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NY伝説ショップ、アラン・アンド・スージーを失うファッションフリーク

家賃の高騰やトレンドの変化により、ニューヨークの伝説的ショップ、アラン・アンド・スージーの存続が脅かされている。パンクスからアレキサンダー・ワン、ミウッチャ・プラダまでを魅了してきたヴィンテージ・ショップは現在ネット上だけに存在する。

by Erica Euse; photos by Claire Christerson
24 September 2017, 3:50pm

All photos by Claire Christerson

ニューヨーク・シティのローワーイーストサイドに位置するセンター・ストリート(Centre Street)にはタイムマシンがある。そこには、〈Allan and Suzi(アラン・アンド・スージー)〉と書かれたネオンサインが赤く光っている。ブティックの狭い木製のドアに足を踏み入れた途端、タイムズスクエアがまだ薄汚く、スタジオ54が賑わい、幻想的なファッションが大流行していた時代にタイムスリップしたような気分を味わえる。

アラン・ポラック (Allan Pollack) とスージー・カンデル (Suzi Kandel) が経営するショップは、ニューヨーク・シティを地球上で唯一無二の街にした独特のスピリットを体現している。ぎっしりと服がかかったラックから、ヴィヴィアン・ウエストウッド (Vivienne Westwood) やジャン=ポール・ゴルチエ (Jean Paul Gaultier) のヴィンテージを見つけようと、過去30年にわたって、パンクスやクラブキッズ、ドラッグクイーンが、このワンダーランドにこぞって足を運んだ。アレキサンダー・ワン (Alexander Wang) やミウッチャ・プラダ (Miuccia Prada) らの著名なデザイナーたちは、風変わりなインスピレーションを求めて、店内の奇妙な商品の数々を、隅々までリサーチしていたという。さらには何千ものニューヨーカーが、ショップの素晴らしく古くさくて面白い商品と、非常に影響力の強いご当地番組を観て育った。2人が司会を務めたその番組では、モデルとストリートの素人を同じようにフィーチャーし、アラン・アンド・スージーの商品を宣伝していた。

アラン・アンド・スージーは、ニューヨークのクリエイティブ層にとって極めて重要なショップだが、現在は破産の危機に瀕している。同ショップは、市内の風変わりな個人経営のショップやブティックに広まりつつある問題と、同じような悩みを抱えている。家賃の高騰や人口構造の変化によって、彼らは倒産に追い込まれている。ここ10年で、パトリシア・フィールド(Patricia Field)やラヴ・セイヴズ・ザ・デイ(Love Saves the Day)といった象徴的なブティックが閉店し、トラッシュ・アンド・ヴォードヴィル(Trash and Vaudeville)のようなパンクの老舗が、縮小を強いられている。今後4週間以内に奇跡が起こらない限り、アラン・アンド・スージーも同じような状況による打撃を受け、移転もしくは閉店を強いられてしまうかもしれない。

私は2月下旬にアラン・アンド・スージーを訪ねたのだが、そのきらびやかなファッション専門店は、迫りくる家賃の高騰によって、ダメージを負っているようには感じられなかった。ラックには素晴らしい1点物のガウンがぎっしりとかかっていたし、壁はレディメイドの服で埋め尽くされ、天井からは美しい品々が吊るされ、保管されていた。サラ・ジェシカ・パーカー (Sarah Jessica Parker) が映画版『セックス・アンド・ザ・シティ(Sex and the City, 2008)』で着用したフリル付のカクテルドレス、1992年の『ヴァニティ・フェア(Vanity Fair)』誌の表紙でゴールディ・ホーン (Goldie Hawn) が着用した、ゴールドのビーズがあしらわれたジョルジオ・ディ・サンタンジェロ (Giorgio di Sant’Angelo) のボディスーツは、同店が重要な存在であるのを誇示するかのように、サインとともに飾られていた。

華やかで派手な品々に囲まれて、ショップには屋号の由来でもある2人がいた。ダークなサングラス、日焼けした肌、肩まで届く白い羽のような髪をなびかせ、まるで引退したロックスターのようなアランは、店の正面に立っていた。一方スージーは、もう少し洗練されていた。炎のような赤毛の彼女は全身黒のコーディネートで、細い首にはゴールドのチェーンをまとっていた。

ショップの独特な美学を、どのように考え出したのか、2人に聞いたところ、アランはニューヨーカーらしい真面目くさった表情で「俺はアバズレが好きなんだ」と答えた。スージーは古着が並ぶラックの後ろで笑いながら、「そうなの。彼はアバズレが大好きなのよ。私は美しい職人の技術が好きなの」と口を挟んだ。このコントラストこそ、アラン・アンド・スージーが、業界やアンダーグラウンドの人々に崇められるファッションの殿堂となった理由をよく表している。

「ただのヴィンテージストアじゃない。セレクションは、彼らのコンセプトに基づいて、完璧にエディットされていた。そのコンセプトは唯一無二だった」と語るのは、『セックス・アンド・ザ・シティ』などのテレビ番組の衣装をアラン・アンド・スージーでセレクトしていたという、受賞歴のあるスタイリスト兼デザイナーのパトリシア・フィールド (Patricia Field) だ。「デザイナーズ・ブランドと、そうじゃないアイテムが、とてもエキセントリックにミックスされていた。でも、そのすべては極めて人目を惹く、彼らのイメージを象徴するもの」

アラン・アンド・スージーの豊かな個性は、あとに続くダウンタウンのクリエイターやパーティー・モンスターたちのトレンドにも大きな影響を与えた。GHE20G0TH1K(アート、音楽、ファッション、そして過激な政治思想をひとつにした文化的ムーブメント)の創始者ヴィーナスX (Venus X) は、アランとスージーに影響を受けた若きリーダーのひとりだ。

「ショップに行ったらアランから、ミックステープをつくってくれ、と頼まれたのが忘れられない。彼はGHE20G0TH1Kが何なのか、すごく興味を持っていた」とヴィーナスXは電話で話してくれた。「店に行くたびに私のことを覚えていてくれた。誰もがそうとは限らないの。どんなにイケてるニューヨーカーでも、特定の世代やスタイルに対して壁をつくっている人もいる」

ヴィーナスは鋭い。アラン・アンド・スージーでは、身分が高かろうが低かろうが、若かろうが年老いていようが、そこに隔たりはない。店内ではフランク・シナトラ (Frank Sinatra) からナズ (Nas) まで、アランが選曲した音楽が延々と流れている。裕福なヤッピーやストリートキッズ、予測不可能な変人などで満員の、金曜の夜のニューヨークの地下鉄のように、2人のショップは社会的に平等で、かつ素晴らしいのだ。残念ながら、このファッションの聖地は数週間以内に、その鮮やかなカルチャーとともに塵となってしまうかもしれない。

「大きな変化が起きているんだ」。ニューヨークの家賃の高騰や、自分たちのような個人経営のショップが地図から消えてゆく現状が生み出す不安についてアランは語る。「店を経営するファッション業界人の大勢と話しているが、みんな同じように感じている。俺たちはとても特別なものを失うんだ」

All photos by Claire Christerson

1987年にアラン・アンド・スージーの前身となったショップをオープンするまで、アランはブルックリンのマキシミリオン(Maximillion)というサロンで美容師として働いていた。スージーとは当時の妻を介して出会い、最終的にサロン内の小さなブティックの運営を依頼した。

「彼女は小さなブティックで大儲けしていたんだ」とアランは教えてくれた。「俺が美容師として死ぬほど働いている傍らで、レディーたちが彼女のジャンクに何百ドルも払っていた」

アランが仕事を辞めてスージーとビジネスを立ち上げるまでに、たいして時間はかからなかった。ファッション業界でのわずかな経験をもとに、2人は新たなパートナーとしてシープスヘッド・ベイ・ロード(Sheepshead Pay Road)にあったサロンの数軒横に物件を借り、出店した。新品を仕入れる資金がなかったため、ジミーズ(Jimmy’s)という地元のデパートからデザイナーズアイテムを買い付けて在庫を確保した。オーナーの妻がアランの元クライアントだったため、クリスチャン・ラクロワ(Christian Lacroix)やヴァレンティノ(Valentino)の前シーズンのアイテムを引き渡してもらえるように話をつけてくれたのだ。

「有名ブランドの取り扱いがあるとわかれば、お客さんは古い服でも買ってくれるだろう、と考えていたんだ」とアラン。結果、彼らは正しかった。業績があまりに良かったため、開店からわずか6か月でマンハッタンのアッパー・ウエストサイドのアムステルダム・アベニューに1号店を出店した。当時、その近辺にはまだドラッグが蔓延していたという。「店を借りた翌週、『ニューヨーク(New York)』誌が俺たちの通りを街で最悪のブロックに認定したんだ」とアランは振り返った。それでも、「レトロとモダンなファッションの殿堂」をチェックするために、客は街の反対側からでもやって来たそうだ。

「その時点で、私たちはたくさんのコンテンポラリーなブランドを買い付けていただけでなく、スタイリングもしていたの。『あなたのためにこれを選んだから着てみて。すごく似合っているわ』といった具合にね」とスージーは日々買い物にやってきた裕福な女性たちについて説明した。

「アラン・アンド・スージーは素晴らしい時期にスタートしました」と語るのは、スタイリストでファッション工科大学の講師でもあるエマ・ソーサ (Emma Sosa) だ。「80年代はパワー・ドレッシングの時代でしたから、女性たちは富をひけらかしたかったんです。〈age of excess(過剰な時代)〉と呼ばれた時代でもありましたので、彼女たちはとても派手な服装を好みました」。 ソーサはまた、1981年のMTV開局も、大胆でカラフルなファッションの流行を後押しした、と指摘する。

在庫を最新の状態に保ち、新たな顧客を魅了するために、2人はサックス・フィフス・アベニュー(Saks Fifth Avenue)やバーグドルフ・グッドマン(BergDorf Goodman)といったデパートから高価なデザイナーズドレスを買い付け、ショーウィンドウに飾った。

「8000ドルや9000ドルもするようなドレスをクレジットカードで買うんだ」とアランは話した。「売れようが、全く儲けがなかろうが、どうでもよかった。2週間後に返品していたからね。俺たちはそれを繰り返した。みんなから『どこでこんな服を買い付けてきたんだ?』と不思議がられていたよ」

来店する女性たちがシャネル(Chanel)のような高級ブランドの古いドレスを持ち込むようになったため、アランとスージーはヴィンテージのデザイナーズアイテムの販売も始めることに決めた。彼らは、新品だけでなく古着のデザイナーズアイテムを扱うニューヨークのショップの先駆けとなった。

「彼らはパイオニアです。当時、古着は見下されていましたから」と電話で教えてくれたのは、長きにわたってアラン・アンド・スージーでクリエイティブディレクターを務めるアンソニー・コンティーノ (Anthony Contino) だ。「アランとスージーは古着をクールでトレンディにした張本人です」

アラン・アンド・スージーの初期から現在に至るまでに、ヴィンテージ市場は大きな発展を遂げた。今日のニューヨーク・シティには、ヴィンテージ・ショップや、バッファロー・エクスチェンジ(Buffalo exchange)とクロスローズ(Crossroads)のような全国チェーン展開する委託販売店がたくさんある。だが、ラグジュアリーでグラマーな80年代は、金持ちのほとんどが古着を見下していた。そして、エイズの流行が終わる頃には、古着からの感染を恐れる人たちもいた。

しかし、アラン・アンド・スージーには抵抗できないほど魅力的な商品が並んでいた。初期のアラン・アンド・スージーでは、アランがジャンピング・ジャック・フラッシュ(Jumping Jack Flash)やグラニー・テイクス・ア・トリップ(Granny Takes a Trip)といったニューヨーク・シティのブティックから仕入れたプラットフォームシューズ(厚底靴)が、たくさんのデザイナーやスタイリストの注目を集めた。

「アランと私は、ファッションピープルは、かなりイカれていると思っていたの」とスージーは笑った。「彼らはすごくシリアスだったけど、私たちはユーモアのセンスを求めていた。だから、クリスチャン・ラクロワ (Christian Lacroix) のスウェードのドレスと不恰好なプラットフォームシューズを合わせたりしていた。そこにフォトグラファーのスティーヴン・マイゼル (Steven Miesel) のアシスタントが通りかかって、気に入ってくれたの」。そのときのブーツがイタリア版『ヴォーグ』誌に掲載されたおかげで、アラン・アンド・スージーは開店からわずか数ヶ月で有名になった。

店のうわさを広めるために、アランとスージーは盛り上がりをみせていたニューヨークのクラブシーンに関わるようになる。彼らは毎晩、〈クラビングの女王〉ことスザンヌ・バーチ (Susanne Bartsch) や、〈クラブキッズの王様〉ことマイケル・アリグ (Michael Alig) が主催するパーティに繰り出し、ジョン・ガリアーノ (John Galliano) やジョージ・マイケル (George Michael) と交流を深めた。

「俺たちはいろんなものを見たり、いろんな場所に足を運んで、2人とも、まさか人生で会えるハズもない人たちに出会ったんだ」とアラン。「あのころは面白いキャラクターがたくさんいた。もちろん今もいるんだろうけど、姿が見えないんだ」

アランと1988年に出会い、今はアラン・アンド・スージーの販売責任者でもあるアンソニー・コンティーノ (Anthony Contino) は、「ただ20ドルを払えばクラブに入れるわけではありませんでした。店の前に立って、彼らに選ばれるよう祈るしかなかったのです。一晩中待つこともありました。彼らはとても厳しくて、特定のイケている人たちしか入場できませんでした」という。

アランは、自身のトレードマークだったヒールの高い厚底靴をスージーに履かせ、ジャッキー60(Jackie 60)、スタジオ54(Studio 54)、パラディウム(Palladium)といった流行りのスポットに入り浸った。「みんなに私たちを覚えてもらいたかったの」とスージー。

1994年、アランとスージーは毎週月曜日に『At Home with Allan and Suzi』という、市民が制作に携わるTV番組で司会を務め、カルト的なファンを獲得した。VFILESはラフなつくりのショッピング番組を「部分的にはQVC/部分的にはテレビ・パーティ」のような番組と絶妙な説明をしている。

30分の番組では、チェックのゴルチェのスカート・スーツと、太ももまでの赤いラバー・ブーツのコーディネートや、シルクハット付きのパウダーブルーのタキシードなど、視聴者が購入できるアラン・アンド・スージーの商品が紹介された。新進気鋭のモデルたちをはじめ、ニューヨークのドラァグクイーンのザ・バロネス (The Baroness) 、『Girlfriends』『Blackish』といったテレビシリーズに出演する以前の若き日のトレイシー・エリス・ロス (Tracee Ellis Ross) らがモデルを務めた。とあるエピソードでは、スージーが手に鞭を持ち、ディーン・マーティン (Dean Martin) の「Do It Yourself」を口パクしながらこれ見よがしに歩いた。番組は3年にわたって放送された。

「実際のところ、私たちには、とにかく、ものすごい情熱があったの」とスージー。「自分たちが深くハマり込んでいるのはわかっていたし、一生かけて貯めたお金を投資していたから、そのまま泳ぎ続けるか、それとも溺れるかしかなかった。私たちは泳ぎ続けた。背泳ぎもしたし、何でもやった。私たちのポジションを守るために、どんなことでもやった」

アランとスージーが現在の店舗があるローワーイーストサイドに引っ越したのは、2011年だった。2013年まではニュージャージー州アズベリーパークにも支店があったが、ハリケーン〈サンディ〉と家賃の高騰により、マンハッタンのショップだけに集中することを余儀なくされた。

アランとスージーに残されたマンハッタンのショップは、隅々までお宝で埋め尽くされており、お宝それぞれに物語がありそうだ。壁に吊るされた、カラフルに〈アバズレ〉〈セックス〉とペイントされたウェディングドレスについて尋ねると、1995年にスザンヌ・バーチが、ハマースタイン・ボールルームで行われたデヴィッド・バートン (David Barton) との結婚式で着るためにデザインしたものだ、とスージーが教えてくれた。「私たちはスタンディングオベーションを受けた」と彼女は参列者の反応を振り返った。

店のあらゆるところに陳列された膨大な量のプラットフォームシューズについてアランは、トミー・ヒルフィガー (Tommy Hilfiger) が来店したときのことを教えてくれた。ヒルフィガーはアメリカの国旗がプリントされた靴を欲しがり、諦めてほしかったアランが法外な価格を提示すると、2万5000ドルを支払ったのだという。「靴を売っちまったから落ち込んだ」とアランは認めた。「馬鹿だよな」

店内にいると、人々が〈個性〉や〈ドレスアップ〉という名のアートに夢中だった時代に連れ戻される。〈ノームコア〉や〈アスレジャー〉をはじめ、目立よりも溶け込むことを大事にする昨今のトレンドから失われてしまった要素だ。

「80年代後半はクラブシーンが盛り上がっていたし、社会化や視覚化がすごく重要だった」とアラン・アンド・スージーの全盛期を、パトリシア・フィールドは振り返る。「今では大部分をインターネットが取って代わり、洋服から実体験が失われてしまった」

店で売られている洋服がユニークなのは間違いないが、高すぎるコンドミニアムやチェーン店の到来によってニューヨーク・シティが失いつつあるものを総体的に把握させてくれるのは、アランとスージーと彼らの物語だ。

「彼らビジネスを通してつくりあげたフィーリングは、往時のニューヨークのフィーリングに欠かせない要素だった」とフィールド。「なくなってしまったショップにしたって、それぞれを特別なものにしたイメージや個別の配慮があった。でも、ひとつずつきえてしまっている」

『Empire 成功の代償』のようなテレビドラマのスタイリストや、ヴァネッサ・ハジェンズ (Vanessa Hudgens) のようなセレブリティーの客足は今でも絶えないが、アランとスージーは売り上げが次第に厳しくなっているのを実感している。たとえ50~80%割引のセールをしても、それは変わらない。

「人には優先順位がある。今の時代は誰もが不安なの。いつまで仕事を続けられるかわからないし、何が起きているかもわからないから」とスージー。「人は不安を感じると、お金を使うのをためらう」

「ファッションは時代精神の部分。今はライフスタイル全体が変わってしまった。ファッションだけでなく、音楽、労働倫理、経済、国際情勢などもね」と語ったパトリシア・フィールドは昨年、バワリー・ストリートで50年続いた自らのショップを閉店、売却した。「ニューヨーク・シティはグローバリゼーションの影響を受けている。全ては〈前進〉の過程であり、その流れに逆らうのは、ほぼ不可能。残念ながら、その代償のひとつは〈個性の表現〉なの。そのせいで、経済的にも創造性の面でも表現が成立しなくなってしまった」

そういった不安な気持ちと街の家賃高騰が混ざり合い、アランとスージーは、6月1日から1万5000ドルに上げられる家賃を払えなくなってしまった。悲しいことに、2人が他の場所で店を再開するかどうかは未定だという。

「今はもう、不動産が手ごろだった頃のニューヨークとは違う」とヴィーナスXは説明してくれた。GHE20G0TH1Kの創始者は最近、ブルックリンにプラネットX(Planet X)という名のヴィンテージ・ショップをオープンした。そこでは、アランとスージーが前面に押し出そうとしていたエキセントリックな精神が少しだけ受け継がれている。「私たちはみな順応する必要があるわ。本当に正直にいえば、家賃がこんなにも高い状況で、どうやって店をキープし、どうやって価値を生み出すか、というのが日々の課題なの」

私がアランとスージーと店で過ごしたあいだに、木製の二枚扉から入ってきたのは、好奇心にそそられた2人の客だけだった。スージーは接客しようとしたが、彼らはラックに指を滑らせ、禁止されているが、写真を数枚撮っただけで、店を出てしまった。

「もし閉店してしまうとしたら、その日はとても悲しい日になるでしょう。アランとスージーは、ニューヨークのファッション界における最後の創造力なんですから」とコンティーノ。「あんなショップは、どこにもありません」

「何かしらが俺たちを見出してくれるだろう。俺たちはまだ終わらないよ」。いつも希望に満ちたアランは、私がショップを去る前に言った。