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LGBTQのアート集団による挑戦的で大胆な〈ヴォーギング〉

ニュージーランド・オークランドのLGBTQのアート集団〈FAF SWAG〉は、開かれた包括的な空間を求めている。その姿勢をカタチにしたのが挑戦的で大胆な〈ヴォーギング〉だ。ヴォーギングは1980年代のハーレムで、マイノリティーとして肩身の狭い思いをしていた黒人やラテン系のコミュニティで発展したダンススタイルである。
画像は全てVICE New Zealandのビデオ『Auckland’s Underground Vogue Scene』より抜粋。

ニュージーランドのオークランドでは、保守的な教会的価値観が支配的で、〈太平洋諸島系のクィア〉が異端視される。彼らが街を歩いていると不躾な視線が投げつけられ、クラクションを鳴らされ、罵倒される。通勤電車では暴力の対象になる。常に気を張っていないと、安心できない。

2012年以来、LGBTQのアート集団〈FAF SWAG〉は、開かれた包括的な空間を求めている。その姿勢をカタチにしたのが挑戦的で大胆な〈ヴォーギング〉だ。ヴォーギングは1980年代のハーレムで、マイノリティーとして肩身の狭い思いをしていた黒人やラテン系のコミュニティで発展したダンススタイルである。サウスオークランドのアンダーグラウンドなヴェニューで始まったFAF SWAGの〈ヴォーグ・ボール(vogue ball)〉は、メインストリームでも存在感を高めつつあり、現在、より多くのクィア・コミュニティで、単なるひとつの表現手段ではなく、ライフスタイルとして取り入れられている。

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昨年、FAF SWAGのメンバーたちは、自分たちなりの〈騒ぎ〉を起こすと宣言し、街の中心にある〈Artspace〉という、公共のコンテンポラリーアートのギャラリーで〈Disruption Ball(直訳:混乱のダンスパーティー)〉を主催した。オークランド・アート・フェスティバル内イベントとして開催されたこのパーティーは、FAF SWAGにとって、これまででいちばん、メインストリーム寄りのイベントだった。ヴォーガーたちは、賞金を懸け、〈警察クソくらえ(Fuck the Police)〉〈西ニューギニア解放(Free West Papua)〉など、テーマごとにヴォーギングを披露し、ステージを練り歩き、フロアに飛び込んだ。胸を露わにした女神の格好をしたトランスジェンダーから、第1ボタンをきっちりしめたアート界の観客まで、ギャラリーに集った全員が「Yass!」と甲高い叫び声をあげて、ヴォーガーを応援していた。

成長を続けるヴォーギング・コミュニティの、「1年も待てない!」という熱い要望に応え、年1回だったこのパーティーの頻度は6週間に1回に増えた。会場は、オークランドの老舗LGBTバー&クラブ〈Family Bar〉だ。しかし、パーティーの成功は、逆に、ヴィジュアル・アートや映像、音楽など、あらゆるフィールドで活躍するアーティストが所属する〈FAF SWAG〉のイメージをゆがめていることに気づき、現在、同グループはパーティーに関与せず、コミュニティにヴォーギングの発展をゆだねている。

高校の運動場で始まり、メインストリームの立派なギャラリーへと舞台を移した、パンクロック的ヴォーグ・ムーブメントに、FAF SWAGの共同創始者、タヌー・ガゴ(Tanu Gago)は、どんな想いを込めているのだろう。

まずはFAF SWAGのヴィジョンについて教えてください。

太平洋諸島系クィアは、常に孤立しています。その現実に立ち向かう、友人グループとして始まりました。だから、正式なスタートがあるわけではありません。Facebookページだけでした。私はパートナーといっしょに、クィア、褐色の肌、先住民のアイデンティティについてのコンテンツをシェアしていました。すると、「こういうコンテンツをもっと見たい」という地元のコメントがどんどん増えていきました。そこで、積極的にみんなとつながりをもつようにして、コミュニティのなかに入り、問題や関心を抱えたみんなと知り合いました。

以前、どうして私たちは、ニュージーランドのポップカルチャーに参加して、自らのアイデンティティを自己表現していないんだろう、と不思議だったんです。今は、インターネットを使って、同時代的文脈のなかで、ポップカルチャーの新たな流れを生みだしています。ポピュリスト文化における太平洋諸島系のアイデンティティについても語れます。

私たちが創り上げてきたものは全て、シェアと空間の創出、という気分から生まれました。

初回のヴォーグ・ボールに際して、何かテーマはありましたか?

〈FAF SWAG〉がブランドでありテーマでした。私たちのFacebookグループの異端的美学を用い、どうやって愛され、活きいき輝くか、さらに、どうやって自分らしい装いで自己表明するか、みんなに考えてもらったんです。もちろん、ポリネシア系で、低所得者の多い、サウスオークランドという土地も特徴的でした。私たちは、そこで生きる現実を意識したんです。

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でも、第1回は散々でした。美人コンテストみたいになって、ひどかったです。今思い返してもぞっとします。ヴォーグ・ボールが何なのか、勉強が足りなかったため、目に余る構成でした。太平洋諸島で、〈第3の性〉は、コンテスト的なショーの歴史とつながりが深いので、初期のヴォーグ・ボールは、そんな感じになってしまったんです。参加者にタスキを配ったり、大半のカテゴリーがただのランウェイ状態だったり。ヴォーギングした参加者がいたかも、正直、怪しいです。

無理に装うコンテストのような要素をステージから排除し、然るべき政治を取り戻し、空間を破壊し、現行の太平洋諸島系のアイデンティティからクィア意識を取り戻すのに、数年かかりました。

サウスオークランドから、たとえば〈Basement〉〈Artspace〉〈Family bar〉といった街の中心に会場が移り、何が変わりましたか?

もちろん、観客が変わりました。私たちは、とにかく、コントロールすることの重要さを学びました。ヴェニューからイベントの主催を頼まれると、私たちが最初に提示する条件は〈空間の使いかた、創りかたにかんして、私たちの方針にいっさい干渉しないこと〉です。そうしないと、何の意義もないただのショーになってしまいますから。セットと気持ちが乖離するとパフォーマーにも影響します。そもそも〈パフォーマー〉と呼びたくないのですが……。とにかく、ヴォーガーたちはその距離感に敏感です。

なぜ〈パフォーマー〉とは呼びたくないのでしょうか?

ヴォーギングはパフォーマンスではありません。ライフスタイルです。彼らがヴォーギングをするのは、生き抜くためです。ショーのためではありません。

生き抜くためのヴォーギング?

生活費を稼ぐためにヴォーギングをするキッズもいます。それ以外に、ここが自分のアイデンティティを表現できる唯一の機会、というキッズもいます。ここでは、何にも気兼ねせずに特別な身体表現ができますから。

コミュニティが全員カミングアウトしているわけではありません。だからこそ、みんなが家族や地元住民の暴力に怯えないでいい空間を、私たちは創っているんです。とにかく、文化的安全性(cultural safety)を第一に考えています。参加者には、会場で必ずチェックインして、安全に到着したことを教えてほしい、とお願いしています。また、イベント後、会場を出てからサポートが必要であれば遠慮なくどうぞ、とも伝えています。みんなが無事に帰宅できるよう、サポートしています。

実際に参加者の安全を脅かすようなリスクがあるんですね?

そうです。トランスジェンダーや有色人種であれば、帰宅時の電車内で、そのアイデンティティを理解しない輩の攻撃にさらされる可能性があります。実際、つい昨日もメンバーがそういう目に遭いました。日常茶飯事なんです。彼女は友人と電車に乗ったんですが、Facebookにこんな投稿をしていました。「ドレスを着ちゃダメなの? ハイヒールを履いてたら、私の身体は暴力の対象になっちゃうの? 電車でいやがらせを受けることなく生きることはできないの?」。そこで私は彼女に電話して、彼女の現在地を確認し、迎えにいきました。そして目的地に到着できるよう、サポートしたんです。私たちはそうやって、イベント外まで意識した空間を創りました。

ヴォーガーだけではなく観客も含め、会場の全員が参加していて、みんながエネルギーを注ぎ込んでいる。あなたたちのパーティーからは、そんな印象を受けます。

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会場にいる全員をつなぐ関係性が生まれています。オーディエンス、MC、審査員、ヴォーガー、DJ、全員が積極的に関与しないと意味がありません。もし、ためらったりすると、自分自身をちゃんと表現できる参加者とのあいだに障壁が生まれてしまいます。彼らは、パフォーマンスのためにヴォーギングをしているのではありません。観客は、ただのおまけなんです。

〈Artspace〉のような、行政が関与するギャラリーに会場を移したのは、どういう経緯だったんですか?

実は、〈Artspace〉の館長、マイザル・アドナン・イルディス(Misal Adnan Yildiz)とは長年の知り合いなんです。確か、初めて彼がニュージーランドに到着して、最初に足を運んだのが2014年のFAF SWAGのパーティーだったはずです。そのとき彼が私に、「これは最高だ。ぜひ〈Artspace〉でやりたい」といってくれました。でも私は、コミュニティはすごく小さいし、そんなところでやる自信はまだない、と答えました。多くの成長があり、〈Artspace〉のようなスペースを自由に扱えるくらいになったんです。

最終的に、〈Artspace〉でやったのは、オークランド・フェスティバルに参加したかったからです。世界的に見ても、先住民のLGBTQの政治的な目標を、みんなが徹底的に意識しなくてはならないレベルにきているからです。私たちが毎日何に対処しながら生きているのか、みんなが知るべきだし、それによって私たちの現実は変わるはずです。そうすれば、私たちにとっても公正な社会が形づくられていくでしょう。

変わるべきものとは何ですか? またそれは、どういうふうに変わっていくべきでしょうか。

インパクトと透明性です。私たちのコミュニティの問題は、長らく、他者にとって関係のないもの、あるいは見えないものであったのは、透明度が低かったためです。自殺の統計でも私たちの割合は突出しているのに、オークランドで開かれるパシフィカ・フェスティバル(Pasifika Festival)には、LGBTQをケアするちゃんとした活動がありません。どうしてニュージーランドのような小さい国で、先住民を包括的に支援する活動、きちんとしたインフラがないのでしょうか。この国には、世界有数の先進的な法律や政策があります。30年前から同性愛は合法です。それなのに支援サービスがないのはどうしてでしょうか?

もやもやするのは、アーティスト側から「これは重要な事柄です、話をしましょう」と議論の口火を切らなければならないことです。ヴォーギングのあいだの5分、注意を向けてくれるなら、真剣な対話をしたいです。ジェンダーレス・トイレなど、基本的なことを実現するための組織設立についても相談したいです。

私たちの活動がエンターテインメントだと捉えられるのは不満です。エンターテインメントではありません。社会変革、社会正義です。生活の質(QOL)を高めるための活動なんです。