Photo courtesy of Anthology Recordings

スピリチュアル・ジャズの化身 ファラオ・サンダース

〈Blue Note〉〈Columbia〉〈Riverside〉と並んで圧倒的な存在感を放ち、60年代のアバンギャルド・ジャズの普及に大いに貢献したレーベル〈Impulse!〉からリリースされたファラオ・サンダースの3作品が、〈Anthology Recordings〉から再発された。彼のキャリアの貴重な手がかりが復活したのだ。

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feb 22 2018, 9:51pm

Photo courtesy of Anthology Recordings

「トレーン(Trane)が父、ファラオ(Pharoah)が子、私は聖霊だ」— アルバート・アイラー(Albert Ayler)

ジョン・コルトレーン(John Coltrane)が認めた、という事実こそファラオ・サンダース(Pharoah Sanders)の類まれなる才能を証明している。コルトレーンのサンダース評を理解するには、前者が後者をグループ・メンバーとして抜擢する数年前の出来事が参考になるだろう。

1964年12月9日は、ジャズ好きにとっては記念すべき日だ。この日、ニュージャージーのスタジオで、〈ミスター・ジャイアント・ステップス(Mr. Giant Steps)〉ことコルトレーンが、ピアニストのマッコイ・タイナー(McCoy Tyner)、ベーシストのジミー・ギャリソン(Jimmy Garrison)、ドラマーのエルヴィン・ジョーンズ(Elvin Jones)とともに、たった1回のセッションでかの有名な『至上の愛(A Love Supreme)』を収録したのだ。ジャズの現在と未来を記録した不朽の名盤は、コルトレーンのアプローチにおける微妙な変化も表現していた。

1965年に『至上の愛』をリリースすると、コルトレーンのアプローチの変化は、60年代の音楽だけでなく、ジャズの未来も劇的に変えることになる。彼は、当時のサン・ラ(Sun Ra)やアルバート・アイラー(Albert Ayler)、オーネット・コールマン(Ornette Coleman)らと同じく、精神世界に惹きつけられたのだ。スピリチュアル・ジャズの先駆けとなる世界に魅了されたコルトレーンは、『至上の愛』リリース後、グループにふたりのテナーサックス奏者を招き入れる。アーチー・シェップ(Archie Shepp)とファラオ・サンダースだ。

サンダースが当時広まりつつあったフリー・ジャズに興味を抱いたきっかけは、彼がニューヨークで活動を始めた頃の、サン・ラとの共演まで遡る。日々の暮らしもままならなかったという20代前半のサンダースは、自らを〈宇宙からの使者〉と公言する作曲家、サン・ラからステージ・ネームを授かった。リズム・アンド・ブルースのグループでの演奏だけで生計を立てられない時期には、部屋も提供してもらっていたそうだ。サン・ラとの共演から2年後、サンダースはコルトレーンのグループに参加した。そして、そのグループは、1966年2月に『Ascension』、その7か月後に『Meditations』をリリースした。

しかし、サンダースにとって、本当の〈始まり〉は、コルトレーンの40分に及ぶ3曲入りのライヴ・アルバム『Live at the Village Vanguard Again!』だろう。30歳にも満たない若きスターは、世界で最も有名なジャズサックス奏者の引けを取らず、自分自身の音楽を表現した。1966年12月にリリースされた、このレコードのセッションは、サンダースとコルトレーンの最後の共演となった。コルトレーンのグループへの加入だけでも、若きミュージシャンの将来は約束されたようなものだが、この約2ヶ月前、サンダースは自身初となるLP『Tauhid』を、名門レーベル〈Impulse!〉からリリースしている。〈Blue Note〉〈Columbia〉〈Riverside〉と並んで圧倒的な存在感を放ち、60年代のアバンギャルド・ジャズの普及に大いに貢献したレーベルだ。

Impulse!からリリースされたサンダースの3作品『Tauhid』(1967)『Jewels of Thought』(1969)『Summun, Bukmun, Umyun – Deaf, Dumb, Blind』(1970)が、2017年11月10日に〈Anthology Recordings〉から再発され、彼のキャリアの貴重な手がかりが復活した。なかでも、1980年にリリースされた『Tauhid』のLPは、サンダースのファンやジャズのコレクターのあいだでも長らく入手困難だったが、ようやく入手できるようになった。このレコードの最初のトラックは、16分間で圧倒的な力強さを表現する〈Upper Egypt & Lower Egypt〉だ。奔放なノイズから始まり、独特の雰囲気を醸し出したあと、ストレートなジャズ、そして、前衛的な叫びに移り変わり、美しくファンキーな音色に戻る。

ヘンリー・グライムス(Henry Grimes)のベースとロジャー・ブランク(Roger Blank)のドラムがリズム・セクションとして土台を築き、サンダースは、チェス盤の上で駒を動かすかのように自在に音を操る。ジャズの学術的で技術的な側面と、瞑想的な弛緩した側面が拮抗する『Tauhid』は、サンダースの使命の顕れでもある。このバランスこそ、サンダースが未だにスピリチュアル・ジャズの化身であり続ける所以だ。サンダースのスタイルは、脱構築的であると同時に革新的でもある。ジャズ・ミュージシャンとして、伝統的な音楽性を丸裸にし、自身のイメージによってジャンルを再構築したのだ。彼の演奏は、均衡を保ちながも、核心を追求するために前進を続けている。

アルバムの後半は〈Japan〉で始まる。サンダースの歌声とソニー・シャーロック(Sonny Sharrock)のギターが奏でるこの曲は、GRIZZLY BEARのアルバム『Yellow House』に収録されていても違和感のない、スローテンポな1曲だ。繊細で最小限に抑えられた音色は、リリース当時よりも、今の時代に適しているかもしれない。3分半にも満たないシンプルな曲ながら、リスナーに強烈な印象を残す。コルトレーン、サンダース、自らを、ジャズ界の三位一体に喩えたアルバート・アイラーのイメージは、この1曲をきっかけに具体化したのだろう。サンダースは、アイラーの激烈なフリー・ジャズと、ジャズの範疇がら飛び出しそうなコルトレーンの野生的な面を、より親しみやすい旋律に昇華したのだ。サンダースは、好奇心旺盛なリスナー向けの独特なスタイルを創りだしたが、ごく普通のジャズ・ファンにもわかるように、リック、メロディ、ソロをコントロールしていた。

『Thauhid』の2年後に発売された、前作よりも聴きやすい『Jewels of Thought』は、サンダースの最も有名な〈The Creator Has a Master Plan〉を収めたアルバム『Karma』と同年のリリースだったせいか、過小評価されている作品だ。『Karma』は1969年初めに、『Jewels of Thought』は同年10月にスタジオで収録された。『Jewels of Thought』から〈The Creator Has a Master Plan〉ほどの熱狂は生まれなかったが、それでも十二分にリスナーを魅了する作品だ。サンダースにとっても、シリアスな楽曲制作の合間の良い気分転換だったのだろう。

このアルバムに収録された〈Hum-Allah-Hum-Allah-Hum-Allah〉の、10分を過ぎたあらりから始まるフィナーレは、〈The Creator Has a Master Plan〉最高の盛り上がりに負けず劣らず印象的だ、と断言しても差し支えないだろう。宗教と平和を謳う瞑想的な歌声に続いて、サンダースのサックスが前面で唸りをあげる。スケールは小さくとも、ピアノの旋律、サンダースの「Ring your bells of peace/ Let loving never cease(平和の鐘を鳴らそう/愛を絶やさないように)」という驚くほど美しい歌声、階段を転げ落ちるようなエクスペリメンタルなドラムは、アバンギャルドとメインストリームの境界を打ち破る、唯一無二の力強さを生み出している。抽象と具象を行きつ戻りつするサンダースのアプローチは、当時も今も斬新だ。彼の音楽性は、ジャズの限界の向こう側を探求できるだけの長い鎖で縛られているので、いつでも元の領域に戻ってこられる。こんなバランスを保てるジャズ・コンポーザーは、1970年当時にはほとんどいなかったが、最近になって、より冒険的なモダン・ジャズのアーティストたちが、サンダースのようなアプローチを採用している。

3枚目の『Summun, Bukmun, Umyun – Deaf, Dumb, Blind』は、1970年にリリースされた。このアルバムには、ピアノのロニー・リストン・スミス(Lonnie Liston Smith)とベースのセシル・マクビー(Cecil McBee)以外、『Jewels of Thought』とは異なるミュージシャンが参加している。『Deaf Dumb Blind』は、ナイジェリアのミュージシャンであるフェラ・クティ(Fela Kuti)、当時流行していたポリリズムの影響が強い。リズム・セクションの速いテンポがフィーチャーされているが、様々な楽器が奏でるメロディのテンポをコントロールしているのは、サンダースとアルトサックス奏者のゲイリー・バーツ(Gary Bartz)だ。サンダースの初期の楽曲は、緩急を織り交ぜた多様な作曲スタイルを用いていたが、このアルバムのタイトルトラックは、21分間、全力で疾駆する。

その後、1971年から1974年にかけて、〈Impulse!〉から7枚のリーダー・アルバムを発表すると、サンダースは3年間、活動を休止した。そして、1970年代後半から1980年代前半がキャリアの絶頂期だ。1980年に発表した『Journey to the One』は、多様性においても熱量においても、彼の最高傑作といえるだろう。しかし、最近になって再び注目されているものの、彼がジャンル全体に与えた影響の大きさを考えれば、〈Impulse!〉移籍後の数十年にわたる活動は、不当に無視されていたに等しい。ようやく今になって、ジャズが彼の描くヴィジョンに回帰し始めた。ジョン・コルトレーンやマイルス・デイヴィス(Miles Davis)と同様に、ジャズに多大なる影響をもたらしたミュージシャンとして認められたのだ。

モダン・ジャズが伝統から遠ざかるにつれ、サンダースのスタイルは、あらゆるジャズの楽曲で利用されるようになった。例えば、カマシ・ワシントン(Kamasi Washington)などを紹介する際、サンダースがしばしば引き合いに出される。しかし、アネノン(Anenon)やジョセフ・ライムバーグ(Josef Leimberg)などに代表される、エレクトリック・ジャズにおいても、サンダースの影響が顕著だ。ライムバーグのLP『Astral Progressions』は、まさにサンダースの重要性を証明するかのような作品でもある。ワシントンの3時間に及ぶソロデビュー・アルバム『The Epic』は、サンダースの瞑想的マキシマリズムと、コルトレーン譲りのメロディー、LAエレクトリック・シーンのレコーディング技術(このアルバムはフライング・ロータス(Flying Lotus)主宰のレーベル〈Brainfeeder〉からリリースされた)、1970年代のマイルス・デイヴィスが放つサイケデリックな野性味のブレンドだ。非常に精神性の高い楽曲をつくるワシントンは、ほとんどのインタビューで、自身の演奏スタイル、ジャズ全般へのサンダースの影響を言明している。

3枚の名盤は、全く新しいオーディエンスがジャズを〈発見〉しているなかで再発された。サンダースの楽曲は、『Kind of Blue』や『Giant Steps』のような入門編として紹介するには実験的要素が強すぎるので、〈変人の音楽〉と評されていたのも仕方ない。サンダースは、いつも、ジャズというジャンルの辺縁を漂っていたので、彼の秘密は、何にも汚されずに護られていた。ジャンルが成長して、よりカジュアルなファンが増えるにつれ、サンダースは、彼のヴィジョンに賛同するジャズ、そこから派生したジャンルのファンによって、メインストリームで賞賛されつづけるだろう。ジャズが頭打ちで、70年代に回帰しているからそうなるのではない。サンダースがあまりにも時代を先取りし過ぎていたので、私たちはようやく追いつき始めたところなのだ。

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