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CRO-MAGSのスネ夫 パリス・メイヒューはかく語りき ジョン・ジョセフとハーレイとオレさまとオレさまとオレさま

「ハーレイは、ニセCRO-MAGSが俺たちのフリをするのがファン的にOKだという雰囲気を作ってしまった」

またまたまたまたニューヨーク・ハードコア!そして今回は帝王CRO-MAGS!もちろん、その音楽性に世界はノックアウトされたわけですが、彼らにまとわりつくゴシップとか悪評がやはり目に付いてしまいますね。暴力、金、クスリ、ギャング、そして何と言ってもジョン・ジョセフVSハーレイ・フラナガンのメンバー内抗争!!すんげーグチャグチャになっているので詳しいことは省略させて頂きますが、簡単に言いますと「言った」「言ってない」のオンパレードにより、密告やら逮捕やら刺傷事件やら金銭トラブルやら裏切りやらニセCRO-MAGSやら、トピックが出るわ出るわ…。アウトレイジな世界なワケです。

そんな二人をずっと見続けて来た男がギタリストのパリス・メイヒュー。一人だけロンゲ、そしてめっちゃハンサムちゃんの彼は、ずっとハーレイの子分として認識されていましたが、いえいえこの男、それ以上です。悪いです。アウトレイジでいうところの小日向さん、ドラえもんでいうところのスネ夫です。この男、本当にサイコー!どんどん笑えるし、どんどんムカついて来ます。めちゃくちゃ濃いロング・インタビュー。必読、ゼッタイ!!

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栄光と成功。スキンヘッズとのトラブル。クリシュナ、ジャンキー、プロモーター、レコード・レーベル、偽りの再結成と真の再結成。そして裏切り…。CRO-MAGSはすべてを目撃してきた。1982年に結成されたこのバンドは80年代と90年代のニューヨーク・ハードコアシーンを疾走し、トップに立ち、ハードコアとメタルのクロスオーバーの元祖となった。これらはすべて、パリス・メイヒューの圧倒的なギターリフの力によるものだ。この男は魂を売ったりしないし、何かを不当に得ることもしない。ジュースもスムージーもやらない。そして昔のバンド仲間を刺すような真似もしない。CRO-MAGSの創設メンバーでありギタリストだった男が、世界一有名なハードコアバンドのメンバーであるということはどういうことか。私たちの質問にすべて答えてくれた。

長年に渡ってCRO-MAGSがこんなにも愛され、尊敬を集めているのはなぜだと思いますか?

単純に音楽や曲にあると思う。いい曲は時間が経ってもいい曲なんだ。バンドも色あせたりはしない。ファーストの『The Age Of Quarrel』を聴いてみても、まるで昨日レコーディングされたみたいだろ。バンドのイメージは音楽で作られることがほとんどだ。音楽にパワーが無かったら、イメージなんて意味が無いだろうね。オジー・オズボーンの世間的なイメージがどんなに悪くなっても、ファンの心の中でBLACK SABBATHは『Vol.4』や『血まみれの安息日(Sabbath Bloody Sabbath)』のままなのさ。CRO-MAGSの場合だったら『The Age of Quarrel』と『Best Wishes』だろうね。それがファンの永遠のイメージさ。

ジョン(・ジョセフ)は、くだらないフェイクのラインナップで今もCRO-MAGSを名乗っている。あと10年はプレイ出来るだろうし、AJ(・ノヴェロ)もCRO-MAGSのメンバーだって名乗ることは出来る。でも彼らは永遠にはなれない。CRO-MAGSの創作活動やインスピレーション、発見について何の関係もない。オリジナルの音楽や楽曲こそが重要なんだ。

AJ のことはあまり好きではないようですね。彼はLEEWAYのメンバーでしたが、 80年代にニューヨーク・ハードコアが登場した時、CRO-MAGSとLEEWAYは分かちがたい存在だったと思います。彼らとは親しかったのですか?

LEEWAYは90年代にオープニングアクトをやってくれた。でも曲はあまり覚えてないよ。好きな感じではなかったね。「分かちがたい」って言ったけど、そんな言葉は初めて聞いたな。彼らは、当時ずっと下の方にいたよ。コバンザメみたいなバンドさ。だからAJは今、自分のじゃなく俺の音楽をプレイしているんだろう。AJはフォロワーだよ。ここ10年は俺の名前で音楽をやっている。そこにどんな音楽的価値があるというんだ? 彼も演奏する意味はないって思っているさ。

30年経った今でも『The Age of Quarrel』はいいアルバムだとお考えですか?

もちろん。グレートな作品だ。でも俺はこの作品のデモの方がずっと好きだね。理由はいくつかある。まず一つはジョンのアルバムのパフォーマンスがデモより弱いってことかな。レコーディングの時は、ヴォーカルのブースにジョンと一緒に入って、メロディーやイントネーションについてアドバイスした。ヤツは苦労していたよ。うまくいってなかったから先生役が必要だった。彼は渋々俺の指導を受け入れてたけど、その時のパフォーマンスは本当に良かった。ジョンがバンドに加入した時、音楽的な理解は皆無だった。「シンガーになる」と決めただけの男にすぎなかった。「生まれついての才能」も無かったと思う。それを見出そうと頑張ってはいたけど、どんどんストレスは溜まってたね。でもハーレイ(・フラナガン)や俺に助けを求めるようなアタマはなかった。ただ拳を握りしめているだけ。そんな不安や無知のせいで、反抗的な態度になっていったんだ。最初は俺たちもサポートしていたけど、溝はどんどん深まってね。『Best Wishes』をレコーディングする前になっても、まったく歌がうまくなってなかったからクビにしたんだ。でも誤解しないで欲しい。実際ジョンは「We Gotta Know」とか「Seekers of the Truth」とか、素晴らしい歌詞をたくさん書いてきた。でも『The Age Of Quarrel』の後は、本当に進歩が止まってしまったんだ。

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『The Age Of Quarrel』のレコーディングでジョンは風邪をひいて、アルバムは弱々しくズレた感じになっている。しかもその時期、彼はバンドのお荷物になっていた。そしてハーレイと俺との仲を気まずいものにしようとして、いつも俺を遠ざけるようにしていた。だからヴォーカルを録った時には何のアドバイスも出来なかったんだ。風邪が治った後にもう一度歌わそうとしたんだけど、それも拒否された。だからヴォーカルはあるべき音にはならなかった。ジョンのCRO-MAGSへのアプローチは本当に愚かなものだったよ。バンドに加入した時、何が進行しているか理解しようとせず、ハーレイと俺が書いているものがユニークな音楽で、尊重すべきものだってことが分かってなかった。それどころか人の輪に参加しない。あらゆる機会を使って俺を押しのけようとしていたんだ。

実は演奏もデモ・ヴァージョンの方が気に入ってる。マッキー(マックスウェル・マッキー・ジェイソン)もバンドの進歩の妨げになっていて、演奏し始めるといつもビートが違っていた。何も覚えていなくて「前はこう叩いていたぜ」って言うと怒り始めるんだ。テクニックは少しあったけどアイデアはなかったね。『The Age Of Quarrel』では、ハーレイが逐一叩き方を教えていたよ。ハーレイ自身も腕のいいドラマーだったからね。最初マッキーは言われたことを守っていたけど、アルバムを作るころにはちょっと自信が付いて、アレンジを変えたりしていた。全部自分の手柄にしたかったんだ。それでハーレイがどう叩くべきかを思い出させようとすると、感情をあらわにするようになってしまった。時には求められていることと真逆のことをやったりね。完全に厄介者になっていた。結果『The Age Of Quarrel』のドラムは当然ズレたものになり、マッキーのせいで悪夢のようなものになってしまった。そしてアルバムの後にすぐクビにした。もう耐えられなくなったのさ。個人的な感情はあるけれど、ファンは何が欠けているなんて分からないし、録音されているものだけを楽しんで聴いていることは理解している。だから現時点では良しとするよ。あのアルバムについて一日中話していられる。俺的には納得がいっていない。でももっと悪い出来になることもあり得たんだ。例えばジョンが「Life Of My Own」の速いパートで「ハレ・クリシュナ!」というフレーズを繰り返したいって言ったときに、俺との間で罵り合いになった。俺は絶対に譲らずに「それは絶対ない!」って言ったよ。それは実現しなかったけど、俺の力がバンドに働いていなかったらそうなっていたかもしれない。

今でも昔の作品は聴きますか?

いや、聴かないね。あまりにも悪いイメージがあるし、苦痛だ。でもたまに『Revenge』は聴いている。(嫌なことを思い出させる)ハーレイの声が入っているけど、あのアルバムは好きだし、誇りを持っている。『Revenge』については、個人的な達成感に誇りを感じているんだ。自分のパートでハードワークをしたし、プロデュースもした。『The Age Of Quarrel』の時のようにほとんどの曲も書いた。つまらない口論や下手な演奏で駄目になっている部分もない。今までで一番理想的なレコーディングだった。ハーレイが俺の半分でもちゃんとやってくれて、彼の感情や不安感をなだめるのにエネルギーを使う必要がなかったら、もっとずっといいアルバムになっていたと思うとやり切れないけどね。でもトータル的に考えてみると、自分にとっては最高作だよ。それにあのアルバムを仕上げた後はもう次は無いと分かっていた。とても困難な作業で、自分の持っているものはすべて捧げたよ。レーベルからは唸るような金をもらったから、ヨロヨロでネガティブだったハーレイでも満足させるだけの自由と時間を得た。そんなことはもう無いだろうね。スタジオの時間を無駄にすることは許されないだろう。結局ポリグラムが俺たちを見捨ててアルバムはリリースされなかったから、大きな成功を手にするチャンスはなかった。自分たちで2万枚作ってほとんどはライブで売った。毎回地道にね。それで終わり。屈辱的な体験さ。

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ポリグラムとの契約のいきさつは?

俺がミュージックビデオを制作したコネで実現したんだ。A&Rが「再結成するならすぐに契約してやる」って言うんで、そうしたってわけ。

『The Age Of Quarrel』は何回も再発されていますが、その分け前はありましたか?

いや、無い。あれはジョンのブートレグだよ。

『Alpha Omega』や『Near Death Experience』の話が出ませんでしたが、それはあなたが参加していないからですね?リフはそれっぽく聞こえますが…。この二枚のアルバムについてはいかがですか?

『Alpha Omega』のリフは「それっぽい」じゃなくて、俺とロブ・バックリーのリフなんだよ!これはアーティストが犯す最悪の罪、つまり盗作だ。クソだよ。音楽的な面からも見ても、ヴォーカルはヒドいし、テンポもズレてる。二枚とも一回しか聴いていない。『Near Death Experience』は聴いてて恥ずかしくなってしまった。低レベルのアマチュア作さ。

あなたとハーレイが始めたWHITE DEVILについては?

CRO-MAGSの名前を変えただけさ。でもプロモーターはいつも「WHITE DEVIL/CRO-MAGS」としてブッキングしていたから、このネーミングは意味が無かったね。それに事実、CRO-MAGSなわけだし、レコーディングが終わってみたら紛れもないCRO-MAGSの音になっていた。シンプルにね。それでまた名前を戻して、『Revenge』を作ったんだ。

かつてのハードコアバンドの再結成についてはどう思われますか?

それが真の再結成ならば支持するよ。つまり実際のメンバーが戻ってきて、新たな音楽を創作するという精神でレコーディングするならね。ハーレイと俺が再会したとき、それはすべて新しい音楽のためだった。CRO-MAGSと名乗るつもりすらなかった。昔一緒に音楽をやっていた時のひらめきをもう一度形にしたかっただけさ。でも一人の人間が違うメンバーを集めてそれを「バンド」だと言うのは間違っている。BLACK FLAG やMISFITS、そしてもちろんCRO-MAGS辺りの「再結成」を見ていると悲しくなるよ。一番初めに起きた現象の価値をないがしろにしているのさ。代わりのミュージシャンがいくらステージ上でCRO-MAGSの真似をしようと思っても、単に楽曲を演奏するだけではミュージシャンとは言えないよ。ただのオウムさ。前にハーレイがうまいことを言った。「もしジョン・ジョセフとAJとマッキーをスタジオに入れて曲を書いてみろ、って言ったらどうなると思う? 答えは「何も起こらない」だ」この言葉がニセCRO-MAGSのことをすべて言い表している。ヤツらは長いこと一緒にやっているにも関わらず、新しい曲は全然出来ていない。『The Age Of Quarrel』の曲だけやっているけど、もちろんあのアルバムの大部分はジョンやCRO-MAGSのフリをしている誰かに権利があるわけじゃない。自分たちで書いた曲じゃないからね。カバー・バンドだってことは単純明快さ。

CRO-MAGSといえばジョンとハーレイの終わりなき抗争が有名ですが、それについての意見をあなたから聞いたことがありません。バンドの元メンバーとして、かつてはどちらかの肩を持たなければならなかったと思うのですが、ウェブスター・ホールの一件以来、あなたの意見は変わりましたか? (*ウェブスター・ホール事件…2012年7月、ジョン率いるCRO-MAGSのライヴ会場にハーレイが乱入。楽屋でベーシストを刺し、セキュリティーにも怪我を負わせた)

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もちろん肩は持っていたよ、自分のね。俺とハーレイでバンドを始めて、バンドを成長させた。その中でパートナーだったのはハーレイ。ジョンは後から来て、不適切だと分かったからクビにした。『Best Wishes』は彼抜きでレコーディングし、結果的に『The Age Of Quarrel』の倍売れた。答えは簡単だった。ジョンのことはいつも小道具みたいなもんだと思っていたよ。役割をこなすだけのね。ジョンはCRO-MAGSのシンガーとしてもっとうまくやれたハズなんだ。うまくサポートしてくれて、殻を破らせてくれるかもしれない二人のミュージシャンに頼り、自分で勝手に限界を設定しなければね。そしてもちろんハーレイと俺との関係をぶち壊そうとしなければね。ジョンはハレ・クリシュナの悪ふざけを利用して、ハーレイを言いくるめ、そしてハーレイはそれを真に受けて信じてしまった。俺の場合はうまく行かなかったけどね。ハレクリシュナの勧誘ガイドには、俺への「入り口」は無かったんだな。家族に見捨てられた孤独な子供ではなかったし、欲すべき家庭もなかった。すでに家庭があったからね。だからローブをまとったクリシュナに俺を引き入れることが出来ないと悟った時、俺はジョンの敵になった。そして不和の種をまき始めて、俺を追い出そうとした。本当に愚かなことさ。音楽はうまくいっていたのに、それを完全にぶち壊したんだからね。これについては、カール・セーガンの「自身と敵対している有機体は滅びる」という言葉がある。ジョンはハレ・クリシュナの話に俺が乗ってこないと見るや宣戦布告し、その瞬間に破滅の運命が決まったのさ。

ウェブスター・ホールの事件に関しては、すべてハーレイが悪いね。それは間違いない。事はウェブスター・ホールに足を踏み入れる何年も前から始まっていたんだ。ハーレイは、ニセCRO-MAGSが俺たちのフリをするのがファン的にOKだという雰囲気を作ってしまった。ハーレイがシーンから排除されて、ファンが彼を大嫌いになって「FUCK、ハーレイ!俺はジョンの味方だ」という感じになってから、すべてが始まった。いや、それよりも前かもしれない。俺を遠ざけ始めた時からかもしれない。俺たちのピークの時代は、CRO-MAGSのフリをしている何者でもないヤツらを支持している人間なんて誰もいなかった。一人もね。でもハーレイが「アリかも」って空気を作ってしまった。ネット上で大騒ぎや裏切り、自己中心的な考えを恥ずかしげもなく繰り広げてね。

ハーレイがウェブスター・ホールで自分の立場を主張したのは正しかったんだけど、遅すぎたんだ。タイミングが最悪だった。その時のギグもその前後のやつも電話一本で中止にできたんだ。彼はCRO-MAGSのライブ演奏の登録商標を持っているけど、それを行使したことはない。みんなが分かってないのは、ハーレイがそこに行ったのは使命のためだったってこと。彼はどん底だった。バンドは段ボールの切り抜きみたいなヤツらに乗っ取られて、自分は笑いものになってしまった。でもハーレイは真実を知っていて、他者がどんな風に思おうとリアルな人間なことには変わりない。どんなに笑い草になろうとも、リアルな存在であり続けている。CRO-MAGSのオリジナル・メンバーでだし、それは何があっても変わらない。ハーレイは、自分がウェブスター・ホールに現れたら、その存在だけでヤツらの胡散臭さが暴かれると実際に信じていたんだろう。彼はジョンに「一緒にやろう」と持ちかけた。彼は絶頂期の伝説の再現をやりたかった。けど、ジョンは拒否した。その瞬間ハーレイは決心したんだ。でも事前に計画していたとは思わない。一瞬で決断したんだろう。怒りに駆られ、壁に押さえつけられ、瞬間的なイライラと無力感で行動してしまった。ジョンを殺して伝説になることだって可能だった。ムショ行きになったかもしれないけど、それでも伝説にはなっただろうね。

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ハーレイは長いことはないだろう。愛されることになるんだったら、ムショで死のうが関係はない。クレイジーに聞こえるだろうけど、俺はハーレイのことを知っているし、彼も全く同じように考えているはずさ。ハーレイが自分のやったことがヒーロー的に見られると信じていたのは間違いない。だからこそジョンを追いかけたんだけど、よく分からない連中に妨害されてしまった。間違った相手に切りつけて、誰も殺せず、すべてが無駄になってしまった。ジョンを殺れていれば、それで終わりだったのにね。望んでいたことをすべてやり遂げ、ニセMAGSはいなくなり、伝説を取り戻せていただろう。でも実際はつまらないヤツを切りつけてしまった。もちろん殺す意図なんてなく、刺したんじゃなくて、切りつけただけさ。これは大違いだよ。刺すのは意図的だけど、切りつけにはためらいがあるからね。実際、「ためらい傷」という言葉もあるし。「刺す」ってことがどんな行為かは理解しているよ。だからハーレイは大きなヘマをやらかしたってこと。自分のしたことが全部裏目に出た。後は知っての通り。シーンでは非難轟々で、望んだようなヒーローにはなれなかった。伝説にもなれず、ただの無力な行いだったってわけさ。

その後、誰もハーレイを告発しないと聞いてとても失望した。なぜならまたもや、地球上で最大の間抜けのままになってしまったから。何の結果も残さずにね!一方でハーレイのやったことも理解できる。もし家に誰かが入ってきて何か盗まれたら、そいつは刺されるかもしれないし、そいつらがステージ上で俺たちのふりをしていたら、それは窃盗と同じだからね。俺たちの遺産も金も盗んでいるってことさ。だからもちろん称賛されるのは俺たちのハズなんだ。

この手のメンバーのエゴのぶつかり合いが、CRO-MAGSに影を落としてしまっていますね。そんな人間がどうやって一緒になってやってきたんですか?

音楽のおかげさ。ハーレイと俺は音楽的にすぐに波長が合った。ケミストリーがあって、お互いにサポートしあえる関係さ。俺は彼のリフが好きだったし、彼も俺のを気に入ってくれて、俺の音楽を全面的に受け入れてくれた。それが行き過ぎて、俺の曲なのに自分が書いたって言い出すこともあったけどね。その悪夢についてはまた別の機会に話すよ。ハーレイと俺が楽器を手にしている時は絆があった。自分の音楽的な文脈を「そう!コレこそ正に俺がやりたかったことだ!」って演奏してくれる人間に出会うのはとても難しい。CRO-MAGSという現象ではその関係性こそが鍵だった。音楽的に会話し、継続的なまとまりのある音のストーリーを伝える能力。ハーレイと俺は人の心を動かす音楽を創っていた。それは個人的な時間と発見から来ている。一人で部屋に座って、純粋な楽しみのためだけにギターを弾いて、やりたいようにやる。そしていい感じになるまでコードやリフを加えていく。音のパズルを完成させるのさ。曲を書くってことはそんな個人的な発見のこと。20年後に突然現れて、コードをコピーしてステージで演奏して、「CRO-MAGSはこんな感じでOK」ってことにはならない。そんなのは馬鹿げてる。それがハーレイと俺がうまくいった理由さ。お互いに尊敬し合っていた。互いを見て確認し合っていた。でもおかしな立場に立たされることにもなった。ハーレイと音楽をやるのは誰よりも最高だったよ。以上。彼とはもう会わないことを願ってる。

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ブロンクスで育ったんですよね? 当時はどんな感じでしたか?

ブロンクスは子供時代を過ごすには最高の場所だったね。リアルな古きニューヨークの近郊って感じで。俺は母親と同じ小学校に行ってたんだ。ギャングが通りを仕切っていたけど、組織的犯罪や暴力を振りかざす今みたいな感じじゃなくてね。クラブとか兄弟みたいな雰囲気で、近所もキッズも守ってくれていた。ブロンクスにいたギャングは「Savage Skulls」と言って、構成員は一万人くらいいた。ちょっとしたキッズの部隊ってところだね。ほとんどティーンエイジャーだった。いつも安心感があって、通りを自由に走り回っていられた。みんなで一緒になってね。でもある日、市全域が停電してね。数日間も回復不能なほど破壊されてしまった。何日か電気がつかず、毎晩ショッピング街で盗難があった。エリアの二大ショッピング通りのフォーダム・ロードとグランド・コンコースは根こそぎ持っていかれた。すべてが終わった時にはみんなショック状態だった。店主たちは再建を拒絶して、食料も何もかも買える場所がなくなってしまったんだ。恐怖が蔓延して、大挙して引っ越しが始まった。ブロンクスはゴーストタウンになってしまった。地主たちが保険金をもらうために建物を焼き払ったから、ブロンクスは一年でほとんど焼け野原みたいになってしまった。それで俺の家も終焉。数年後にはブロンクスを去り、一度も戻っていない。戻る理由は何もなかった。

CRO-MAGSを結成していなかったら、どこで何をしていたと思いますか?

何らかのバンドはやっていたことは間違いない。「World Peace」や「It’s The Limit」、「Life Of My Own」といった『The Age Of Quarrel』に入っている曲はハーレイに会う前に既に書いていたからね。ジョンとダグ・オーランド、ハーレイは別のバンドをやっていたけど、CRO-MAGSのような影響力は無かった。MOI(Mode Of Ignorance)って名前のバンドだった。MOIはハーレイが思い描いていたスキンヘッズバンドで、CRO-MAGSはその方向性ではなかったから、試しにやっていたんだ。MOIはCRO-MAGSのメンバー集めの最中に結成されたから、どちらの可能性もあったんだ。そしてMOIはメンバーが揃っていたし、ライブもやっていたから、CRO-MAGSよりも優勢に思われていた。ジョンがハーレイの心を乗っ取って「パリス抜きでやろう」と言った最初の例だったのさ。MOIのライブはすごく良かったんだけど、輝きは無かったし、さらに深刻なことに曲が無かった!インパクトも無かったね!実態のないイメージだけの存在さ。だから控え目に言っても、俺がCRO-MAGSをMOIとは違う存在にしたワイルドカードだったと言えるだろうね。

だから当然、CRO-MAGSの盛り上がりとともにMOIはどっかに行ってしまった。それは容易に予想できたから、ハーレイがジョンとMOIをやると言って、俺には参加を頼まなかった時も抗議はしなかったよ。どうなっていくかは明らかだったからね。あとこんなこともあった。デモのレコーディングのかなり前にロジャー・ミレット(AGNOSTIC FRONT etc)とピート・ハインズ(MURPHY’S LAW、のちにCRO-NAGSに加入)でジャムったんだ。素晴らしい時間だった。ハーレイと俺はその後にちょっと話し合って決断した。「グレートだ。ジョンとマッキーは追い出そう」ってね。その後、俺とピートとロジャーで飲みに行って、そのことを伝えたら「CRO-MAGSには加入したくない。ハーレイとはプレイしたくないんだ。でもお前とは新しいバンドをやりたい。お前は素晴らしい新曲(「Malfunction」)を持ってきてくれただろ。リアルミュージックが生まれるところを目撃することが出来たぜ」と言うんだ。俺には見えなかったけどね。ロジャーはいつもつるんでたから、俺が「World Peace」とか、他の曲を書いたことも知ってたし、当然ではあったね。ハーレイを長いこと知っている人間は彼を嫌っていた。ロジャーもそうだった。でも俺は既に多くの作業をCRO-MAGSに捧げていたから、ロジャーとピートには「ありがとう。でもやめとくよ」と言ったんだ。そしてハーレイとの作業を続けた。マッキーとジョンの知るところではなかったけど、それから最終的に彼らを交代させるまでは、そんな話はしょっちゅうだったよ。

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CRO-MAGSの過去のメンバーとは連絡を取っていますか? 彼らはどうなっているのでしょう?

ダグとはFacebookで話してるけど、それ以外は全く接触はないね。本当に心配しているのはハーレイだけさ。ハーレイとピート以外は友達にはならなかったしね。ピートとも何十年も会ってない。ちなみにジョンがCRO-MAGSにいた時は、電話番号すら知らなかったよ。

でもね、ジョンと話す機会があったんだ。二年位前に共通の友人を通じて連絡があった。会って誤解を解こうと言ってきたんだ。それでコーヒーショップで会ったら、ジョンは長年俺にしてきたことについてまっ先に謝った。もちろん俺は本当に驚いた。ジョンは謝罪によっていい空気を作り出すと、話し合いの真の理由について語り始めた。CRO-MAGSの曲を書いて欲しいってことだったのさ。「俺が一緒にやっている連中は曲を書かないんだ」って言うから、「まあ、もし書いたとしてもCRO-MAGSの曲にはならないだろうな」って言ったよ。OK。やるとは断言できないが、もしやるとしたら、まずクリアにしておかなきゃならないことがいくつかある。

…まず一点目はバンドを法人組織にして、独立のマネージメントとする。そしてバンドのメンバーはすべての収入について平等に恩恵を受ける。それにはハーレイも含まれるが、参加しないメンバーの取り分についてはライブやマーチャンダイズに関して話し合いが必要。その他の点では俺たち(ジョン、ハーレイ、俺)は平等なパートナーとする。二点目、ハーレイはパフォーマンスに関しては全く関わらないが、例えばライブで売れたマーチャンダイズなんかの権利は交渉の余地がある。それがフェアなやり方だし、俺たちはフェアであることをスタート地点とすべきなんだ。平等な立場ってやつさ。三点目、俺は自分が納得いくようなバンドを組みたい。ジョンが雇ったり、クビにしている二流の面子でそれは実現出来ない。そして『Revenge』のときの未発表曲が二曲あるから、それで歌のテストをする。すべてうまくいったら、『Revenge』をジョンのヴォーカルで録り直して、再発することが出来る。再発して、ツアーして、すべて順調に行ったら、新しいアルバムのための曲を書くことも考えられる。最後に、彼がかつて「パリスが俺のことを軍に密告した」と言ったのは嘘だった、と公に繰り返してもらわなきゃならない。(*ジョン・ジョセフは80年代初頭に陸軍から不法逃亡しており、それについて95年にハーレイとパリスが密告したとされている)

…俺の頭で思いつくのはそんなところだったけど、話している間に、ジョンの雰囲気が変わっていくのが分かった。どんなことになるのか理解していくのが顔に表れていたよ。一緒にやるってことは、ジョンはボスじゃなくなるってこと。「なあ、パリス。俺は、お前と俺とマッキーが昔みたいに一緒に曲を書いて、どうなるかを見てみたいんだ…」って、最後に絞り出すように言った。俺はヤツの目をまっすぐ見据えて言った。「お前が長いこと自分側のストーリーを語ってきているのは知っているし、それをお前が信じているのも分かっている。だがお前と俺とマッキーで一緒に曲を書いたことなんて一度もない。曲を書いたのは俺とハーレイだけで、それをアレンジしてリハーサルに持っていき、マッキーに叩き方をレクチャーし、そしてエリックとハーレイが書かなかった部分の歌詞をお前が書いたんだ。もし俺が新曲を書くとしたら、腕も態度もいいミュージシャンが必要だ。だからマッキーはクビ!そしてダグは必要になるだろうな」とね。彼は少々呆然とした感じだった。俺は穏やかでニュートラルな、率直な感じで言っただけだったんだけど、実際はどれもやるつもりはなかった。ジョンはショックを受けているみたいだったな。

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ジョンは、「もし一緒にやらないなら、俺は二ヶ月以内にCRO-MAGSのパフォーマンスをやめて、活動を停止するよ」とも言った。…でもニセCRO-MAGS は今もやめていないし、曲も作っていないけどね…。俺は「これは言っておかなきゃならない。お前がCRO-MAGS名義でやっていることは気に食わないが、本当のところはハーレイが俺を追い出したから可能になったことなんだ。ハーレイがいてもいなくても、今のCRO-MAGSには興味がない。俺は、誇りに思っている音楽を演奏したいと言うお前の立場は理解できるけど、それでもやらないで欲しいと願っている。それだけは言っておきたい」とも話した。

まぁ、敵対的な姿勢をヤツは見せなかったから、嫌な時間ではなかったよ。その点では達成感があった。握手もしたよ。礼儀正しくしない理由がどこにある? 共通の過去があって、二人ともそれを誇りに思っているし、その誇りを、お互いに思い出させる存在であるべきだろう?でももちろん再会の数か月後には、ジョンがインタビューで「パリスと話して、俺とマッキーがオリジナル・メンバーで『The Age Of Quarrel』をライブでやる権利があるって認めたよ」と語っているのを見たけどね。当然そんなことは言ってないし、言うはずもない。それは真実ではないんだから。たしかに腹は立ったけど、いつものことだから驚きはまったくなかった。

あなたは現在、映像の仕事をされていますが、彼の自伝「Evolution of a Cro-magnon」を映像にしてくれとジョンが頼んできたら協力しますか?

それは笑えるな。まずはその自伝を読まなくてはならないな。俺は読書は大好きなんだけど、一冊も読まないような人間が書いた本を読むのは想像がつかないよ。

CRO-MAGSは1988年の映画「The Beat」に出演していますが、いい思い出になっていますか?

懐かしいね。当日ハーレイは、どうしようもない感じだったから、監督が怒って出て行ってしまったんだ。チャンスを台無しにしてしまうハーレイの典型的なエピソードだよ。

ジョンがやっている「ROCK N ROLL HISTORY NEW YOURK WALKING TOURS」(※ジョンがガイドとなって、ニューヨークのロックにまつわる場所を回る観光ツアー)についてはどう思いますか?グレッグ・ギン(BLACK FLAG)もあれはフェイクだと言ってましたが。

ただ悲しいだけさ。哀れだね。別の見方をすれば、あれはジョンのセルアウトだよ。彼には聖域というものが無いんだろう。まあ何より悲しいってのが一番さ。

まだニューヨークに住んでいるのですか? 次の予定は?

今はブルックリンに住んでいて、ステディカムのオペレーターとしてコマーシャルやテレビ、映画なんかを撮影している。ニューヨークは死につつもあり、復活しつつもある都市だね。今は死んでいて、外部の人間が死体を横切っている状態かな。かつての躍動感からは隔世の感があるけど、俺はまた復活するという希望を持っているし、その時はここにいるつもりだ。ここ三年くらいは曲を書いていて、メンバーを集めているところなんだ。バンド名はBLOOD4PAPA。ヘヴィーなギターロックだよ。今の自分に過去をちょっとブレンドした感じ。でもステージ上がるまでは話せることはあまりないんだ。あちこちでインスピレーションを得て、自分が変化するたびに音楽も変化している。過去の実績は大事にするけど、継続することには興味がない。CRO-MAGSはだいぶ前に終わっているのさ。