難民たちが世界に広めた チベット風餃子〈モモ〉は美味

餃子、ニョッキ、小籠包、ラヴィオリ、蕎麦がき、すいとん、トルテッリーニ、ほうとう、ちまき、肉まん、あんまん、ピザまん…と、世界中の人々の空腹をいつでも満たしてくれる〈ダンプリング〉。インドでは長年サモサが王座の地位にいたが、チベットからやってきたあるダンプリングが、サモサを脅かさんばかりの勢いで大ブレイクしているという。

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25 April 2017, 12:40pm

ニューデリーの街中。私が乗っているリクシャー* は、車と車の間をガタガタと音を立てて進んでいる。アザーン** が通りに響き渡った。市内の居住者の多くは律儀にラマダンで断食中だが、私はモモを食べようと持ち帰り用の袋に手を突っ込んでいた。チベットから伝来したモモは、今やサモサに匹敵するデリーで最も人気のスナックになった。

* 3輪タクシー。

** 1日5回あるイスラム教徒の礼拝の時間を知らせる呼びかけ。

そう、ダンプリング* である。西洋人としては、モモがダンプリングのいち番人気になり、サモサと肩を並べている状況には本当に驚いた。インドに来る前はモモなんて全く知らなかったのだ。そこで、モモがいかにトップの座に上り詰めたのか探ってみた。

* 小麦粉を練って団子状にしたもの。または果物入り焼き団子。または卵・牛乳で練り、団子状にしてゆでたものでシチューやスープに入れる。あるいは、ゆでたじゃがいも、小麦粉、米、塩、水などを練り上げ、茹でたり、蒸したりしたもの。または、小麦粉などの生地で肉、野菜、果物などを包んだ料理。餃子、蕎麦がき、ニョッキ、小籠包、サモサなども英語ではダンプリングに分類される。

まず、モモと中国の餃子を混同してはならない。ジャムヤン・ノルブ(Jamyang Norbu)は、自身のブログ〈Shadow Tibet〉で、これらふたつは、非常に異なるもので、直接的に関連していないと説明している。ノルブは、〈ジューシーなモモの謎にかじりつく(Biting into a Juicy Momo Mystery)〉というタイトルの投稿で「モモの皮はより薄い。サワードウ* の入っていない生地でつくられている」と説明している。

* sourdough。小麦やライ麦の粉と水を混ぜてつくる生地に、乳酸菌と酵母を主体に複数の微生物を共培養させたパン種。

クラクションを鳴らすリクシャーの後部座席で、賑やかな食品市場〈INAマーケット〉で購入したばかりの湿った球状のモモを観察してみた。見た目はかなり餃子に似ていたが、ノルブの見解は正しかった。皮はずっと薄い。私はモモにかぶりつくと、すぐさまニンニクやショウガの香りと、キャベツ、ニンジン、タマネギが混ざった風味が好きになった。更に貪欲な探求を続けるため、モンスーンの雨が降るなか、チベット難民の居住区であるモナステリー・マーケットでリクシャーを降りた。

チベット難民の居住区マジヌー・カー・ティッラーにて.

「チベットのコミュニティーは、現代の国際社会のなかでも有数の、歴史と規模の難民集団です」とコロラド大学人類学部の准教授であり、チベットの歴史学者であるキャロル・マックグラナハン(Carole McGranahan)が教えてくれた。「1980年代以来、多数のチベット人が徒歩でヒマラヤ山脈を越え、チベットを逃れました。現在、チベット人は、アルナーチャル・プラデーシュ州からオリッサ州、バイラカップからダージリン、デリーからカトマンズに至るまで、インドやネパールのあらゆる場所に定住しています」

1959年、中国共産党によるチベット支配からダライ・ラマ14世が逃れたあと、デリーでは、モナステリー・マーケットをはじめ、数カ所の難民居住区が生まれた。そして、チベット難民たちによるレストランや屋台を通じて、モモはインドで広まった。

「この10年間かそこらでモモの人気は広がりました。とりわけネパールで人気になったので、ネパール人を通してインドで広まったモモもありました」とマックグラナハン。「近頃のデリーには、ネパールのモモ屋のほうが、チベットのモモ屋より多いかもしれません。しかし、チベットのモモこそ起源です。ジューシーで、熱くて、美味しい。自家製ホットソースといっしょに出てきます」

モナステリー・マーケットでは、壊れている金属探知機の周りを歩いたあと、衣服の露店が所狭しと立ち並ぶ路地に向かった。看板に従い、2階にある『Zakhang』というレストランに入る。店には、チベットに隣接する、インド北部のラダックのポスターが飾られていた。私は、1人前の分量がわからなかったので、結局、向かいのテーブルを囲んでいた5人家族が食べるのに十分な量を注文してしまった。

〈野菜バター蒸しモモ〉〈野菜フライモモ〉〈野菜チーズフライモモ〉にピリ辛チリソースを組み合わせ、その味を堪能した。店内を観察したところ、どのテーブルでも、少なくとも一皿のモモを注文していた。

Zakhangのフライモモ.
ベジタリアンモモの具.

チベットの難民がインドで店を出し始めたあと、様々な理由からモモは特別な存在になった。その理由のひとつに、このダンプリングが全く新しい異国料理だったことが挙げられる。

「おそらく平原地帯や半島にいたインド人は、モモの存在を知りませんでした。ですからモモがエキゾチックに見え、それ故お金を払う価値があるように感じたのでしょう」とシャーメイン・オブライエン(Charmaine O’brien)はいった。彼は、2013年の〈ペンギン・フードガイド・トゥ・インディア(The Penguin Food Guide to India)〉など、インド料理の歴史について多数の本を執筆している人物だ。

例えばノルウェーのルーテフィスクやベトナムのバウトなど、異国情緒ある特別な食べ物とは異なり、チベットのモモにはインド人が好む風味があった。

「インドでよくある揚げ物のスナックに比べ、モモはヘルシーなスナックです」。インド料理の歴史家であり、ツアーガイドサイト〈Detours India〉の創立者であるジョンティ・ラジャゴパラン(Jonty Rajagopalan)は述べた。「スパイシーなチリ・チャツネに合う味がインド人の舌に受けたのでしょう」

カーン・マーケット付近のモモの屋台主は、MSGを入れてるからインドで人気があるといった。「みんな中毒になってる」と彼は言明した。

至る所にモモはある.

更に、モモは低価格なので急速に広まった。路上であろうとレストランであろうと、現在でも、極上の手頃な料理として提供されている。気前よく袋詰めされたINAマーケットのモモはたったの50セント(約54円)で、Zakhangで食べたデカ盛りランチは5ドル(約544円)だった。

露店で売られているモモ.

そして、モモは進化し続けている。インドの料理人たちは、モモに独自の工夫を凝らした。デリーの露店には、牛肉モモ、羊肉モモ、鶏肉モモ、ベジタリアン・モモなどの定番から、ジャガイモやパニール* を加えたモモなど、たくさんの種類がある。

* インドのカッテージ風チーズ。

必然的に、高級なモモも登場した。「市内最高のモモ屋はどこか?」と尋ねると、デリーの飲食関係者のほとんどが〈Yeti : The Himalayan Kitchen〉を挙げた。若年富裕層が集まるハウズカス・ビレッジにある同店ではネパール、チベット、ブータン王国、及びインド北東部の料理がメニューに並んでいる。

「故郷の味がとても恋しかったですし、デリーの人々に本格的なヒマラヤ料理を紹介すべきだと思いました」とYetiの共同経営者であるアーダフン・パッサー(Ardahun Passah)は語る。

インド北東部出身のパッサーと、チベット人とネパール人の両親をもつ彼女のパートナー、テンジン・ソナム(Tenzing Sonam)は、4年半前にYetiを開店。いち番の人気メニューであるモモによって、地域の尊敬を勝ち獲た。

マジヌー・カー・ティッラー.

マジヌー・カー・ティッラーという迷路のようなチベット難民キャンプを訪ね、モモ・スープをすすり、自家製パイナップル・ビールを飲んで午後を過ごしたあと、私は重い足を引き摺ってYetiへ向かった。Yetiは、これまでに訪れたモモ屋の立地に比べて、圧倒的にイケてる地域に出店していたが、注目を集めようと躍起になっているような雰囲気は一切なかった。店内は、チベットの祈祷旗と、真ちゅうの工芸品が飾られた質素で素朴な空間で、パン・フルートの音楽が流れていた。

ウッドテーブルの席に座り、革張りのメニューに視線を注いだ。メニューは地方によって分類されていた。手間をかけて調理したヤギの胃など、興味をそそられるチベタン・スナックもあったが、ここは我慢。私の目的はモモだ。

ここのモモも、これまでに食べたモモとそれほど大差はないだろう、と予想していた。しかし、ダンプリングがテーブルに載るや否や、人々がYetiについて詩人のように流暢に語り続ける理由が分かった。

Yetiのモモ.

Yetiのモモ.

新鮮でまばゆいソースは聖杯のようなカップに注がれていた。露に濡れたようなモモは美しく折りたたまれ、ポルノグラフィックな汁がにじみ出ていた。その上に深紅色の四川チリソースがかけられたダンプリングは、肉付きの良い殺したばかりの獲物に見えた。そして、最初のひと口は信じられないほどにジューシーだった。パン・フルートはさておき、この柔らかな味わいなら、値段が高くなっても文句はない。公正な価格以上の価値がある。しかし、市内最高のモモに付けられた価格は、たったの3.71ドル(約404円)だった。

「モモは、階級を問わず、信じられないほど人気があります」とスムリティ・ゴヤール(Smriti Goyal)。私がインド入国初日に訪ねたこの料理店のオーナーは、「そしてあらゆる地区にモモがありますよ」と続けた。

デリーに長く滞在すればするほど、ゴヤールの発言がいかに正しいかがわかった。あらゆる地区に、ダンプリングを目玉に据えた看板や露店を目にした。映画館の売店や、幹線道路の休憩施設にもあった。クラフィン* などの派手なハイブリッド・フードが人気を独り占めする時代だが、苦難をものともせず、数十年に及ぶ混乱を乗り切り、美食文化の繁栄を続ける人たちが存在する。私は、そのいち面を味わい本当に感動した。

* クロワッサンとマフィンのかけ合わせ。