほど英語の勉強はできませんでした。スペイン語ばかりだった、という友達もいれば、アメリカ人の家に滞在した友達は、毎日ピザとポテトチップスしか食べれなかったとか…英語というより、ごちゃまぜの文化に1番衝撃を受けました。全く気遣いがなかったり…(笑)。

絵を描いてはいなかったんですか?

そのときはもう絵どころか、学校に追いついていくのに精一杯で。

では最終的にどのような進路を選ぶのですか?

絵を描きたかったけれど、とりあえず技術を身に付けたかったので、イラストレーションの専門学校を選びました。グラフィックデザインの中のイラストレーション科です。あまりよくわからずに選んだので、通っているうちに、やっぱり違ったかな、と気づきました。

具体的には何を勉強してたのですか?

絵具の使い方、デッサンについては、勉強になったのですが、その授業がすぐに終わってしまいました。絵、そのものより、クライアントのリクエストに応える技術を学んだような気がします。

辞めないで卒業できたのですか?

後半は、ほとんど行きませんでした(笑)。先生が、なんとか卒業させてくれたんです。一応2年間通い、20歳で卒業しました。同級生たちはほとんど就職しました。絵がやりたい、といっていたのに、結局みんな就職するんだ、と思った記憶があります。私は、もっと絵で自分を表現してみたかったので、卒業後、まず〈デザインフェスタ〉というイベントに参加しました。

いきなりですか。

それしか手段がわかりませんでしたから。もちろん、その頃は、オリジナル作品は全然創れていません。色を塗ったり、絵具を使うのが楽しいな、とは実感していたんですが…。発表するにもギャラリーを借りなければならない、といったルールもよく知りませんでした。デザインフェスタのブースを借りられるのは、専門学校で知っていたんです。

Untitled_2002_Acrylic on cardboard_80x55cm

そもそもデザインフェスタとは、どのようなイベントですか?

オリジナル作品を出展するのであれば、アマチュアでもお金を払ってブースを借りられます。そこでいろいろなこともできるんです。バックを創る参加者もいました。今はわかりませんが、当時は土日の2日間でした。

デザインフェスタで、ライブで絵を描いていたんですよね?

はい。ただ、作品として押し出せるものがありませんでしたから、どうすべきか悩みました。始まってしまうと、お客さんもいるし、とりあえずやんなくちゃ、と描き始めました。そうすると、立ち止まって観てもらえます。観てもえるるとやらなきゃならない。無我夢中で進めるうちに、だんだん決まっていきました。緻密に描いていると、みんなにスルーされてしまいますが、スピードが早いと、立ち止まってずっと観てもらえます。お客さんの様子も気にしつつ、描いていました。

かなり思い切ってますね。

とにかく画材だけはいっぱい持っていきましたね。それまでも、子供を描いたり、カラフルなものを描くのが好きでしたが、そこではじめて、今のスタイルを見つけられたんです。

今の作風に繋がる原点みたいなものですね? 手で描く手法も、ここで生まれるんですよね?

そうですね。

アドリブですか?

手でやってみようというよりは、筆で描くと、どうしても筆の線になって、割とどこにでもあるような絵になってしまうし、進みも遅いし、もどかしかったんです。

イライラしてたんですね。

面倒臭くなってしまったので、こぼれた絵具を手で拭き取るように描いてみました。そうするうちに、自分のエネルギーがドンドン湧き出る実感を得ました。直接触れているから、段々原始的になる感じも気持ち良くて、楽しかったんです。

その時は画用紙ですか?

いろいろな画材を試していました。そのなかのひとつに、ダンボールもあったんです。物質的な問題ですが、ダンボールだと軽いし、ブースに簡単に立てかけられます。ゴミの集積所ですぐ手に入りますから、描いて立てかけて、描いて立てかけてを繰り返しました。

つまり、デザインフェスタで全部が生まれたんですね。

そうなんです。そのデザインフェスタの2日間で、全部生まれました。

ライブ感があったからこそ、見つけられたと言っても良いのですか?

ライブ感は大きいでしょうね。しかも、創った作品が初めてお金になりました。何百円でしたけれど、お金を出して買ってもらえたんです。この手法なら、全部自力でできるし、新たな道が開けた気がしました。大成功ではありませんでしたが、手応えがありましたね。

Untitled_2002_Acrylic on cardboard_80x55cm

デザインフェスタが終わり、その後はどのように活動していくのですか?

何も決めてなかったんですが、そこで知り合った方にグループ展に誘ってもらったり、井の頭公園でみんなが絵を描いているところに参加させてもらいました。そうするうちに、路上で活動していた人たちと繋がりができました。当時はお金もなかったので、手に入れやすいダンボールと絵具の組み合わせが、即興で描くのにも都合がよかったんです。デザインフェスタで掴んだ感触を継続させられましたし。

ギャラリーで展示など考えなかったのですか?

全然ありません。むしろ、路上で描くのが気持ちが良かったんです。

ダンボールは壊れやすいので、値段が高くつかないかも、みたいな不安はなかったのですか?

それは全然ありませんでした。ギャラリーと組むようになってから、ダンボールじゃナンだからキャンバスでやった方がいい、と勧められましたが、ダンボールじゃなきゃ辞めてもいいし、なんで私にオファーしてきたんだろう、と不思議になりました。結局、ぶつくさ言いながら描きましたよ。でも、作品を歴史に残したかったわけでもないので、ダンボールなりに廃れればいい、と思っていました(笑)。

作品が長く残って欲しいとか、普遍性を求めているわけではないんですね?

今は少しありますが、当時は、ダンボールの経年劣化とともに作品が消えてもかまいませんでした。その時はその時で精一杯でしたから。

また、小さい頃から引っ込み思案な性格だったと聞いてきましたが、路上で人前で描くことに抵抗はなかったんですか?

今振り返ると、よくやったな、と(笑)。

路上で描きながら、GEISAIに参加したんですよね?

2003年、21歳で、GEISAIの4回目に参加しました。GEISAIも、アマチュアであろうと、お金を払えばオリジナルを出品できます。審査も特にありませんから。

デザインフェスタと同じノリで出展したんですか?

初参加は、同じノリでした。でも、実はデザインフェスタとGEISAIは、コンセプトが明確に違います。デザインフェスタは、好きなことを好きなように、GEISAIは、美術界の登竜門。美術について何も勉強していなかったので、違いもわかっていませんでした。どちらも誰でも出展できますが、GEISAIには審査員がいて、賞もあります。

なるほど、とにかく出展してみたんですね。

無知なだけなんです。あとは、勢い任せなところもありました。それで個人賞をいただきました。ただ、勝手にアカデミックな雰囲気を感じてしまって、いけすかない気がしました(笑)。それで次の出展までのスパンが開くんです。

次のGEISAIに出展するまでの期間、生活はどうしたんですか?

当時はバイトしながら活動してました。

バイトはできるんですね?

いちおう、いろいろやってました。ファミレスや、単発のバイトです。いろいろな色の絵具を揃えたかったので、お金が必要でした。

将来に対して不安にならなかったんですか?

ひとつ展示するたびに、新しい知り合いができましたから、途切れずに次に繋がりました。不安よりも楽しみが大きかったです。

では、ロッカクさんの作品自体は、どのように変わっていくのですか?

上達を目指すというより、好みを追求しました。こうしたらめっちゃ楽しい、もっと女の子を描きたい、色使いはこうしたら面白い、ダンボールを破る。どうすれば楽しいかを模索していました。

また、絵にはストーリーがあるようにも感じますが、物語や人物設定はするのですか?

当時は何も考えていませんでした。形、物語というより、抽象画のイメージに近いです。色を塗り重ねて、黄色をバッと塗り、その上に赤を塗り、そうしていくうちに、ここに顔を入れてみよう、この感じだったらこういう睨み方にして…。とにかく色から始まります。何が出来るかは、時と場合によります。絶対完成させなければならない状況で描ききると、出来上がって良かった、と毎回安心します。

自分で塗っていって、その色に影響を受けて、また、新しいものが生まれていく感じなんですね。

ライブで描いていると、行き交う人、聴こえてくる音楽、かわいい犬、女の子の可愛いワンピース、周囲の状況に影響されます。それが全部ごちゃまぜになって、その時々の作品になります。

そうやって、即興を重視するにしても、普段の自分に蓄積されてきたものが、その場で知らず知らずのうちに、絵に現われることもあるかと思います。普段の生活で気をつけていることはありますか?

すごく散歩します。怪しいでしょうけれど、常にキョロキョロして、いろいろチェックします。そのまま描くわけではありませんが、チェックしたものが溜まると瞬間、瞬間で、何らかのカタチになって出てきます。抽象的ですが、今の風の感じ気持ちいい、波のキラキラ綺麗、そういったものが全てストックされています。

記憶しているのですか?

意識してないのでわかりません。たぶん、そういう経験が必要なんでしょう。

Untitled_2004_Acrylic on cardboard_100x80cm

そんな中、再びGEISAIに出展しますよね? どういう心境の変化があったんですか?

それも行き当たりばったりです。日本では、ギャラリーで展示するのに、貸画廊、というシステムがあります。作家がお金を払って場所を借り、絵を売るまで、全て自分でやります。でも、海外の話を聞くと、ギャラリストが展示会を企画して、お互いがリスクを持つようなシステムでした。絶対そっちの方がいい、と直観しまして、本場、ニューヨークに行ったんです。ブルックリンの黒人街でみた、バスキア(Jean-Michel Basquiat)の大回顧展が、特に印象的でした。観たこともないような大きな絵を、黒人のお客さんが鑑賞して、考えているのを目にして、アートは奥深い、と思いました。ただ観てもらうだけではなく、社会的な背景まで感じさせたり、怒りや悲しみを共有する手段になったり、ダイナミックなことができる気がしたんです。それから、MOMAで観たジャクソン・ポロック(Jackson Pollock)も印象的でした。抽象表現ですが、サイ・トゥオンブリー(Cy Twombly)みたいな「バッ~」とした作品も、エネルギッシュでダイナミックでスタイリッシュで素晴らしかったです。ちょうどそのタイミングで知り合いの日本人が現地で展示をしていたので、足を運びましたが、私の展示ができるところまでは進みませんでした。ただ、すごい影響を受けて帰国しました。そこで初めて、GEISAIがニューヨークで経験した美術の世界への登竜門なんだ、と気づいたんです。だから、違う気持ちでトライしました。

具体的には何を変えて挑んだのですか?

その前は即興で、その場限りで、観てくれたギャラリーだけに何か残せればそれでいい、と思っていましたが、GEISAIでちゃんとチャンスを掴んで、自分の作品を作家として観せたい、と考えるようになりました。

作品も落ち着いて描くようになるんですか?

それが、そうはなりませんでしたね(笑)。それなりに勉強しなければならないはずなのに、なんとかなる、と楽観していました。スタイルは変えずに、違う分野にチャレンジしたんです。やることは一緒でしたが、心構えがすごく変わりました。

GEISAIに出すときの観せ方が変わる、ということですか? 大きくして観せたり。

スタイルは全然変わってないはずです。もちろん、3、4年間のうちに、徐々に作品も変化したでしょうが、イメージのなかでは、本当に、気持ちしか変わっていません。

Untitled_2005_Acrylic on cardboard_80x55cm

9回目のGEISAIに出展した後、絵で生活できるようになるのですか?

いえ、その頃は、まだバイトしていました。絵で生活できるとは、まだ、全然考えられませんでした。ただ、ヨーロッパで作品を紹介してもらえることになりました。そこから段々とキャリアを積み重ねたんです。

作品がヨーロッパに出ていき、何が大きく変わりましたか?

まず、購買層が変わりました。アートコレクターに売れたのと、私が3、4000円で販売していたのが15、000円になり、「めっちゃ高い」と感じたのに、アートコレクターにとっては気軽に買える値段らしく、結構売れたんです。その時に、ヨーロッパの、今まで知らなかったジャンルの人たちに触れました。そんな遣り取りのなかでも、いつもの直観のまま自分のスタイルでやっていける、という気持ちになれたのも良い経験でした。それがきっかけで今のオランダの画廊とも知り合って、展示会を開催してもらったり、ことあるごとにヨーロッパに呼んでもらえたり、滞在して描かせてもらったりしています。作品の値段も画廊のスタッフに設定してもらいました。日本では、所属していたわけではありませんが、カイカイキキの方々から、美術界の仕組みについて教わりました。

この頃には、ロッカクさんのスタイルが、ある程度確立されていますよね。即興で描いていくスタイルだと、毎回新しい作品を創るためのインスピレーションの源が、どこから湧いてくるのか不思議です。

飽きてしまうこともありますが、ただ好きで、がむしゃらに描いていた頃とは変わってきました。例えば〈女の子〉を描いて、と頻繁にリクエストされるんですが、「うーん、どうしようかな」、とも思います。でも、〈女の子〉は自分にとって大切なモチーフですから、飽きたから辞めるのでなく、もうちょっと向き合うようにしています。そうしたら、突破口が見つかったりもします。絵だけを観たら、そんなに変わってないと思われるかもしれませんが、ずっと見つめていると、自分の中で新しい発見があります。あとは、ライブペイントだと意図していない自分がドンドン湧き出て、そこから新しい発見が生まれたりもします。普段使わない色を、「あっ使っちゃった」でも「これいいかも」といったこともあります。

間違えて違う絵具を使ってしまうこともあるんですか?

意外とあるんです(笑)。描いてるときに、黄色が欲しくて、見ないでバッと絵具をとって描いたら赤だったりして、麦茶だと思って飲んだらコーヒーだったみたいな(笑)。すごく違和感があるんですけど、塗ってしまったからなんとか良い方向に持っていかないといけない。そんなところから違うものが見えて来ます。

意図的に新しいものが出てくるように模索したりするんですか?

ありますね。慣れ、自分の作風をなぞっているのに気づくと嫌になります。自我だけで完璧な絵を描きたくありません。常に意図していない、自分の手の外側にある要素があって欲しい、と思っています。

手癖が自分らしさに繋がるとも思いますが。

そうなんですけど、あまりに固まってしまうと壊したくなります。

それは時代だったり、瞬間ごとに気になるポイントが自然と変わっていくってことですね。

そうですね。

無意識であるのを求める理由は、純粋さを求めるのと同義でしょうか? また、なぜ意識的ではダメなんですか?

全部が全部新しいわけではありませんが、洗練されたくない、という気持ちがあります。いつも、ゴチャゴチャしていたい。

では、前向きな表現だけでなく、負の要素を匂わせたいと思うのですか?

そういう世界観が好きだから、としかいえません。引っ越した当時のベルリンの街が好きなのも似ています。混沌として、振り幅が大きく、この範囲だったら別になんでもいいよ、と許容されている感じが好きです。変な人がいれば、ちゃんとした人もいて、ふたつが共存しているから、別に、ピシっ、としてなくてもいい。とはいえ、お花畑でもない世界です。

Untitled_2017_Acrylic on canvas_162x162cm

それで、ドイツに住み始めるのですね?

27、28歳のときですね。

絵を描くこと以外で、現代アーティストとして必要なものを学ぶためには、ヨーロッパに行くしかないって思ったのですか。

日本で個展を開催させてもらい、作品も広がり始めた頃だったので、ちょっと離れたヨーロッパで挑戦してみたくなりました。ちょうどアニメーションを創った時期で、それをオランダに持ち込むタイミングで引っ越しました。

日本を出たいと思った理由は他にありますか?

絵を描く前から、漠然と海外に住みたかったんです。一度住んでみないと、海外の感覚が掴めない気がしていました。

海外のどういう感覚を掴みたかったのですか?

画廊のスタッフの、「絵はいいけど、ビジネスはビジネス」というシビアなところですかね。それは日本でも同じですが、海外はもっと率直です。ダメだったら切るよ、とハッキリした態度や、単純にお客さんとの遣り取り。とにかく、わからないことが多かったので。

日常生活での世界と日本の違いとは?

時事だと、シリア難民の問題など、日本と違ってすごく身近です。私も、ドイツ社会とそれほど積極的に関わっているわけではありませんが、近所の公園に仮設シェルターがあり、ドイツに来た難民が、一時的にそこを利用し、申請が通るとそこから出ます。ドイツではあまりないけれど、ハンガリーでは、警察が難民に暴力を振るったりしているようです。でも、シェルターを出た難民がテロを起こしたり、事件を起こすのも報じられています。すごく身近ですが、難しい問題です。語学学校に通っている友達がいるんですけど、クラスにはシリアから来た人もいるそうです。歩いてドイツに来た、家族は全員空爆で死んでしまった、家族はシリアに残っている…、そういった話を聞くと、やはり、日常的に考えさせられます。

時事などの社会問題が、ご自身の作品に影響する部分はありますか?

直接的には、反映させているつもりはありません。でも、3.11は、言葉が出ないくらいショッキングで、この先何をしていけばいいか、何ができるんだろう、とすごく悩みました。

東北で描いていましたね。

それまでも漠然とは考えていましたが、それまでの、社会のなかで何ができるのか、という気楽さでは済まない、と実感しました。

東北のときは、どのように考えて動いたのですか?

東北では、子供たちにまず描いてもらい、最後に私が後押しするようにしましたが、未だに、それで良かったのか、すごく考えさせられます。上辺だけで創っちゃいけない、という気持ちもあり、私に何ができるんだろう、と今でも考えています。

Untitled / 2017 / Acrylic / 40x60x12cm Photo By Kenji Takahashi

では、ここからは今回の作品「OBSCURA」について教えてください。

ダンボールからキャンバスに移行して、アニメーションも使ったので、さらに新しい技法がないか探していました。しかも、ずっと、立体物に挑戦したかったんです。ただ、3Dで、女の子をそのまま人形にする、というのも形だけだし別に意味がないな、というタイミングで、ちょうどお話をいただきました。

このボックスの素材なんですか?

アクリル樹脂です。知り合いから、絵を閉じ込めるような技法があります、と紹介していただき、立体物にピッタリだ、と直観しました。

具体的にはどのように制作したんですか?

性質上、素手で触るとよくないので、筆とゴム手袋を使って、アクリルそのものに、直接描いてるんです。

表と裏があるじゃないですか?

そこはひと工夫です。先に後ろから描いたんです。裏面から見たときの、普段だと最後に描く輪郭の部分をまず描き、それで裏が出来上がったら、そこに絵具を塗り重ね、表から観える部分を描いていきます。つまり、表と裏が絵具の層になっていて、一番下に裏から観える絵があって、一番上に表から観える絵があります。そこから、また別のアクリルに描いて、それを何層かに重ねてあります。例えば4層だったら、4つのアクリルにそれぞれ異なる表と裏を描き、それを最後に組み合わせます。

ということは最初から、完成形のイメージがみえてないとできないですよね?

そうなんです。これは先に完成形のイメージをつくり、これが何枚目にくる、と決めて描くので、いつもの手法とは真逆です。

異なる層同士で絵が重なるとまずいですもんね。裏と表があるので、ロッカクさんの特徴でもある二面性を活かした手法ですね。

自分のテーマを明確にした感じです。

Untitled / 2017 / Acrylic / 25x25x7.5cm Photo By Kenji Takahashi

技術的に苦労したことはありますか? 例えば、絵具が染み込まないとか。

実際、すごく苦労しました(笑)。そもそも、作品を閉じ込めるための技術ではないので、最初は全然上手くできませんでした。100回くらい試行錯誤を繰り返しました。ひとつひとつの制作に時間がかかるので、作品数もそんなに増やせません。このアクリル樹脂を紹介していただいたのが2014年でした。ようやく日本でお披露目できました。

これまでは作品ごとに新しい絵を描いていたのが、今回は同じ絵を何度も描き、その描き方に試行錯誤したんですね。

同じでないと違いがわからないので、私の方で、絵具をコーティングしてみたり、違う種類の絵具を試したり、技術的に負担をかけないように、色々トライしました。結構しつこい性格だから諦めたくないんですよね(笑)。工場の皆さんには、とことん付き合っていただきました。

普段の絵と比べて、今回はどのようなイメージで制作したのですか?

「OBSCURA」というタイトルですが、パックされた中で浮かび上がる〈像〉、そんなイメージで創りました。キャンバスであれば完成形を決めずに塗り重ねますから、現在であり未来であり外側であり、といったところです。でも、この作品は、想い出、子供の頃の夢、ファンタジーなどが混じり合った過去があり、今が中心なんですけど、そこから未来が映し出されるようなイメージで創りました。

絵と比べると遠いというか。

触れられないみたいな。

個人的には物体として所有欲が湧くのですが、それは一見生々しくないからだとも思います。ロッカクさんの絵は、ヒリヒリしたものとか生々しさを感じて、それが考えさせれるというか気軽には対峙できないというか、したくないというか。そういう風に感じられる作品が好きなのですが、その部分がオブラートに包まれているから、手にしたいって欲求が湧く気がします。

キャンバスは、触ってもかまわないくらいの生々しさが根底にありますが、今回の作品は浮世離れ、とまでは言いませんが、水のなかを覗き込むような、そういった〈遠さ〉みたいなものがありますね。それから、反射の角度によって、ちらっと女の子も垣間見えたりするので、万華鏡感もあります。

Photo By Kenji Takahashi

アニメーションもそうですが、新しいものに積極的にチャレンジしますよね?

アニメーションは相当上手くいったし、ひとりではできないでしょう。いつもは完全にひとりなので、多くの人と一緒に創って新しい世界が観えました。

デザインフェスタのライブの話もそうですが、誰かと作品を創りあげるのに、すごく可能性を感じていますね?

そうですね。自分の意図していない要素が作品に加わるのが楽しいですね。今回も、すごいアクリルがあって、しかも、それを何層にも重ねる技術を持った工場があって、そこに私の絵を閉じ込めたんです。アクリルの塊を見て、触ると暖かくて、ちょっとヌメッとした透明感のなかに私の絵を閉じ込められたら、ひとりはできない面白いものができる、とすぐにイメージできました。

アクリルにチャレンジしてよかったことは?

今のところ、もうちょっと上手く創りたかったな、という気持ちが大きいです。完成させるための技法に精一杯でしたから、反射や二面性をもっと上手く使えるのでは、と考えています。絵具をもっと生き生きさせたかったんですが、とりあえず、完成してお披露目できてよかったです。

Untitled / 2017 / Acrylic / 13x15x4.2cm Photo By Kenji Takahashi

ロッカクアヤコ

1982年千葉県出身。2006年村上隆が主催するGEISAIでスカウト賞を受賞したことをきっかけに、日本やヨーロッパで活躍する画家。主な展示にはオランダ・ロッテルダムのクンストハル美術館、スロバキアのダヌビアナ美術館で大規模な個展を開催しする。今回紹介した立体作品「OBSCURA」の展示を、原宿にあるGALLERY TARGETにて、2017年5月18日から6月8日までの、12:00 から19:00まで(日祝日休廊)開催している。

Special Thanks:三菱ケミカル株式会社 / 株式会社シンシ / 株式会社アディクタム
「アクリル立体絵画」patent pending