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「ヘビーメタル・マッチョ」 ジョン・マイクル・ソーのソー絶な人生

62歳にして、通算18枚目のアルバムとなる『Metal Avenger』をリリースしたジョン・マイクル・ソー。カナダが誇るヘヴィーメタル界のヒーローであり、ミスターカナダとミスターUSA、両タイトルを勝ち奪った元ボディービル・チャンピオンでもある。

by J. Bennet
14 December 2015, 10:40am

このインタビューの前、ジョン・マイクル・ソー(John Mikl Thor)は、地元バンクーバーのジムでトレーニングをしていた。さすがは、ミスターカナダとミスターUSA、両タイトルを勝ち奪った元ボディービル・チャンピオンである。そして彼は、カナダが誇るヘヴィーメタル界のヒーローでもある。

彼は、62歳にして、通算18枚目のアルバムとなる『Metal Avenger』をリリースした。このアルバムには、ヘンリー・ロリンズ(Henry Rollins)、TWISTED SISTERのジェイ・ジェイ・フレンチ(Jay Jay French)、 MOTÖRHEADのファースト・エディ・クラーク(Fast Eddie Clarke)、さらにD.O.A.、CHRISTIAN DEATH、PLASMATICS、DEAD BOYSのメンバー、そしてソーが1976年に結成した THOR&THE IMPSの相方フランク・ソーダ(Frank Soda)など、豪華なゲストが多数参加。超久々のツアーも控えている。

更に波乱万丈なミュージシャン人生を追ったドキュメンタリー映画も間もなく公開だ。 その名も『I Am Thor』。監督のライアン・ワイズ(Ryan Wise)は、15年前にソーと知り合って以来、このカナダの英雄が、何度ぶちのめされても、カムバックする姿を撮り続けてきた。湯たんぽを膨らませて破裂させるという意味不明なパフォーマンスをしていた初期、ハワイのディナーショーで全裸のウェイター役をしていた70年代後半、ヘヴィーメタルB級映画が全盛期を迎えた80年代、そして引退から活動を再開した90年後半まで。ワイズは、誘拐、ノイローゼ、自殺未遂、離婚、脳梗塞などなど、痛ましいエピソードの数々を通して、ソーの半生を辿っている。

そして我らが愛するマッチョマンは何度も立ち上がり這い上がってきた。

「ここまできたら、もうやりきるしかない」

ドキュメンタリー映画を作ることになったきっかけを教えてください。

12年間も音楽の世界を離れていた。この映画で、ミュージシャンとしての復活を賭けている。きっかけは2001年だった。妻と別れ、それまでずっと住んでいたノースカロライナ州のシャーロットからシアトルに戻ったんだが、そこで会った映像作家が俺に興味を持ってくれた。アルバム『Dogz II』リリース後のライブを観に来ていたヤツなんだけど、俺のドキュメンタリーを撮りたがった。とんでもないヤツに首を突っ込んだって、あとで知ることになる(笑)。

ソーは90年代後半に復活しましたが、その理由を教えてください。

やり残したことがあったんだ。確かにある程度は成功していた。イギリス・チャートで1位を取ったし、B級だけど映画にも出演したが、、ゴールした実感が無かったんだ。俺は、いつでもアンダーグラウンドな存在だった。もっとメジャーになりたかったんだ。

『ベビーシッター・アドベンチャー(Adventures in Babysitting )』(1987)という映画のときもそうだった。最後の最後で、ヴィンセント・ドノフリオ(Vincent D’Onofrio)が、俺の役をかっさらった。ヤツは『フルメタル・ジャケット(Full Metal Jacket)』で、「微笑みデブ」を演じた役者だ。俺はキャンセル料を手に入れたが、メジャー映画に出られた方がよっぽど良かった。プラチナムだって欲しかったんだ。だからどうしても、もう一度トライしたかったんだ。まぁ、そのおかげで結婚生活も、ノースカロライナの家も失ったんだ(笑)。強がりに聞こえるだろうが、今は良かったと思っている。新しい映画に、新しいアルバム。興奮してるんだ。

現在のあなたは楽観的で、20歳の若者のような野心をお持ちですね。どうしてそのようなマインドになったのですか?

まわりは、「おいおい、もうアイツ62歳だぜ、あと何年生きられると思ってんだよ?」なんて笑ってるだろうが、ポール・マッカートニー(Paul McCartney)だって74歳だ。でも、いまだに3時間ぶっ通しでライヴをやってる。彼はベジタリアンだろ?だから俺も見習おうとしているところだ。シュワルツネッガー(Arnold Schwarzenegger)だって映画に出てる。彼だって68歳だ。昔とは違って、今は年齢なんて関係ない。正しく食べて、正しくエクササイズすれば、長生きできるもんだ。

今でも鍛えているんですか?

実はさっきまで、ジムでトレーニングしていたところだ。走ったり、筋トレしたり、結構引き締まってきただろ。ツアーが控えているからな。鍛えておかなければ、1時間のショーは乗り切れない。3時間なんて絶対ムリだ。

今回の映画には、あなたのパーソナルな出来事もかなり含まれているようですね。でも実際は、公にされたくないシーンもあったのでは?

バレたらまずいシーンがいくつかあった。今年頭のスラムダンス映画祭で初めて完成品を観たんだけど、全世界に自分の弱みを晒しているようで気が気じゃなかった。でもな「もういいか。全部見せてやれ」って開き直ることが出来たよ。隠す理由なんて何も無いんだからな。

だからこそ、こんなにリアルな作品に仕上がったんですね。 ロックの英雄「ソー」の裏側に、人間味溢れる「ジョン・マイクル・ソー」が存在するんだと。

その通りだ。誰の人生にも、乗り越えなきゃならない壁がある。弱点のない人間なんていない。スーパーマンにだって太刀打ちできない「クリプトナイト」がいた。俺の場合は、それが壁だった。乗り越えなきゃならない壁だったんだ。自分を信じていたからこそ、ここまでやってこれたんだ。人生なんて、そう簡単に願いが叶うワケではない。

ヘヴィーメタルを始めたきっかけを教えてください。

俺が最初に体験したヘヴィーメタルは、本当のヘヴィーメタル…バーベルだ。7歳からウェイトリフティングを始めたんだ。映画『ヘラクレス(Le Fatiche di Ercole : 1957)』のスティーブ・リーブス(Steve Reeves)みたいになりたかったのさ。アメコミにもハマったよ。子供の頃、両親にアコーディコンを買ってもらったんだけど、これがダサくて最悪だった。1964年にエド・サリヴァン・ショーで、初めてTHE BEATLESを観て、「これだ!」とギターを始めた。それでバンドを組んだんだが、それと同時にボディビルのためのウェイト・トレーニングも始めた。その頃は、LED ZEPPELINがヒットし始めた頃で、彼らのリフに夢中になった。ジムの中でも大音量でかけてトレーニングしていたよ。彼らの曲を聴くと、トレーニングにも力が入る。その頃からボディビルのコンテストにも出るようになって、音楽とウェイトトレーニング漬けの毎日になった。そうだな、これが「ソー」の誕生なんだ。

初めて行ったロックコンサートは何でしたか?

LED ZEPPELIN。バンクーバーにあるパシフィックコロシアムに観に行った。「Whole Lotta Love」がヒットしていた頃で、最高のライヴだったな。チケットは確か10ドルくらいだったと思う。

では、いつからヘヴィーメタルの道へ?

元々はポップ・バンドでベースを弾いていたんだが、LED ZEPPELINとBLACK SABBATHに出会ってからは、どんどんヘヴィーになっていった。そしてやるからには、フロントマンになりたくなったのさ。

最初に組んだヘヴィーメタルバンドはBODY ROCKでしたよね?

そうだ。始めてのライブは、ブリティッシュ・コロンビアにあるニューウエストミンスター高校の体育館だった。客たちは「何だ、これ?」って呆れていたな。だって俺たちは、全員ヘラクレスの格好をして、サンダルを履いてたんだから(笑)。さらに全身スパンコール女の子たちと、筋肉ムキムキの男たちもステージに上げた。当時カナダの音楽業界には、ブルース・アレンという敏腕プロデューサーがいたんだが、彼にスカウトされようと必死だった。彼にスカウトされたら、BACHMAN-TURNER OVERDRIVEみたいになれると思っていたんだ。でも俺たちは、イカれたバンドだと思われた。確かに他のバンドとは違ったからな。でも俺はそのスタイルがイカしていると信じてたから、とにかくバンクーバーのライブハウスに出まくった。Oil Can Harry’sとかIzzy’s Supper Clubとかな。バンド名は、 MIKL BODY ROCKになっていたが、この頃のスタイルが、「ソー」に繋がっていったんだ。

既にライヴではパフォーマンスをしていたんですか?

ああ。いろいろ試したよ。鉄パイプ曲げ、ナンバープレート曲げ。あと俺の上にブルドーザーを走らせようとしたが、あれはうまくいかなかった。

どういうことですか?

傾斜のついたレールを作って、その上を走らせようとしたんだが、マジで無理だった。さすがにブルドーザーは重すぎた。完全に俺の体の上に乗っていたらぶっ潰されていただろうな。車体がレールの上に乗った瞬間、「出してくれ!」って叫んだ。スタッフが引っ張り出して、どうにか脱出することが出来たんだ(笑)。まだ若かったからな、「デカイ=スゲエ」って勘違いしてた。アリス・クーパー(Alice Cooper)は、ステージで宙づりになってたし、KISSは、火を吹きまくってた。そういう時代だった。みんな注目されたくて仕方なかったんだ。

湯たんぽを破裂させるアイディアは?

ボディビルダーで、ミスター・ユニバースのチャック・サイプス(Chuck Sipes)がやってるのを見て真似た。実はちょっとしたコツがある。もちろん肺活量も必要だが、歯で鉄の棒を曲げるのと一緒で、大事なのはコツなんだ。そこで、そのコツを俺は盗んだ(笑)。だからといって、怪我しないわけじゃない。 例えるなら、俺はロック界のイーブル・クニーブル(Evel Knievel)ってところだ。

俺の胸の上に置いたレンガを、客にハンマーで割ってもらうパフォーマンスもやった。でもヤツはミスって、俺は肋骨を折った。湯たんぽを膨らましてる最中に気絶したこともあった。そんな噂が勝手にデカくなって、湯たんぽコーナーになると、怖がって逃げていく客もいた。気がついたらフロアには誰もいなくなっていたり、やっと割れたと思いきや、割れたゴムが顔に強く当たって気絶したり……まぁ、俺はただ客を楽しませたいだけだった。みんなに「最高のショーだった!」と喜んでもらいたかったんだ。

今回の映画の中で最も印象的だったのは、BOBY ROCK解散後、あなたはハワイに行き、ディナーショーでウェイター役に抜擢され、全裸で観客の前に立ったところです。あの時は緊張しませんでしたか?

緊張出来たら良かったのに(笑)。俺はステージの上では何でもやってしまうタチなんだ。あの舞台は、週に6、7回、ほぼ毎日ショーがあって、1年間続いた。色々勉強させてもらった。

ロックスターになる心構えも出来たんじゃないですか?女性が山のように押しかけてきたでしょ?

たしかにかなりワイルドな時期だった。結構ヤバいことも何回かあった。映画の中に出てくるシーンよりもワイルドだった(笑)。ハワイも楽しかったけど、いつかはカナダに戻りたかった。もしハワイに住み続けていたら、マーヴ・グリフィン・ショーにも出られなかっただろう。

その後あなたはカナダに戻ってソーを始めました。そして見事RCA Recordsと契約。レーベルはあなたに大金を投じてツアーも控えていた。でもそこで誘拐事件が起きたんですよね?

その話だけは、映画の中に入れたくなかった。かなりデリケートな一件だからな。結局入れられたけど。クレイジーすぎてあまり話したくはないが、俺が話せるのは、1978年にツアーを予定していたんだが、そのツアーを良しとしない人間がいたってことだ。 もしあのツアーに出ていたらどうなっていたかと考えることがある。ソーとしてのデビューアルバム『Keep The Dogs Away』を記念してのツアーで、5000人から1万人規模の会場を押さえていた。でもそのツアーに俺が出ることを気に入らないヤツらがいた……それしか言うことはない。

そこからあなたのキャリアは暗礁に乗り上げ、精神的ダメージからノイローゼになり、80年頃には自殺未遂を起こしました。そして2007年には脳梗塞、度重なる金銭トラブルや運営側との問題もあった。「何かに取り憑かれているんじゃないか」と考えませんでしたか?

ま、何か見えないフォースがあって、俺を立ち止まらせようとしていたんだろう。どこかの惑星のバランスが崩れたのかも知れない(笑)。確かに誘拐事件のあとは、精神的に不安定になった。もうすべてを諦めようともしていた。ツアーが出来ないと決まった途端、周りから誰もいなくなった。その後、俺は、ラスベガスに移って、「スペース・サーカス」というショーをやっていた。しばらくの間、ラスベガスをフラフラしていたんだ。結局はトロントに戻ってバンドを組んだ。それが一番だった。確かに辛い時期もあったが、終わったことだ。俺の人生。自分の人生を諦めることだけはしたくない。それ以来、一度もギブアップしていない。